○ Bitter Gift
サビナを待つあいだに、ルキアノスの母親、エウラリアはどこかに出かけた。
一時間ほどすると、もうすぐバス停に着くというメールがサビナからゼインの携帯電話に届き、私たちは揃ってルキの家を出た。ゼインだけはサビナを迎えに、私はアドニスのうしろに乗って、自転車で五分ほどの場所にある小さな服屋に連れていってもらった。ショッピングセンターだと、よけいなものまで目に入る可能性があるからだ。
そこで普通の服を見ていたのだけれど、ふと水着コーナーが目に入った。
水着。
最近の水着は、普通の服かと思うようなものがたくさんある。日焼けするのはキライだし、海に行く気もないし、プールで泳ぐ気もない。泳げないわけではなく、むしろ泳ぎは得意なのが、それでも。海は特に、落ち着かない。昔は好きだった気がするけれど、アゼルとの記憶がある。そもそもウェスト・キャッスルに住んでると、海は遠いので、あまり行く機会もないし。
でも、水着。
サビナが来たら、プールサイドで勉強しようかということになってる。
で、水着。
だってほら、暑いし。
要るのか要らないのかなどというどうでもいい葛藤をしていると、水着を買うのかと訊かれた。あれがいいこれがいいと言うアドニスのことをとりあえず無視して悩んでいると、ゼインに連れられてサビナが現れた。
けっきょく、私は水着を買うことにした。サビナはTシャツに七分丈ジーンズという普通の格好で、一応彼女にも、買ったら着るかと訊いてみた。体型に自信がないから無理だとかなんだとか、面倒な言い訳がはじまった。私はかまわず、なかば押しつけるようにして水着を選び、レジに持っていった。ブラウンカラーがベースになったワンピースつきの水着をサビナ用に、自分には黒くてシンプルなパレオつきの水着を。あと、着替えのジーンズも。
店員に試着室で着て帰ってもいいかと訊ねると、ふたつ返事でどうぞと言われたので、私たちは試着室で水着に着替えた。サビナはその上に再びTシャツとジーンズを着用したけれど、私はショートジーンズを履いただけだ。
サビナは水着のお金は今度返すと言ってきた。手間賃だと言って断ってさしあげた。貸しを作ったつもりはない。というか、貸しだの借りだのというのが面倒なので、そういうのはしたくない。
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ルキアノスの家に戻ると、先にプールの傍らにあるゲストルームでサビナと一緒に着替えてから、ルキアノスと一緒に部屋に戻り、勉強道具を持って家の裏手にあるプールへと向かった。アドニスとナイルは、ガレージからビーチボールを引っ張り出してきていた。
プールは四角ではなく、雲のような形をしている。その傍らに、同じく雲のような形をした小さく浅いプールもある。Tシャツを脱いでワンピース型の水着になったサビナは、その小さなプールの端に腰かけて足だけを水につけ、ゼインと話をしていた。パレオをトップスで身につけた私は、パティオにある白いチェアに腰をおろし、ロングテーブルに教科書を広げて、ルキと一緒に真面目に勉強をはじめた。
──の、だが。
気づけば数分おきに、わざとらしくビーチボールが転がってきた。Tシャツを脱いでジーンズを履いたままプールに入っているアドニスとナイルが、相手をしろとアピールしてくるのだ。そのたびにボールを返すのものの、数分後にはまた転がってくるという状況が続いた。
何度目かでとうとう我慢の限界に達し、私はアドニスの顔面に向かって思いっきり、ビーチボールをスパイクして返してやった。怒った彼は、ナイルを連れてどこかに行った。
ルキアノスが苦笑う。「言ってたことと違うよな。ナイルたちはプールに入りに来ただけだから、相手しなくてもいいって言ってたのに。ゼインはともかく、二人で遊んでればいいのに」
手と脚をそれぞれに組んでチェアに背をあずけた私は、彼にふくれっつらを見せた。
「ヒトが真面目に勉強しようとしたらこれなんだもん。なんの嫌がらせ?」
「ま、サビナが来ちゃったからな」
ルキアノスがゼインとサビナを見やったので、私もそちらへと視線をうつした。いつのまにかゼインは一段おりてステップに腰をおろし、腰まで水につかっている。
「ゼインはサビナの相手、しなきゃいけないし」
ゼインの性格を──よく知らないが──考えると、どちらかといえば遊びたいほうのような気がする。
「たぶんあれよね」私は切りだした。「サビナに黙ったまま私がゼインと遊ぶって状況を、アドニスは避けようとしてくれたのよね。面倒にならないように」
「たぶんね。どっちにしても、ベラには面倒なんだろうけど」
「そうね。どっちかっていうと、サビナのことを考えてかな。次にゼイン。私がどうなろうと知るかみたいな」
彼が苦笑する。「ま、ベラに遠慮しないってのが、アドニスの信条らしいから」
ありがたいといえばありがたいけれど。
後方にあるヌックのドアから、アドニスとナイルが戻ってきた。
突然、ナイルがなにも言わずに私の座っているチェアを勢いよくうしろに引き、私は思わず声をあげた。テーブルから少し離され、私の頭には白いバスタオルがかけられた。
「そのまま」
彼は、バスタオルをとらないようにか、私の頭をバスタオルごと抑えた。自分の身体の一部と床が少々見えるだけ、あとは白いバスタオルに視界を遮られている。
イヤな予感しかしなかったのだが、その予感は当たった。頭から水を思いきりかけられた。チェアを引いたのは、勉強道具が濡れないようにだ。タオルはなんだか知らないが、もしかするとなにをしているか見えないように、かもしれない。
いきなりプールの水を頭からぶっかけられて、悪寒がしないわけがない。確かに蒸し暑いけれど、水着になってからは体温、安定していたのに。
アドニスとナイルはけらけらと笑っていた。私は溜め息をつくしかなかった。下を向いていたから顔はほとんど濡れていないし、目元メイクはウォータープルーフを使っているので、この程度ではくずれたりしない。
バスタオルをとって髪をかきあげると、私は二人に呆れた顔を返した。それに気づいた彼らの笑いが止まる。
先に口を開いたのはナイルだった。「いや、これはあれだよ、アドニスが」
「乗り気だったくせに!?」アドニスが言った。
初対面の時に感じた、ナイルの気取り屋なイメージはどこに行ったのだろう。まあそんなイメージ、数分で壊れたけれど。
バスタオルを持って立ち上がると、私は無言のままナイルをプールのほうに向かせ、前が見えないようにバスタオルを彼の顔にかけた。バスタオルを支えつつ彼の両手首をうしろでつかんで歩かせる。ごめんだとかなにする気だとか、なんだかごちゃごちゃと言っているけれど気にせずに、彼をプールの端に立たせた。
「私がね」背後からナイルの耳元で、囁くように言葉を継ぐ。「真面目になにかをしようと思うのって、ほんとにめったにないことなのよ。頼むから邪魔しないで」
彼は少々焦っているらしい。「ちょ、悪かったって」
「もう手遅れよ」
そう言うと一歩下がり、彼から手を離して次の瞬間、サンダルを履いたままの右足でナイルの背中を蹴って、彼をプールに蹴り落とした。
彼はバスタオルごと、水しぶきをあげてプールの中に落ちた。
アドニスとゼインは爆笑した。私は笑っていない。
ナイルが勢いよく、跳ねるように顔を出す。
「お前マジでふざけんな!」手で顔の水を拭いながら言った。「しかもサンダル履いた足で蹴るなよ!」
「知るかボケ」と、私。「で」アドニスへと視線をうつす。
彼の笑いが止まった。徐々に表情が青くなっていく。
「──いや、ごめん、マジでごめん」
私はアドニスに向かって微笑む。「頭と腹と背中、どこがいい?」
「なんの選択!?」
「だから、蹴られるところ」
「お前女だろ!」
「は? 女が蹴らないとでも思ってんの? むしろ蹴りは女のためにあるとは思わないの?」
「んなわけあるか!」
ルキアノスが立ち上がると同時に、バスタオルを肩にかけたナイルもプールから上がった。無言で、だけどにやつきながら彼のほうへ向かう。アドニスは気づいて逃げようとしたけれど、遅かった。ナイルに捕まって、左手首を彼に、右手首をルキに掴まれた状態で、プールの端、ぎりぎりのところに立たされた。ルキとアドニスは彼の両手を広げるように掴んでいる。背中を蹴れということらしい。
私はナイルの肩からバスタオルをとると、騒ぐアドニスの顔にかけた。
「ちょ、マジでやめろって!」アドニスは焦っている。「なんか怖いってこれ!」
「うわー」私が脇に立つと、ナイルが口元をゆるめて言った。「これ、あれだわ。超痛いと思うわ」
「は!?」
「自業自得だから」ルキが言う。「諦めろ」
「見捨てんのかよ!」
うるさい。
「離して」と言うと、彼らは両手を離した。次の瞬間、私はアドニスの背中を思いっきり、サンダルを履いたままの足で彼の背中に回し蹴りをした。
アドニスは痛いと声をあげながら、バスタオルごと勢いよくプールに落ちた。
やっぱりゼインと、ナイルもルキも爆笑した。サビナは苦笑っているというか、笑いをこらえている。私は笑ってない。
アドニスも勢いよく、跳ねるようにプールから顔を出した。顔を両手でこすって怒る。
「マジで痛いし! 怖いし!」
「うっさいアホ」と、私。
ゼインやナイルが大笑いするところはもう見たが、ルキアノスがここまで笑うのはめずらしかった。
アドニスはぶつぶつと文句を言いながらプールに浮かんだバスタオルを手に取り、ルキに差し出した。彼が受け取ろうとして手を伸ばすと、アドニスは口元をゆるめて次の瞬間、バスタオルを離して彼の手首を掴み、プールに引き入れた。
Tシャツを着たまま、ルキはプールに落ちた。
私は思わず、ナイルと一緒になって笑った。ゼインもおなかを抱えて笑った。
怒ったらしく、ルキがアドニスの頭と首を押さえてをプールに沈めにかかった。数秒で息継ぎをさせたものの、また沈めた。すかさずナイルがプールに飛び込んで、アドニスの背中に乗る。ルキとナイル対アドニスという、よくわからない格闘がはじまった。
私はパレオを放り出してショートジーンズはそのままに、プールに入った。冷たく気持ちのいい、久しぶりのプールだった。小学校六年の時以来だ。小学校の時には体育の授業でプールがあったものの、最近は思春期がどうこうとかで、泳げる川や海に近い学校でなければ、中学ではプールに入らなくなっているらしい。
彼らから少し離れたところにぽつんと浮かんでいたビーチボールを手に取ると、彼らに向かってスパイクしてみた。ナイルの頭にヒットした。彼は怒ったものの、またビーチボールがこちらに戻ってきたからそれを拾って、もう一度スパイクした。やっとナイルとルキから逃れたらしいアドニスの頭にヒット。
今度はルキのほうに飛んでいき、彼がそれを拾って、ナイルに向かってサーブした。数歩うしろに下がったナイルがそれをスパイクで、アドニスを狙った。彼のほうを向いたアドニスの顔面に、見事にヒット。また笑いが溢れた。痛がるアドニスを見て、私も笑わずにいられなかった。
再び拾ったビーチボールを、ナイルがルキに向かってサーブして、それがこっちにまわってきて、けっきょく私とナイル対ルキとアドニスで、なぜかビーチバレーがはじまった。といっても、私とナイルが打つスパイクの対象は、比較的アドニスに向けられていた。だってルキから、トスのようなサーブやレシーブが上がるから。