* Departure
翌日、十二月二十三日。
起きたのは昼前だった。ブランチ状態で祖母の用意してくれた朝食を食べると──昨日の夜もやったように、ひとまずタイピング練習をした。
疲れたところでそれを終え、詞を書くためにノートを開いた。昨日ペトラが言っていたようなことを詞にできるか、と。彼女の言い分の一部は、土曜に仕上げた女のわがままソングの詞に入っているので、男らしいのがいいという部分に的を絞りたい。まさか身近にいるとは思わなかった。いざという時がどんな時なのかはよくわからないし、そういう時に発揮される男らしさというのもよくわからない。
ロックでもよかったものの、ひとまずポップスか──もしくはポップ・ロック路線で進めてみようと思い、適当な感じでペンを走らせた。ロックを意識すると、ペトラが性悪のようになってしまう。実際そうなのかもしれないけれど、私ほどではないわけだから。というかおそらくこれは、彼女にとってはしかたのないことだ。だから詞の中であやまっておく。見下しすぎる感じにならないように。言われたほうは、どんな心境なのだろう。
しばらくすると、ぐだぐだになってきた気がして、おなかもすいたことだし、昨日の夜祖母と酒を買いに行ってお金もなくなったしと、気分転換も兼ねて銀行とマーケットに行った。買ったのは遅い昼食と折り紙。
祖母の家に戻ると、またぐだぐだな詞の続きを書いた。ぐだぐだなものの、話の内容そのものが微妙な状態なのだからしかたない、ということにした。
そのあとは、折り紙で、ひたすら紙飛行機を折った。“メリークリスマス”と、ひとつひとつにメッセージを書いて。
不法投棄で捕まるかもしれない。もちろんゴミなつもりはない。クリスマスプレゼントだ。メッセージカード代わり。
一枚ずつ入ったゴールドとシルバーを除いて四十八枚を折り終わったものの、なんだか落ち着かなくて、眠ることにした。
眠れなかった。
ヤケ気味にアゼルの学ランを出してきて、それを着て寝ることにした。
眠った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
リビングに行くと、祖母は夕飯の準備をしていた。寝ていたと言うと、いきなり生活がおかしくなってるわねと笑われた。
「これ、なに?」
センターテーブルの上にみっつに分けて置かれた手紙の束を見た私はソファから訊いた。左側に置いてあるのはダイレクトメール、真ん中がおそらく、時々届く祖母の友人たちからの手紙やクリスマスカードで、右側の手紙の宛名は、なんだか子供のような字で書かれている。
「ああ、それ?」カウンターに立っていた祖母が手を止めてこちらに来る。「子供たちからの手紙よ。なんでもクリスマス当日に届くよう投函するまで待てなかったらしくて」
「施設の?」毎年寄付だのなんだのをしているという。
「そう」うなずいて私の隣に座ると、封筒の束を手にとった。脇に置いてひとつの封筒から中身を出す。「クリスマスカードと手紙をね、毎年送ってくれるの」
祖母はクリスマスカードを見せてくれた。グリーンの画用紙を二つ折りで台紙にして、赤と肌色と白で髭のある顔を作り、赤い画用紙で帽子を作って、目を描き込んだサンタクロースが貼られている。ゴールドのペンで“メリークリスマス”と書かれていた。内側にもメッセージが書かれている。“メリークリスマス! デボラ、いつもありがとう。デボラは僕たちのサンタクロースだ。また会えるのを楽しみにしてる。 Vaya Con Dios !”と、へたな文字で。
私は最後の一行を、目を細めて口にしようとした。「ヴァヤ──?」
「“ヴァヤ・コン・ディオス”」祖母が言う。「外国語よ。別れの言葉だけど、“神と共にあれ”っていう意味合いがあるの」
“ヴァヤ・コン・ディオス”。「クリスマスにはぴったりね」ブラッディ・ゴッド以外の神様など存在しない。
「そうね。ぴったりだわ」
微笑んでそう答える彼女がカードと手紙を封筒に戻そうとしたところで、封筒の左上部に書かれた差出人の住所が目に留まった。
「ラージ・ヒル?」
「ええ、そう」と、祖母。手紙の束を重ねると、テーブルの上の残りの手紙やダイレクトメール類とひとまとめにして立ち上がった。「ラージ・ヒルの施設にもね、寄付してるの」
「まさか全プレフェクチュールに?」
「まさか」と苦笑う。「ここと、あとはベネフィット・アイランドの数箇所に少しだけよ。それより夕飯の支度、手伝ってくれる?」
まあ、全国なわけはないか。「うん」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
数時間後、マルコから電話がかかってくると、私は少し出てくると祖母に言って家を出た。折り紙で作った紙飛行機と少々の着替えを入れたバッグを持っていたものの、なにも言われない。さすが私。さすが祖母。あとから泊まると連絡を入れるはずなのに、最初から泊まる気じゃねえかみたいな。普通はバッグを隠すだろうものの、それすらしない私はやはりおかしいのかもしれない。
「どっかで時間潰すか?」
ナショナル・ハイウェイに出たところでマルコが訊いた。
「そーね」窓の外を見るともなしに見ながら答える。「着くのは夜中がいい。ベネフィット・アイランドを二十三時に出るくらい」
「あと二時間くらいか。つーかこっちで時間潰さなくてもいいか。どっかで一回おりるとか」
「降りたら高速料金、よけいにかかるんじゃないの?」
「お前が出すだろ」
笑える。「そうね。どっちでもいい」タクシーに乗るのでもよかった気がしてきた。「今日、おもいっきり金引き出してきてやった」
「なんだおもいっきりって」
「七万」
「えらく半端だな。けど出しすぎ。なにする気だよ」
「昨日大量の酒買いに行ったから、手持ちがなくなったし。どうせ年末だし。人生なにがあるかわかんないし」なぜだろう。ものすごく犯罪者になった気分だ。まだなにもしていないのに。
「エデからまたメールが来たとか言う話」
「また?」
「なにしてんのーとかって、昨日」
「へえ」
「今ベッドで女とヤッてるって送ってやろうかと思ったけどやめた」
「してたの?」
「ちょーどな」
「最悪。あんた最悪。マジで最悪」
「なにがだよ」
「してる最中にメール見る?」
「見るだろ」
「マジで」
「電話きたら出るだろ」
「嘘だ」
「普通に動くだろ」
私は思わず笑った。
「ありえない。マジでありえない。ちょっと待って、女はどうすんの? 気にしないの?」
「電話なんか特に、たいていは興奮するだろ、アホだから」
「アホすぎる」
「アゼルは出ねえのか」
「出るわけないじゃない。完全無視」
「お前も?」
「あたりまえ。っていうかたいていマナーモード。集中するタイプなのでね」邪魔されるのは好きじゃなかった。
「俺なんか気散りまくりなのに」
「テレビとか普通に観てそうだよね」
「観るな。酒飲んだりもするな」
「最悪。あんたと何度も寝ようと思う女の心境が知れないわ」
「黙れアホ」
コンビニに寄ってから高速道路に乗った。彼は昨日けっきょく、エデのメールを無視したという。電話帳から彼女の名前は削除してあるけれど、アドレスを見ればわかるのだとか。けれど、もう面倒だからアドレスを変えようかとも言っていた。もうムカつきとうざさしかないらしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
車は以前と同じ道を通っている。なのに、以前よりもずっと長くかかっているように感じた。時間がゆっくり進んでいるような、いくらスピードを出してもぜんぜん進んでいないような感覚だ。
そのうち以前行ったアッパー・プランクのサービスエリアが現れ、休憩がてらそこに寄った。いくら高速道路とはいえ、ずっと運転し続けるのはきついだろうと、そこではじめて気づいた。しかも彼は今日、仕事だった。百二十分という時間を、信号も曲がり角もない道を、タクシーの後部座席に座ってじっとしているのもきついだろうけれど、運転するほうはおそらく、もっときつい。なのにどうしてこんな役を買って出たのだろう。運転バカなのか。
車は再び高速道路を走っていく。不思議と気持ちは落ち着いていた。たっぷりどっぷり眠ったせいか。学ランのせいか。夕食をたっぷり食べてきたからか。ゴールドの折り紙で折った紙飛行機に、“Vaya Con Dios”と書き込んだからか。関係ないか。ついでに、シルバーの折り紙でも紙飛行機を折った。なにも書いていない。南京錠を連想してしまったので、むこうに着いてなにか思い浮かんだら、書こうと思っている。
たださすがにどうかと思うのは、タクシーを使って行くとすれば、もしかすると学ランを持ってきていたかもしれないということだ。コートの下に羽織っていれば、誰にもわからないはずだ。さすがに変だとは思う。万が一誰かに見られたらどうするのだという話だ。
フォールディングナイフを持ってくるのはさすがにやめておいた。以前祖母に、持ち歩かないほうがいいと言われた。というかあれ、私が自分で買ったかなにかだと思われているのか。まさか。
ちなみに私は今日、なぜかロックテイストの格好をしている。イライラしそうとかいう考えではなく、単に──貴重だったアゼルの外行きの私服姿が頭に浮かんだからだ。
この一年で、あからさまなロックスタイルの服を買うことが増えた気がする。気まぐれに興味を持ってはすぐ飽きる性格なので、たまたまかもしれないし、しかも私は自分の格好を、パンクだとは認めないけれど。
もうどのくらい進んだのか、今は“スリー・インティマシー”という町に入っている。とにかく山だ。おもしろいくらいに山。なにもおもしろくない山。数十分前にサービスエリアがあったけれど、もうひとつ進むと言って、マルコは立ち寄らなかった。それがまた遠い。そもそもサービスエリアなど、そうそう数があるものでもないようだ。
二十二時を過ぎたことに気づき、私は祖母にメールを送った。“今日はそのまま友達のところに泊まります。明日の朝食は用意しなくて大丈夫。おやすみなさい”、と。祖母の返事は、“わかったわ。眠れなかったらホットミルクか紅茶を飲んでね。おやすみ”、だった。
祖母はなにもつっこまないでいてくれる。私にはありがたい。それが正しいのかは知らない。でも大人がとるべき態度などきっと、子供の性格や状況によって変わるものだ。私は放置されることに慣れているし、詮索されたくないからむしろ、こういうほうが都合がいい。詮索されても、今のこんな状況を、どう説明すればいいのかなどわからないし。
「そろそろ酒の禁断症状が出てくるかも」マルコが言った。
「どんな?」
「イライラ」
「そのまんまだな」
「運転は好きなほうだけど、さすがにこんだけ走ってたら飽きるな」
「だからタクシーで行くっつったじゃん」
「無駄に金払ってまで見ず知らずの他人を巻き込むなよ」
「見ず知らずの他人がどうなろうと知ったことじゃない」
「いや、けどタクシー運転手は危険だぞ。公道走ってるとわかるけど、あいつらの中にはたまに、やたら運転荒いのがいるからな。スピード違反なんて余裕でやってるし、信号無視だろってタイミングでも突っ込んでく。タクシーってだけでなぜか偉そう。しかも捕まった時は客を言い訳にする。けどポリもある程度は見逃す」
タクシーは時々使うほうだけれど、そんなにクロい世界だったのか。
「あんたもタクシー運転手になればいいじゃない。若い女なら口説いて、金持ってそうなおばさまたちからはチップをはずんでもらうの。どうよこれ」
「ガキの頃はそんな発想もあったけどな。おっさんだと萎えるから無理。しかもお前みたいなガキが乗ってきてみろ。イライラして殴る可能性がある」
「ガキを殴るなよ」と、とりあえずつっこんでおいた。「でも私とアゼルみたいなのが乗ったら最悪ね。タクシーの中ではじめる気かっていう勢いでキスするから」
「ヤったんか」
「キスだけよ」“だけ”ということもない。「私に嫌がらせがするのが好きなのね、あいつ。たいていのことは恥ずかしいとか思わないけど、そういうのはイヤだっつってんのに、嫌がるからこそしてくる」
「ならもう嫌がらなきゃよかったんじゃね」
「嫌がらないと本気でしてくる可能性があるじゃない。イヤよそんなの」
「さすがにタクシーん中でする奴は──いや、いるか」
「え、いるの?」
「突っ込んだかどうかは知らねえけど、寸前までやったっつってる奴は知ってる」
「最悪」