ヒーローは苦しむ
彼は自分の理想と現実に苦しむ。
暗くじめじめとしたスラム街の裏路地に、“彼”はいた。
“彼”の目の前には、3人のスキンヘッドの厳つい20代前半の男と、彼らに囲まれている1人のまだ10歳ぐらいのうら若き女の子がいた。
「おい、何してるんだ!」
“彼”はそう言った。
その毅然とした正義を掲げたような言い方は男達を振り向かせるには十分だった。
「なんだい、そこのあんちゃんよぉ。オレらの邪魔でもする気かい?」
一人の男が挑発するように言った。
その巫山戯た物言いに“彼”は臆することなく言い返す。
「当たり前だ。早くその娘を解放するんだ!」
「おいおい、ここがどういった場所か知っているのか?」
もう一人の男がそう嘯く。
「ここがどういった場所であろうとも、その娘のことをほっとくことはできない」
「あーあ、いっちょ理解してもらえるようにするかね」
3人目の男が“彼”に近づいてきて、拳を振り上げた。
がすっ
“彼”は男の拳を受け入れた。ただ殴られるだけ。自分からは何もしない。
「なんだコイツ、抵抗しない気か?」
「あぁ、その娘の代わりに俺を殴れ!」
「おい、ちょっと待て・・・ちぃっ逃げられた」
男達は先程まで囲んでいた女の子が逃げ出したのを見た。その女の子は“彼”を振り向くこと無しに一目散に逃げていく。
「おい、半殺しにしてやる」
男たちの目は怪しく光っていた。
■■■
また、ある時“彼”は街にいた。
街のいたるところに困って立ち尽くす者たちがいた。
「やぁ、大丈夫かい?」
“彼”は近くにいた小さな女の子に声をかけた。
「あっ、ヒーローさん」
そう、“彼”は“ヒーロー”と呼ばれていた。
人助けをするところからそう呼ばれるようになっていた。
「ヒーローさん、ウェルテム山に行ってここに書いてある薬草を摘んできてください」
そう、少女は言った。
ウェルテム山というのはこの街から少し行ったところにある標高3000メートル級の山だ。この山には何匹もの凶暴な獣が生息している。
少女の渡してきた紙に書いてあるリストの薬草はどれも山の麓で取れる薬草で、この少女でも十分に取れる類だった。
「なんで、俺が・・・」
「助けてくれるんでしょ、ヒーローさん」
「あぁ・・・わかった。取ってくるよ」
「なるべく早くにお願いします」
「・・・・・・」
“彼”はもう何も言うことなくとぼとぼとウェルテム山に行き、薬草を取りに行った。
日が暮れ、“彼”は籠に一杯の薬草を持って街に戻った。そこには先程の少女がいた。
“彼”はその少女に薬草を渡した。
結局その少女は“彼”に感謝の言葉をかけることなく、それが当たり前であるかのように去っていった。
■■■
“彼”は街から少し外に行った自分の家にたどり着いた。
“彼”の家は小さな洞窟を利用した侘しいものだった。街に住む人ならもっと綺麗で頑丈な家に住んでいる。
別に彼は貧乏なわけではない。
街の中に家を買うことぐらい容易にできるだけの金を持っていた。
しかし、“彼”はこんな場所に住んでいた。
“彼”は悩んでいた。このまま人を助けるをやめようかと。
“彼”は初め善意で人助けをしていた。助けられた人はみな“彼”に感謝していた。感謝の言葉を述べられるたびに“彼”は心地よいものを感じた。
そのうち“彼”が人助けをしてもみな感謝しなくなった。まるで“彼”が自分達を助けるのが当たり前であるかのように思っているように感じた。人助けして当たり前だ、人助けしないお前はクズだ、そう言われているように“彼”は感じた。
なぜ、自分は人助けしなければならないのか、そう“彼”は悩んだ。
もともと正義感が人一倍強いことから人助けをするようになった。
別に人助けなんてしなくていいんじゃないのか、そう“彼”は思ったりもした。
答えが出ることなく夜は更けていく。
そして、事件が起きた。
“彼”の前に大きな狼の魔獣が現れた。
魔獣とは、この世界において人間の脅威である。
魔法を使い、人間の言葉を理解する化け物。
魔獣の大きさ・種類にもよるが、一匹が街に現れるだけで街は破壊される。
それが魔獣だ。
そしてその魔獣は洞窟の中で怯える“彼”に話しかけた。
「我の名はフェンリル・エカテリーナ。お主はここで何をしている?」
滑らかな絹のような女性の声だった。
“彼”はフェンリルの威圧感に怯えながら答える。
「私はここで暮らしています。すいませんが、貴女は何をしに?」
フェンリルは快活そうに笑いながら言った。
「そんなに怯えなくてもいい。我はここに住んでいるお主に危害を加えるつもりはない。
我は向こうにある街に用がある。あの街は我の住処を荒らしている。その報いを与えるつもりだ」
“彼”はフェンリルのセリフを聞いて愕然とした。
街が魔獣によって破壊される。
そういうことを聞いたのだった。
“彼”は悩んだ。街に行って魔獣の襲来を知らせるべきか。
別にそんなことしなくてもいいんじゃないか。
そんなことしてやる恩でもあったか?せっかく穏便に接して来てくれている魔獣を尻目に知らせてやるだけの価値があったか?
いや、そんなことはなかった。
“彼”は心の奥底からふつふつと沸き上がる思いに気付いた。
誰も感謝してくれないなら、いいじゃないか。
いい機会だ。あんな奴ら皆死んでしまえばいいんだ!
「お主、何を嗤っている・・・?」
「へ?」
「自分の顔を見てみろ」
フェンリルが魔法によって鏡を作り出し、“彼”は自分の顔を見た。
ひどく歪んだ嗤い顔だった。
「あ・・・あははははははははははははは」
“彼”はたまらず声を上げて笑った。
一頻り笑った後、“彼”はフェンリルに言った。
「頼みがあるんだけど」
「なんだ?」
「後ろからついて行ってもいいか?自分の身は自分で守るから。好きにしてかまわない」
「どういうことだ・・・?」
「どうもこうも別に街の人たちを助けよ打って言うんじゃない。むしろ見捨てるっていう感じかな」
「お主・・・」
「ということで」
“彼”は自分の家からひと振りの剣を持ってフェンリルと共に街へ向かった。
フェンリルが街に着くと、衛兵たちが慌て始めた。
「おおい、魔獣が出たぞ!みんな逃げろ!」
その声に驚いた住民達が皆わらわらと逃げ出していく。
「逃げ出す者に報いを」
フェンリルの一言で、街から出ていこうと門を出た人達に氷の剣が刺さりその命を奪っていく。
その様子を“彼”はにやにやと笑みを浮かべながら見ているだけだった。
「おい、お前はヒーローなんだろ?どうにかしろよ!」
衛兵の一人がそう“彼”に言う。
しかし、“彼”はそんな言葉に耳を貸すことはなかった。
「この街のトップの人間を出しなさい」
フェンリルはそう衛兵たちに命令した。
少しして町長が衛兵に連れられてやって来た。
「なぜ、貴方はこの街に来たのですか?」
町長は青ざめながら言った。
「貴方達は我の住処であるウェルテム山に対し破壊活動を行なっているね」
「いいえ、破壊活動なんてそんな。ただ鉱山として発掘作業をしているだけです」
「そんなの詭弁だわ。ただの自然破壊。それでどれだけの我が同胞を失ったと思っているの。その報いを受けなさい」
「そんな・・・」
フェンリルは魔法を使い、剣の雨を降らす。
その横で“彼”はただ見ているだけだった。
町長は“彼”に言った。
「君、この状況をなんとかしろ、できるんだろ」
“彼”はその巫山戯た物言いに対し言葉を返した。
「そんな命令口調はないでしょう?もっと人にものを頼むときは違う言い方があるでしょう」
町長は街がフェンリルによって破壊されていくのを見て覚悟を決めた。
「お願いします、この街を守ってください」
その言葉に“彼”は
「いやーだね」
と言った。
「なぜ・・・」
「いい加減にしてくださいよ、俺をいいように使うなんて。自分でちゃんと報いを受けてください」
そう言い“彼”は村長に剣で切りつけた。
「楽にしてあげます、さようなら」
「あ・・・」
“彼”は町長を切りつけた返り血で赤く染まった。
“彼”は今までにないほどの笑みを浮かべていた。
「もう俺は悩まない。感謝されないなら人助けなんてしない」
“彼”は上空から降ってくる剣に貫かれながらも笑っていた。
彼は苦しみから救われた。