第十七話:安全な深夜の水分補給
「……ふぅ。これで今日の事務報告書はすべて処理できましたね」
深夜、静まり返った新居のリビング。
セインは一人、魔導ランプの明かりの下で『労働安全管理報告書』の束を綺麗に整え、満足げに息を吐いた。
時計の針は深夜2時を回っている。
自動洗浄トイレの規則正しい「シュー……」という水の流れる音が静かに響く中、セインはふと、喉の渇きを覚えた。
「少し、冷たいお水でも飲みましょうか」
彼女は席を立ち、暗い廊下へと足を踏み出した。
皆が寝静まっているため、リビングの魔導ランプ以外の明かりは消してある。
暗闇の静寂を愛する僧侶として、セインはあえて明かりを点けずに歩みを進めた。
――しかし、その選択こそが、本日最大の「不安全行動」であった。
暗闇の中、台所の手前まで差し掛かったその時、セインの足先が、床に置かれた「何か」に触れた。
「――っ!?」
次の瞬間、足元がズルリと不自然に滑り、セインの体は大きくバランスを崩した。
「な、……ッ!」
声にならない悲鳴が上がる。
暗闇のため、どこに手をついて良いかも分からない。
このまま硬い板張りの床へ後頭部から転倒すれば、頭部外傷、あるいは頸椎損傷による重大な家庭内災害(死亡事故)に直結する――。
その脳裏に、日頃自分が仲間たちに口酸っぱく説いている『リスクマネジメント』の文言が走馬灯のように駆け巡った。
(しまっ……完全に私の不注意……!)
フワッ。
しかし、激しい衝撃は訪れなかった。
地面に叩きつけられる直前、セインの体は、まるで目に見えない「ふかふかの空気ベッド」に受け止められたかのように、宙でピタリと静止したのだ。
「……え?」
「セインちゃん、大丈夫!?」
暗闇の台所からパッと明かりが点いた。
そこにいたのは、パジャマ姿で『もう壊さない杖』を掲げたミルだった。
その隣には、驚いた顔でコップを持ったカノンもいる。
「ミル……? カノン……?」
「ふぅ、間に合ったー! セインちゃんが転びそうだったから、お布団の魔法でキャッキャって受け止めたよ!」
ミルが杖を下ろすと、セインの体は静かに床へと着地した。
「セインちゃん、大丈夫!? 怪我はない!?」
カノンがあわてて駆け寄り、セインの体をペタペタと触って確認する。
「ええ……怪我はありません。ミルの迅速な魔法のおかげです。……ですが、一体なぜあなたたちがこんな時間に台所に?」
セインが尋ねると、カノンはバツが悪そうに頭の小さな角を掻いた。
「いや、夜中に喉が渇いてさ。ミルを誘って水を飲みにきたんだけど……その時、ウチがうっかり、台所の床にお水を少しこぼしちゃって。あわてて拭こうとしたら、セインちゃんが来ちゃったんだよぅ……」
「……なるほど」
セインは眼鏡の位置を直す仕草をしながら、自分の足元を『構造解析』の目で凝視した。
床には、カノンがこぼしたわずかな水溜まり。そしてその手前には、カノンが脱ぎ散らかしたスリッパが転がっていた。
「深夜の暗闇における『床面の水濡れ』および『障害物の放置』。これらが複合的に絡み合った結果の、典型的な転倒未遂事象ですね」
セインはいつもの鉄仮面に戻り、冷徹な声で告げた。
「ひえっ! ごめんなさい! 私の不片付けと不注意のせいで、安全管理責任者を病院送りにするところだったじゃん……!」
カノンがガタガタと震えながら平謝りする。
「カノン。あなたを責める前に、明かりを点けずに歩いた私自身の油断が最大の原因です。夜間移動時の視界不良を軽視していました」
セインはそう言うと、自室から手帳を持ってきて、自身の不安全行動に対する猛省を込めて、深夜のヒヤリハット事例を厳かに書き込み始めた。
◆ 労働安全管理報告(ヒヤリハット事例)
発生日時: 深夜2時15分頃(拠点廊下から台所への動線にて)
件名: 深夜の無灯火移動における床面水濡れ・障害物による転倒未遂事象
現象(ヒヤリとした状況):
夜間の水分補給のため、無灯火(暗闇)のまま台所へ移動中、床面に放置されたスリッパおよび漏水(こぼし水)に足を取られ滑落・転倒しかけた。ミルの魔法による緊急保持がなければ、後頭部強打による重篤な頭部災害(生命の危機)に発展していた危険性が極めて高かった。
防げた理由(要因解析):
1. ミルの驚異的な反応速度による『衝撃吸収(浮遊結界)』の即時展開。
2. カノンが異常にいち早く気づき、声を上げて連携したこと。
3. 安全管理責任者本人が、日頃の訓練により転倒の瞬間に身を縮める最低限の防御姿勢を取れたこと。
今後の対策:
夜間の居住空間における移動は、どれほど慣れた自宅であっても**「無灯火での歩行を一切禁止」とし、必ず常夜灯の設置、あるいは手元灯(魔導ランタン)の点灯を義務付ける**。また、台所や水回りで水分をこぼした際は、**「その場で完全乾燥・拭き取りを完了するまで作業域を離れない(作業完了の原則)」**をカノンをはじめ全員に徹底させる。
「……よし。身内、それも私自身の事例であっても、隠さず記録して対策を講じる。これこそが真の安全管理です」
パタン、と手帳を閉じたセインは、深く大きな溜息をついた。
「セインちゃん……本当に怪我がなくて良かった。ウチ、セインちゃんが倒れたら、このパーティ明日からどうしていいか分かんなくなっちゃうもん」
カノンが心底ホッとしたように、涙目で温かいお水をセインに差し出した。
「……大げさですね。ですが、ありがとうございます、カノン、ミル。あなたたちの迅速なレスキュー行動は、安全管理の観点から見ても満点(100点)の対応でしたよ」
セインが優しく微笑みながらお水を受け取ると、ミルは「えへへ、セインちゃんに褒められちゃったー!」と嬉しそうにカノンと抱き合った。
その時、騒ぎを聞きつけたクレアが、パジャマ姿で『切ない剣』を抱きしめながら、目をこすりつつ部屋から出てきた。
「ふぁぁ……あの、みなさん、こんな夜中に集まって、一体何の切ない事件ですか……?」
「何でもありませんよ、クレア。ただの、深夜の安全パトロール(点検活動)です。さあ、夜間災害のリスクを避けるため、全員即座にベッドに戻り、十分な睡眠(休養)を取りなさい」
セインの号令のもと、私たちは今度こそしっかりと明かりを意識しながら、それぞれの部屋へと戻っていった。
最弱パーティの、安全第一な深夜のひととき。
管理する者とされる者、その垣根を越えた確かな信頼の防壁は、今日も少しずつ、しかし絶対に崩れない強さで、前へと進んでいく。
カノン「みんなー! ここまで読んでくれてありがとう! 楽しんでもらえた?」
クレア「あの……もしよろしければ、私たちの旅をこれからも見守っていただけると嬉しいです……!」
セイン「画面下部にある**【ブックマークに追加】や、評価の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】**に染めて応援してくださると、作者の執筆モチベーションが跳ね上がります。……もちろん、私の精神安定にも繋がります」
ケットル「みんなのポチッとが、ウチらの大きな支えになるからね! よろしくおくれ!」
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