給料払ったのとか、もはや憶えてねぇよ
二人は廃墟のような小屋を後にし、路地を抜けると河原の桜並木に出る。
辺りは春休みで外で遊んでいる子供たちや花見を楽しんでいる人々が目に入る。
「そういえば、もう春だったんですね。 今年こそはとうとう冬を越せないんじゃないかと思った時もあったけど、良くここまで耐えたなぁ。 あれ? なんでだろ……。 涙が……。」
檸檬は夢にまで見た春の景色に当てられ、手で目をそっと拭う。
「社長……。 やっぱり今からスーパーに行ってお花見にしませんか?」
先程まで働けと散々言っていたが、渡理にとってこれは面倒回避の千載一遇のチャンスであった。
「ああ……、そうだな……。俺たちにもし金があったらな……。」
しかし、チャンスを物にできるほどの経済力を持ち合わせた男ではなかった。
渡理が泣きそうなほど切実にそう告げると檸檬は悔しそうに俯く。
「ぐすん、……だからあれほど仕事をしろと……。」
二人の財布はとっくに底を付いており残ってるのはせいぜいポケットに入っている105円ぐらいだ。と、渡理は思っていた。
しかし檸檬は数回涙を腕で拭う動作をしてからケロリとした顔を持ち上げる。
「じゃあ、わたしは社長抜きでお花見することにしますね。」
「え? どゆこと?」
「え、いやだって社長お金ないじゃないですかぁ。わたしはまだあるのでスーパーに行こうかな、と。」
思っても見なかったというよりいつ給料を渡したかさえ定かではないにも関わらず、まだ貯金があるということが理解できず渡理は目を瞬かせた。
「いやいやいや、どこにそんな金があるって言うんだよ。」
「本当ですって。 見ます?」
そう言ってカバンの中からがまぐちを取り出しパチンと開く。すると中からいくつかの小銭と1枚の野口が顔を覗かせた。
「は、ガチかよ……。あの生活でよく貯めれたな。そんだけありゃ俺の分もーー。」
「わたしのお金なんで無理ですぅ。社長はちゃんと働いておいてください。わたしはオレンジジュースと焼き鳥でも食べながら帰りを待ってますので。」
檸檬が来ないという点に妙な焦りを見せる渡理。だが、よくよく考えてみるとお花見をして良いのであればわざわざ労働なんてしなくてもよいのではという考えに行き着き、予定を変更することにした。
「じゃあ花見楽しめよ、俺は帰って二度寝を楽しむわ。」
渡理は面倒くさいこともせずにすぐに帰れることに内心少しホッとしながら瞬時に踵を返し、ボロ屋敷に戻るため引き返す。
「え!? じょ、冗談ですよ。 もうそんなことも分からないなんて社長は鈍感だなぁ。」
「へいへい、俺ぁ鈍感ですよー。」
歩き始めた途端後ろから腕を掴まれ、これを渡理は引き留めようと引っ張られるのだと思った。
しかし、左腕に伝わった衝撃は引っ張るなんて生易しいものではなく、後ろ手だということを1ミリも配慮しない激しいぶん回しであった。
「痛い痛い痛い!! 腕もげるわッ!!」
手を掴まれたまま激昂して振り返るとそこにいたのは、先ほどの依頼拒否を相当根に持っているらしく引きつった笑顔の裏に悪魔を隠した怪物だった。
「……これで本当に帰るのが社長なんですから、……流石に冗談じゃないですよ。お花見なんて言い出した私が馬鹿でしたからさっさと行きますよ。」
腕を握る力がだんだんと強くなっていくのに渡理は苦笑いしかできず、治療費のことを考えると従う他選択肢はない。
二人の歩く後ろ姿は飼い主とペットのようにも見えた。




