転機
完全に変形の終わった怪物は人のような姿をしているが、身長が3mに届くのではというほど巨大化しており、黒く変色した腫瘍のようなものがいくつか肌から突出していた。
「やっと尻尾掴めたと思ったら、これかよ。」
渡理は酷くつまらなそうに吐き捨てると、気絶した剛田を片手で持ち上げ折り重なって倒れている組織の連中の上に放り投げた。
その一方で怪物は赤く充血した目で辺りを見回し、海岸沿いで椅子に縛られた剛田の父親を見つけ目を止めた。
気絶している剛田達ばかりに気を配っていた渡理は慌てて父親の方に視線を飛ばす。
「なっ!?」
怪物は巨体には見合わない速度で身体を走らせ、人の胴体ほどある剛腕で父親に襲いかかった。
そして無慈悲に振り下ろされたその拳によって砕けたコンクリートの土煙が舞う。
しかし怪物は困惑の表情を浮かべている。
土煙の消えた先には身動きの出来ないはずの父親の姿はない。
「おいおい、お前の相手は俺だろ。 空気読めやコラ。」
さっきまでいた位置とは逆方向に立っていた渡理の横には椅子に縛られている父親がいる。
渡理と視線が交差した瞬間、怪物は声にもならない猛獣のような雄叫びを上げ、一目で致死性を感じる長く変形した爪を渡理の顔めがけて振りかぶった。
渡理はそれを左腕で受け止めると、荒々しく横腹に蹴りを叩き込む。
巨体は体格差などなかったかのように吹き飛ぶと、近くのコンテナをクッションとしてその勢いを殺し、轟音が夜闇を引き裂いた。
ぐったりとコンテナに座り込む怪物へ、渡理は躊躇なく歩を進める。
「思ったより弱いな、お前。」
怪物の目の前まで渡理がやってくると突然怪物が起き上がり口を広げて渡理に再度襲いかかる。
渡理は不意を突かれるが、怪物の牙が捉えたのは渡理の肉ではなく拳だった。
不意を突いたはずの攻撃だったが反射的に打ち込まれた渡理の一撃の方が先に怪物の顔面に直撃した。
どころかその威力によって怪物の身体は凹んだコンテナをそのまま貫き反対側から大穴を開け飛び出した。
その開いた穴から見える怪物に起き上がる様子はない。
渡理はコンテナの外側を通って反対側に回り込み倒れた怪物の横にしゃがみ込むと顔を覗き込み完全に動きを失っているのを確認する。
「意外とあっさり終わったけど、このまま死んで終わるとかさせねぇからな。」
渡理は虫の息の怪物の胸に手を置き、自分の身体の強化や剛田達を気絶させたときのように再び能力を行使する。
“刻印:変異”
微かに怪物の身体がブレたかと思うと先ほどと同じように藻掻き始めた。
渡理は暴れる怪物を力で押さえつけながら能力を行使し続けると、徐々に巨体が縮み始める。
そしてだんだんと元の人間の姿に近づいていき、上半身はサングラスが無いことを除いて元の厳ついスキンヘッドの男に戻りきる。
怪物の時のような目の充血は無いが、変わらず虚ろな目の焦点は定まる様子がない。
今出来ることは終わったという風に立ち上がった渡理はポケットから煙草とライターを取り出してフリントホイールを弾く。
長時間潮風に当たっていたライターは劣化の影響もあるのか中々火がつかない。
無機質なヤスリの音が鳴り続く。
渡理がふと横たわる男に目を向けるとだんだんとボスの目に暗い光が戻ってきている。
渡理がそれに気づくと口に咥えた煙草とライターを地面に取り落としながら焦って声をかける。
「おいッ!! あんたッ!! さっきの薬はどこで手に入れた!?」
しかし、光が戻ったと思ったのも束の間、目を大きく開くと赤黒い血が口からどくどくと溢れだす。
「チッ!!!」
再び能力を使おうと渡理が胸に手を置くと、ボスがゆっくりと震える唇で言葉を紡ぎ出した。
静寂の中、血が喉に詰まり咳込みながらもゆっくりと遺言が語られた。
渡理が聞き取れた単語は隣町、闇市、公民館の3つ。
それらを語り切った瞬間ボスの瞳は完全に光を失い、呼吸が止まった。
胸に置いた手を強く握って一言だけ小さく呟く。
「助かった……。」
渡理はその場を後にし、剛田の父親の下に歩く。
剛田の父親に触れる。
“刻印:変異”
渡理の能力による麻酔無しで手術をされているような身体の中をかき混ぜられる感触に父親は歯を食いしばり、身体を酷く硬直させ、断末魔を上げる。
しかし父親にあったはずの外傷が徐々にだが減っていく。
渡理は半分ほど外傷を減らしたところで父親の首筋から手を離す。
そして渡理はどこからともなく取り出したナイフの切っ先をうなじに突き付けながら問うた。
「いったいどんな取引をしたんだ?」
その質問を聞いて呼吸を整えた父親はどこか遠い目をして口を開いた。
「……昔、男が突然訪ねて来た。 あるプロジェクトの投資者にならないか、と。 ……つまり君はそういうことなんだな?」
渡理の質問とは関係のない返答だったが、渡理はその内容に興味を持ったようで、質問をする。
「お前はその頼みにどちらを選んだ。」
「……縦に振らなかったら、すぐに消えたよ。 ……白衣を着た細身の男だった。 マスクでわかりづらかったが若そうに見えたよ。」
父親はそれと、と付け加えて話を続ける。
「今回の暴力団との取引は単なる一般企業の内容だ。君にとってはなんの興味もないんじゃないか。」
「そうか。」
短くそう反応をすると渡理はナイフをしまい再度父親に触れ能力を発動する。
そして渡理によって気絶させられた父親は力なく首をだらりと落とした。
そのまま渡理はある人物に電話をかける。
ツーコールで通話がつながる。
「こんな時間に電話かけておいて、しょうもない理由じゃないでしょうね。」
案外元気そうな朱理の不機嫌な声が携帯越しに渡理の耳に届いた。
「朱理……。 手がかりだ。 港のコンテナヤードまで来てくれ。」
渡理の言葉を聞くと朱理は小さく息を呑み、少しの間感傷に浸るもすぐに思考を巡らせ返事をする。
「分かった。すぐ行く。 あ、あと能力はバレてないわよね?」
「あー、いやー、まあそれなんだが……。」
自身の安全のために絶対遵守しなければならない内容のはずの質問に対してばつが悪そうにする渡理に朱理は寝起きの頭を抱える。
「はぁ……、またなの? なんであなたはいつもいつも他人に偉そうにしてる癖に自分が一番リテラシーなってないの?? はぁ……、他にこっちで片づけないといけない物とかないのよね?」
「あー、いやー、まあそれなんだが……。 し、死体が…………。」
朱理はふざけたことを言う渡理に眉を引き攣らせる。
「あんた本当に……!! どれだけ処理が大変か分かってんのっ!! 私に顧客増やすなって言う前にあんたがもっと事を荒立てないようにして欲しいんだけどっ!! しかもどれだけ言おうと何食わぬ顔してそうなのが何より腹立つわ! 今度という今度は全部手伝ってもらうわよ! 首洗って待ってなさい! あと当然環も連れて行くから。」
「は!? あいつもっ!?」
「じゃあ切るから。」
「なっ、おいちょっと待て――」
渡理が引き止めるも虚しく朱理の声はツーツーという一定の電子音に置き換わった。
なんの説明もする間もなく通話を切られ渡理は思わず空を見上げると、今まで気づかなかったが頭上には星空が広がっていた。
「ま、いっか……。 なんにしろやっと手に入れた。」
星空を眺める渡理の握りしめられた拳には今までの積年の思いが込められている気がした。




