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クリスマスツリーの密室  作者: 江東うゆう
第三章 メリークリスマス
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無敵雫冠の推理(一)

 無敵さんは手紙に目を通したあと、小さく折りたたんでスカートのポケットに入れた。

「猫屋敷君。下に降りて、朝ご飯食べようか」

「は?」

「お腹空かない?」

「いや、あんまり。……それどころじゃないよ」

「そうかな。今、食べておかないといけない気がする」

「無敵さんが、そう言うなら」

 僕が立ち上がると、無敵さんはにっこり笑った。

「窓を閉めて。猫屋敷君。寒いから」

「あ、うん」

 窓の下には、野津田さんが倒れている。

 あの顔色では、もう亡くなっている気がするし、あの手紙の感じでは、紫藤さんも野津田さんを確実に殺しているだろう。

 僕は黙祷してから、窓を閉めた。

「僕らの部屋の窓も開いていると思うけど、閉める?」

「じゃあ、閉めてきて」

「一人でここにいて大丈夫?」

「どういうこと?」

「紫藤さんが戻ってきたら」

「利桜が? じゃあ、猫屋敷君は、利桜は今、どこにいると思っているわけ?」

「だって、この館は密室なんだろ。この中にまだ」

「心葉ちゃんは、冷蔵庫の奥にある扉のカギを持っていたでしょ? 机の上とか見てるんだけど、ないんだよね」

「え?」

 僕は机の上やベッドの上を見る。

 たしかに、カギはない。

「荷物をあけて、中を確かめてもいいと思うんだけど、プライバシーの問題がね」

 無敵さんが腕組みして、顔をしかめる。

「プライバシーっていっても、野津田さんはもう亡くなっているだろうし」

「心葉ちゃん、そういうことは望んでいないと思うんだよね。……まあ、ともかく、朝ご飯食べよう?」

 

 小さな冷蔵庫には、野菜の残りや卵があった。

 無敵さんは鍋に白米と水を入れる。

 米に水を吸わせている間に、彼女はまたパントリーに入って、味噌を探し出してきた。

 僕が皿を探している間に、無敵さんは野菜を切り始める。

 トントンという音が、冬の厨房に響いた。

 僕は、しばらくその姿を見つめていた。

 無敵さんが料理をするのを見るのは初めてだった。

 ほんとうは、僕のほうがまだマシだろうと思っていたけど、彼女の手つきはずいぶん慣れている。

 米はいつの間にか火に掛けられていた。

 味噌汁も、できている。

 無敵さんは、次に卵を溶いて、塩と砂糖を入れた。

 それをフライパンに流し込み、巻いていく。

 卵焼きだ。

「猫屋敷君。お皿をちょうだい」

 僕は、平皿を差し出す。

 白くて縁に花柄が浮き上がっている洋風の皿だった。

「仕方ないなあ」

 無敵さんは文句を言いながら、焼き上がった卵焼きを乗せた。

「猫屋敷君。もしかして、お椀とか、お茶碗とかもないわけ?」

「ないね。洋食器だけだよ」

「本当に仕方ないんだから」

 無敵さんは不機嫌そうに、ポタージュボウルに味噌汁を、サラダボウルにごはんを盛りつけた。

 僕らは向かい合って座り、手を合わせる。

「いただきます」

 二人の声が重なった。

「ポタージュボウルに味噌汁って調子狂いそう」

 自分で盛りつけたのに、まだ文句を言っている。

「でも、箸があっただけマシってことで」

「割り箸じゃない。どうせ、難波先輩がカップラーメンでも買ったときにもらったものじゃないの?」

「そうかもしれないけど、箸は箸だから」

 僕はポタージュボウルを手に取り、味噌汁をすする。

 一口飲んで、気がついた。

「これ、無敵さんのお母さんの味だ」

 懐かしさがこみ上げた。

 保育園の頃、僕の母と無敵さんのお母さんは、朝早い仕事があると、互いに子どもを預け合っていた。

 そんなとき、出してもらったのがこの味噌汁だ。

 具こそ違うけど、味は同じ。あわせ味噌のほんのり甘みのある味噌汁。

 もしかして、と思って、卵焼きを食べてみる。

 やはり、無敵さんのお母さんの味付けだ。

「しーちゃん、これ」

「当たり前でしょ。誰が作ったと思ってるの」

「そりゃそうだけど、あの味、僕はずっと覚えてて」

「私だって覚えてます」

「同じものが、いまさら、食べられるなんて」

 自分でも声が震えているのがわかった。

 自分のせいで、何人も殺されたとわかった朝に、僕らがもっとフラットな関係だったころに食べたものを、また味わうなんて。

「今の家は、洋風の食事ばかりだもん。和食を食べたくなったら、自分で作るしかないでしょ? 簡単なものだと使用人の目を盗んでお母さんと二人でこそっと作っちゃうんだけど、この前はちょっと時間のかかる物を作ろうとして見つかっちゃって」

「時間がかかる物?」

「煮豚。手順はかんたんだけど、時間だけはかかるの」

「それも、しーちゃんちで食べたことある」

「でしょうね。お母さんの得意料理だから。というか、一度にたくさん作って冷凍しておいて、温めて食べたり、チャーハンの具にしたり」

「そのチャーハンも、食べたことがある……」

 僕は、箸を置いた。

 膝の上で拳を握り、嗚咽をこらえる。

 どうして泣いているのか、自分でもよくわからなかった。

 ただ、あの頃に戻りたかった。

 十五年近く前の、団地に住んでいた無敵家の台所の、居間にはみだすように置かれた食卓に、戻りたかった。

「しーちゃん、どうして、これを作ったの」

「食べたかったから」

「懐かしすぎるよ。もう、僕らは元に戻れないのに」

「泣いているうちに冷めちゃうよ。涙を拭いて」

 僕は子どものように、ごしごしと目を擦った。

「いただきます」

 もう一度言って、手を合わせる。

 僕だって、彼女の家にあるものとか、持っているものとかについて知ろうとして、食器のメーカーだとか服のブランドだとか、それなりに知識をつけてきた。

 変わっていく彼女に、置いていかれないように。

 いつでも、隣にいられるように。

 隣にいてもおかしくないように。

 なのに、いまさら、こんな。

 僕は無言でご飯を食べた。

 きっと、怖い顔をしていただろう。


「ごちそうさま」

 食事が終わると、無敵さんは伸びをした。

「さあて。お腹もいっぱいになったし、長い話を始めないとね」

「……どんな話」

 僕は覚悟を決める。

 僕らはもう会わないとか、大学を辞めるとか、引っ越すとか。

 身を硬くして、次の言葉を待っていると、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべて僕をのぞき込んだ。

「難波先輩の事件から、利桜の部屋にあった手紙まで、全部の謎解き」

「でもそれは、紫藤さんが手紙で犯行を自供して」

「ふうん。やっぱり、いつも呼ばれている名前を覚えてないんだ」

 彼女は唇をとがらす。

 僕は紫藤さんの手紙を、できるだけはっきり思い出そうとする。

「ええと、僕のことを猫屋敷君って書いていたこと? でも、改まった形で文章を書きたかっただけなんじゃないかな」

「そんな改まった手紙に、間違った名前を書いてくれちゃうわけ?」

 最初、彼女の言っている意味がわからなかった。

 僕が目を丸くしていると、彼女はポケットから紫藤さんの手紙を取り出した。

 そして、僕の目の前に突きつける。

 手紙の冒頭には、彼女の名前らしきものが書かれていた。


 無敵雫花 様


 僕は、二度見した。いや、三度見したかも知れない。

「じゃあ、これ」

「そういうこと。さあ、謎解きしちゃおう。まだ、わからないところがあるけれど」

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