野津田心葉の場合(二)
野津田さんが、「あの」と小さな声で言って、手を挙げた。
「もし、私たち四人の中に犯人がいるとしたら、これまでの事件から犯人がわかっちゃうんじゃないですか」
野津田さんは、だれとも視線を合わせない。
「たとえば、難波先輩の事件のとき、天沢先輩や桐ヶ谷先輩や私、無敵先輩や紫藤先輩が駆けつけたとき、すでに部屋に犯人はいませんでした。私たちは悲鳴が聞こえてから駆けつけています。たとえば、凶器を捨ててからもう一度戻るのは、難しいと思うんです」
そこで、ふーっと息をついて、軽く目を閉じる。
「天沢先輩の事件のときは、天沢先輩の遺体が見つからなかったんですよね? 現場に駆けつけたのは、無敵先輩と猫屋敷先輩だった」
「もう少し探したかったけど、野津田さんの悲鳴が聞こえたから戻ったんだよ」
僕は口を挟む。
「ごめんなさい。あれ、もしかしたら桐ヶ谷先輩か、紫藤先輩だったかも。私、怖くて、誰かが触った、と思った瞬間に叫んでしまって。実際、不審者はいなかったから、たぶんそうだと思うんです」
「そんなこといまさら言われたって」
「無敵先輩と猫屋敷先輩が別行動した瞬間って、なかったですか」
「え?」
僕は当時のことを思い出す。
確か無敵さんが、僕の部屋の扉を開けて、中に声をかけていたとき、僕は部屋の外にいた。
「ない、とはいえないけど、一瞬だよ」
「その間に、床に倒れていた天沢先輩の遺体に布をかけるくらいはできますか。隠すために。……ちょうど停電していたから、実際に遺体が見えなければ、簡単に隠せる気がするんです」
「いや、でも、そのあとすぐに僕と無敵さんは、三階の先輩たちの部屋を調べているよ」
僕は風向きが悪くなってきたのを感じていた。
「でも、片方が部屋の調査をしているうちに、先輩の遺体を動かすことはできますよね。たとえば、非常階段の踊り場なんかに移動させることは、私や紫藤先輩、無敵先輩の腕力では無理でも、猫屋敷先輩なら」
「そんな時間はなかった」
僕は野津田さんと睨み合う。
野津田さんが視線をそらした。
「ごめんなさい。私、今晩は猫屋敷先輩と一緒に眠りたくありません」
野津田さんが、助けを求めるように無敵さんを見た。
無敵さんが、はっとしたように肩を震わせた。
「わかった。今日は私と猫屋敷君が組むから。心葉ちゃんは、利桜と組んで」
まるで台詞を読み上げるような口調だった。
一二月二三日の昼以降。
僕は一人で居間のソファに座っていることが多くなった。
時折、無敵さんが話しかけてくれるが、すぐに紫藤さんに連れ戻されてしまう。
手持ちぶさたになって、一人二役でカードゲームをしてみる。
こんなにおもしろくないことはなかった。
「猫屋敷君、お昼ご飯」
無敵さんがチャーハンの皿を持ってきた。
「誰が作ったの?」
無敵さん、という答えを少しだけ期待しつつ、尋ねてみる。
「心葉ちゃん。ベーコンが分厚くて、けっこう立派なものじゃない?」
ベーコンは、どうやらブロックのものを刻んだらしい。ネギの代りなのか、玉ねぎが入っているようだ。卵もたっぷり使ってある。
「食材は、あの冷蔵庫から」
「違うんだ。桐ヶ谷先輩が小さな冷蔵庫に移動させていたらしくて。でも、あさってまで過ごさなきゃならないことを考えると、四人分にしては少し少ないかも」
「でも具だくさんだよね」
「心葉ちゃんが使ったんだよね……。私、厨房に入れてもらえなくて」
「確かに無敵さん、料理するってイメージじゃないから」
「それ、失礼な発言だと受け取っていいのかな」
「ごめん。ところで、このチャーハン。スプーンを使わずに食べられるの?」
「お茶とスプーンは持ってくるってば。細かいんだから」
無敵さんが戻ってくるまで、僕はチャーハンを観察していた。
ベーコンの切り方はバラバラだし、玉ねぎもみじん切りというには大きい。
「はい、どうぞ」
無敵さんがコップに入ったお茶と、スプーンを持ってきた。
「ありがとう。ねえ、無敵さん、紫藤さんは料理を手伝わなかったの?」
「手伝っていたけど。私だけ仲間はずれだから」
どうやら、無敵さんの機嫌がいまいちなのは、僕のせいだけではなさそうだ。
夜ご飯を作るとき、僕に作らせてもらえないか頼んでみたが、あっさり断られてしまった。野津田さん涙目になって言うのには、「猫屋敷先輩の作ったものが喉を通るとは思えません」だそうだ。すっかり犯人扱いされているのを再確認し、僕はだいぶ暗い気分になった。
野津田さんがそんなふうだから、紫藤さんの僕に対する視線も厳しい。
夕飯は、ステーキと、温野菜、それにパンだった。
「食材、大丈夫? 二五日まで足りるのかな」
無敵さんは、居間のテーブルに僕の食事を置くと、首を左右に振った。
「また、野津田さんが作ったの?」
「そう。さすがに利桜が、使う食材の量は考えた方がいいと言ったんだけど、聞いてくれなくて」
明日以降の食事の心配はあるにせよ、夕食はそれなりに食べ応えがあった。
食事を終えると、僕は急に眠気を覚えた。
「じゃあ、部屋に戻る?」
そういった無敵さんも、口に手を当てて、小さくあくびをしている。
「大丈夫、ムウ?」
紫藤さんがタオルで手を拭きながら、厨房から出てきた。
「大丈夫って、何?」
「猫君と一緒で」
「どういうこと?」
尋ねている、というよりは、怒っている声だった。
紫藤さんが目を伏せた。
「何かあったら、壁を叩いて。となりの部屋、私だから」
「わかりました。で、利桜たちはどうするの」
「野津田さんと部屋でコーヒーでも飲もうと思って。備え付けのものがあったでしょ?」
備え付けのコーヒー。
僕の中で違和感がふくらむ。
初めてここに来た日、僕はあのコーヒーを飲んで……。
「待って」
僕は紫藤さんの腕をつかんだ。
「何?」
紫藤さんが振り払おうとした。
「そのコーヒー飲まない方がいいかもしれない。僕は難波先輩の事件の前、そのコーヒーを飲んだんだ。すごく苦くて……気がついたら眠ってた。難波先輩の悲鳴にも気づかないくらい、深くだよ。もしかして、備え付けのコーヒー、睡眠薬か何か混ぜられているかも」
僕の話を聞いているのかいないのか、紫藤さんは僕から離れようともがいている。
いちおう伝えたからな、と思いつつ、僕は手を放す。
「じゃあ、ムウ、何かあったら、わかってるよね」
紫藤さんは僕を無視して、無敵さんに呼びかけた。
「わかっています」
むっとした声で無敵さんが返す。
紫藤さんはそのまま、厨房に戻っていった。
一二月二三日の夜、僕らはどうやって眠ったのか、覚えていない。
外で、ばさり、という雪のかたまりが落ちるような音がした。
僕は体を起こす。
体には毛布がまとわりついていた。服も、昨晩のままだ。
床の上で寝ていたらしい。
部屋の明かりと暖房は点いたままだった。
無敵さんはベッドで眠っている。
顔色は悪くない。
僕はほっとする。
暖房もついているし、ちゃんとベッドで寝ているのだから、無敵さんが体調を崩してしまった可能性は低い。
僕の部屋と同じように、田の字の枠がはまった窓を見る。
外は少しだけ明るくなっている。
もう、日の出の時刻を過ぎたのだろうか。
「おはよう、猫屋敷君」
ベッドから声が聞こえた。
「無敵さん? 起きてたの?」
僕がのぞき込むと、ぱちりと目を開けた。
「今、起きたところ。外で音がしなかった?」
「僕もそれで起きた。雪でも落ちたような音だったね」
「ちょっと見てみようか」
無敵さんは起き上がると、窓の留め具を外した。
窓は、下部が開口部になっていた。
斜めに開いているが、外に身を乗り出すには不十分だった。
「見えにくいんだけど」
文句を言いながら、無敵さんが窓に額を押しつけるようにして外をのぞく。
「……ねえ、猫屋敷君。利桜の部屋の窓のところ、雪がへこんでる」
「上の屋根に積もっていた雪が落ちたんじゃないの」
「でも、窓の下に見えるの、あれって」
無敵さんは眉間に皺を寄せて、窓から離れた。
「窓の下?」
僕は窓から外をのぞく。
隣の部屋は、窓の辺りの雪がへこんでいた。
何かが落ちたか転がったか、雪が滑り落ちたかしたのだろう。
そこから、地面に視線を動かす。
ちょうど、辺りに太陽の光が射した。
雪の積もった地面には、黒いものと赤いものが広がっていた。
黒いものは扇形に広がっていて、赤いものは雪を染めている。
黒い髪と、血?
「野津田さん?」
「そうだよね」
無敵さんはそう言うと、部屋を飛び出した。
追いかけていくと、隣の部屋の扉をノックしている姿が目に入る。
「開けて、利桜。何があったの」
無敵さんはドアノブをつかんだ。
扉はあっけなく開いた。
部屋には誰もいない。
窓がめいっぱい開かれていて、冷たい風が流れ込んでくる。
僕らは窓際に駆け寄った。
開口部と屋根の隙間には、たぶん、野津田さんくらい細い女の子だったら、なんとか通り抜けられるだろう。
「ここから落ちたんだ……落とされたのか」
こちらの部屋からは野津田さんの様子がよくわかった。
寒い中にいれば、頬が赤くなってもおかしくないのに、野津田さんは白いドーランでも塗ったように、どこも同じ青白さだ。
傷口は見えないが、血は頭から流れているのだろう。
「助けなきゃ」
そうは言ってみたが、このままでは僕らが窓から出るのは難しい。
窓枠を外せないか、調べ始めたときだった。
「猫屋敷君」
無敵さんが、僕を呼んだ。
彼女は、ポットの置かれた机の側に立っていた。
カップは二つ。
ただ、インスタントコーヒーは、一つだけしか封が切られていない。
「これを見て」
無敵さんは、机を指さした。
そこに、コピー用紙が一枚、置かれていた。
パソコンで打ち込んでプリントアウトしたものなのだろう。
横書きで、手紙が書かれている。
それを読んだ僕は、とっさに無敵さんの背中を支えた。
彼女が倒れると思ったからだった。
でも彼女は倒れなかった。
代わりに、僕がその場にへたりこんだ。
「そんなことって……」
僕は、自分の視野の狭さを、ただ、悔いていた。




