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クリスマスツリーの密室  作者: 江東うゆう
第二章 連続する事件
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桐ヶ谷美保里の場合(一)

「少しは落ち着くよ」

 桐ヶ谷先輩が、厨房から大きなティーポットをトレーに乗せて出てきた。

 フルーツの香りが辺りに漂う。

「ノンカフェインのフルーツティーだから眠れなくなることもないし、安心して」

 先輩は手早くソーサーとカップを僕らの前に並べる。

 カラフルな花の描かれたカップだった。

 よく知られたメーカーのもので、一脚一万円ほどするカップだ。同じ会社のカップの中では、比較的リーズナブルなものだといえる。

「さ、飲んで」

 桐ヶ谷先輩は、みんなのカップにフルーツティーを注ぎ終えると、僕らの座っているソファの端に腰掛けた。

「いただきます」

 無敵さんがカップを手にする。

 軽く目を閉じて、香りを楽しんでいるようだった。

 パーマをかけているはずなのにつややかな髪が、肩から胸へとこぼれ落ちる。手入れの行き届いた手は指先まで白く滑らかで、ささくれなんてない。上品なピンク色に塗られた爪は形も整っている。

 化粧品も、カシミヤのセーターもツイードのスカートも、僕があげたペンダント以外は、すべて上等なものなのだ。

 そして、それに見合うくらい、無敵雫冠自身が上等だった。

 僕はその姿に見惚れる。

 同時に、彼女が、少し遠ざかったようにも感じた。

 同じ団地で過ごしていた幼少期、僕らは近所のスーパーで売っている安物を着ていた。男児、女児のデザインの違いこそあれ、僕らはよく似合っていた。

 手を繋いで歩いていたって、気後れすることはなかった。

 僕は、彼女を守れるのは自分だけだという自負心でいっぱいだった。

 だから彼女を背にかばって戦うのだ、と思っていた。

 幼い騎士のつもりだったのだ。

 それが、彼女の伯父さんが急死し、お父さんが無敵家の跡継ぎになってから、一変した。彼女が外に出るときにはいつも、無敵家の誰かが付き添っていた。

 さすがに、学校の中まではついてこなかったが、彼女が他の子どもと通学路で話す機会はなかった。

 私立学校に入るという手もあったのだろうが、彼女は大学までずっと、公立の学校に通い続けてきた。おかげで僕も一緒に通うことができたわけだ。

 でも、公立学校の校門に毎日横付けされる黒塗りの車は、悪目立ちした。

 元々はおとなしくてか弱い女の子だった彼女が、口が達者で鋭い観察眼を持つ女性に育ったのは、いじめだとかいやがらせだとか、そういうどす黒いもののせいだろうということは、何となくわかる。

 そして、お嬢様の仕草が板についてくるのを目の当たりにし、彼女が精神的に強くなったと感じる度、僕は身の程、というものを考えずにはいられなくなる。

 現在は、彼女が遠出するとき、僕か、誰か無敵家の者がつきそうことになっていた。つまり、僕は信頼できるつきそいというわけだけど、そんなふうに思ってもらえることだけが、僕と彼女を繋いでいるようにも感じる。

「飲まないの?」

 無敵さんが、僕をのぞき込んだ。

「飲むよ」

 僕は少し冷めたフルーツティーに口を付ける。

 桃の香りが優しい紅茶だった。

「そういえば、しーちゃん、保育園で桃のマークが目印だったね」

 話しかけてから、僕は、はっとする。

 無敵さんも一瞬、固まった。

 もしかして、彼女も僕のことを、保育園での呼び名で呼んだりするだろうか。

 ふとそんなことを思ったが、違った。

「猫屋敷君、怖いの?」

 彼女は、困ったような顔で、ふんわり笑った。

 お嬢様の笑みだった。

「ごめん、無敵さん」僕は言い直し、カップをソーサーに置く。「少しでもリラックスできたんなら、寝たら? 僕が起きてて見張ってるよ」

 はき慣れた安物のジーンズの膝を見つめながら、もし、無敵さんに何かあったら、僕は無敵家を出禁になるんだろうな、と思った。

 

 居間のソファーでみんなが雑魚寝する中、僕は一人、起きていた。

 フロアランプをソファーの隣に持ってきて、自分の手元を照らしてみるが、することがなかった。

 暖炉型の暖房器具の上には置き時計があって、明け方の時刻を指している。

 冬の夜明けが遅い上に、この居間には外部の光が入ってこなかった。

 無敵さんは、紫藤さんとくっつくようにして床に敷いた毛布にくるまっている。

 紫藤さんも、無敵さんを守るように抱きしめているようだった。

 本当は、僕なんてもう、無敵さんに必要ないのかな、などと思う。

 彼女は十分メンタルが強くなったし、体調管理だって自分でできるかもしれない。紫藤さんは学部も僕らと同じ文学部だ。こうしてつるんでいるうちに、紫藤さんは無敵家の信頼を勝ち取るだろう。

 僕は軽く頭を振り、三階を見上げる。

 ガラス張りの廊下の向こうに、少しだけ、客室の壁が見える。

 このサークルで男子学生は僕と難波先輩、天沢先輩の三人だけど、すでに先輩たちはいなくなっていて、僕一人になっている。

 次に狙われるのは、僕かも知れない。

 腕力のある男子学生を先に殺してしまえば、集団で抵抗されたとしても殺害しやすい、ということなのかも知れない。


 命を狙われている――あまりに重大な事実のはずなのに、ピンとこなかった。


 それどころか、難波先輩と天沢先輩がいなくなったことすら、僕はまだ自分の心でつかみきれずにいる。

 もちろん頭では理解していて、どうしてこの場にいないのだろう、などとは思わない。

 けれど、いつか客室の扉が開いて、先輩たちが現れそうな気がする。


「猫屋敷君。代わるよ」

 顔を上げると、桐ヶ谷先輩が立っていた。

 さっきまで先輩がいたソファーには、野津田さんが座ったまま眠っていた。

「野津田さん、あのままでいいんですか?」

「ああ、私にもたれていたから、バランス悪くなっちゃったかな」

 桐ヶ谷先輩は野津田さんを軽々と抱き上げて、ソファに横たえる。

「……さすがですね」

「何が」

「桐ヶ谷先輩の安定感、見てて安心できます」

「よく言われる」

 桐ヶ谷先輩が苦笑して、腰に手を当てた。

 僕は、不意に聞いてみたくなった。

「あの噂、もしかして本当ですか?」

「噂?」

「はい。野津田さんが運動部の学生にからまれていたのを、桐ヶ谷先輩が助けたって」

 どうみても華奢で、どちらかというと清純派アイドルといった雰囲気の野津田さんだから、マネージャー候補として目を付けられていたのだろう。帰り道で、うっかりある運動部の学生に取り囲まれてしまったのだという。通りがかった桐ヶ谷先輩が、その中に入っていって制圧した。その件がきっかけで、野津田さんがうちのサークルに入ってきた、という話を、難波先輩から聞いたことがあった。

「ああそれ? ほんとう。雫花ちゃんには黙っておいてね」

「何故ですか?」

「野津田さん、本当は大学に入るまで小説に興味なかったんだ。あのことがきっかけでサークルに入って、一生懸命、書こうとしてる」

「ああ」

 僕は秋に出した部誌の作品を思い浮かべる。

 難波先輩と無敵さんがミステリー、天沢先輩と僕がSF、紫藤さんが歴史、桐ヶ谷先輩が恋愛モノと、それぞれ小説を書いたのに対し、野津田さんだけが日記風のエッセーだった。

「大丈夫、心葉ちゃんは書けるよ。それに、実は、結構イラストが上手」

 桐ヶ谷先輩は人差し指を立て、魔法でもかけるようにウィンクをした。

 その姿は力強くて、桐ヶ谷先輩がいるのなら、僕はまだ無事でいられそうな気がしたし、無敵さんたちも守れそうな気がした。

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