第26話 「……お父さん……」
勇者獄から戻った夜美はレベッカと別れ、自宅に帰ってきた。
様々なことがあって、ほんの数日のことがとても長い時間のように感じられた。
魔王暗殺事件実行犯のひとり、戦士マルコ・ヴェントゥラの自首から始まった今回の事件。残念ながら魔王暗殺事件に繋がる要素はまるで見つからなかったが、それを補って余りある情報を得ることができた。
勇者リヒト・エクハルトは生きている。
そして、勇者獄に捕らわれている。
ここからが始まりなのだ。
きっと、魔王暗殺事件の真相にまでたどり着いてみせる。
頭の横でまとめた髪をほどき、汚れたスーツを脱ぐ。
シャワーを浴びて部屋着に着替えた夜美は、高級カップアイスをリビングのテーブルに置いた。
シンプルなバニラのフレーバーだ。
コンビニで買った自分用のパフェは勇者に奪われてしまったので、代わりに買い求めたものだ。
普段なら就寝前のスイーツは避けたいところだが、事件に区切りのついた今日ぐらいは許されるのではないだろうか。何なら今週いっぱいぐらいは許されるのではないだろうか。
張り詰めていた緊張を解きほぐすように部屋の灯りの明度を下げ、アイスが柔らかく溶けるまで大ぶりのクッションにもたれて視線を漂わせる。
アイスを置いたテーブルには、写真立てが置いてあった。
夜美の視線はそこで止まる。
写っているのは、ほっそりとした壮年の男性だ。
カジュアルな黒いジャケットを着て、落ち着いた笑みをこちらに向けている。
男性の名は天空旭堂。
〈大空白〉の間に亡くなった、夜美の父親だ。
彼は新作が出れば書店の目立つ場所に平積みで売り出されるような、著名な作家だった。
写真も雑誌の取材を受けた時に撮影されたものだ。
だが今や、彼の名を聞くことは無い。
それどころか、これまでの著作を含め一切の記録が世間から消し去られている。
まるで最初から、そのような人物は存在しなかったかのように――。
〈大空白〉で命を落とした作家は彼ばかりではないし、そうした作家の著作が書店から消えることもない。彼だけが、特別だった。
天空旭堂の名は、それほどまでに世間から忘れ去られなければならなかった。
魔王の名――だったからだ。
天空旭堂こそが魔王暗殺事件の被害者なのだ。
彼は、勇者パーティによって、魔王として暗殺された。
未曾有の大厄災〈大空白〉を引き起こした元凶たる魔王――。
それは今この世界に暮らす人々にとってもっとも忌むべき名だった。
かつての天空夜美は天空の姓を捨て、母方である万色の姓を名乗らざるを得なかった。
上司の大文字うるはなど、彼女の身分を預かる一部の人間を除き、自分の父親のことはおおやけにすることなくこれまで生きてきた。
だがそれでも、事実が変わることはない。
万色夜美は、魔王の娘だ。
「……お父さん……」
薄暗い部屋の中、写真を見つめる夜美の瞳の奥に昏い光が宿り、静かに揺れている。
第一章 戦士 完
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