第24話 「人が理性を捨ててしまったらそれは――」
セリア・マスタードの容態は落ち着いて、今は静養と点滴で体力を回復させているのだという。
「すぐに眠っちゃいましたけど、お医者さんが言うにはとりあえず心配ないそうです」
レベッカの言葉にほっとした夜美は、思わず笑みをこぼした。
「……良かった」
「そうか……助かったんだな」
ヴェントゥラも弛緩したように椅子の背もたれに体重を預ける。
と、そこでレベッカを不思議そうに眺めた。
「……お前さんは、セリアの知り合いか何かか? 〈風の渓谷〉じゃ見かけんかったが」
そう言われてレベッカは急にそわそわとし始める。
「え? い、いや。ぼ、ぼくは成り行きと言うか、何と言うか……」
「里は違うそうですが、同じ〈フェアリー〉としてセリア・マスタードの様子を見に行ってくれていたんですよ。警察関係者ではないものの、彼女はわたしの頼りになる相棒です」
夜美が代わりに答えた。
「あ、相棒……相棒だなんて、えへ、えへへ……」
レベッカは照れたようにくるくると空中で回っている。
「なるほどな……世話をかけた」
と、ヴェントゥラはおもむろに椅子から腰を浮かせる。
「もういいのか?」
「……ああ、充分だ。少しひとりになりたいんでな」
泰永はうなずいた。
「分かった。鈷堀、お前はセリア・マスタード――被疑者の病院と話をしておけ。体調が回復するまで、当分身柄は移せないだろうからな」
「うぃっす!」
「話せて良かったぜ、マシキさんよ。セリアのこと、礼を言う」
ヴェントゥラは夜美にそう声をかけた。
夜美は独り言のように言った。
「……わたしも、法律が完璧なものだと言うつもりはありません」
「おい、何言い出すんだ」
と、泰永が眉間に皺を寄せた。
「所詮は人が作ったものです。法律の抜け穴を悪用されて不利益を被っている人もいるでしょうし、機能不全になっている法律、悪法だってあるかも知れません。セリア・マスタードの置かれた立場に対してこの国の法律はまるで力が及んでいなかったと感じています。彼女に対して、これ以上の呵責は必要なのか――そう考えるあなたの気持ちが分からない訳ではないです」
「……」
ヴェントゥラは夜美を黙って見下ろしている。
「それでもわたし達は法と秩序を守るため、感情に流されることなく理性的に事件と向き合わなければなりません。あらゆる時代のあらゆる場所で、いくどとなく逆行しながらも、人々がより良い社会を求めて、膨大な血と涙を流しながら死に物狂いで積み重ねてきたのが“法”です。それは人の理性そのものと言っていいでしょう。だからわたし達は、死力を尽くして法と秩序を――理性を、守らなくてはなりません。なぜなら人が理性を捨ててしまったらそれは――」
夜美はヴェントゥラを見上げて言った。
「魔物と同じなんです」
「……!」
彼の両目が、わずかに見開かれる。
「……わたしは、もう二度と、魔物になりたくはありません」
ヴェントゥラは少し考えた後、口を開いた。
「……そうか。俺としてはやはり、目の前に苦しんでいるヤツがいれば、法を犯してでも助けてやろうと思うがね。その感情に嘘はつけんよ。だが――」
と、夜美に背を向けて出口に向かう。
「お前さんの覚悟はよく分かった。また今度、聞かせてくれよ。その時もまだ考えが変わってないか、興味があるんでな」
変わりませんよ、と夜美は口の中で答えた。
ヴェントゥラの背中を見やって、泰永は夜美に苦い顔を向ける。
「……お前な。取調室は何でも喋っていい場所じゃあねえよ」
「す、すみません……」
「マルコ・ヴェントゥラの証言を改めさせたし、大目に見といてやるがな……まあ、新入りにしてはよく咆えたんじゃあねえか。法治国家を貶されたままじゃあ、警察の名折れだからよ」
と、彼は口の端にだけ笑みを浮かべるとヴェントゥラの後をついて出て行った。
「よみりん、おつ」
鈷堀は夜美の両肩に手を置くとうぇっへへ、と小さく笑った。
「随分と、あなた達の仕事に立ち入ってしまいました」
「いやあ、言うてあたし達も刑事っすから。真実が明らかになるのが一番大事っすよ。ああ見えてセンパイもよみりんに感謝してると思うっす」
しゃべりながら夜美の肩を揉む。
「そ、そうでしょうか」
ドアの外から泰永が鈷堀を呼んでいる。
「おっと、センパイが騒いでるから行かなきゃ。何だかよみりんとの付き合いはこれっきりな感じがしないんすよ。何かあった時はまたよろしくっすね。じゃっ!」
と、彼女は例のくだけた敬礼をして取調室を出て行った。
勇者パーティ絡みの刑事事件がそう頻発しても困るのだが。
部屋で二人きりになると、レベッカが言った。
「……あの、ところでヨミさん。ヨミさんはセリアさんのことを心配してたみたいですけど、どうしてですか?」
「どうして、とは?」
「だって、ヨミさんはセリアさんの転移魔法で危うく命を落とす所だったじゃないですか。彼女に怒ったりしてないのか、ぼく気になってて……」
「……ああ。いえあの時、彼女に殺意は無かったと思いますよ」
「で、でもあの高さから放り出されたらいくらなんでも……」
「わたしも本気で身の危険を覚えたのは確かですが、本当に殺意があったとしたら、彼女に転移魔法を使われた時点でわたしは死んでたんですよ」
「え……?」
「つまり、もし団地のポータルが屋屯勝を殺害した時と同じ形に作られていたら、今頃わたしは洗面所で真っ二つになっていた、ということです」
実質、団地に足を踏み入れた時点で夜美は死地にいた。鈷堀の心配は的を射ていたのだ。
「あ……」
屋屯勝の凄惨な死に様と夜美とを重ねて想像してしまったのか、レベッカは青い顔でぷるぷると小刻みに震え始めた。
「彼女がわたしと一緒に転移したのも、いざと言う時はもう一度転移魔法で安全な場所に運ぶつもりだったからではないでしょうか。そうしなかったのは多分、わたしがレベッカさんに助けられたのを見届けたためでしょう」
「な、なるほど……」
――セリアは、いいヤツだった。
戦士が言っていたように、本来は人を傷つけるようなことをしない人物が、殺人を犯すまで追い詰められていたということだ。
夜美は小さく鼻をすすると、レベッカに声をかけた。
「さて、わたし達も戻りましょうか」
「はい、ダイモンジさんに褒めて貰いましょう!」
異世界対策室のオフィスでは、そう易々と人を褒めそうにない顔をして室長の大文字うるはが待っていた。
夜美は彼女に事件の経緯を報告する。
「マルコ・ヴェントゥラの無実を証明しろ、という室長の指示には応えられたと思いますが……無罪、とまではいきませんでした」
彼女は報告をそう締めくくった。
「ああ、ざっと挙げても器物損壊、遺体損壊、犯人隠避……マルコ・ヴェントゥラが罪を犯しているのは明らかだからな」
大文字は眼鏡の位置を指で直す。
「とはいえ、そこは想定の範囲内だ。わたしが重視していたのは殺人に関する無実――お前は任務を充分全うしたと言っていい。ご苦労だった」
短いが、彼女なりのねぎらいの言葉だろう。
だが大文字は、さらに言葉を続けた。
「……ご苦労ついでと言っては何だが、勇者獄の彼にも、顛末を伝えておくことだ」
「勇者獄、ですか」
「ふん、そう嫌そうな顔をするな。彼の聡明さはお前もよく分かっているはずだ、ないがしろにすると勘付かれるぞ。ヘソを曲げられでもしたら厄介だ」
勇者リヒト・エクハルト。
彼の力は助けになったが――正直、疲れている時にあまり会いたい相手ではない。
つづく
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