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第16話 「わたしにはすべて分かった、と思います」

 レベッカの転移魔法で移動した先は、室内だった。


 ワンルームアパートの一室と思しき場所の廊下だ。


 そこがどこかは、すぐに分かった。

 部屋が中央で切断されていたのだ。

 それは“太刀傷”――明らかに〈風の刃〉による破壊の痕跡だった。


「あの……ここって、昨日来た事件現場ですよね?」

 レベッカが天井の裂け目から漏れ落ちる外光を見上げている。


「そのようです」

 確かに事件のあった中野区のアパートだ。

 だが正確には、屋屯勝が殺害された部屋ではなかった。


 家具ひとつ置かれていない室内はがらんとしていて、生活感が無い。カーテンが外された窓の向こうに見える景色も、二階の高さのものではなかった。


 ここは事件現場となった二〇一号室の階下、空き部屋だったという一〇一号室だろう。


「逃げ込む先としては奇妙ですね」

「ひょっとしたら咄嗟に使い慣れたポータルを開いたのかも知れません」

「……なるほど、だとしたら普段からよくここに転移していた、と言えそうですが……」


 再び転移魔法で上空に飛ばされてはたまらない。家具が無い分ほとんど死角も無いが、夜美は居間に向かって慎重に廊下を進んだ。


 視界の先に、かすかに動くものをとらえた。

 外から舞い込んだのだろうか。“太刀傷”で割れたガラス戸の側に、枯れ枝のようなものが落ちていた。

 裂け目からの風でわずかに揺れている。


「……まさか」

 夜美は小さく息を呑んだ。


 その枯れ枝のようなものは――人の形をしていた。

 〈フェアリー〉の小さな身体が、床に倒れているのだ。

 すぐにそれと気付くことができないほどに生気の失われた姿だった。


 慌てて駆け寄って両手ですくうように抱え上げると、ぞっとするほどに軽い。

 くたびれたシャツから伸びた手足は小枝のように細く、背中の(はね)は枯葉のようにかさついていた。


 団地の洗面所で転移魔法を仕掛けてきた〈フェアリー〉――セリア・マスタードだ。


 目は開いていているが、視点はどこか虚空を向いている。

 乾いた口元に耳を近づけてみたものの、呼気は小さすぎて確認できなかった。


 レベッカは真っ青な顔で口元を押さえ、変わり果てた同朋の姿を見つめている。

「……レベッカさん」

 彼女の名を呼ぶ夜美の声も、知らずに震えた。


「救急車を呼んでもらえますか。わたしは鈷堀さんに連絡を取ります」

「わ、分かりました!」

 レベッカは首掛けにしたスマートウォッチを胸元から取り出して緊急通報をかけた。


 外に救急車のサイレン音が聞こえてきたのは、それから間もなくのことだ。


 救急隊員によってタオルを重ねたバスケットに入れられて運ばれていくセリア・マスタードを、夜美とレベッカは並んで見送っている。


 恐らくはポーションによる中毒症状と見て間違いないだろう。

「ポーションの過量服用で体内の魔素に異常を(きた)している状態にも関わらず、転移魔法を連続して使用したことで体調が一気に悪化したのでしょう」

「だ、大丈夫なんでしょうか……」

 心配な様子のレベッカに対し、夜美ははっきりと安心させる言葉を持ち合わせてはいなかった。

「一〇年前と比べれば、医療における魔素の対処も知見が重ねられているはずですから……今は救急に任せるしかないですね」

 

「あの、夜美さん。ぼく、つきそいで彼女について行ってもいいですか?」

 レベッカのかすかに揺れる瞳を見て、夜美は小さくうなずいた。

「……そうですね、彼女が意識を取り戻した時に同じ〈フェアリー〉のあなたがそばにいれば、いくらか不安が和らぐかも知れません。お願いできますか?」

「は、はい、行ってきます!」

 レベッカは鈴のような羽音を立てて、救急車のハッチの向こうへと飛び去った。


 サイレンを鳴らして走り去る救急車の回転灯を見送っているうちに、夜美の脳裏にこれまでの捜査で得た情報が断片的に浮かんできた。


 中野区のアパート。江東区の団地。屋屯勝の遺体。魔素鑑定。〈風の刃〉。転移魔法。マルコ・ヴェントゥラ。セリア・マスタード。

 そして勇者リヒト・エクハルト。


 断片同士が結びついてが次第にひとつの像を作り上げていく。

「……」


 救急車と入れ違いに、敷地脇の道路に小ぢんまりとした黄色いクーペが滑り込むようにして停まった。


 運転席から降り立ったのは、捜査一課の鈷堀碧音だ。

「おーい、よみりん!」


 駆け寄って来る彼女に、夜美は言った。

「鈷堀さん。セリア・マスタードですが、見つけた時にはすでに昏睡状態で……」

「うぃっす、今すれちがった救急車っすよね。よみりんは平気なんすか? 何だかスーツが薄汚れてるっすけど……」

 と、鈷堀はぱたぱたと夜美のスーツの後ろの汚れを手ではたき落してくれた。

「え、ええ。何とか……」

 レベッカがいなければ危うく死にかけるところではあった。


「……セリア・マスタードは、本名だったみたいっすね。彼女、別の業者にも登録していて、そっちから正しい個人情報が割り出せたっす。現住所の江東区にある団地にはセンパイが本部の人員連れて向かってたんすけど……まさかよみりんが先回りして居所を突き止めていたとは思わなかったっすよ。いや~、異世界人に関してはやっぱり異世界対策室が強いっすね~、でも――」

 鈷堀はぐい、と鼻先がぶつかりそうになるほど夜美に顔を近づけて言った。

「その分、強行犯に関してはあたし達の方が強いんすよ、よみりん」


 思わずたじろぐ夜美。

「は、はい……」

「屋屯勝が関わっているような犯罪グループはSNSとかを通じて離合集散を繰り返しているタイプっす。明確な組織構造をもっていないだけに、いつどこでどんな危険な目に遭遇するか分かったもんじゃないんすよ。無事だったからいいものの、あんまり無茶なことしちゃダメっす」

 彼女の言動は軽薄なようでいて、こういう所はやはり刑事だった。凶悪犯罪を担当している捜査官としての言葉にはやはり説得力がある。


 夜美は素直に謝罪した。

「……確かにそうです。鈷堀さんにはもっと早く連絡すべきでしたね」


「まあ、行方不明者の早期発見に繋がったんすから、結果オーライっすけど」

 と、顔を戻した鈷堀は軽く肩をすくめる。


「心配をかけたお詫びに今度、何かおごらせてください」

 そう言うと鈷堀は小さく歯を見せた。

「お~、いいっすね。じゃあロミロミを売りにしてるお店が気になってるからそこ行くっすよ」

「ロミロミ」

「あ、ちなみに食べる方のロミロミっすからね?」

 鈷堀の言うロミロミというものが何なのか夜美にはいまいちピンときていないが、ロミロミはロミロミでも食べられないロミロミがあるらしい。

 なぞなぞかな。


「お詫びのついでと言っては何なのですが、鈷堀さん。ひとつお願いがあります」

「ん?」

「わたしに、マルコ・ヴェントゥラを取り調べさせてもらえないでしょうか」


 鈷堀は軽く目を見開いた。

「うぇ、マジっすか。明日送検なんすけど……ていうかどうせ何もしゃべらないっすよ、あのオジサン」

「ええ。ですが彼の嘘を指摘すれば、きっとすべてをしゃべってくれるはずです」

「嘘……っすか?」


「この現場でその時、何が起こったのか――」

 一度目を伏せた夜美は、顔をあげて鈷堀に告げた。


「わたしにはすべて分かった、と思います」



つづく

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