まいちゃんと話す夢
窓の外に見える木々に色が付き始め冬に少しずつだが寒さを感じる季節がやってきつつある。ここ最近まいちゃんは私によく「わんたお話してよ」とよく言う。私が思うには小さいころに皆が通る道であり私なんてアラサーになっても「おもち」によく日々の文句を言っていた。そのような微笑ましい日々に感謝しつつ過去への思い入れを感じてしまう日々。なぜ私は、あの頃私にとってのよかった思い出があるわけでもないのに未練があるのか本当に理解できなかった。夜の12時くらいだろうか。私と、「わんわん」を抱っこしているまいちゃん寝ていた時の事だ。私の夢に突然、まいちゃんが出てきて私に話かけてきた。
まいちゃん「わんた、ここどこ。」
私、わんた「多分、夢の中かな」
まいちゃん「わんたが喋った」
私、わんた「聞こえるの?」
まいちゃん「うん、また会いに来てくれたんだね。前は車と車がぶつかったあとに赤い光がわんたに入っていったんだ。お話できなかったけど」
私は、まいちゃんと話す時は僕を一人称にすることにした。
わんた 「そうなんだー、僕、まいちゃんにお願いしたい事があるんだ。僕が喋れる事は周りの人には絶対に言わないでね」
まいちゃん「うん、わかった。まいちゃんとわんた、おt...」
このようなまいちゃんとの会話があった。きっとそれは、単なる私の夢にすぎない。それでも、人間と話したのは久しぶりであり、とても安心した。また、翌朝、まいちゃんのを見るのが楽しみだった。シンクロニシティなのだとすれば、今後またお話できるかもしれない。しかし、まいちゃんが言っていた、「わんたに入っていく赤い光」とは何だったのだろうか。今の私には天地がひっくり返りでもしない限り私は知る由がなかった。
翌朝、まいちゃんはいつもよりも早く起きて私の顔を見て言った。
まいちゃん「昨日の夢に出てきたのは、「わんた」なの? ねえ、聞いてる? 教えて」
わんた 「・・・」
まいちゃん「また、夢に出てきておはなししよ! あと、「わんた」との約束守るから」
そう言うとまいちゃんは、私を抱っこした。今まで気が付かなかったが、まいちゃんに抱っこされると、包み込まれるような安心感があった。これは、初めての感情であると同時に感覚だった。しかし、それはなにかはわからない。心がポカポカする感じがした。これは、安らぎというものなのかもしれない。前世、「影」の頃には感じる事がなかった感覚。もしかすると私もまいちゃんと一緒に過ごしている間に私も成長しているのかもしれない、私はそう感じた。
あれから数日後、まい一家は山へピクニックに行った。なぜか私もまいちゃんに抱っこされっ連れていかれた。私はまいちゃんに優しく抱えられていたものの、とても楽しみなようで指の先に力が入っていた。まいちゃんは私に「木が‘きいろ‘とか‘あか‘とかでかわいいんだよ」といった。かわいいにも老脈男女、感じ方の違いがあるんだなと思いつつも私はまいちゃんが言う’かわいい’を理解することは出来ない。きれいだとは思うけれどもね。
おかあさん「ママから離れたらだめよ。パパ、まいの事ちゃんと見ておいてよ。」
パパ、まい「はーい」
と言ったもののすぐにまいちゃんは私を抱っこして走り出しおとうさんも急いでついてきていた。その後、まいちゃんが指をさして「見て、カマキリ」とか、「とんぼー」などと言っているのを見ているとすぐに腹時計がお昼の時間を伝えた。外に出るのが嫌いな私だが意外と楽しかった。そんな中、一番、苦しそうだったのはパパさんであり、まいちゃんを肩車した状態で午前中を過ごした一番の被害者なのである。レジャーシートを広げると「もう無理限界」と言いレジャーシートに寝転んだ。満身創痍なおとうさんの背中にまいちゃんがのった。これが決め手となり、おとうさんのKO負けといったところだろうか。5分ほどでおとうさんは復活し、3人でお弁当を食べている。なぜか知らないが、まいちゃんはレジャーシートの淵ギリギリに座り、私を真ん中に置いておにぎりの具を指で引っ張って食べている。具をだけ食べて残そうとしていたがおかあさんに食べさせらせていた。また、「‘ママ’喉乾いた」と言い麦茶のペットボトルを渡され‘まいちゃん‘が飲もうとしたらバシャっと音をたて蓋の空いたペットボトルを落としてしまった。不運にもペットボトルの口は私に向いている。ほぼ満タンに入っていたペットボトルの麦茶が大量に流れてくる光景は簡単に言えば絶望である。まず、私は身動きが取れない。なぜかって、ぬいぐるみだから。迫りくる麦茶、私は逃げる事が出来ない。わんたのピンチにいち早くおかあさんが気が付いてくれたものの時すでに遅し。私の両足に麦茶が到達し、お尻にまで到達しようとしていたからである。おかあさんが急いで私を持ち上げてくれた。焦っていたようで爪が立っていて痛かったがそんなことよりも麦茶で足が異常に重かった。持ち上げられたときにいままで感じた事のないような足先にのみダンベルを付けたような感触だった。おかあさんは、急いで持参したビニール袋に入れられた。そのあともピクニックは続いたみたいだが、私はおかあさんのリュックの中でビニール袋に入れられた状態だった以前の私はすごく外に連れえていかれるのが嫌だった。しかし、今はなぜだろう。すごく寂しい。一緒に遊びたかった。
わんたが麦茶で濡れてしまったので昼ご飯を食べてからまいちゃんが帰りたいと言いだした。まいちゃんは自分のせいで大切なぬいぐるみを濡らしてしまったことに責任を感じてしまっているのかもしれない。私も昔「おもち」熱い緑茶をかけてしまって反省していた時もあったなと思い出を振り返りつつもぬいぐるみが水に濡れるというこの立場になるとここまで嫌な事だと知った。本当に、「おもち」ごめんよ。
私がぬいぐるみに嫌だった事はだった。ぬいぐるみになってからの嫌な事なんてたかが知れていた。私が今までの嫌だった事の中でTOP3に入るくらい。それは一言で言ったら地獄二言で言い表そうにも表現が思い浮かばない。端的に言って地獄そのものだった。洗濯をされるというのは。まいちゃんに手洗いをしてもらった。洗面台に水を溜めて私はそこにつけられた。その後、おかあさんが洗剤を入れ、手でもまれるように洗われる。まず訪れた感覚はくすぐったいという感触。まいちゃんが意図的にしている訳ではないが、全身を指先で刺激される感触がとてつもなくくすぐったくて苦しい。次に、体内に入った洗剤を出すために濯がれた。潰されるような半端ではない痛み。最後に洗濯機に入れられ脱水させられた。2重の洗濯ネットに入れられとにかく回って暗いので、方向感覚がなくなりとにかく苦しい。やっと終わったと思うと洗濯ネットのまま吊るされる。体が湿って重いので非常に苦しい。
以前の私は「おもち」になりたいとよく思っていた。しかしぬいぐるみにはぬいぐるみなりの苦しみがある事を考えなかった前世の私を思い出すと恥ずかしい。わんたになったのも過去の私への罪償いなのかもしれないと私は思ってしまった。