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過去の私

「私が望む事、それは疲れない事。そして(らく)に生きたい」生まれてからずっと、そう思っていた。


 私の名前は「八雲影(やぐもかげ)」。疲れる事が嫌いなアラサー会社員だ。私は一人っ子であり、一人でいる事が好きな人間だ。そんな私は小さいころからクラスの端で本を読んでいるような典型的な陰キャだった。両親は共働きで家に帰っては一人。家に帰ってこない日もよくあった。両親ともに私にあまり興味がなかった。運動会にも、来なかったし、授業参観にも来なかった。唯一、親が絶対来たのは、三者面談だった。先生は私に特に印象がないのか、「先生の指示を聞く、とても良い生徒ですよ」本当にそれしか言われなかった。そうすると親は安心してまた次の日から働きに行く。私は先生の言われた通りに行動をすれば、変に目立つこともなく、らくな事に気が付いていたからである。そのころの私は、言われたとおりにすることが、一番の親孝行だと思っていた。迷惑をかけると、親を呼ばれてめんどうくさかったから。現代で俗に言ういい子症候群そのものだったのかもしれない。私は他人と関わるのが苦手で、友達がほとんどいなかった。いや、一人もいないと思う。ここ5年は少なくとも親以外から連絡が来たことはない。そんな私の唯一の友達は、猫のぬいぐるみの「おもち」。3歳くらいの時に母に買ってもらった白い猫のぬいぐるみであり今でも大切にしている。その時の会話を今でもよく覚えている。


  母  「あんた、家で一人じゃ悲しいと思うから、このぬいぐるみ買ってあげるわ」


  私  「うん、ありがとう」


  母  「静かにしていてね」


 このような会話だった。私が選んだのではなく母が適当に選んだものだ。3歳くらいの頃の私は家で1人でいる事が寂しくてよく泣いていた。多分、泣き声がうるさくてご近所さんに何か言われたのだと思う。それが、猫のぬいぐるみである「おもち」との出会いであった。小中学生の頃から今も変わらず、家に帰ってからは、友達と遊ぶことよりも家で昼寝や本を読んでいる事が好きな怠け者であり、家で「おもち」と一緒に(なま)けるという少女時代を送ってしまった。いや、幼少期に一人でいる事を強要される場面が多かったからなのかもしれない。そのため、人間関係があまりよくわからないので友達がとにかく少ない。そんな私の夢、それは動かずにただ寝るだけの「おもち」のような生活。なぜなら、疲れたくないから。正直、ごはんも食べずに生きられた方がうれしいしトイレにも行きたくない。外に出るなんてもってのほか。そのように思っていたので、家でずっと動かずに寝ていられる「おもち」に憧れていた。あの頃の私は。

 

 そのような人間であったが、私はかなり頭が良かった。高校進学は、親に言われた通りに地元の進学校に進学したものの、正直大学に行くかどうかはどうでもよかった。なぜなら、結婚願望があるわけでもなく、お金にも興味があるわけでもない、正直人生どうでもよかった。私が望むことは苦しいのは嫌。あと、小さいころから変わらずに疲れたくない。それくらいだった。そのような考えだったが、父親に「影、お前は頭が良いから大学に行け。もったいない」と言われた。親に言われた通り地元の国立大に受験してみたら合格した。なぜか知らないが私は頭がいい、そう確信した。しかし私は勉強をしたくない。なぜなら疲れるから。また、新しい事を知る事にあまり興味がない。そんな私でも、大学に行ったからには他人と関わるべきだと思うところもあった。しかし、他人とはあまり関わりたくない。関わりかたもわからない。また、人間関係は疲れそう。あと、人間は表裏があってとても怖い。それに比べてぬいぐるみである「おもち」は、私を絶対に裏切らないしずっと一緒にいられる。まあ、今まで他人に裏切られた事もないのだけれどもね。友達いないから。家と学校の往復をするだけの生活を4年間。あまり行きたくなかったが4年間通い続けた。なぜなら、もし留年でもしたら怒られるだろうし親に見放されたくなかったから。

 

 大学を出た後は、安定した生活がしたかった。なぜなら、困ると疲れるから。安定した職業を考えた結果、公務員という結論に至った。しかし、最低限の単位だけをとって家でぐうたらとする生活を送っていた私には勉強意欲はなく公務員試験に落ちてしまった。もともと、私は就職したくなかった。なぜかって、働いたら疲れそうだから。しかし両親に「就職しろ」言われてしまい、結局は親の伝手(つて)で不動産系の会社に入社した。実家からは遠かったので一人暮らしをすることになった。一人暮らしといっても、「おもち」がいるから大丈夫だと考えていた。一人暮らしは大変と聞いていた。なぜなら、自分で自分のことをしなければならない。でもそれは、小学生のころから変わらないことだ。しかし、仕事が思った以上に大変だった。残業で帰れない。ノルマを達成できない。休日にも仕事の連絡。お前は仕事ができないと毎日怒られる。私には苦しかった。正直、死にたかった。毎晩、「おもち」の顔を見て泣いていた。私は小さいころからずっと、特に何も考えず、親が選んだレールの上だけを歩いてきた。いや、トロッコに乗った私は、下り坂を下ってきただけの人生だった。なぜかって、私が疲れるのが嫌いすぎて他人に言われるがまま最低限の事をして生きてきたからである。なぜ私は生きているのかここ最近よくわからなくなる事が多々あった。「人間」だったあの頃の私は。


 そんな日々を繰り返し、数年の月日がたった日の事だった。私の人生、いや、存在を大きく変える事になったあの年末。しかし私はあまりよく覚えていない。あの日は朝から雨が降り、()てつく寒さが、骨の髄にまで感じられるような日だった。親に「年末年始くらい帰ってこい」と電話が来た。なので私は車を運転して実家に帰っていた。正直、車の運転は苦手だ。なぜなら疲れるから。あとスピードが出て怖い。私は、「おもち」を助手席に乗せ、ラジオを聞きながら日々の苦しみに対し、ため息を吐いたその時、対向車線からトラックが中央分離帯を飛び越え、私の車に飛んできた。そのあとの記憶はない。私の最後の記憶は、11時26分に前橋インターチェンジを過ぎてすぐという所まで。気が付いたら私は動けなくなり「犬のぬいぐるみ」がたくさんあった。上下左右、全部同じビーグルのぬいぐるみ。少しだけ上のぬいぐるみの重さが鬱陶(うっとう)しく感じたが、ぬいぐるみのベッドに寝ている気分であり非常に心地よい。現在、私は薄暗いところに私はいる。気持ちよく眠るのに最適であった。周りには、人間が時々通りかかるものの、私がどんなに寝ていても起こしてこない。目線を変える事ができなかったが、「トラックと事故すればこうなるかな」という私のとても浅はかな考えで自分の中で完結していた。しかし、私は何なのか、今はいつなのか、ここは一体どこなのか全くわからなかった。

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