私①
朝6時。
いつもより少し遅い時間に目が覚めた。といっても、夜はなかなか寝付けず、いつ寝ていつ目が覚めたのか自覚がないほどの不眠がここ最近続いていた。
カーテンを透かして光が差し込んできていた。窓の外を見なくても「絶対に晴れている」と確信が持てるほどの明るさだった。カーテンを開けるとより強い日差しが部屋を照らした。
私は窓を開けて遠くの空を眺めた。
例年より早めに梅雨が明け、予想通りのきれいな濃い水色が空一面に広がっていた。雲もない、こんなにきれいな空をみればどんな人でも気分が上がり、気持ちが良いに違いない。
しかし、今の私の心の中は嵐の前のようなどす黒い空のようだった。
7月初めの平日。
子供たちはこれから楽しい夏休みが始まろうとしているのに、私はというと「離職」というロングバケーションが始まろうとしていた。
現在、たまりにたまった有給休暇を消化中で8月末で退職となる。
勤務している時はやりたいことをたくさん考えており、「まとまった休みがあれば消化しよう。」とあれほど考えていたのに、離職する不安と次の仕事が決まっていない焦りもあってか、何一つ思い出すことができなかった。
今、一番気になっているのが不眠の症状なので、インターネットで改善方法を検索したら「適度な運動」とあった。
適度な運動で真っ先に思いついたのがウォーキングだったので、気が進まなかったが、とりあえず外に出ることにした。
東京近県の町。
私は20歳だった17年前に、現在住んでいる町に一人引っ越してきた。この町は東京近県であるにも関わらず、私が育った田舎町とよく雰囲気が似ていた。
自宅を出ると向かいにコンビニがあって、その横の細い道を入り50メートルくらい進むと田んぼが広がる。
田んぼの向こう側は小高い土地になっていて、そこには寺があった。麓は入り口になっており、左側には色とりどりの花、右側には大きな柳の木が1本あり、まるで時代劇のロケ地のようであった。
田んぼは遥か西方に続いており、稲が朝日に照らされ金色に輝いていた。
田んぼが途切れるまで歩こうと決め、田んぼと用水路に挟まれた細い道を歩いていくことにした。
ふだんは自宅と職場との往復で、この町の景色をじっくりと見ることなんてなかった。
金色に輝く田んぼからは、真っ白いサギが急に飛び立って私を驚かせた。
用水路の向こう側には昭和感漂う古い家屋が感覚をあけて建っていた。敷地内には祠がある家が多かった。祠を見たのは初めてだったので、珍しさと驚きがあった。
この辺りは土地が広く、ガーデニングや家庭菜園をしている家も多かった。ガーデニングを通り越して、畑と呼んでもよいほどの広い土地を埋め尽くすようにひまわりが咲いているところもあった。
もちろんヒマワリはこの季節に咲く花だと知ってはいたけれども、田んぼの畔に咲いている小さいきれいな色の花やガーデニングの花だったり、家庭菜園の野菜が目に入り、「この花はなんていうのだろう?」「この時期にこの野菜は採れるのか。」と知らない花をスマホで検索したり、野菜や稲を観察しながら歩いた。
大人になってからは資格の勉強はすることがあったが、自然を観察し勉強することなんて小学生以来だで小学生の頃に戻った気分だった。
こうして歩いていると、あっという間に30分も歩いていた。
田んぼが途切れると、二車線の道路に突き当たった。
道路の向こう側には公民館と小学校が並んでいて、私は公民館の自動販売機で水を買い、小学校の奥に見える神社で休憩をとることにした。
神社は大木に囲まれていて、木陰ができており涼しかった。木陰で水を飲みながらあたりを見渡すと、ゴミが散乱していた。
掃除をしようとしたが、ゴミ袋を持っていないので日を改めることにした。
自宅に帰り、明日は神社の掃除目的でウォーキングをすることにした。
決して今の不遇な状況を「神頼み」で解決しようなんて魂胆はこれっぽっちもなかった。純粋にきれいにしようと思ったのだ。
どうせだったら、町内にある神社をすべて掃除しようと思い、スマホで神社を調べた。町内には5つの神社があるようだった。
次の日、私は朝5時に起きて神社の掃除をするため、ごみ袋とゴム手袋を持って家を出たのだった。