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ー02ー アニソンオフ会

「うまい」

「うまい」

 2020年10月の週末。

さいたま市にある映画館「MOVIXさいたま」では、煉獄杏寿郎の食レポの声が響いていた。

この日、私は所沢のアニソンLINEグループオフ会のメンバーと一緒に「鬼滅の刃無限列車編」を鑑賞していた。

「やっぱり、ユーフォの作画は凄いんですよね。でんじいさんもFate好きだったでしょ。Fateもユーフォなんですよ」

隣に座っているメンバーの一人…ハンドル名キラくんが、時折、映画制作の裏情報や作画スタッフを賞賛する言葉を、そっと、つぶやいてくれる。その裏情報に「うん、うん」と応えながらスクリーン上で次々に展開されるバトルシーンに引き込まれていく。

「ここでLiSAの曲を使われたらヤバイっすよ」

そして、ラストシーンの後にLiSAの歌う主題歌「ほむら」が流れている間、キラくんは感動の涙を流しながら、映画の感想を訥々と伝えてくれる。

キラくんとは、アニソンカラオケのオフ会の時の選曲が割と重なる。

なので、何度か、ユニゾンでデュエットをしたこともあった。

彼の感動の涙を横目で見ながら、彼と一緒に歌ったLiSAのアニメのタイアップ曲のいくつかを思い出していた。

 この映画自体の感想は、とにかく『テレビシリーズと繋がってる!!』だった。

老眼が進んだことで、小さな字が読めない。

漫画単行本サイズの書籍や文庫本などの文字が見えづらくなってから、小説や漫画を手に取って読むことがなくなってしまっていた頃だったので【鬼滅の刃】という作品についてもアニメの視聴だけが作品に触れる機会の全てだった。

テレビ放送された【鬼滅の刃】というアニメ作品は、この映画を観る前に再視聴をしていたが、

そのテレビシリーズのリメイクではなく、

劇場版にありがちなオリジナルストーリーでもなく、

きちんとテレビシリーズに繋がるストーリーとなっていた。

キラくんが教えてくれたとおり、映像の美しさ…バトルシーンの迫力については、私などが評価するより、既に視聴を済ませた方の評価のほうがよりリアルだと思うので、私がここで評論することは何一つないのだけれど……

この作品を未視聴の方には、【鬼滅の刃】本編を含めてお勧めできるアニメの一つになった。

ただ、人が鬼を殺すシーンや鬼が人を殺すシーンが含まれるので、そういった内容を好きでない方には無理には勧めないという感じ。

(少年向けコミック誌の作品が好きな方には超お勧めです)

そして、映画館で映画鑑賞をするのは、おそらく、息子と一緒にポケモン映画を観に行った時以来だったなと、私は鬼滅の刃のストーリーや煉獄さんの言葉も良かったけれども、どちらかというと、映画館で映画を観るという…そっちの感慨のほうが大きかった。


ということで、大ヒット映画となった【鬼滅の刃無限列車編】とのファーストコンタクトは、映画館という大きな箱の中で観るアニメであったという意味の他に、いつものアニソン好きなメンバーと過ごす大切な時間…そして、思い出となった。



「ミトさん、アミさん、お誕生日おめでとうございます」

 さいたま新副都心駅から川越駅に移動し、誕生日会の会場の居酒屋に到着した映画鑑賞組の私たちは、そこで、今回の主役の二人、ミトさんとアミさんと合流して誕生日会を開始した。

この日の話題はなんといっても、先ほど観てきた【劇場版鬼滅の刃】の感想が中心だった。映像の美しさと、それぞれのキャラのカッコ良さなどを、それぞれのメンバーが語っている風景は、いつも、カラオケ店でアニソンを歌っている時とは異なる雰囲気であり、お酒の強いメンバーが多かったことから、映画の話題の後は、次の飲み会の計画なども話題となった。

2020年の10月……この年の12月の新型コロナの第三波が到来する直前でもあり、新型コロナ禍の影響下での飲み会開催の難しさなどを話し合い、確認する場ともなっていた。


「でんじいさんは、もう所沢オフ会には戻らないんすか?」

「う~ん…たぶん、もう戻らないですね。

 人間関係が複雑になると単純にカラオケを楽しむ事が難しくなるので、今は居心地がいい川越のグループだけで楽しむつもりですよ。コロナ禍でもあるし、いろいろなオフ会に顔を出すのは、ワクチンや治療方法が出揃ってからにしようとも思ってますし」

 キラくんとの会話の中で、そんなやり取りがあった。

この時の誕生日オフ会は、基本的には所沢アニソングループのメンバーが中心だったが、私はこの時、所沢グループを脱退していた。

それでも、今回は、カラオケはなしで映画鑑賞と飲み会だけという集まりという事で誘われて参加していたつもりだったけれど、グループに戻ってきてほしいと言われるのは嬉しい事だった。

(まだ、居場所が残ってるって思ってていいのかな?)

再就職した会社から出向という形で狭山市に住居を移したのは2018年のこと。その2018年のクリスマスの時に、私は川越のアニソンサークルに参加し始め、2019年秋に、その川越サークルと所沢グループが合同で行ったオフ会をきっかけに所沢グループ単独のオフ会にも参加していた。

川越サークルでは、基本的に月に1回定例オフ会というのが催され、ほぼ固定メンバーで1回のオフ会では15人から20人くらいが集まってカラオケ店の4部屋くらいに分散して楽しむというスタイルで、オフ会の最後は全員が一部屋に集まって合唱して締めるという流れのオフ会だった。

所沢グループは、そんな川越グループのオフ会とは違って独自のスタイルで、主催者であるシマさんの仕事が休みの日がオフ会可能な日ということで案内され、その日に予定が会うメンバーが集まるという形だった。

オフ会に参加する人数は多い時も少ない時もあったが、LINEグループでオフ会の開催を告知することから、普通にLINEグループ会話が盛んで、日常の事や新作アニメのことなどいろいろな話題がLINE画面で交わされていた。

所沢グループは加入時はメンバーが多かったが、私が加入した頃から、それぞれ特に歌うジャンルが近い者がグループ内の少数でまとまるようになって、その少数グループからも誘われたりしていて、この2020年という年は、新型コロナ禍のカラオケ自粛ムードの中ではあったけれども、オフ会に参加する機会は多かったのだ。

実際、新型コロナが猛威を奮っていたこの2020年は、飲食店の営業自粛とカラオケ店の営業自粛が繰り返されていて、例年だと、アニメ好きも多く参加して盛り上がる渋谷ハロウィンのコスプレなども参加者が少なくなることが予想されていた。

「今年の渋谷のハロウィンは、中止にはならないみたいですね…」

「まぁ、私たちには渋谷は縁がない場所ですけどね」

「でも、渋谷で感染した人があちこちに移動するとまた、感染者が増える気がするんですけど…」

「それはそうだろうけど、こうやってGoToイートで安く楽しめる時期は、外食産業の火を消さないためにも、ステイホームではなくて、家から外に出て飲み食いするってのは別に、咎められることじゃないですよね」

「政府が、外出しろ!旅行しろ!って言ってるわけだし…」

 アニソンの話題が好きなオフ会仲間の誕生日会であっても、やっぱり、新型コロナ感染については普通に話題に上る。

普段オフ会でお世話になっているカラオケ店の営業時間が短縮されたり営業がストップしたりする事を、4月からの半年間、メンバーの全員が経験しているからというのもあったし、これから、営業自粛する店舗が増えれば、オフ会自体開催することができなくなってしまうという漠然とした不安があったのだと思う。

「そういえば、このプレゼントを買った日に、秋葉原のアニソンバーに行ってきましたよ。アッキーさんに連れてってもらいました」

 隣に座っているノベ氏に、先日行ったアニソンバーの話しをしたくて話しかけてみる。

「え?行ってきたんですか?」

「うん…メイド喫茶に行くか、アニソンバーに行くか迷ったんですが、アニソンバーにしました」

「どんな感じでした」

「キャストさんが、みんな綺麗でした。

 そういえば、ノベさん、最近、婚活やってるって言ってたじゃないですか。相手の年齢層って、どんな感じなんですか?」

「年齢層は幅広いですねぇ」

「アニソンバーのキャストさんは、二十歳前後の人が多いみたいです。キャストドリンクといってキャストさんにお酒をサービスすることがあるので、レギュラーキャストさんは、お酒を飲める年齢になってる必要があるみたいなんです」

「アキバだと、二十歳よりもっと若いメイドさんやアイドルさんがいるイメージですけど…」

「メイド喫茶には行かなかったんですけど、街でビラ配りしてるメイドさんは、見た目、めちゃくちゃ若そうでした。

 ノベさんは、婚活アプリで知り合った女性とデートするので忙しそうですよね」

「そんなに行ってないですよ。誤解です…誤解…でも、一緒に楽しくお酒飲める相手のほうがおつきあいしやすいですよ。俺が酒好きだからね」

「アニソンバーは飲み放題コースもあるみたいですよ」

「でんじいさん、また行くつもりなんですか?」

「そうですね…行きたいです。知り合ったキャストさんのツイッターフォローしたんですが、返信リプライもちゃんとしてくれて、アニソンバーの好感度、自分の中で急上昇なんです」

「俺は行きませんよ」

「そうですかぁ。残念。でも、次は一人で行ってみようと思ってるんです。もちろん、緊急事態宣言が出たら行けなくなっちゃいますけどね」

「そうですねぇ…どうなっちゃうんですかねぇ」

「職場でも、このオフ会でも、あと、川越のグループのほうでも、コロナに感染した人がいないので、まだ実感がないんですよね」

「でんじいさんの職場って?…」

「市役所ですよ…入口には、体温を測るモニターみたいなのが設置されてて、毎日、出勤した時と帰る時に検温してます」

「ここでも検温やりましたね。あのおでこや手首に当てるやつですか?」

「市役所のは、モニターに顔を近づけると体温が画面に表示されるタイプですね…あれで平熱越えてたら、たぶん、そのまま、Uターンで帰宅しなくちゃでしょうね」

「家で、ちゃんと測ってこいってことでしょうね」

「まぁ、そうなんですけど、私は平熱が低いので…ひっかかりにくいんです。

 37度以上の発熱って社会人になってから経験したことないんですよ」

「え~さすがに、そんなことないでしょう?」

「胃潰瘍で職場で倒れた時も発熱はなかったですよ…そもそも、風邪で仕事を休んだ記憶がないんです…うちの奥さんは常に、『医者に罹ってお金払うことほどもったいないお金の使い方はない』って言って、医者に行かせてくれないし…」

「まぁ、病気でお金使うなら遊びに使いたいですよね」

「病気しない前提だからって、夫婦保険も解約しちゃいましたからね…うちの奥さん」

「あれ?そういえば、でんじいさんって単身赴任でしたよね」

「そうですよ…群馬で仕事が見つからなくって、埼玉に来ました」

「群馬ですか?群馬でもアニソンのオフ会とか行ってたんですか?」

「行ってましたよ…月1回開催してて、ほぼ毎回参加していました」

「今は行ってないんですか?」

「今年の夏だけは参加しました。毎回参加するには、群馬はちょっと遠いので…

 川越のオフ会を見つけたのは、引っ越してから割とすぐだったんですが、なかなか参加表明できなくて…

 二年前の7月くらいに見つけた後、12月まで参加表明しないで、ずっとヒトリカラオケで楽しんでいました」

「所沢に参加したのって去年の今頃でしたよね…川越と所沢の合同オフ会…」

「そうですね…すっごく楽しかったです…それで、二足の草鞋状態になってました」

「このメンバーでスポッチャやボドゲもやりましたよね」

「今日は、映画鑑賞もできたし…川越は、カラオケとカラオケ後の飲み会が基本なので、カラオケ以外でメンバーが集まることは少ないんですよ…

 たぶん、他のメンバーはやってるみたいだけど、私は、そっちの集まりには参加してないんです…こうやってカラオケ以外で集まるのもいいですね」

 ノベ氏とは、その後、スマホゲームの話しや秋アニメの話をして、そこにアッキー氏も加わって、この日は、いつも以上に楽しい宴会となっていた。


 そんな、カラオケを中心にした生活の中だったけれど、この時はまだちゃんと仕事もしていた。

胃潰瘍を患った時、診察してくださった先生から「ストレスでも人は死んだり、寿命を縮めたりするんですよ」と言われた言葉。

その助言を受け取ってから、カラオケを趣味にしたことで、音楽やアニメに接することになった。

それからは、カラオケを通して知り合った人たちとオフ会で会ったり、LINEでおしゃべりをしたりと、自分としては、それなりに楽しい生活を送っていた。

キラくんはというと、ミトさんと一緒に来たミトさんの息子さんと楽しそうに遊んでいる。

「そうだ、アッキーさん!」

「なんですか?」

「ガルパのガチャを今、回そうと思ってるんですけど、仲間に回してもらうとレアカードが出やすいらしいので、回してもらってもいいですか?」

 私は、持っているスマホのガルパのアイコンをタップしてゲーム画面を開く。

「レアカード出なくても責任取れないですよ」

「全然、気にしないで…いつも、ほんとにレアカード出ないから…出ないほうが普通なので」

 アッキー氏にガチャのボタンを押してもらった結果は、なんと最高レアのカードを1枚含んでいた。

「ラッキーです!!初見のレアカードです!大切に使います!ありがとうございます!!」

ノベ氏は「ガールズバンドパーティ」というゲームをしたことがないらしく、私とアッキー氏がそれぞれ自分のスマホを弄り出して、ゲームを始め、そんな感じのやり取りをしていたことで、「ガルパ」に少しだけ興味を示してくれた。

「ガルパって音ゲーですよね」

「私が最近やってるのって、音ゲーばっかりなんです」

 ノベ氏に、自分のスマホの画面を見せて、私はひとつずつ、登録されているゲームのアイコンの説明をし始める。

「ラブライブのスクフェスはやった事あるけど…」

「私はスクフェスはやっていなくて、スクスタからなんです」

「音ゲーって親指勢と人差し指勢がいるじゃないですか?」

「俺は人差し指でやってますよ」

 アッキー氏はそういうと自分のスマホを取り出して実際にやって見せてくれた。

まず、スマホをテーブルに置く。

「立てかける物があれば立てかけてやりますけど、ない時は平らな場所で…」

 親指勢はスマホを手に持って支えながら操作するけれど、人差し指勢はスマホを人差し指で押すため、スマホを支える物が必要になるのだ。

スマホをセッティングすると、アッキー氏は軽快に人差し指を動かして見事にエキスパートモードでオールパーフェクトを達成してしまう。

「すっげぇ」ノベ氏が思わず声を出す。

「私はエキスパートは無理です。いつもノーマルでやってます。ガルパの良いところはノーマルでもエキスパートでも貰えるクリアポイントが一緒なので、イベントなどで不利になることがないんですよ」

「プロセカとかスクフェスは上位モードのほうが報酬多いですよね」

「そうそう…」

「ノベさん、ガルパやってみます?私のスマホ貸しますよ」

 ガルパにはフレンドと一緒にプレイできる機能があるので、ノベさんをフレンド登録したい私は、ちょっとだけ…いや、かなり強引にガルパの布教活動を始めてしまった。

実はノベ氏は、アニソンオフ会メンバーではあるけれども、どちらかというと一般曲を良く歌う。アニソンというカテゴリはアニメのオープニングやエンディングで使用されるいわゆるタイアップ曲中心なのは間違いないが、楽曲を提供するアーティストのジャンルはとても幅が広い。

私の世代でヒットソングというとCMソングやドラマの主題歌が定番だったのだが、ノベ氏はドラマの主題歌やNHKの紅白歌合戦に出場する歌手の曲を選曲する事も多い。

米津玄師さんやYOASOBIさんなどの楽曲も、このノベさんが選曲する機会が多かったことで知ることになったアーティストである。

この所沢アニソングループは完全なアニソン縛りだったり、一般曲もOKだったりと、集まったメンバーによってルールが変わったりする。主催者のシマさんがルーム予約をする場合は完全なアニソン縛りになるが、ボードゲーム会をカラオケ店で開催するような場合は、ジャンルの縛りはほとんどなかったりするのだ。

「ノベさん、婚活は順調ですか?」

 ノベ氏といえば、やっぱり婚活…ということで、もう一度婚活の話をふってみる。

「出会い系サイトでアポ取ってカラオケとかにも誘うけど、なかなか良い感じになることはないんですよね」

「マッチングした相手とはスムーズに出会えるんですか?」

「同世代の女性だと、バックレやドタキャンはほとんどないですよ。自称若い女性だと、会えない事もありますけど…」

「やっぱり30代半ばの女性は結婚願望が強かったりしますか?」

「どうですかね…遊び目的の方もそれなりにいますからね」

「ノベさんは、アニソンバーに行ったりしないんですか?アッキーさんと行ったアニソンバー、すっごい可愛い子いましたよ」

「行かないですね…年齢が若すぎると話が合わないから」

「確かに、アニソンバーのキャストさん、若かったですね」

「それに、俺はアニメは詳しくないから…だいたいアニメもドラマもサブスクで観るけど、倍速再生しちゃってます…ストーリーや主題歌は把握してるけど声優さんや映像についてはあまり詳しくないんですよ」

「そういえば、ノベさんは倍速再生派でしたね」

「Roseriaは歌うけどガルパはやってないしアニメも観てないですよ…だから、アニソンバーのキャストさんと話してもアニメの話では盛り上がらない気がしてる」

「職場の女性とはカラオケ行かないんですか?」

「俺の職場に女性社員はいないんですよ。取引先の営業マンも男性ばっかりですから…ドラマのように活躍できてる女性って、現実には多くないですよ」


私のこの時の職場はとある市役所。

そこの情報政策課でヘルプデスクを担当して、ほぼほぼ毎日、市役所職員の方からの質問を電話で受けて、オフィス系ソフトウェアの使い方の説明をしたり、調子が悪いパソコンの調整をしたり、電話がかかってこない時間は、市民課や学務課などから依頼された市役所の庁内だけで使用されるソフトウェアの開発をしたりというのが、主な仕事だった。

2020年という年は、とにかく、市役所でもコロナ対策に関わる仕事も多く、また、前年の2019年が令和元年ということで、庁内ソフトウェアの元号切り替えの修正をほぼ1年かけて終えたような状況だった。

この元号切り替え修正作業…大雑把に言うと、業者委託してある基幹ソフトやシステムなどは、当然、開発元や販売元のソフト会社が修正や動作確認を担当する。

そういった大手のベンダーには任せていない、市役所の職員の方が独自に開発して使用している、マイクロソフトエクセルやマイクロソフトアクセスという汎用ソフトを用いて作成した通知書や通知ハガキを印刷するシステムなどでは、元号部分が「平成」と直接コーディングしてあるものがまだまだ多く残っていて、通知書を印刷する時になって、平成31年や平成32年と印刷されることがわかるので、その印刷結果(プレビュー結果)を見つけた時に、その都度修正をするという方法が多かった。

ソフトウェア開発に携わった職員さんが既に、他の部署に異動しているのだからいたしかたないのだ。

事前チェックでソフトウェアの棚卸を提案する情報政策課の職員の方もいたけれど、そもそも、庁内で職員の方が開発したシステムの一覧自体が、情報政策課では管理されていなかったので、『印刷すればわかるから、修正はその時でいいでしょう』という結論となっていたらしい。簡単に修正が必要な箇所を見つける事ができて、短時間で修正を終えることができるのは、エクセルで構築したシステムの便利な点である。

エクセルやアクセスで開発されたシステムは、元号変換の関数をアップデートすることだけで基本的には無修正で正しく表示されるけれど、ワードの差し込み印刷を利用してる通知書などの特に年度の表示については、日付部分に「平成」という固定文字になっている箇所が多く残っている状況。

そんなこんなで、住民宛ての通知ハガキを印刷するタイミングや、年度決算報告書を印刷するタイミングで「平成」という文字が発見されるものも多く、元号変更の修正期間は1年程度かかっていた。

修正期間は長くかかっても、修正時間は短時間で済むので、結果的にシステム改修や改善作業を効率良くできるのである。


2020年度の情報政策課という職場での作業は…というと、まず、コロナ対策の10万円の一律給付が5月に実施された。

これも、情報政策課の職員の方が手作りをした住民宛ての通知で対処したために、業者に依頼するよりはずっと早く安く完成し、埼玉県のどの市町村よりも早く住民の方へ申請書類の発送をすることができた。

けれども、そもそも、国が急遽決定した政策を、現場の担当者がソフトウェア開発業者に任せることなく徹夜作業でフォローアップして対応するということは……

確かに効率的で生産性は高いのかもしれないけれど、保守性やメンテナンス性を考慮すると、綱渡り的なやり方なのではないかなと感じた。

なんというか、製造スピードは業者に頼むよりは圧倒的に早いし安いけれど、結局のところ、製造は短時間でできても、印刷オペレーションや封入作業などは、現場の市役所が超短期間の臨時雇いを増やして人海戦術で対処するしかないのが、この時の政府決定案件のほとんどだったのだ。

この年に各家庭に配送された「アベノマスク」などもPDCAの「P(計画)」が省略された閣議決定という名目の元に「D(実行)」が先行してしまう。

いわゆる無計画のお役所仕事のほとんどが、この政府決定案件だったりするのは今も昔も変わることはないのでしょうがないと割り切るしかない。

2000年頃に「政府決定」と言う言葉だったものが「閣議決定」となったに過ぎないようにも思う。

実際に「政府案件の臨時対応」にかかった「臨時雇い人財に支払う費用」などは政府に請求できるから市の財政負担は少ないものの徹夜に近い作業を強いられる通知システムを作成する職員の肉体的負担は相当なものがある。ある程度想像はしていたが、実際に現場で担当者の方々の労苦を見ると、「やっぱりな」という想いしかない。

そして、【住民情報データベースを利用することが許可されていて、マイクロソフトエクセルに精通している】市役所職員の数は少ない。

私のように臨時雇いのSEはシステム製造やプログラミングのフォローアップの協力をすることはできるけれど、住民情報を閲覧する権限は持っていない。そういう状況なので【情報政策課の正規職員で、プログラミングスキルを持った職員】の方の実務に関わる作業量は多くなってしまう。

その住民通知システム構築のエキスパートがタカノサキ氏で、データベース関連プログラムのチェックやサーバ関連の環境設定のチェックなども担当している情報政策課の大黒柱…エースとも言える人財である。

そのエースが不在となる事を避けるため、市役所で年度切り替え時に実施される部署異動などもずっと回避してきて、情報政策課に一番長くいる職員であるらしい。


政府が決定した政策を実現するために必要な通知システムを作成・構築・運用をしている間は、その担当職員…ここではタカノサキ氏が本来担当をしている計画作業は、他の職員の方が分担でやらなくてはならないわけで、計画にない作業が増えた場合は、当たり前のように残業をしてこなすしかない。

 年度初めの4月~5月というのは、市役所の部署異動が年度切り替え時に実施されることから、その課が抱えている業務や作業に不慣れな職員の方も多く、業務引継ぎのマニュアルはあるとはいえ、前任の作業に慣れている担当者よりは、後任の方が行う作業の効率は当然落ちる。

まぁ、そのあたりの人事異動で主要な担当者が別の課に異動しても混乱しないように、フォローアップするのが、ヘルプデスクとしての私の役割の一つでもあったので、この10万円の一律給付金が決定した時も、【給付金申請通知書作成システム】を私がヘルプデスクの作業として一人で開発した場合に、『市長が決定した通知書の発送期限まで』に間に合うかという打診は当然あった。

けれど、8時30分から17時15分の定時内作業で、ゴールデンウィーク期間の4月末から5月中旬までとなると作業時間の見積合計は30時間程度と想定していたため、この時の私は、スケジュール的に厳しいと言わざるを得ない状況であり、情報政策課の開発チームのエースであるタカノサキ氏が徹夜作業で完成させたらしい。

タカノサキ氏は、以前も市内全世帯宛の通知書作成ツールを作っていて、そのツールシステムのエクセルファイルがまだ情報政策課に残っていたので、それを流用する形でこの期間内での対応ができたらしい。

おそらく、全国どこの自治体も、この一律給付金通知については似たり寄ったりの対応だったのではないかな?

それくらい、対応する時間がタイトではあったように思う。

これは、あくまでも私の私見ではあるが、こういったツール的な一時使用のシステムを使う場合には、政府が事前に想定しておき、全自治体に対応できるソフトウェアを配布する事ができれば、現場を混乱させることなくスムーズに必要な人へタイムリーに必要なお金…一律給付金や児童手当などを届けることができるのに…ずっと以前から思っていることだけど…そう思うと何十年たっても改善されていないことが残念でしょうがない。

もっとも、こういった政府による全国一律に使用可能となるシステム製造を実現するためには、住民氏名や世帯情報を記録しているデータベースが全国的に統一されている事が大前提なのである。

 自治体のシステム開発全般に言えることだけれど…2019年当時は、とにかくシステムに関する国の指導や指示が曖昧で、さらにガイドラインも整備されておらずに自治体に丸投げされた状態であることが多かった。

 住民管理や戸籍管理のシステムなどは、自治体が各個に開発会社と契約している状況でもあって、国レベルのシステム統合などは、おそらく100年経っても実現できないということはわかりきっているのだけれど…とにかく残念でしかたない…というのが当時の日本という国の状況だった。


そんな埼玉県にある、とある市役所の情報政策課の当時のある日の風景。


「アカギさん、例の市議さんから、もう一度、ヘルプデスクの作業報告書を請求されたので、まとめてもらえますか?」

「まとめる…と言っても、この前と同じものしか作れないですよ。加筆修正する箇所がわかっているなら、言ってください。その市議さんは、どこどこを直せとか言ってきてますか?」

 情報政策課のマエノハシ課長から、来年度のヘルプデスクの存続のための資料提出の指示があったのは、これが2回めだった。

アカギというのは、職場での私の名前で、さすがに職場では「でんじい」とは名乗っていない。

「同じものでいいです。再検討するらしいので」

「わかりました。同じもので良ければ保存したPDFファイルがあるので、メールで送ります」

「助かります。いろいろと忙しくて、私は、まとめている時間がなくて…アカギさんに丸投げしてしまって」

「この資料は、開発作業の工数だけの抜粋なので、本来のヘルプデスクの電話受付対応については数値化されてないですが…

 議員さんを説得するために作成する【ヘルプデスクの2名体制を維持する提案書資料】としては、少し弱い気がします。開発作業は、電話対応の隙間時間でやってることなので…不完全な部分も多いですし、マニュアルレスで私が運用してる箇所も多いですから」

「それはわかっています。とにかく形になっている資料が欲しいので」

「開発作業の標準工数と、同じ種類の市販ソフトの購入による費用比較も今はまだ調査中で、ありませんよ」

「それは、コシヒカリ市議が調査済みらしいです。市販のソフトを導入したほうが、ヘルプデスクを雇った開発より効率がいいという理由付けにしたいようです…」

「市販ソフトと価格比較したら、いくら仕様書なし設計書なしで短時間で仕上げた庁内システムでも、全然、高額になってしまいます」

「それでも、フジタチさんに頼むよりは、遙かに安価に製造できているから…」

「安価という点では…ドキュメント整理もマニュアル製造の工数も入っていないですから、当然、そうなります。」

 マエノハシ課長が言うところの「フジタチさん」というのは、市役所の基幹システムを任せている大手ベンダーで、市民課で扱う個人情報を管理するシステムを含め庁内のほぼ全てのシステムを任せている企業の名称である。

「ヘルプデスク…来年度は一人体勢になりそうですね」

「そうならないように、私も市議さんを説得してみますよ」

「私の立場からは、市議さんに嘘報告はできないので…今年は、開発作業よりも、マイナンバー関係の住民からの問い合わせ時間もかなり多かったですからね…その分、去年よりも開発作業のトータル時間は少なくなっています」

「マイナンバー関係の市民からの電話対応は、できるだけ職員だけで対応するつもりですけど、今は窓口を維持するために、情報政策課の全員が、そっちに行ってしまう状況が続いてて、なんとかしたいとは常々思っています」

「職員不在の時に、市民からの電話対応をする事は嫌いではないのですが、請け負ったシステム改修の時間が充分に確保できなくて迷惑をかけてしまっています。このことについては、私の力不足で申し訳ないと言うしか…」

「職員の何人かは、リモートワークで自宅待機になるので、今は庁内にいる職員でやりくりするしかないのです…コロナとマイナが落ち着くまでは、なかなか他の情報政策を推進することは厳しいです

 Zoomで庁内の会議はできても、Zoomでの市民対応は難しいというか、まだできないですからね。今は…」

「会議がリモートでできるようになっただけでも、大前進ですよ、マエノハシ課長。

 とりあえず、私は、来年度、ヘルプデスクが一人体勢になっても、継続して契約していただければ、私自身は生活ができるので…

二人分というか…なんというか…全ての契約を切られると、派遣の身としては収入がなくなってしまい困ってしまいますが…

 ヘルプデスクが一人体制になると私の会社は困るらしいですが…なんとか一人体制だけでも…維持していただきたいのです」

「ですよね…私も善処します」

市役所内でリモートワークの利用が推進される状況は喜ばしい事であるけれど、市役所庁内のネットワークは、外部からはアクセスできない機器もありサーバの管理用ルームに直接入室しないとメンテナンスが困難であったりもする。

そんな市役所内の業務遂行に必要なネットワークは大きく3つ存在していた。

庁内のプリンタなどを一括管理するネットワークが1つめ。

庁内職員がインターネットに接続するためのネットワークが2つめ。

そして、市役所独自に構築している住民データを管理するネットワークが3つめ。

これに、市議会議員の方々が独自に利用するネットワークや試験的に導入した住基ネットと言われる国と繋がるネットワーク。

水道課が独自に業者発注した水道課ネットワークなど…情報政策課がメンテナンスを任されている庁内庁外のネットワークは多い。

このネットワークに、将来的にはマイナポータルのネットワークが追加される見通しではあったが、私が情報政策課に在籍していた期間中、マイナポータルと基幹のネットワークを繋げる試みは市役所内では行われていなかったように思う。


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