4 エリザベスの告白
(何があったのだろう…)
英二はハンドルを握りながら、妻のエリザベスからの電話と、息子・純から送られてきた「緊急事態」というメッセージを思い返していた。普段、冷静な純が「緊急事態」などと言うのは非常に珍しい。何か重大なことが起きたに違いないと、前妻が亡くなった時のように英二の胸はざわめいていた。
英二は大川高校の英語教師で、その日は卓球部の顧問として部活に顔を出していたが、家庭の事情ということで部活を早めに切り上げて帰ることにした。
「ただいま」
玄関の扉を開け、リビングに入ると、家族全員が揃っていた。普段はバラバラに動いている家族がこうして一堂に会するのも珍しい。英二は不安な顔で尋ねた。
「なにが起きたんだ?」
その問いに、一番小さな小学一年生のアレックスが大人びた口調で答えた。
「俺が説明するよ。早く座って」
その一言に、英二は一瞬言葉を失った。いつもは「ボク」と言うアレックスが、突然「オレ」と言い始めたのだ。
「アレックス?今『俺』って言ったか?」
英二は再びアレックスを見つめた。
「いいから、黙って聞いてくれ」
アレックスがさらに大人びた口調で言い、リビングは一瞬の静寂に包まれた。英二は隣にいるエリザベスに目を向けると、彼女は何も言わずに大きく頷いている。
「父さん、アレックスと俺、魂が入れ替わったんだ。今しゃべっているのはアレックスじゃなくて、俺、純だ。そして、そこにいるのが本当のアレックス」
「は?」
英二の脳内に一瞬の混乱が広がった。
「魂が入れ替わった」と言う息子の言葉にどう反応すべきか分からず、ただその場に立ち尽くした。
英二の頭の中には疑問符が次々と浮かんだ。まさか、本当にそんなことが起こりうるのか?それとも、これは子供たちの壮大な冗談なのか?
「信じられないかもしれないけど、これは本当なんだ」
アレックスの姿をした純が冷静に続けた。英二は再び座るように促され、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「なぜそんなことが起きたんだ…?」
目の前の「アレックス」と「純」の様子は、明らかにいつもと違う。英二はさらに話を続けるよう促した。
純はアレックスと二人でラーメンを作ったこと、胡椒でくしゃみしたこと、そしてその瞬間、不思議な光に包まれたと話し始めると、家族全員が緊張した面持ちで聞き入った。純はその後、エリザベスから「『ブレスユ―』と言わないと魂が入れ替わると言われたことを伝えた。
「『ブレスユ―』なんて、英語圏でも言ったり言わなかったりする。それに、言わなかっただけで魂が入れ替わるなら、世の中みんな入れ替わっているはずだろう」
英二は困惑した顔で反論した。どうにも現実離れした話に納得がいかない様子だ。
すると、静かにエリザベスが口を開いた。珍しく重い雰囲気を漂わせている。
「エージ…あなたに話していないことある」
その言葉に、英二は息を呑んだ。まさかエリザベスがこんな風に切り出すとは思っていなかった。リビングに沈黙が広がる。
「実は…」エリザベスはゆっくりと話し始めた。
「私の前の旦那、その家は…魔法が使える、特別な家」
英二は無言でエリザベスを見つめた。魔法?そんなことはこれまで一度も聞いたことがなかった。エリザベスは続けた。
「今は大きい魔法は使えない。でも小さいこと…おまじないとか、占いぐらいはできる。でも、Alexは…」
ここでエリザベスの声が一瞬震えた。
「Alexが生まれてすぐ、特別な儀式があった。それで、ものすごく強い魔法の力を持っていると、分かった」
エリザベスの言葉は信じ難いものであったが、英二は、冗談を言っている様子ではない妻の顔を見つめ、無言で次の言葉を待った。
「その力を狙って、Alexは何回も危ない事があった。私たちはずっと守ってきたけど、狙われ続ける。それで、私はとても疲れた。前の旦那と離婚した」
エリザベスは目を伏せ、重々しい口調で話し始めた。
「そして、Alexが旦那に奪われる前に日本に来た。日本へ来た理由。ここは安全な国。別の国で暮らせば、Alexの力、抑えられるかもしれない。狙う人も少ない。そう思ったの」
エリザべスの言葉には、過去にどれだけの覚悟と決断があったのかがにじみ出ていた。それが英二にも伝わってきて、少し感慨深い表情になる。
「日本でエージと出会った時、私、心の底から人生が変わると思った。でも、Alexの力が強すぎたのね。だから今、思ってない形で、魔法が出た」
「そんな…本当に魔法が…?」
英二は信じられないと呟いたが、エリザベスは静かに頷いた。
「信じたくない気持ち、わかる。でも、Alexの力は本当。今起きたこと、魔法が関係している」
英二は少し沈黙していたが、突然明るい笑顔を見せて言った。
「いや、すごいじゃん!魂が入れ替わるなんて、まるで映画みたいだ!」
英二は純の焦りに気づかず、まだ楽しそうな様子で話を続けた。
「だって、すごくないか?こんな体験、普通できないぞ!〇リー・〇ッターみたいじゃないか!」
純は深くため息をつき、肩を落としながら呟いた。
「…やっぱり話にならない…」
エリザベスが軽く笑いながら言った。
「エージ、絶対、〇リー・〇ッターって言う、そう思った」
「杖とかないのか?」
純は、ついに耐えきれず声を上げた。
「父さん、ふざけてる場合じゃないだろ!俺、早く元に戻りたいんだけど!」
英二は手を振りながら落ち着かせようとした。
「まぁまぁ、落ち着けって。これは簡単に解決する話じゃない。なら焦ってもしょうがないぜ」
純は焦りを抑えきれず、すぐにエリザベスに向き直って叫んだ。
「エリザベスさん、早く魔法の本を見せてください!」
英二はさらに興奮しながら、目を輝かせて言った。
「魔法の本!そんなのがこの家にあったのか!うっそー」
エリザベスは少し戸惑いながらも静かに部屋の端に歩いていき、壁にかかった絵を外した。そこには誰も知らなかった小さな隠し扉が現れ、部屋にいる全員が驚きの表情を浮かべた。
「え?そこにそんなものが…?」
英二は目を見開き、思わず一歩前に出た。
「これ、誰にも見られないように、してた。魔法の本、簡単に手に入れられないようにね…」
エリザベスは慎重に扉を開け、中から古びた大きな本を取り出した。表紙は黒く、どこか不気味な雰囲気を放つ古い革製で、中央には銀色の神秘的な紋章が刻まれていた。
エリザベスは本をテーブルに置き、みんなにその表紙を見せた。
オインクがタイミング良くテーブルに飛び乗って「ミャオー!」と鳴いた。猫のオインクは、まるでこの状況を理解しているかのように、本に身体を擦り付ける。
「ふふ、オインクは落ち着いとるね。僕たちに『なんとかなるよ』っち言いよるみたい」
アレックスが笑いながらオインクを見つめると、英二もそれに便乗して大笑いする。
「そうだな!オインクもわかっているんだよ。焦らずにのんびりいこうぜって!ほら、純、アレックスも落ち着いて、なんとかなるさ!」
どっちがどっちだっけ、と言いながら交互を見る英二。
アレックスは、英二の明るい笑顔と冗談を交わす様子に、少し心が軽くなるのを感じた。
「…お父さん、ポジティブやね…」
アレックスの表情に安堵の色が浮かぶ。
純はそのやりとりを聞きながら、少し戸惑ったように目を泳がせた。
「いや、だから俺は今すぐ元に戻りたいんだってば。猫みたいにのんびりしてる場合じゃないし、アレックスも焦らなきゃいけないだろ!」
エリザベスは本を開いてみせた。古びたページがかすかにきしみながら開かれ、独特の香りが漂った。
パラパラとエリザベスが目を通す。ページには英語の文章と、様々な図が描かれていた。一番初めの目次を見ながらエリザベスが言った。
「この本には、魔法の基本的なこと、書いてある、だけど…入れ替わりを直す方法、載ってない。もっと高度な魔法、別の本に書いてる。だけど、その本…イギリスにある。前の旦那のところにある」
「イギリス!?マジかよ…」
純は思わず頭を抱えたが、英二はそんな彼を軽く肩で叩いて励ますように言った。
「おいおい、そんなに落ち込むなよ!イギリスにある別の本を手に入れればいいんだろう?なら、イギリスに行こう!お金を貯めて、家族みんなで大冒険だー!」
「お金を貯めるって、すぐ行けないのかよ!」
純はイライラした様子で声を荒げたが、英二は気にもせず、笑顔で言った。
「それこそ魔法でひとっとび出来たらいいけどなー。アレックス、できないか?」
さすがのアレックスも戸惑いの表情を見せいた。
その時、純の頭にエリザベスの話がよぎった。
「…そういえば、さっきイギリスで『狙われた』って言ってたよね?それってどういうこと?誰がなんで狙ってるんだ?」
エリザベスはその質問に、少し沈んだ表情をした。
「そう…実はイギリスに、魔法使いを狙う組織、ある。アレックスの力が強すぎるせいで、それを利用する人たち、いる」
「利用…?じゃあ、アレックスがもし捕まったら…どうなるんだ?」
「恐ろしいことになる。Alexの力は、ただの魔法じゃない、special(特別)なものだといっていたから。だから、組織はAlexを手に入れるために、何でもするかもしれない…」
純はその話を聞いて、冷や汗が背中を伝うのを感じた。
「それって、やばいんじゃないか?俺が今アレックスの体に入ってるってことは、俺が狙われる可能性があるってことだろ?」
エリザベスは真剣な顔でうなずきながら、さらに強調するように言った。
「そう。だから純さん、気をつけて。誰にも話さないで」
「なるほどな…本当にシャレにならないな」
自分にとって未知の魔法を持つ子供の体に閉じ込められた不安が、純の顔にはっきりと現れていた。
「でも僕、日本で危ない目にあったことなかよ!純兄ちゃん、僕は今日からこの本で魔法を勉強するけん!純兄ちゃんを守るけん!だけん、安心して!」
アレックスは決意を込めてそう言ったが、純はその言葉を聞いて少し驚いた。
「お前、そんなに気負わなくていいぞ。…でも、ありがとうな」
純は少し戸惑いながらも、アレックスの頼もしい一面に感謝の気持ちを込めて微笑んだ。
その時、英二が勢いよく手を叩いて提案した。
「よし!じゃあ、アレックスは魔法の勉強を頑張るとして、純、お前は体を鍛えるんだ!」
「えっ、体を鍛える…?いやいや、なんでだよ!」
純は思わずツッコミを入れたが、英二は気にせず前向きな笑顔を見せた。
「襲われても、体力があれば何とか乗り越えられるだろ?筋トレしとけば、いざという時に役立つって!それにばあちゃんにも連絡しておくからな」
「え、ばあちゃんに連絡?なんでばあちゃんなんだよ…」
純はさらに困惑しながら父親を見つめたが、英二は全く気にする様子もなく電話を取り出し始めた。
「うちの母さんは元体育教師で、バリバリ元気だからな。いざという時は頼りになるんだ!純、鍛えたら精神も強くなるし、ばあちゃんと一緒に頑張れよ!」
「俺、ばあちゃんと筋トレするつもりないんだけど…」
純はため息をつきながらも、そんな父親を見て内心そのポジティブさが少しだけうらやましく思えた。
オインクもその様子に反応するかのように「ミャオー」と一声鳴いた。
「オインクも賛成してるみたいだし、決まりだな!」
英二は笑顔でそう締めくくったが、純のため息が深くなるばかりだった。
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