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1 とんこつラーメン

土曜日の朝、父親である佐藤英二は、学校の部活指導のために家を出た。家には、小学生一年生のアレックスと、高校生二年生の純だけが残された。アレックスは生粋のイギリス人で、純が初めて会ったとき、幼いながら自信に満ちた姿が印象的だった。本人によると、本名はアレキサンダーだが、英語圏ではアレックスというニックネームで呼ばれるらしい。


純は半年前に母親を亡くし、離婚していた父親に引き取られる形でここ大川市にやってきた。それ以来、彼の生活は最悪だった。都会での生活に慣れていた純にとって、大川市は退屈極まりない場所だった。夜遊びに行く場所もなければ、電車も通っていない。バスも一日にわずか三本。家具の産地と謳っているせいか、工場ばかり。一体この田舎で、どのように過ごせばいいのか、純には全くわからなかった。


冬休みが始まり、純はゲーム三昧で部屋に引きこもるようになっていた。家の中では、父親や義理の母との会話も必要最低限。まるで時間が止まっているかのような退屈な日々だった。そんな静かな日に部屋の扉をノックする音が響いた。


「純兄ちゃん、お腹すいた」

ドアの隙間から、アレックスが顔をのぞかせた。金髪の巻き毛が乱れていて、少し寝起きのような顔をしている。


「…お前の母さんに作ってもらえよ」

純は、まだベッドに横になったまま、返事をした。


「Mum(お母さん) は英語教室だよ。教えに行っとる」

アレックスは九州弁と英語が混じった返事をしながら、純のベッドの近くまで寄ってきた。黒猫の「オインク」までもニャーと言って餌をねだりに入ってきた。


「…そうか…エリザベスさんもいないのか」

純はため息をついた。エリザベスはアレックスの母親で、英二が再婚した相手だ。彼女のニックネームはリズらしいが、純はどうにもその呼び方がしっくりこないため、ずっと「エリザベスさん」と呼んでいる。


やれやれ、と思いながら、純はベッドから起き上がり、キッチンへ向かった。キッチンに並んでいる食材を見ると、大半が英語でラベルが貼られていて、どれも見慣れないものばかりだった。その中に父親が置いているであろう、日本のインスタントラーメンの袋を見つけた。とんこつ味だ。


「これ、食べるか?」

と純は言いながら、ラーメンの袋を見せた。


「Yeah! ラーメン食べる!」

アレックスは満面の笑みで答えた。


純は鍋でお湯を沸かし始め、アレックスは器を取り出してキッチン台に置いた。


「おぉ、センキュー。俺も食べるから、もう一つここに出して」

アレックスは素直にうなずき、もう一つ器を取り出してキッチン台に置いた。


その時、黒猫のオインクが足元に絡みついてきた。餌をねだっているらしい。


「餌はやったのか?」

純が聞くと、アレックスは少し困った顔で答えた。


「MumがPig(豚)になるから、やったらダメって」


確かに、オインクは猫にしてはやたら大きな体をしていた。本当に小さい豚のようだ。

純は苦笑しつつ、冷蔵庫から卵を取り出した。麺が煮えるのを待ちながら、卵を割り入れてスープを加える。二人でじっと鍋の中を見つめ、麺が煮えるのを見守っていた。


「よし、できた!ちょっと離れて、汁が飛ぶかもしれないぞ!」

純が勢いよく宣言すると、アレックスは驚いて3歩ほど後ろに下がった。


「そんなに下がらなくてもいいって」

と純は笑いながら、熱々の麺を器に入れ始めた。麺が綺麗に盛り付けられ、最後に半熟の卵を器にダイブさせると、スープの表面に軽く波紋が広がった。


「もう食べれると?」

アレックスは目を輝かせ、待ちきれない様子で純を見つめた。


「ちょっと待ってな。胡椒を入れるともっと美味しくなるんだよな」

と純は言いながら、調味料の棚を見渡した。


「どれが胡椒だ?ペッパーどこ?」


アレックスが棚に並んだ瓶を背伸びしながら見上げた。

「これ」


アレックスが指差した瓶を手に取ろうとした瞬間、思わぬ事態が発生した。オインクがアレックスの足元にまとわりつき、しっぽを踏まれて「ギャー!」と大きな声をあげたのだ。その声に驚いたアレックスの手が滑り、胡椒瓶を倒してしまった。


瓶は棚から転がり落ち、蓋が外れると中の胡椒が一気に飛び出した。舞い上がる胡椒の粉に反応して、二人は一斉にくしゃみを連発した。


「クシュン!」


くしゃみが一つ、二つ、三つと次々にくしゃみをするたびに、部屋は一層胡椒の匂いで充満していく。その瞬間だった。体が妙に軽くなったような感覚に包まれ、視界がぐるぐると回り始めた。気づけば、体はまばゆい光に包まれた。純はアレックスの体も光の中にあるのを見た。


「アレックス…!」


「純兄ちゃん…!」


パチッと音がして反射的に目をつぶってしまった。純はそっと目を開け、周囲を見渡した。確かにそこはキッチンだった。


「今、何が起きたんだ?」


すると、目の前の「自分」が言った。


「I don't knowわからない


「は?何英語でしゃべってるんだ?」

純は驚いて問いかけた。


「What? 純兄ちゃん?そっち僕だよ」

目の前の「自分」が俺を指さした。


「OMG!My hands got bigger!(なってこった!手が大きくなってる!)」

大声で英語を叫び、手をひらひらさせている「自分」。


純も自分の手を見下ろした。明らかに小さく、白い手がそこにあった。自分の体に違和感を覚え、小さい手で服をつまんだ。アレックスの服だ。髪を引っ張ってみた。金髪だ。


「これ、どうなってるんだ…?」

純はもそもそと手を動かしながら、どうしてこんなことになったのか、心の中で必死に考えていた。


だんだんと頭の中が整理されてきた。


(まさか!)


「ちょっと来い!」

純は「自分」に向かって言った。


二人は洗面所の鏡を見ていた。目の前に映し出されている二人。


「おい、これ、入れ替わっているぞ!」

アレックスの体から純が言った。


「What?Are you kidding me?(冗談言わないで)」

アレックスも、純の体に入った自分に対して混乱しているようだった。


「What should I do?…(どうしたらいいの)」


二人は互いに目を見合わせた。



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