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兄妹相愛 ~見島兄妹の罪~

作者: 木村アヤ

一応純文のつもりなのでよろしくお願いします。

村上春樹の影響がえぐい

 私の名前は大三木麻衣。最近変な同級生に付きまとわれていて困っている。

 同級生の名前は山居健次郎。ありきたりというか古風な名前だけど、外見はチャラい。両親もこんな風に育つと知っていたら健次郎なんて名前は付けなかっただろう。翼、とか陸、とか龍、とかそんな感じだろうか? なぜか一文字ばかりだけど。キラキラネーム。

 付きまとわれていると言っても、表向きに、いわゆる絡まれている、という状況ではない。言ってみればストーカーかな? 

 ある日のことだ。私は自分の部屋のベッドの上で漫画を読んでいた。何の漫画かというとジョジョの奇妙な冒険第四部だ。ジョルノ・ジョヴァーナかっこいい。

 私はベッドの上にちょうど窓のそばの壁にもたれるようにして座っていた。物語がひと段落したところで、外が暗くなっているのに気が付いた。学校から帰ってすぐに読み始めて、それからずっと読みふけっていたので、日が落ちていることに気が付かなかったのだ。それで私は何となく外を見た。

 私の部屋は公園に面している。日があるうちは小学生くらいの子供がよく遊んでいるけど、日が落ちてしまうといなくなってしまう。今も残っているのは小学高学年くらいの女の子三人と、誰かの弟なのか三年生くらいの男の子一人だ。

 いや、違った。ベンチに一人、学生服を着てベンチに座っている高校生の男子がいた。それが山居健次郎だった。その男は顔を私の部屋の窓のほうに向けていた。細かくはよくわからなかったけど、なにか真剣な表情をしていた。

 そういうことが何度もあった。最初のころはたまたまかもしれないと思っていたが、さすがに頻度が高いので、具体的にどういう行動をしているのか観察してみた。それによると、彼は大体三日に一度のペースで、日が暮れた後に公園にやってきて、ベンチに座ってため息をついたり、ひじ掛けに頬杖をついて、残った子供たちが遊んでいるのを眺めたり、コーヒーを飲んだり、そして私の部屋の窓を見たりするのだった。隣接している他の家を見ることはほとんどないから、偶然とはいえなさそうだった。

 私は今、学校の自分の席で休み時間に本を読んでいる。村上春樹だ。村上春樹はすごいと思う。村上春樹にはアンチも結構いて、理解できないとか何がいいのかわからないとかっていう人もいるけど、私は好きだ。というより、親友の男の子が死んだあと、それまでわからなかったのが、理解できるようになった。

 見島用途が死んだのは、今でも私の中でしこりになって残っている。というのも、彼は自殺したからだ。それも私がセックスを拒んだ日の夜に。

 思ってみればあの時の彼の様子は少し変だった。何かを悟ったような、それでも曇った表情で、態度もいつもより落ち着いていた。そんな様子のまま、彼は「今日は両親が世話になった人の葬式に行ってて、家に誰もいないんだ。泊っていかないか」と言った。

 私は彼の意味するところがわかった。それでも、親を心配させたくなかったので、今日は帰ると言った。私としてはまた今度しようね、というニュアンスを含ませたつもりだった。

しかし彼がそれを受け取ったのかわからなかった。それから私たちはマリオカートを少しして、私は六時くらいに彼の家を出た。そして翌日の夕方、両親が帰ってくると、彼は自分の部屋で大量の睡眠薬を飲んで、長い長い眠りについていた。

 それが二年前、高校一年生の時の話だ。彼を失ったことで私の中でいろいろなものが変わった。失ってから、彼が自分の中でどれほど大きな場所を占めていたかが分かった。私は彼が帰ってきてくれたらと何度も思った。もう一度あの夕方をやり直せたら。そしたら彼の自殺を防げたかもしれない。でも、望んでも、どうしようもなく手に入らないものはあるということ。それが私が最初に彼の死から学んだことだった。

 私の机は教室の窓際の後ろから二番目だ。いい位置だと思う。教室の前のほうでは山居健次郎が友達と何かを話して笑いあっている。

 クラスでの彼の様子に変わったところはない。彼と同じクラスになったのは今年が初めてだけど、なってから特に変なところはない。一般的な目からすると普通のちゃらめだけどこわもての高校生で、楽しく生活しているんだろうってところだ。

 休み時間が終わると先生が入ってきて授業が始まる。一応進学校だが中には授業中に友達と話したりする人もいる。山居健次郎はその中の一人だ。成績は、まあ、うん、わからないけど、去年の秋ごろから予備校に通いだしたそうで、そっちではまじめにやっているのかもしれない。

 山居健次郎の外見は茶髪の高身長だ。体格もいい。走るのはあまり早くないようだけど、バレーボールやサッカーのキーパー、バスケットボールではその身長を生かして活躍している。

 その日の授業が終わったころ、私は困った。しばらく間隔があいているから今日あたり彼は公園に来るだろう。その家へ帰ることがちょっと怖かったのだ。

結局私は普通に家に帰った。そして山居健次郎は公園へやってきて、帰っていった。試しに部屋の電気をつけてみたら、すぐに帰ったので、暗くなっている間しか、そこにいるつもりはないのかもしれない。よく考えてみると私は特に暗くても不便を感じない、というか薄暗いくらいだとむしろテンションがあがるので、暗くなったことに気づいてもすぐに電気をつけない時もある。今まで彼がいたのは部屋の電気をつけていない時だけだっただろうか? よく覚えていないけど、もしそうなら、彼は私に見つかりたくないのかもしれない。

 何度か母親に相談してみたけど、相手にしてくれない。二歳の弟の面倒を見るのに忙しいのだ。

 次の日、私は夕暮れの時間に電気をつけずにそのまま窓の隅から目だけを出して、公園を観察していた。すると予想通り彼はやってきた。そしてベンチに座り、缶コーヒーを飲み始めた。やはりちょっと何を考えているのかわからないぶんだけ怖かった。

 でも、いつまでもこんなことではいけない。私は意を決して外に出た。公園には人がいないわけじゃないし、住宅地の真ん中だ。乱暴されることはないだろう。それでも私は不安からくる動悸を感じながら、玄関からいくつかの家の前を通って家の裏の公園へ向かった。

 入口から見ると山居健次郎は缶コーヒーを片手に私の部屋の窓を見ていた。私には気づいていなかった。

 私は彼の目の前に立った後、先手を取られないためにすぐに口火を切った。

「同じクラスの山居健次郎君だよね。私のことは知ってる?」

 山居健次郎は戸惑った様子で私を見た。

「知ってる」

「私あそこの家に住んでるんだけど」

そう言って私は自分の部屋を指さした。

「あの窓から最近よく山居君が見えて気になってたんだよね。どうしてしょっちゅうここにいるの?」

 山居健次郎は「えっと、いや」と口ごもった。私はことによってはもうここに来ないでというつもりだった。ところが、彼の口から出てきたのは驚くような言葉だった。

「俺はお前の彼氏がなぜ自殺したのか知っているんだ」

 今度は私が戸惑う場面だった。何を言っているんだろう、この男は? そう思うと同時に私は頭をガツンと殴られたような気もした。彼がなぜ自殺したのか、はっきりとはわからなかったからだ。ただそれ以前の状況から、私が原因かもしれない、と思っていただけだ。それに関しても、たかが家に泊まるのを断られたくらいで、彼が自殺するとは思えなかった。

「どういうこと?」

「話さなきゃなってずっと思ってて、今年同じクラスになって、後をつけたんだ。それでも言い出す勇気がなかった」

「わかった。でもそんな頻繁にこの公園に来て私の部屋を見てため息ついてたら普通やばいなって思うよね? 私じゃなくて他の近所の人から見ても相当やばかったと思うよ?」

「そうだな。そのことについては謝るよ」

「まあ、それはいいや。それで、その理由を教えてくれるの?」

「先に言っておくが、結構驚くと思うぞ」

「いいから早く言ってよ」

 山居健次郎は話し出した。途中から話が長くなりそうだったので、私の部屋に入れた。母親は何事かという感じで目を輝かせていたけど、めんどくさいので「ちょっと話があるだけ」と言って、あとは放っておいた。

「俺が小学生のころだ。俺はたびたび用途の家に遊びに行っていた。あいつの家はゲームもあったし、お菓子も出てきたし、子供からすると遊びに行くには最高だった。両親とも共働きだったが、おやつはいつも用意されていた。用途には一つ年下の妹がいるよな? そいつもたまに遊びに交じっていた。

用途自身が気のいいホストって感じだった。押しが強いわけではなかったが、特に引っ込み思案というわけではなかった。状況を見て自分のふるまいを決めている印象が強かったな。頭もよかったと思う。今の高校にも特に苦労することなく入れてたんじゃないか? ちなみに俺は塾に行ってかなり努力した。努力すればできるっていうことを知って、自信になったな。

 ところであいつは小学生の頃から自分のスマートフォンを持っていた。親が裕福だったし、先取の精神の持ち主だったからな。みんなに貸してくれて、それでスマホゲームをしたもんだった。当時はスマホはあいつしか持ってなかったから、みんな我先に借りようとしてたな。

まあそれでスマホを俺が借りてゲームをやっている時にだ。他の奴らはみんなでマリオテニスだかなんだかのテレビゲームをしていた。キリのいいところまで終わった俺はそろそろ自分もみんなのゲームに混ざりたくなった。さすがにいくら目新しいからってずっとやっていたら飽きる。それにその当時のアプリゲームは今ほど面白くなかったしな。でもテレビゲームの試合は終わっていなかったので、手持無沙汰だった。俺はちょっとした軽い気持ちであいつの写真フォルダを覗いた。暇つぶしのつもりで、後で変な写真があったらちょっとからかってやろうくらいの気持ちだった。

 ところが用途の写真フォルダはちょっと変どころではなかった。知っていると思うが、あいつには一つ下の妹がいた。名前だけ? 会ったことはないのか。ちょっと変な話だな。まあ、その見島遊里の写真が何百枚とあった。一番古い写真は二年前、俺と用途が三年生の時だった。最初は家族の写真もあったが、一年前からはほとんど妹の写真になっていた。後で聞いた話によると母親が職場に復帰したのがその時期だった。両親が仕事に出ている間、そして俺たちが遊びに行っていない時、用途は妹と二人きりで家にいた。そしてその間に、妹の写真を撮っていた。

 そしてそれらの写真は一枚一枚もまったくまともじゃなかった。用途が遊里を膝の上に座らせている写真、抱きかかえている写真、用途が四つん這いになって遊里を背中に乗せている写真、そして妹が下着姿で立ち、スマホに向かってピースをしている写真もあった。

 用途と妹が並々ならぬ関係にいることはすぐにわかった。俺は一緒に遊んでいた妹を恐怖を込めて観た。しかし、妹はいつもの通り、ちょっと明るい女の子だった。僕はそれで安心してしまい、深くは追及しなかった。これは子供が軽口を叩ける範囲を逸していた。俺は自分を危機にさらさないためにも黙っていた。

 それからも俺は用途の家には遊びに行った。遊んでいる間は特に前に見た写真を思い出すこともあまりなかったし、用途の家ほど楽しい遊び場は他にはなかった。だが、その写真を見てしまったことで、ときたま、俺は用途と妹が何か暗い感情で結びつく瞬間を感じざるをえなかった。それは一瞬で過ぎ、後にはいつも通りの明るい兄妹がいた。それでも、楽しい遊び場を犠牲にすることはしなかった。ちょっと考えるときはあったがな。

あのスマホの写真はそれからも時々見た。時間を追うごとにその写真は非道く、過激になっていった。小学六年生の冬にあいつの家に遊びに行ったとき、写真の中の二人は服を脱いだ小学生の体を絡み合わせていた。妹と用途が裸になって、妹が四つん這いになった用途に馬乗りになり、その様子を妹が撮った写真もあった。カメラを意識したようにポーズを取った写真もあった。だが決定的な場面を写したものはなかった。

 結局俺は小学六年生まで用途の家に行き続け、中学入学と同時に行かなくなった。用途は電車で何駅かの私立へ、俺は地元の公立に入学した。用途も家から通っていたから物理的には遊びに行けたわけだが、違う中学に通っていることでなんとなく距離ができた。俺のほうは同じ小学校からの友達とか、新しくできた友達とかと遊んだりしていた。バスケ部も忙しかった。公立ながら全国大会も狙える強豪校だった。ひょろのっぽだった俺は厳しい練習のおかげでがっしりとした体格になり、三年生の時にはセンターのレギュラーになった。最後の大会で足をやってしまって、バスケが続けられなくなったから、バスケ部がそこまで強いわけでもないこの高校に来たんだがな。中学生の用途については多分大三木のほうが詳しいだろう。

 それで高校に入った後、俺は見島用途と再会した。だが違うクラスだったし、また親しくするには三年の空白は長かった。それに昔もそうだったが用途は積極的に友達を作るタイプではなかったし、俺のほうはそういうやつに声をかけるのは難しくなっていた。そのとき、俺が友達にできるのは、俺と同じように積極的に友達を作りに行くタイプだけだったんだ。そういう関係になってしまうと、俺はむしろあいつとはなるべく顔を合わせたくなくなっていた。最寄り駅であいつを見た時にはあいつが昇って行った反対の階段を使ってプラットフォームに出た。体育祭で騎馬戦をやったときも、あいつと顔を突き合わせて戦うことにならないように祈った。

 それで入学してしばらくした九月の土曜日のことだ。俺の家にあいつから電話がかかってきた。俺は慌てて、しかし同時にまた仲良くなれるかもしれないという期待感も若干持ちつつ、お袋から受話器を受け取った。

「やあ」

「用途か。久しぶりだな。どうした?」

「うん、久しぶり。高校同じだよね?」

「そうだな」

「家の電話じゃあ話しづらいんだ。ちょっと外で話してもいいかな?」

「いいけど、どこで?」

「室井第一公園でどうだろう?」

「いいよ」

「じゃあ入口で待ってるよ」

 昔の友達との話で知らず知らずのうちに口調が戻っていたな。まあ、それはともあれ、俺はお袋に一声かけて室井第一公園へ行った。知ってるだろ? あの線路の向こう側の森とか池とかがある公園だ。

 久しぶりにまともに顔を見た用途は、昔よりも陰の部分が濃くなっているような気がした。だが、それはあいつの生来の誠実な人柄を覆い隠すようなものではなかった。それになんというか薄暗い魅力を持っていた。

「久しぶり」

「おう。話ってなんだ?」

「まあ、とりあえず池のところまで付き合ってもらっていいかな」

 俺たちは並んで歩きだした。ところが、池に着く前にやつがだしぬけにこう言った。

「健次郎さ、俺の家に遊びに来てた頃、俺のスマホの写真見てただろ」

 俺は動揺を表面に出さないようにした。昔の話だったし、バスケ部で鍛えられた精神は、外見上、ちょっとやそっとでは揺らがなかった。とはいえ、内心動揺したのは事実だった。

「何の話だ?」

「あれっ? 見てない? 絶対見てたと思ってたんだけどな」

 用途はちょっと困った風にした。その様子を見て、昔の友達に嘘をついたことに心が痛んだ。それで正直に言ってみることにした。

「まあ、正直見たことあるよ。だけど、どうした?」

「やっぱりね。それで今も続けているんだ。ああいった写真を撮るの」

「マジか? それはやめたほうがいいと思うぞ。本当に」

 俺は用途の顔を見た。たぶん真剣な顔をしていたと思う。が、用途はこっちを見なかった。

「わかってるけど、やめられないんだ。僕も妹も体を触れ合わせることなしには、まともでいられないんだよ」

「そっちのほうが、まともじゃないだろ」

「違う。僕たちはそれは普通のことだと思いながら育ったんだ。今更変えられない。それに異常だと認めると、僕たちは異常者だったと認めることになる」

「いいじゃないか。認めて、それからやりなおせば」

「僕だけならいい。でも妹は? 妹も自分が異常だと思いながら生きていくことになる。それは妹にとって苦痛だろ」

「妹だって立ち直れるさ」

「いや、まあ、理屈はいいか。僕はとにかく、このことをやめられない。何度かやめようとしたんだ。でもその度に妹が自然に、習慣通りにやろうとしてくる。それで今回だけは、次は我慢しよう、っていうのが続いて。妹だって何度かやめようとする素振りはあった。僕が行ったときに曇ったような顔をしたり、服を脱がされるのを嫌がったり。でもそういったときは僕が積極的になった」

「なるほどな。タイミングをうまく合わせられないんだな」

「そう。僕がやめようとするときは妹が引き留め、妹がやめようとするときは僕が引き留めた。それで僕は、結局のところ僕らは二人ともやめたがっているわけではないんだっていうことに気が付いた。ただ倫理観に基づいて、時折やめたがるふりをするのは、ただ自分も一般的な良心を持っているということを、自分に対して証明したかったからなんだって。自分は失格人間じゃないんだって」

「なるほどな。でもやめなきゃいけないだろ?」

「それは君が一般的な良心を持っていて、人間としてまともだから言えるんだよ。僕たちはおそらく、本当のところではやめる必要なんかないって思ってるんだ。でも、そう、君の言う通り、どうにかしてやめないといけない。そうだ、本題に入る前に、新しい写真を見るかい?」

「いや、見るわけないだろ」

「そっか。そうだよね。僕たちの罪の証として、誰かに見てほしくて、それは僕ら以外で僕らのことを唯一知っている君しかいないって思ったんだけど。まあ、嫌だったらしょうがないし、嫌なのが当たり前だよね」

「当たり前だろ」

 用途は残念そうにため息をついて頭をかいた。薄い青のチェックのシャツに黒いチノパンで、印象の薄い顔のこの男が、薄皮一枚の下に秘めている、とてつもなくどろどろした、どうしようもない混沌を思い、俺まで頭がおかしくなりそうだった。なにしろ用途が言っていることは俺にも理解できたからだ。こうまで極端な話ではないにしろ、どうにもやめられない悪い習慣は俺にもあった。オナニーだ。よくないと思いながらもやめることができない。

そう考えると、この二人がやっていることは、二人でオナニーをしている、ということに近いのだろうか? その時の俺はそう思った。

「まあ、それで本題なんだけど、僕はこのどうしようもない自分をどうにかする方法を見つけた」

「どうするんだ?」

 用途は俺の言葉には答えずに続けた。

「それで問題なのは、妹が後を追わないかってことだ。妹にはそうしたくなった場合、せめて二年待つように言った。その間に僕の影も薄れ、普通の女の子に戻り、場合によっては彼氏ができているかもしれない。それでも妹がもし僕の後を追おうとするなら、できればとめてほしいんだ。このことは親にも頼めない。僕らの関係を知っている君にしか頼めないんだ」

 用途はそう言ってから俺のほうを見た。約束してくれるか不安そうな表情だった。俺は用途の言ったことを整理した。

「お前、死ぬつもりなのか?」

「いや、そんなわけないじゃないか。ちょっと旅に出るだけだよ。そうだな、とりあえずは東北あたりかな。家族にも内緒でね」

 用途はまるで用意してきたかのようにそう言って嘘くさい笑みを浮かべた。人当たりのいい、こちらが安心するような笑みだった。

「まあ、とりあえず、なんか困ったことあったら言えよ」

 俺はその時は、まさか自殺するわけはないし、家出をして旅をするなんてこともまさかないだろうと思っていた。あるいは高校一年生の夢見がちなたわごとだと思って聞き流していた。何となく嫌な予感はあったが、それを直視できずにいたんだ。

「じゃあ、約束の件、たのんだよ」

「ああ、なんかよくわからないが、わかったよ」

「よろしく。男と男の約束だぜ」

 そう言って俺らは公園その場で別れた。家は公園のそれぞれ反対側だったからだ。そして翌日の日曜日の夜、用途は睡眠剤を大量に飲んで、死んだ」

 私はしばらく呆然としていた。

「つまり、あなたが殺したも同然なのよね?」

 山居がひるんだように見えた。そして私は気が動転して変なことを口走ったことに気が付いた。

「いやっ、ごめんっ、今のは忘れて! 山居君を責めてるわけじゃないから!」

 山居君は沈んだ暗い声で言った。

「実際そうなんだよな。俺が止められていればって何度も思ったよ」

 山居君は顔をしかめた。

「それで今日は他に相談したいことがあるんだ」

 私はショックが抜けきらなかったが、彼を上げた。このあたりは車の音もあまり聞こえない。カラスの鳴き声が響き渡るだけだった。涙は出なかった。ただ胸の奥で針金の塊がごろごろといくつも転がっていた。用途君が妹と変な写真を撮っていたこともショックと言えばショックだった。私は用途君のことは比較的まともな人だと思っていたから。でも誰でもまともじゃない部分は持っているのかもしれない。私の家には中学二年生の時、用途君の家からこっそり拝借した鉛筆が一本ある。これで乳首をつついたり、下腹部にほんの少し挿れてみたりしたこともあった。でもやっぱり用途君が私以外の女性と決定的なことはしていないにせよ、肌を触れ合わせていたのは、聞きたくなかった。外の明かるさは変わらないのに、部屋の中の景色が暗くなった。

「大丈夫か? やっぱり言わないほうがよかったかな」

「うーん。そんなことはないと思うけど、でも正直かなりショックだね」

「そっか。じゃあもう一つのほうの話は明日にしたほうがいいかな。気持ちが高ぶっているみたいだし、こんな話を聞かされた後じゃあろくに頭に入ってこないと思うし」

 時間が用途君に関係した話から受ける感情的な反応を和らげてくれているようだった。二年前に聞いていたら私はもっと取り乱していただろうと思う。でも今は話をすることくらいならできそうだった。

「大丈夫。どんな話なの?」

「たまたまなんだけど、遊里がドラッグストアから出てくるのを見た。手にはその店のビニール袋を持っていて。中には何かが大量に入っていた。それが一か月前くらいの話だ」

 山居君は私に意見を求めるように見た。私は頷いたけど、話があまり見えていなかった。

「勿論考えすぎかもしれない。たまたま絆創膏を大量に買って念には念を入れておこうと思っただけかもしれない。あるいは歯ブラシを十年分買っておこうとか。でも最悪の場合を考える義務が僕にはある。用途に頼まれたからね」

「ああ、なるほどね。山居君は、用途君が死んだちょうど二年後の明後日、遊里ちゃんも自殺するんじゃないかって思ってるわけだね?」

「そう」

「それで山居君はそれを何とかして防ぎたいと思っている」

「うん」

「そしてできれば私に手伝ってもらいたいとも」

「できれば」

「私に断る権利はあるわよね?」

「もちろん」

「倫理的にはそうするべきなんだろうけど、感情的に無理そう。ごめん」

 山居君は黒い眼をいっぱいに開いて、驚いていた。でも、すぐに落ち着きを取り戻して、何かを考えた。私は場違いに、彼の眼が黒く澄んでいて、大きくてきれいだなと思った。そして山居君は言った。

「過去に君と関係のあった用途の、死ぬ間際の願いを叶えてやるっていうのはどうだろう?」

「それで私と付き合いながら同時に関係を持っていた女を助けるの? ごめん」

 山居君は「やっぱり今日話すべきじゃなかったかな」という顔をした。私もちょっと今の私おかしいかな、と思った。でもこういうのは止められるものじゃないのだ。どうしようもない。

「やっぱり明日もう一回来るよ」

 山居君は腰を上げながらそう言った。

「実は明日遊里ちゃんと話す約束をしてるんだ。彼女の部活が終わった後だから六時くらいからになると思うけど、その時にできれば一緒に来てほしい。僕一人よりは効果があると思うから。明日の五時くらいにもう一回来るね」

 山居君はお母さんに「すいません、お邪魔しました」と軽く言って帰って行った。私は玄関まで一緒に行って、「また明日学校でね」と言って見送った。気分が悪くなったり、怒ったりしても、こういう礼儀作法のようなものはちゃんとやる。そういう自分はあまり好きじゃない。

 翌朝学校に行くと山居君はどことなくナーバスになっているようだった。夕方の六時に人命にかかわる面談が待っているとなると、そうなるのが自然なのかもしれない。

 授業が全部終わって帰りの学級活動で先生がだるそうに連絡事項を読み上げた後、私はまっすぐ家に帰った。五時に山居君は来ると言った。どうするかはまだ決めてない。

 鉛筆立てから久しぶりに用途君の部屋からくすねてきた鉛筆を取り出した。二年間のうちに、私の中での用途君の存在はゆっくりと薄れていった。鉛筆のことを思い出したのも、かなり久しぶりだ。この私の中にいる用途君が死んだとき、用途君は本当に死んだのだと言えるのだろう。世界的にどうかはともあれ、私としては。

 私は鉛筆の先をゆっくりなめてみた。へその下あたりがじんとした。わたしのつばで変色した鉛筆を見てこんなことをしていちゃいけないと元に戻した。

 今日出た宿題は数学の演習だった。とりあえず宿題でもやるかとやっていると、五時きっかりにインターホンが鳴った。お母さんは買い物に出ていたので、家には私一人だった。なので私がインターホンに出た。

「こんばんは。どう? 一緒に行ってもらえる?」

 山居君だった。まだちょっと迷っていたが、行けそうだと思った。一日経って気持ちの整理がついてきたし、用途がそのために自殺したという女の子を一目見たかった。それに彼女から他に色々と用途君の死に関する話が聞けるかもしれない。

「いいよ。行く。準備するからちょっと待ってて」

 着替えていた部屋着から今度はパーカーに着替えて外に出た。

「じゃあ行こうか。そのパーカー、似合ってるよ」

 不意を突かれた。嬉しかったけど、なんでそんなことを言うんだろう? 山居君のほうを窺ってみるけど、山居君は普段通りだった。ああ、こういうことを普通に言えるのが、山居君たちの世界なんだと思った。

「駅前のガストなんだけど、どうする? 時間をどこでつぶそうか」

「用途君の話をもうちょっと聞きたいから、どこか入らない? 駅前だったらスタバあるでしょ」

「いいよ。スタバに行こう」

 スタバは平日の夕方ということで女子高校生でにぎわっていた。同級生の姿もちらほら見える。

 しまった。考えてなかった。ここのスタバだったら、同級生がいてもおかしくなかった。山居君と二人でいるところを見られたら、変な噂を立てられるかもしれない。そう思ったが、口に出せずにいるうちに、慣れた様子の山居君は店に入っていった。ええい、もうどうにでもなれ、と私も後ろについて入った。実は私はスターバックスに来たことがなかったので、注文の時に少しまごついたが、なんとか買ったものを手に、奥のほうに向かった。たまたま立ったスーツ姿の男女がいたのでそこに座った。

「スタバ初めて?」

 ズバッと聞かれたので心臓が数ミリ飛びあがった。でも認めるのは恥な気がしたので、話を変えた。

「それより小学生の時の用途君がどんな感じだったのか、もうちょっと聞きたいな」

「うーん、大体この前話した通りだけど、他にどんなことを聞きたいの?」

「授業中とか」

「授業中はほとんど発言はしなかったよ。でも成績は良さそうだった。一回だけ気になって、テストが返却されるときに横を通った用途の答案用紙をちらっと見たことがあったけど、満点だったね。絵もうまくて図工の授業で描いた絵がなんかしらの賞を取って、朝会で表彰されたりもしてた。でも運動はあまり得意とは言えなそうだった。逆上がりができなくて、体育教師に放課後に居残り練習をさせられて、泣いてたのを覚えてる。結局できたのかな? 僕はその時友達と校庭で遊んでたんだけど、すぐに近くの公園に移動しちゃったから、そのあとの様子はわからないんだよね」

「その話なら知ってる。結局できなかったけど、中学に入ってからの体育の授業ではするっと一回目からいきなり回れたらしくて、小学校のころ頑張って得た経験値がその時に実を結んだのかなって言ってた」

「それは良かった。念じれば岩も動く、ただしその時に動くとは限らない」

「当たり前のことを名言っぽくいうのが趣味なの?」

「名言っていうのは、当たり前のことを指摘しているから名言なんだよ」

 私はちょっと考えてみた。そうかもしれないし、そうではないかもしれなかった。

「そうかもしれないし、そうではないかもしれないわね」

「そう、それも名言の性質なんだ」

村上春樹の主人公ならここでやれやれっていうんだろう。なので言ってみた。

「やれやれ」

「なんか今の反応村上春樹っぽかったね」

「えっわかる?」

 急にテンションが上がってしまった。学校なら恥ずかしいと思うところだったけど、不思議と山居君の前だと思わなかった。用途君の前でもそうだった。

「わかるよ。村上春樹好きなんだよね。何が好き?」

「色彩を持たない田崎つくると彼の巡礼の旅かな」

「僕は短編が好きなんだよね。パン屋襲撃とか。なんか、わかるんだよね」 

「あとスプートニクの恋人も好きだな」

「ああ、あれいいよね」

 山居君は少し戸惑ったように言った後、目を合わさずに聞いてきた。

「えっと、もしかしてレズビアンなの?」

 私は笑ってしまった。

「わかんないけど、違うと思うよ。用途君とは、本当に好きで付き合ってたわけだし」

「そっか、いや、まあそういうの抜きにしても本当に面白いよね。僕はなんかほら、最後にいたじゃん、普段はおとなしくて優秀なのに万引きしちゃったやつ」

「うん」

「なんかそういうのってやっぱあることなのかなって。用途と重ねて考えちゃったよね」

「あはは、そうだね」

 私は笑いながら山居君に同意していた。

 しばらくそういうやり取りをしていると五時四十五分になった。

「そろそろ行ったほうがよくない?」

「そうだね。あっ、そうだ。大事なことを言い忘れてた。遊里ちゃんがお兄ちゃんと写真を撮っていたことを僕らが知っていることを知らないから」

 私はちょっと呆れた。

「めっちゃ大事な情報だね。なんで言うのを忘れるのかな。わかったけど」

 ガストに移動して案内された席に座り、適当に注文した。

「ドリンクバーどうしようかな」

「何か飲み物頼むんだったら注文しといていいんじゃない? 私は水でいいかなって」

「さっきコーヒー飲んだし、僕も水でいいかなあ」

 店員さんが行ってしまうと、山居君がまじめな顔をした。

「まあ、これから遊里ちゃんが来るんだけど、まず僕たちが知らなきゃいけないのは、自殺の意思があるかどうかだね。何かいい案ある?」

「どうだろうね。山居君はどうやって聞き出すつもりだったの?」

「うーん、普通に話して話の中にちらっと後追い自殺なんてだめだよ、みたいな感じのことを出して、その反応をみる、みたいな。あっ来た」

 ろくに打ち合わせもしないうちに来てしまった。さっきのスターバックスで話しておけばよかったと後悔した。

「それでいいんじゃないかな」

と、小声でそう言って、振り返ってみると、流行の最先端みたいなきれいな格好をした女の子がこっちに向かって歩いていた。髪も染めている。

「あっ、久しぶり、ケンちゃん。この前会ったのは春だったから、三ヵ月ぶりくらいだね」

「そうだね。あれ、その服R&B? 高いんじゃないの?」

「バイト代奮発して買ったんだ」

「いいね。似合ってるよ。えっとこっちの人は大三木麻衣さん。君のお兄ちゃんの彼女だった人」

「知ってる。たまにうちに来てたよね。気を使って顔出さないようにしてたから私のこと知らないかもだけど、用途の妹の遊里です。よろしくね。そして用途おにいちゃんを悼む会へようこそ!」

「よ、よろしく。大三木麻衣です。初めまして。いいお兄ちゃんだったよね」

「そうだね。もう二年かー。本当になんで用途、自殺しちゃったんだろうね」

 遊里ちゃんは少し思案顔になった。でもすぐにまた明るい顔をして言った。

「そうだ。私、大三木さんの目から見た用途のことも聞きたかったんだ。どういう人だった?」

 私は山居君の顔を見た。山居君はかすかに頷いた。こういうあたりさわりのない話をまずはしていけばいいのだろう。私はちょっと考えるふりをした。

「そうだね。育ちがよさそうで、優しくて、気が利いて、冗談も言えて、運動がちょっと苦手だったけど、最高のボーイフレンドだった。一緒に遊んでて楽しいし、絵がとてもうまくて素敵だったし」

「あー、用途って、絵が上手かったよねー。私は絵全然だからさー。うらやましかったよねー。え、大三木さんなにかお兄ちゃんとのむふふなエピソードある?」

「むふふ、かどうかはわからないけど、二人で旅行に行ったことはあったよ」

「へー。あっ、もしかしてお兄ちゃんが中学三年生の時?」

「そう。夏」

「あーあれ、やっぱり麻衣さんとの旅行だったんだ。からかっても教えてくれなくてさあ。えっ、やっぱりいいことしたの?」

 私はちょっと照れながら言った。

「いやー。実は何にもなくてさあ」

「えっ、それは用途が最低」

 実際ベッドは違っていたけど、同じ部屋に泊まったのに用途君は何もしなかった。その時は奥手なのかなって思ってたけど、遊里ちゃんとの関係を聞いた後だと嫌な疑いが頭を持ち上げる。

「お兄ちゃん、奥手だったのかなー、やっぱり」

 遊里ちゃんの言葉を聞きながら、「この女は」と思う。「この女は私に対して優越感を抱いているのだろうか?」

 私は遊里ちゃんの目を覗いてみた。遊里ちゃんは笑いに細めた目の奥から、探るような黒い瞳孔を私のほうへ向けていた。私はすぐに目をそらした。なんとなく二人の関係を知っているとばれないほうがいいと思ったのだ。少なくとも山居君がばれないようにしているんだから、私もそれに習ったほうがいいだろう。

 ばれたかな、と思ったが、遊里ちゃんの様子に変化はなかった。でもどうなんだろう。はっきりと死なないでって言ったほうがいいんじゃないだろうか。回りくどいような気がする。とは思いつつ、口では話を続けている。たまにある口が心から独立している感覚。あまり好きにはなれない。

「せっかく同じ部屋に泊まったのにさ。用途君何にもしないでおやすみーって寝て、朝になったらおはよーってのんきに起きて歯を磨きに行ってた」

「あはっ、それは最悪だね」

 しばらく話をした後私は「お手洗い行ってくるね」と言って席を離れた。そしてトイレの中に誰もいないことを確認すると携帯電話で山居君を呼び出した。少しして山居君が電話に出た。

「どうした? 遊里ちゃんに聞こえないように、入口まで移動してしゃべってる」

「うん、ねぇ、なんで直接死なないでねって言わないの? 様子を探るって言ってたけど、探ってどうするつもり?」

「あー、やっぱ言ったほうがいいかな」

「そうだよ。まさか遊里ちゃんの家に乗り込んで自殺を止めたり、四六時中べったり張り付いているわけにもいかないでしょ。一回とめても次があるかもしれないしさ。何とか言って思いとどまらせなきゃだめだよ」

「たしかにそうだな。ドラッグストアで買ったものでも聞いてみよっか。もしかしたら本当にバンドエイド一〇〇年分かもしれないし」

「あるいは生理用品十年分かもしれない」

「大三木さんってたまに反応に困ること言うよね」

 あはは。

「まあとりあえず戻ろうか。一緒に戻っても怪しまれるかもしれないから、先に戻ってよ。僕はもうちょっと話してるふりをしてから行くから。ここ遊里ちゃんから見えるんだよね」

「わかった」

 席に戻ると、山居君は少し一人芝居をしてから戻ってきた。

「ところでこの前遊里ちゃんを見たんだ。ドラッグストアの前」

「えっ、声かけてくれればよかったのに」

「いやー、予備校に行く途中だったからさあ。なんか沢山買ってたみたいだったけど、どっか具合でも悪かったの?」

「いや別に……少し会わないうちにデリカシーなくしちゃったんだね。山居君」

「え? ……ああ、そういうこと? ごめんごめん」

「冗談だって。心配してくれてありがとね」

 私は遊里ちゃんの様子を観察していて、遊里ちゃんが動揺したのは分かった。でもそれが本当に生理用品をまとめ買いしてたのか、それとも何か別のもの、例えば睡眠薬なんかを大量に買い込んでいたのを見られて動揺したのかはわからなかった。

「実は俺は遊里が自殺しちゃうんじゃないかって心配してるんだよな」

「えっ、なんで?」

「いや、用途が自殺する寸前に俺に言ったんだよ。遊里に二年間は僕の後を追って自殺はしないように言っておくって」

「……あー、そういえばそんなこと言ってたなあ」

「まあそれで明日でちょうど二年だろ? まさかとは思うんだけど、一応そんな気がないかどうかおきたくてさ」

 遊里ちゃんは目を細めて笑いながら、困ったように眉根を寄せた。

「お兄ちゃんが死んだのは残念だよ。でもまさか後を追うほどではないよ」

「いや、遊里ちゃんはほら、お兄ちゃんとかなり仲が良かったみたいだったからさ」

「うーん、いや私今彼氏いるし、人生楽しいし、さすがに死ぬわけにはいかないな」

 嘘だった。明らかに表情が硬くなり、目が黒くなり、私を横目で窺った。私は顔を伏せてコーヒーを飲んでいたので、たぶん見られなかったろうと思う。前に垂れた髪の毛の隙間から見た遊里ちゃんは明らかに本当のことを言っていなかった。ちょっと探ってみることにした。

「えっ、彼氏いるの? いいなー。どんな人? 写真ある?」

「そこで食いつくかな麻衣さんは……。はい、これ」

 写真で見せられたのはどことなく用途君に似た雰囲気の男の子だった。育ちがよさそうで、優しそうだった。ただ少し背が高くて肩幅が広かった。まあ見た目の男らしさは彼のほうがあることは元カノとしても認めざるを得ない。

「ふーん、かっこいいじゃん」

「ありがとー。まあそんなわけだし、後追い自殺なんてありえないよ。お兄ちゃんのことは好きだったけどね」

 あいかわらず嘘っぽかった。元が素直そうな感じだし、嘘をつくのが苦手なのかもしれない。ただ周りからは嘘をつくと思われにくい人種というだけで。嘘をついていると思って観察するとわかりやすい。そう思わなければ、まさか嘘をつくとは思えないかもしれないけど。

「そうだ。明日、用途のお墓参りに行くんだけど、二人とも来る? 今年は両親とも仕事で来れなくて、私だけで行くつもりだったんだけど。どう?」

 私たちは行くことにした。特に断る理由はなかった。去年は私も行ったんだけど、誰にも会わず、手を合わせて帰ってきた。この様子だと山居君も行っていたのだろうか?


 それで私たちは用途君と遊里ちゃんの家の前に集まってから行くことにした。そこが三人の家の中で一番近かったからだ。

「あっ、こんにちは~。それじゃあ行きましょうか」

 遊里ちゃんはタンクトップにふわふわした夏用のロングスカートという格好だった。うん、可愛い、とこんな時でも思ってしまうのは女性としてのさがなんだろうか。

 遊里ちゃんと山居君が話して、私は自然と二人の後ろを歩く形になる。以前はこういう形に自然になることに抵抗心を持っていたのだが、今はもう、私という人間の性質なのだろうと思って諦めている。まあ、そんな私でも用途君は付き合ってくれたわけだし。

 用途君のお墓の前に着くと、三人で手を合わせた。

「用途はお兄さんとして欠点はあったけど、私は大好きだったんだよね」

 ぽつりと遊里ちゃんは言った。私と山居君は黙って続きを待った。お兄さんとしての欠点、という言葉から感じる重みはこれから始まる遊里ちゃんの話の、重さを象徴していた。

「えーっと、二人とも知ってたらそう言ってよ。私もね、ずっとこのことを黙っているのはつらいんだ。誰かに話して楽になりたい」

 私は山居君と顔を見合わせた。山居君はちょっと困惑しながらも頷いた。

「遊里ちゃんが用途君と兄妹の仲を超えた関係にあったことは知ってるよ」

 遊里ちゃんは苦笑いのような表情になった。

「やっぱり?」

 遊里ちゃんはバッグの中から何か手紙のようなものを取り出して、黙って山居君に渡した。

「ん? なにこれ?」

 山居君が戸惑ってる間に、遊里ちゃんは墓石の方へ歩いて行って、なんとその上に跨って座った。

「えっ、遊里ちゃん何をしているの?」

「このお墓はさあ、お兄ちゃんが死んだときに新しく建てたものだから、まだお兄ちゃんしか入ってないんだよね」

 遊里ちゃんはバッグの中に手を入れた。

 何かを察した山居君が手を伸ばそうとする。

「動かないで」

 しかしその前に遊里ちゃんはバッグから取り出した包丁を、自分ののど元に突き付けていた。山居君が悔しそうな顔をする。

「昨日は私が自殺しないかって様子をうかがいに来たんだよね。二人とも。ごめんね。私は死ぬ。これから言うことはちょっとした遺言。二人ともちょっと下がってくれない? そこだとすぐに私に手が届いちゃうから」

 私はどうしようもなかったので少し下がって見島家の墓地から出た。山居君も少し迷ったけど結局私に習った。

「ありがとう」

 遊里ちゃんは暗い笑顔をしていた。満面の笑顔だった。

「えっとね。私はお兄ちゃんのことが好き。用途の体が好き。触るとどきどきして、貴くて、なにか私と違う生き物な部分があるところが好き。もちろんその人柄も好きだけど」

 遊里ちゃんは考えるような表情になった。風が木の葉を揺らしている。遠くから鳩が鳴く声が聞こえてくる。

「お兄ちゃんが死んだあと、私は彼氏を作った。でも彼とは体の関係にはならなかった。キスすら、手をつなぐことすら嫌だった。もちろん彼は明るくて、用途とは違うタイプのいい人だし、笑った顔はそっくりだったし、でも、別人だった」

 遊里ちゃんは首に突き付けた包丁を握りなおした。

「別に彼に触れることが気持ち悪かったわけじゃないんだ。でもお兄ちゃんの感触が上書きされている感じがして、それがどうしてもだめだった。私なりに自問自答して、彼とうまくやろうとしたけど、うまくいかなかった。私にとって用途の思い出は一番大事なものだった。私はお兄ちゃんを思ってオナニーすらした」

 遊里ちゃんの両目から涙が流れ出た。右目から出た涙はそのまま頬を伝って顎から落ち、もう片方の涙は口の方へ流れ、唇のわきにとどまった。しかし遊里ちゃんは構うことなく続けた。

「用途は私の処女だけは奪わなかった。どういう思いからそうしていたのはわからない。本当の一線を越えるのだけはためらっていたのかもしれない。あの狂った空間の中で、本能的に」

「狂った空間?」

 私は聞いてみた。時間を引き延ばすつもりだった。その間に心変わりするかもしれないという、ほとんどないであろう希望にかけて。

「私たち二人の部屋だよ。用途が中学二年生の時まで、私が小学校を卒業するまで、一緒に使ってた部屋」

 男女の兄妹が小学校卒業まで同じ部屋というのはやや遅いのではないかと思った。

「お母さんとお父さんは別の部屋にしようって言わなかったの?」

「二人とも会社のことで忙しかったみたい。私たちは特に問題も起こさない二人の自慢の子供だったしね。まあ、それで放っておかれたせいで、こうなっちゃったとも言えるし、そのおかげで私はあんな幸せな感覚を知ることができたとも言えるし。難しいところだね。

 まあ、それはともあれ、用途は私の処女だけは守っていたし、麻衣さんの話を聞く限り童貞のまま自殺したみたいだね」

 私とはやったことはないから、普通であればそうなる。

「でも私はお兄ちゃんとの色んな遊びに付き合いながら、よくこう思ってたの。入れてほしいって。お兄ちゃんと私が二人とも裸でいるとき、いつも用途のあれは大きくなっていた。それを私に刺してぐちゃぐちゃにかき混ぜてほしい、って。でもそれを言い出すことはできなかった。今思えばそれをしないことが、私にとっての最後の一線だったんだろうね」

 遊里ちゃんは唇の涙を舐めとった。いつの間にか涙は止まっていた。

「でも私にとって、処女を捧げる相手は用途以外に考えられない。だから私はここで死ぬことにした」

「どういうことだ?」

 ずっと黙っていた山居君が口を開いた。

「まず、こうする」

 遊里ちゃんは一度墓石から降りて、首に付けていた包丁をスカートの中に入れ、そしてそのままもう一度墓石の上に座った。一瞬だけ苦しそうな顔をした。そして両手を外に出した。その手に包丁は握られていなかった。

「包丁は!」

 駆け寄ろうとする私の前に、バッグから取り出したもう一本の包丁が突き付けられた。

「近づかないで」

 包丁は? 包丁はどこ? 

 その答えはすぐに分かった。スカートから血がにじんで来ていた。すべてを理解した私はその痛みを自分のもののように感じながら、遊里ちゃんの顔を見る。その顔は歪みそうになるのを必死に耐え、血の気が引いて蒼白になっていた。

「結構痛いね」

 しかし遊里ちゃんは笑う。

「じゃあ、仕上げ」

 遊里ちゃんは自分の首に包丁を引き付けた。

 その時不意に山居君が動いた。

 山居君はすさまじい瞬発力で走りだし、不意を突かれた遊里ちゃんの腕をつかみ、そのまま墓石の向こうに倒れこんだ。

 遊里ちゃんは倒れたまま暴れた。しかし男性の、しかもバスケットボールで相当鍛えた体格のいい男性の力を振り切るほどの力はなかったらしく、そのまま気を失った。

 遊里ちゃん意識を失ったのは出血多量のせいだった。私が救急車を呼んで病院に運ばれたときは、とても危険な状態で二日間生死の境をさまよった。しかし三日目に峠を越し、死にはしないだろうということだった。

 しかし包丁が根元まで刺さった遊里ちゃんの膣と子宮は完全に破壊され、子供を産むことも、性行為をすることもできなくなった。結果的に遊里ちゃんは、処女とともにその貞操も、用途君に捧げたのだった。

 

内容は悪くない気がするんだけど書き方が悪い。特にラストシーン、インパクトのある内容なのに書き方のせいで後味が悪い。

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