マキオの「撃ち癖」
河原にある野球グランド。
水飲み場で手を洗っていた翔太を見て、米原来生は、背筋が凍り動けなくなった。
「ど、どうしたんだ!? 大丈夫か!?」
来生に気付いた翔太は、水を切るように手を払い、膝丈の短パンのももで拭く。
「ごめんな、急に呼び出して」
来生は、翔太の異様ないでたちを目の当たりにしても、何が起こったのか事態を飲み込めなかった。
コホンコホンと咳払いした翔太は、「と、とにかく座ろう……話を聞いて欲しいんだ」と擦れたような声で言った。
カナカナと遠くでヒグラシが鳴いていた。
夏休みも終わりに近づいて、夕暮れになるのが早くなったような気がする。
グランドのベンチから水面は見えないが、川の流れる音が、涼を感じさせてくれて、来生は少し落ち着いた。
翔太の白いTシャツが、血で真赤に染まっていた。
取るものも取り敢えず、家から飛び出してきたのだろう。髪はボサボサで、短パンも部屋着のようだし、足元はつっかけだった。
「翔太、本当に大丈夫か? き、救急車、呼ぼうか?」
「大丈夫だよ……説明するから、まずは、オレの話を聞いてくれ」
翔太は、誰もいないグランドのずっと先を見るように、遠い目をしていた。
「これは、マキオのせいなんだ。マキオだよ。全部、マキオがいけないんだ。あいつがいなきゃ……こんなことには……ならなかったんだ。あいつは、いつも、ずっとそんなんだったよな。昔から変わらず……マキオはマキオのままなんだよ」
マキオとは、翔太の二つ年上の兄だった。この春、高校を卒業したはずだが、今は何をしているのか、来生も知らない。
「マキオが、翔太に何かしたのか?」
来生も、翔太の兄の槙男を呼び捨てにした。幼いころから一緒に遊んでいたがゆえの、親しみを込めた呼び方である。
――来生は、翔太と幼稚園で出会って意気投合し、公園や河原で遊んでいた記憶がある。
ただ、はしゃいでいた場所には、いつもマキオがいた。
「おい、お前ら、オレについてこい。おもしろいことを教えてやる」
翔太と来生は、マキオのリーダーシップに迎合し、いつもマキオの後をついて回った。
翔太とマキオは、両親が離婚し、母親に育てられていた。
いつも遊びに行っていた翔太の家から父の影が消えたのは、小学校に上がった頃だった。来生は、不思議に思ったが、家庭によってはそんなこともあるのかと、深くは考えなかった。
マキオの提案する遊びは、危険を伴うものが多かった。
飼い主から捨てられて、河原に住み着き、野犬と化した犬の群れに向かって、石を投げるぞと言った。
「ここに当てればいいんだ、ここに」と言って、グイっとしわを寄せた眉間を指さす。
「一発で当てられれば、あいつらは襲ってこれない。その場でお陀仏さ。確実にここにあてれば、あいつらにオレたちは勝つんだ。オレたちは助かるんだ」
前の日に、ハリウッドのアクション映画でも観たのだろうと、容易に想像できた。
何も、河原でひっそりと暮らす野犬に、ちょっかいを出さなくていのに……。
実際、来生は石を投げた。
小学二年生の投げる石の威力はしれている。翔太も似たようなものだった。野犬は、こちらを見ることすらしない。
だが、マキオのは違った。
狩りをしているのかと思うほどに、鋭い直球が、次々に野犬の群れを襲う。
何発かは当たったのかもしれない。
野犬の反撃は容赦なかった。
三人は、全速力で逃げ出した。
牙をむき出して吠える野犬。
翔太は嚙みつかれそうなほどの距離まで迫られ、泣きながら逃げていた――
「この血は……違うんだ。オレの血……じゃない。返り血を浴びただけなんだ」
翔太は、Tシャツの裾を持って、バサバサと煽りながら言った。
発言する間にスース―と空気の抜ける音がする。枯れたように擦れた声も、いつもとは違った。
来生は、翔太を止めたかった。
来生の方こそ、先に言いたいことがある。
来生は右手を挙げて話しだそうとしたが、その手を翔太が払った。
「アイツが……マキオが、撃ったんだ。マキオは昔からそうだっただろ? 覚えてるだろ? なんでもかんでも、撃ち……やがる。ヤバい奴なんだ。気が……狂ってるんだよ……アイツ……」
銀玉鉄砲で撃ち合うだけなら、まだマシだったが、中学生になって、ロケット花火で撃ち合いをしようと言われた時は引いた。
やりたくなかった。
耳元近くで弾けた破裂音は今でも覚えている。もう少しで鼓膜が破れるところだったと、耳鼻咽喉科の医師に診断された。
――高校生になったマキオがボーガンを手にしていた。
「どうしたんだよ、それ?」
翔太がマキオに問い質した。
「親父に買ってもらったんだよ。これくらい、貰ってもいいだろ。あいつはオレたちを捨てたんだからな」
翔太は血の気が引いて青ざめていた。
いつか、撃たれるんじゃないかと想像したに違いない。
しばらくして、近所の池で、羽に矢の刺さったカモが見つかった。
テレビ局が嗅ぎつけ、動物虐待として、連日ワイドショーで報道された。
あれは、マキオがやったんじゃないかと噂になった。
マキオ自身が、父に買ってもらったと自慢していたので、マキオがボーガンを所有していることは近所で有名になっていた――
「マキオが叔母さんを撃ったんだよ。あいつ……は、つい……に、やってしまった……んだ」
翔太は苦しそうだった。息遣いが荒くなった。
――翔太には近所に住む叔母がいた。
叔母は、小さい頃から、二人のおいを厳しくしつけした。
マキオはいつごろからか反抗的になり、隠れて叔母の自転車の空気を抜いたり、サドルをカッターナイフで切り裂いたりした。
叔母はそれを知ってか知らずか、二人のおいの内、特にマキオに対しては、歯に衣着せず物言いで、完膚なきまでに手厳しく指導した。
高校を卒業したマキオは、就職もできず、バイトもせず、家にいた。
そんなマキオは、叔母が来ると、いつも自分の部屋に引きこもった――
「翔太、無理するな、もういい。もうしゃべるな」
「止めるなよ。オレは……話したいし……聞いてほしいんだ」
「で、でも……」
「いいって! 黙って、話を……聞いてくれ」
翔太は、息苦しそうに肩で呼吸をしながら、事の顛末を語った。
――冷蔵庫の中に、話題の強炭酸ジュースを入れていたはずなのに、無かった。
翔太が、昨日買ってきて、冷やしていたものだ。台所のゴミ箱を見ると、空になったペットボトルが捨てられていた。
(勝手にマキオが飲んだんだ)と、すぐに直感が働いた。
マキオの部屋のドアを叩いた。
今日は、叔母が来ていて、中に籠っているのはわかっていた。
「勝手にのんだだろ!? 白状しろよ! 出て来いよ! 卑怯者!」
翔太は、中にいるはずのマキオに向かって吠えた。何度もたたき、何度も吠えた。
騒ぎに気付いたのか、居間の叔母がおおげさに、声を上げる。
「人間として、出来損ないなんじゃないかい? あいつはホント、ダメな奴だよ!」
突然、マキオの部屋のドアが開いた。
口をへの字に曲げ、鼻を膨らませたマキオの顔は、真っ赤に火照っていた。
翔太は、あっさりとマキオに押しのけられ、廊下に尻もちをついた。
「キャーっ!!」
居間から悲鳴が聴こえた。
ガタドタ、バタン。ドド。……シュパ。
「殺すぞ、コラー!」
バタン、ガシャガシャーン。……シュパ。
翔太が慌てて今に入ると、マキオがボーガンを手に、叔母に馬乗りになっていた。
「や、やめろーっ! マキオ! 止めてくれ!」……シュパ。
翔太はマキオに体当たりして、叔母の上から押し倒し、両手でボーガンを掴んだ。
それから、どれくらい経ったか分からない。
翔太がマキオからボーガンを取り上げようと格闘していると、警察が入ってきた。
叔母が襲撃された時、すぐに母は逃げ出し、近所に助けを求めたらしい。
マキオが警察に取り押さえられるのを見届けると、翔太は急に怖くなって家を飛び出し、河原まで逃げてきたという――
「戻るのが……怖いんだ。叔母さんの頭にボーガンが刺さっていた……んだ。目を剥いて倒れたから、死んでいるよ……きっと」
「わかった。大体わかったから、もうしゃべるな、翔太。もう、十分わかったから」
翔太は息苦しそうにしていたが、首を振る。
「話したいんだ、止めないでくれ。聞いてくれ」と、Tシャツを脱ごうとする。
「無理だ。何をしようとしているんだ。落ち着け。落ち着くんだ!」
「だって……血を洗い流さないと……これは叔母さんの返り血なんだ。気持ち悪い……んだ。洗わないと……何で脱げないんだ、さっきから……」
「いいから!」と言って、来生は、翔太のTシャツの裾をぐいっと引き下げて、元に戻す。
「そもそも、オレの炭酸ジュースを……飲んだマキオが……いけなかったのに」
ひゅうひゅうと風のような音ばかりで、どんどん聞き取りづらくなってきている。
「そんなこと、どうでもいいだろ? しゃべらなくていいから」
「あのジュースは……シュワシュワするって話題の……やつなんだ。喉がヒリヒリして、超刺激的らしいのに……。早く試してみたい……早く飲みたいな……」
「そんなの、……今は飲めないだろ?」
「そ、そうだな、なんか、喉がいがいがするんだ……。喉が乾くのに……、水道の水も……喉を通らなかったんだ……」
「もう、しゃべるな、わかったから。病院に行こう。救急車を呼ぶから」
来生はスマートフォンを取り出し、救急車を呼んだ。
翔太の首には、のどぼとけからうなじに突き抜けるように、ボーガンが刺さっていた。
END