新しい家族
「君が喋ったのか……?」
気づくと僕は目の前のカラスに声をかけていた。カラスがしゃべることなんてないと気づいて、僕は恥ずかしくなった。つい黙りこくった僕に先ほどとは違う声が聞こえた。少し鼻にかかるような声で
「おい人間。お前、名をなんという?」
誰が喋ったんだ?僕はそう思って周囲を見渡す。すると再び鼻にかかる声がした。
「人間。喋っているの我だ。前を見ろ。」
声の言った正面を見るとやはりカラスしかいなかった。
「君が喋っているの?」
「そうだと言っているだろう。で、名前をなんという?同じ質問をさせるな。」
信じられないまま僕は答えた。
「名前は………………ないよ。僕には名前がないんだ。」
「…そうか。なら構わない。今からお前は我についてきてもらう。異論はないな?」
「う、うん。」
ついていきたくなかったし、まだカラスに聞きたいことはたくさんあったけどカラスには有無を言わさない圧があった。どこか逆らえない圧を感じさせるカラスの背中を僕は黙って追って行った。そうして着いたのは僕の部屋だった。
僕の部屋は家族の部屋からは少し外れていて、限りなく物置部屋のような場所だった。ふかふかのベッドなんてないし、隙間がたくさんあるから冬はすごく寒いし、至る所に埃がかぶっていた。でも、僕はいつも家の雑用をして勉強したりしていたから結局この部屋を使うのは寝るときだけだった。
「人間。こっちに来い。この鏡が見えるだろう。この鏡に触れて力を込めろ。力を込めるだけでいい。それ以外は何もするな。」
「えっと……」
「早くしろ。」
こんなところに鏡なんてあったけな。触れたら家族だった人たちみたいに壊れちゃうんじゃないかな。そんな疑問を覚えつつ、僕は言われるままに鏡に手を触れた。鏡は灰にならなくて普通に触れることができた。するとカラスが僕の手に黒い翼を重ねた。その途端ぐにゃりと空間が歪んだ。思わず僕は目をぎゅっと瞑った。
「何をしている。目を開けろ。」
そう言われて僕は目を開けた。するとそこはどこかの廊下のようだった。きれいな絨毯には埃ひとつなく、飾られている装飾品は見るからに高そうだった。前を見るとそこにはカラスではなく、女性が立っていた。150センチくらいの小柄な女性が黒い短めのワンピースに厚底の黒いブーツを履いて立っていた。
髪の毛はショートヘアで銀色に輝いていた。まつ毛は美しく、僕を見つめる瞳は翡翠色だった。美しい顔立ちだが人を圧倒する圧があった。そして驚くほど肌が白く、ワンピースから伸びる手足はスラリと細かった。
「何をそんなに見ている。やめろ。」
そう言って少し頬を赤らめるその女性の唇から紡がれた声は鼻にかかる声だった。
「もしかしてカラスさん?」
「そうだ。だが我はカラスという名前ではない。きちんとクレスという名前があるのだ。」
「クレス…か。素敵な名前だね。」
僕がそういうとそっぽを向いてしまった。どうしたんだろうか…そう思いながらふと外を見ると赤黒い禍々しい雰囲気の空が広がっていた。それは僕が今までに見てきたような空ではなかった。僕は途端に不安を覚えて彼女に声をかける。
「クレスさん。ここはどこ?僕はどこに向かっているの?さっきまで僕の部屋だったと思うんだけど…」
「ここは魔界。お前が今まで過ごしていたのはこことは違う場所で人間界だ。お前が向かっているのはここの城の亭主の執務室だ。まぁ、黙ってついてこい。」
「う、うん。」
しばらくすると僕の背よりも何十倍も大きな扉の前についた。クレスさんは目を瞑って扉に手をかざした。するとすーっと扉が開いた。あんなにおもたそうな扉だったのに…
「おい。来い。」
そう言ってクレスさんは先に進んで行った。僕も慌ててその背中を追って行った。急いでその部屋に入ると、まず感じたのは今までにないほどの威圧。圧倒的な威圧感を前に感じ、僕は思わず顔を下げてしまった。きっと前に座っている人と目を合わせたらひとたまりもなく殺されるだろう。本能がそう言っている。
「クレス。そいつがお前の言ってきた人間か?」
「そうだ。こいつが念話で伝えた人間だ。まだ幼く、名前もないらしい。」
「そうか。随分小さいのがきたな。この人間は俺らの話が理解できないのか?さっきから一言も喋らないが…」
「いいや。理解できるし、喋れる。おい、自己紹介でもしな。」
僕は恐る恐る、顔を上げた。そこには端正な顔立ちをした男の人がいた。その人は黒い艶々としたきれいな髪をしていた。よく見るとその中には血のような赤い髪の毛も混じっていた。切れ長な瞳は美しい黄金色をしていて、肌は透き通るような色をしているのに漂う空気はこちらを威圧するような力があった。
「あ、え、えっと。僕は………名前がない人間です。年はおそらく12歳くらいかなと思います…。」
僕はおずおずと答えた。
「嘘だな。お前は名前があるはずだ。俺を騙そうと試みるなんてお前は見かけによらず肝が据わっているのだな。」
「やっぱりか。お前やっぱ名前あったんだな…最初名を聞いた時の答えに我も違和感を覚えた。」
「ぼ、僕には…。」
「いいから教えろ。嘘は見破れるのだ。次俺を騙すようなことがあったら命はないと思え。」
威圧が少し強くなったのは気のせいではないだろう。そして僕は口を開いた。
「僕には名前がありません!!!!」
「な。まだ嘘をつくか…?覚悟はできているんだな?」
「いいえ。嘘ではありません。僕には名前はありません。僕はもう、あの人たちが適当につけた名前などとっくに忘れてしまいました。本当に名前が知りたいのだというのなら、人間と読んでください。それが僕の名乗る今の名前です。」
僕は男性の目を見て伝えた。こんなにはっきりとものを言ったのはすごく久しぶりで心臓はバクバク鳴っている。握った両手は汗をかいているし、背中にも冷や汗がつたう。男性は少し目を見開いてから高らかに笑った。
「ははは。面白いな、人間は。俺の圧にも負けず、そこまで頑なに名乗りたくないか。そうかそうか。すまなかったな。俺は魔族のエルドだ。よろしくな。」
そう言って、エルドさんは僕に近づいてきた。僕の頭から爪先まで舐めるようにみられた。結構恥ずかしかった。気づくと圧はいつのまにか気にならなくなっていた。というか、エルドさんが抑えてくれたんだと思う。
「お前ちゃんと食べてるか?こんな細い腕と足じゃ、すぐ疲れるだろう。それから本当に貴族なのか?着ている服は質素だし、なによりボロボロだな…?」
「おそらくこいつはあの家から煙たがられていたようだ。我もあの家を見たし、こいつの部屋も見てきた。決してこいつの家は平民ではなかったし、貴族だったのにも関わらずこいつの部屋だけがオンボロの部屋だった。」
「そうなのか。それは…なんとも酷い仕打ちだな。こんなに愛らしく可愛い人間なのに…」
「エルド…子供好きは相変わらずだな。こいつの容姿は整っているが…人間にしてみればこの真っ黒の髪の毛に赤い目なんて魔族そのものでしかなくてそれも相まって嫌われてたんだよ。」
そうだ。僕は人間ではないような黒い髪に真っ赤な瞳だった。黒い髪の毛は人間界ではすごく珍しくて魔族の印だと言われていた。僕は魔力もないのに、髪の毛も黒くて。悪魔に呪われた出来損ないだと言われてた。今まで手入れなんてする暇もないしできなかったから髪の毛は伸びてボサボサだった。
「なぁ、人間。今日から俺はお前の親だ。」
「はい…ってはい?!エルドさんが僕の親だってことですか…?え。え?!」
「あぁ。もとより俺が引き取る予定でクレスに連れてきてもらったからな。ていうか、クレス…説明してなかったのか?俺はお前に、ちゃんと説明しろって言ったよなぁ?」
「べ、別に我は必要な説明はきちんとしたからいいだろう?しかもちゃんと連れてきてやったんだぞ。人間界に行くのは大変なのにそこから人間も連れて帰ってくるとなるともっと大変なのはお前でもわかるだろう!我は感謝してほしいくらいだ。」
「はぁ…全く。ああ、わかったよ。今回はチャラにする。ありがとな、クレス。」
「あぁ、どういたしましてエルド。」
「ふふふ」
「人間何笑ってるんだ?」
「お二人が仲良さそうで思わず…」
「クレスとは腐れ縁だ。」
「そうだ。別に一緒にいたくているわけじゃないからな?」
「そうなんですか…それにしてはやっぱり仲良しさんに見えます。」
「「仲良くない」」
「ほら、やっぱり息ぴったりですし。」
僕は自然と笑みが溢れていた。あんな両親の元で、兄姉の元で笑うことなんてなかった。物心ついた頃から雑用をさせられ、こき使われストレス発散に使われていた毎日じゃこんなふうに笑うことなんてなかっただろうな。そう思うと今の方が幸せだと思う。自然に笑えて。心に余裕がある証拠だな、なんて思う。
「…ぃ、おい!人間!大丈夫か?」
「大丈夫です。ごめんなさい。ちょっとボーっとしてました。すみません。本当にごめんなさい。」
「……そんな謝んなくていい。お前は何も悪いことはしていないんだから、謝らなくていい。」
「ごめんなs…あ。」
「まぁ、最初は慣れないだろうしな。謝るならありがとうと言え。まずはそこからだ。」
「はい、ありがとうございます。」
「そう、それで用件なんだがお前の名前をつけようと思ってな。いつまでも人間やらお前やら他人行儀だからな。あとはわかりにくいし。」
「僕に名前をくれるんですか?」
「あぁ。それで、ネロという名前をお前にやる。」
「ネ、ロ。ネロ…ネロ……」
「気に入らなかったか?クレスも一緒に考えてくれたんだが。」
「いいえ!すごく気に入りました。とっても素敵な名前です。本当にありがとうございます。」
僕の目からは雫がひとつ頬をつたった。
「よかったな、ネロ坊。」
「ネ、ネロ坊?!」
「あぁ、いいあだ名だろう。」
そう言ってクレスさんは笑った。
「それから、ネロ。今日からお前は俺の家族だ。だから敬語とか、さん付けでなくていい。まぁ、父さんとかは呼びにくいだろうしな。エルド、と気軽に呼んでくれ。」
「はい!」
「慣れるまでは難しいかもしれないけど、俺はもうお前と家族だから遠慮はしなくていい。俺は大半この部屋で仕事をしているから、何かあったらクレスを頼るといい。良き姉になってくれるだろうし、ソイツは鳥だからこの世界を飛び回っているだけあっていろんなことを知っているしな。それから、この敷地は自由に回っていいぞ。ただし、ここの全体を把握するまではクレスと一緒に、だが。」
「う、うん。あ、ありがとう。やっぱり敬語以外で話したことなくておぼつかないや。ごめんね、エルドさん?」
「あぁ、すぐ慣れるから大丈夫だ。ま、早めに俺のさん付けをやめてくれると助かるがな。」
エルドは朗らかに笑った。
「じゃあ、クレス。ネロを空いている部屋…俺の隣が空いてるだろ?あそこになれるまでは居てもらうからそこに連れて行ってやってくれ。壁紙とか内装を変えたいと言ったら自由に変えて構わない。ネロ。」
「はい?」
「部屋に置いてあるものは自由に使っていいし、誰も怒らない。好きに使え。欲しいものがあったらいつでも言ってくれ。遠慮はいない。お前は今まで酷い仕打ちを受けてきたし、その傷が癒えることはきっと難しいだろう。でも、もうその家族はお前の手で消した。今は俺が家族だ。俺は怒らないから頼れ、いいな?」
「…はい。ありがとう、エルド。」
「じゃあ行くぞ、ネロ坊。」
僕はクレスの背中を追ってエルドの部屋を後にした。
更新速度がとても遅くなってしまいがちですが、出来るだけ投稿するよう頑張っていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。