クレストル王立軍学校第38期外伝 続デミルズ統一戦記2 グレナ侵攻編
相変わらず時間がかかってます。ですが、おぼろげながら構想が見えてきました。
王都では御前会議が続いていた。
「だとすると軍制度の抜本的な改革になるねえ。こりゃ二、三か月で出来る事じゃない、新たな兵の訓練などを考えると、一年ぐらいはかかるんじゃないかえ?その間にもキョウセイは地盤固めをするだろうし、時間をかける利はどちらにあるだろうね?」
議題は先に出た軍備増強の話である。新たな将官を増員し、兵の増強を行うとなれば時間がかかってしまう。メリーシュメリー・タヌルバルド元帥はその事を案じているのだ。
「確かに元帥のおっしゃられる通りですが、利はこちらにあるのでは?グレナはアオズを得たとはいえ、国力の飛躍的な回復は望めません。動員可能兵力も全軍で四万には届かないでしょう。アオズ攻略だけなら今すぐにでも可能でしょうが、私はラズールを一度に攻略し、リンカ峠を押さえるべきかと思います」
この発言は財務担当のセイア・レシゲネのものだ。セイアは財務担当として内政に関しては良く発言するが、軍事戦略に関して発言するのは珍しい。
「リンカ峠を?確かにリンカ峠は我が国とグレナとをつなぐ要衝ではあるが、道が狭く軍を通すことが出来ない。真っ先に押さえる理由はなんだ?」
元ミアナ軍で同僚だったカーラがセイアに尋ねる。
「通れないなら、通れるようにすればいい。私はリンカ峠の拡張工事を行うべきと考えます」
「リンカ峠の拡張ですか・・・、これはまた壮大な計画が出てきましたな。非常に興味深い、セイア卿続きを話してください」
セイアの案に興味を示したのはヴォルフ・ボーデンハウス宰相だ。
「はい。今のグレナは失礼ながら前総統殿の失策で経済的に弱体化してしまっています。例え我らがグレナを統治して減税などを行っても、それだけではグレナの経済は立ち直れません。そこでリンカ峠の拡張工事をするのです。工事の主体は我々で行いますが、人夫はグレナで募ります。つまりこの拡張工事はグレナの雇用対策でもあるのです。十年がかりの工事になるでしょうが、軍を通すだけの工事ならなら二、三年で出来るでしょう。今後の対聖王国を考えると、火山山脈の西と東をつなぐ事は不可欠です」
セイアの口から滔々と語られる計画に、御前会議の参加者は聞き入っていた。
「なるほど、確かにセイア卿の言う通りですな」
「軍事と民事両方に精通したセイアならではの視点だ」
「グレナの統治を考えれば西と東をつなぐ回廊は必要じゃろうなあ」
「グレナの国民の事まで考えてくださっての御考え、感謝します」
会議の参加者から反対の意見はなく、セイアの案が採用され、一年かけて準備する事も併せて決定した。
リキ軍では落胆が広がっていた。彼らは当然このままアオズ攻略に向かう気でいたのが、思わぬ形で王都から待ったがかかった格好になったからだ。
しかし、その理由の説明を受けて、アンヌから、
「ラズールも一気に攻略するというのでは確かに今の私達では準備不足です。もたもたしていると、追い詰められたキョウセイが聖王国と手を結びかねません。今は力を蓄え、飛躍に備えるべきです」
との説得を受けて、何とか皆納得した。
即時の軍事行動がなくなった事で、アンヌとシャクリーン軍は王都に帰還し、リキ軍は将兵の増強を待って訓練し、雌伏の時を過ごすことになった。
しばらくして将兵が増強された。具体的にはホッカク軍区に将軍一人、少将二人、准将五人、偏将八人、兵三万が増員された。
派遣された将軍はバサット・ハーメイ将軍、かつて故ギャザ将軍と共にギョウに駐屯し、のちにシンヨウの守りに就いていた軍学校出身の将軍だ。増員された将の内、リキ軍に配属になったのは准将二人と偏将三人、准将についてはまずはエリアス・ダイム准将、元ダンデロイ貴族で、現男爵ノーデン・ダイムの長女だが兄がおり跡継ぎではない。次にバーデル・ランバス准将、元ワヌーサ貴族で現騎士爵、ランバス家の当主だ。
ホッカクにリキとメニエ将軍が、ハクケイにスラウ将軍が、チワンにバサット将軍が配置され、シンヨウとキョクスイはメニエ将軍、イケイはスラウ将軍の管轄となった。
リキはホッカクで訓練に努め、来るべきグレナ侵攻に備えていた。
十か月が経とうとした頃、問題が起こった。リキ軍をもっともよく知る参謀文官イスティの離脱である。
その頃、イスティの体調がどうもおかしいという事はリキも薄々気づいていた。実際に少し休むように言った事もあったが、イスティ自身が大丈夫だというので様子を見ていたある日、イスティから告白された。曰く”妊娠したらしい”と。夫であるシンは勿論のこと、リキ軍では祝福ムード一色だったが、イスティが抜けるとなるとリキ軍にとっては大問題だ。イスティを王都に送りつつカーラに相談したところ、シャクリーン軍からベリサを派遣してくれた。
ベリサは元ミアナ軍の参謀文官で、現在はシャクリーン軍に所属している。軍学校の37期生でリキやミアナの一つ先輩だ。シンと同じく文官・武官両方に適性があるが、ミアナ軍ではカーラが、シャクリーン軍ではイリアがいるので参謀文官として働いている。そのベリサがイスティに代わって一時的にリキ軍で活躍する事になった。
もう一つのこの間の出来事は、カルナとラライネが交代で王都に行き、メリーシュメリー、アンヌ、カーラの三人から軍学・兵法をみっちり学んできた事だ。カーラの言う通りリキ軍は今後のクレストル軍の主力となるとの判断から、二人を呼び寄せての特別講義が実施された。
さらにリキ軍では新たな隊が実験的に編成されていた。隊長はシムズ、隊の名は騎兵隊。この世界ではなかった騎馬兵部隊だ。
シムズは先の㋑-㋩-㋠ライン封鎖作戦の時にケイのコウシン軍の兵糧焼き討ちに参加した。その日の夜―――
「リキ、ちょっといいか?」
リキの陣幕にシムズが訪れた。
「ああ、シムズか。今日はご苦労さん、コウシンがどう出るか見ものだな。それでどうした?」
リキが机の上の地図から顔を上げてシムズをねぎらうと、シムズは、
「リキ、ちょっと聞いて欲しい事があるんだけどよ」
とシムズはその大きな体をかがめて真面目な顔で言った。
「何だ?」
リキが面白いものを見たという顔で先を促す。
「今回の襲撃で俺は火をかける方を担当したんだが、戦闘はしないつもりで騎馬のまま敵陣に突っ込んだんだよ」
「ああ」
「だけどよ、やっぱり全く戦闘をしないって訳にはいかなくて騎馬のまま戦ったんだが、これが結構いけるんだわ」
「騎馬武者って事か?騎馬のままだと小回りが利かないし、目立つし、危険じゃないのか?」
「勿論それはある。けど、それでも敵よりも高いところで戦う利点もあると思うんだ。リキみてえな刀や剣のヤツは難しいかもしれねえが、槍や俺の大斧の様な長柄の武器なら長所が短所を上回ると思う。俺の隊を騎馬軍団にしてみてえ、やらせてくれねえか?」
リキはシムズの目をじっと見つめたが、シムズはその大きな目でじっとこちらを見て目をそらさない。
「わかった。とりあえずシムズ隊から五百人を選抜してやってみろ。訓練には俺も参加する、自分の目で見て確認したい」
「おお!ありがとよ!」
この日からシムズは騎兵隊の育成に取り組み、わずか五百人の部隊だが、この世界初の本格的騎馬兵部隊が誕生した。
時は流れ、リキ軍の雌伏も一年を過ぎようとする頃、王都では遂にグレナ侵攻にGOサインが出た。
命令はすぐにホッカクのリキの下に届けられ、ホッカク軍区は臨戦態勢に入った。
まず、チワンにスラウ将軍の配下、ベムリー准将が派遣され、チワンのバサット将軍がホッカクに呼び戻された。ホッカクはメニエ将軍に任せ、リキ軍一万七千とバサット軍一万五千の総勢三万二千でアオズ攻略に向かう事になった。
リキはじっくりと斥候の持ち帰った情報を分析し、カルナ、ラライネにバサット軍の参謀サクザを加えた三人に作戦計画の策定を命じた。
しかし、このリキ軍の動きを見てもグレナ軍には格段の動きがない。アオズに配置されている軍は八千人、どう見てもリキ軍には対抗できそうもない。
軍議の場でリキが参謀陣に尋ねる。
「一体どういう事だと思う?俺達に動きがあるのが分かっていて何の対策もないというのは不気味だ」
するとラライネが答える。
「考えられる事はいくつかあるけど、多分グレナはアオズを死守するつもりがないんだと思う。元々アオズはドガ王国の領土で、グレナにしてみれば犠牲にしても惜しくない都市なんじゃないかしら?」
ここ一年でラライネもリキ軍に打ち解け、口調も砕けたものになってきている。
「犠牲って・・・。見捨てるって事か?」
リキは不快げな表情を浮かべて尋ねる。
「うーん・・・、見捨てるだけならいいんだけど、ひょっとすると焦土作戦なのかもしれない」
「焦土作戦?」
ラライネから返ってきた言葉はもっと酷いものだった。
「ええ、市街戦、籠城戦を行って町と城を徹底的に破壊して、私達がアオズを得たとしても使い物にならない都市にしてしまうやり方よ。アオズが使えなければ、私達はアオズの立て直しを一からやり直すか、新たな根拠地の建設から始めなければならない。時間も労力もお金も消費してね。グレナにしてみれば”アオズを諦める”という決断さえ出来ればアオズを破壊する事に躊躇いはないはずよ」
「でもそれじゃあアオズに籠った八千の兵はどうなる!?そんな無茶な命令に従えるのか!?」
「そこなのよねえ・・・。グレナにしてみれば八千の兵と言えば使い捨てに出来る数じゃないし・・・考えすぎかなあ?でも、八千で私達に勝てるつもりなのかな?」
ここまで行ったところで新たな情報がもたらされた。
「アオズより数千人の兵士が出て、南に向かいました!」
報告を聞いたラライネは、カルナ、サクザと頷き合って、
「やはりグレナはアオズを捨てるようね。リキ、すぐにでも出陣しましょう。私に考えがあります。アオズには間者をいれてあるので、その報告を聞いてからになりますが、なるべくアオズを傷つけずに奪いましょう」
とリキに提案した。
リキは、
「お前に策あり、という事か?」
と聞くと、
「はい、少し時間をかけてしまいますが、焦土作戦をさせるよりはましです」
「どうするつもりだ?」
「この兵力差ですから奇をてらう必要はありません。単純に―――」
リキはラライネの策を承認し、軍事行動に移った。
ホッカクにはベリサを残して後援をさせ、リキ軍とバサット軍は全軍を率いてホッカクを出発した。
行軍中にアオズに潜入している間者からの報告が来て、アオズに残ったのは三千の兵のみ。全ては元ドガ兵という事だ。つまり、グレナはアオズを完全に放棄し、ドガの残党がアオズを支配しているというのだ。
ドガの残党にしてみれば、せっかく取り返したアオズを死に物狂いで死守しようとするだろう。それこそ全てを犠牲にする覚悟で。
クレストル軍はアオズ北側にバサット軍が、東を通って川を渡り、南側にリキ軍が布陣した。
「アオズを囲むように陣を築き、アオズを孤立させよ」
ラライネの指示で一切の補給を断つようにアオズを包囲する。
さらに、
「ファルー、工兵隊を率いて川の上流に向かい、川をせき留めて水止めを敢行せよ」
と指示を下した。
先端科学技術研究所(先科研)にいた軍学校38期で同期だったファルーは、この度先科研での仕事を終えて、リキ軍の工兵隊長に就任していた。
アオズでは川を街中に引き込んでおり、飲料水や生活用水の全てを川に頼っていた。井戸もない事はないが、人口に比べれば圧倒的に足りない。
そう、ラライネの狙いはズバリ”干攻め”。水の手を断つ非情な攻め手だ。
二か月程の工期を経て、ファルーは川の流れを変え、水を低地に流し、川をせき止めた。
アオズでもクレストル軍の意図を悟って川の水を汲み置きしたりしてみたが、保管する容器もなければ場所もない。さらに汲み置いた水は一定期間で腐ってしまうのだ。
水止めをされて二、三日で水の不足が始まり、十日もするとアオズの町・城は日干しにされ、井戸には長蛇の列が出来、社会活動もままならなくなってきた。さらに五日もすると全てが停止し、耐え切れなくなった住民は続々と町を出て、クレストル陣へ保護を求めてきた。
事ここに至ってドガの残党達も、これ以上の抵抗は不可能と判断し、降伏を申し出た。戦って死ぬ覚悟はあっても、日干しの苦しさは別だったようだ。
ドガの降兵達を前にしてリキが語り掛ける。
「我々クレストル軍は諸君の降伏を受け入れる。そして私は諸君の祖国への忠心に深く感じ入った。従って、もし諸君がドガ王国への帰国を望むのであれば武装解除の上で認める事とする。帰国を望む者はこの場で名乗り出て欲しい。不審に思う者もいるだろうが、帰国を望んだからといって不利益を被る事は絶対にない。それはクレストル王国将軍リキ・サーガ子爵の名において保証する。帰国を望む者はこの場に残り、望まぬ者は警備兵に続いてこの場から移動してもらう」
驚いた事に帰国を望んだものはごくわずかだった。これはリキもラライネも勘違いをしていたのだが、ドガ兵達が重要視していたのは”故郷であるアオズの地を離れたくない”という事だった。ドガ王国は基本的に封建制を採っている。その為兵達も基本的に現地で採用するのだ。クレストルの様に王都で採用された兵がホッカクに派遣されるなどという事はあまりない。
つまり、彼らはアオズに残りたいのであって、ドガ王国に残りたい訳ではないのだ。
結局三千人ほぼ全員がアオズに残った。さすがに全員をクレストル軍に編入する訳にはいかず、大部分は軍籍を解いて市民に戻った。行く当てのないわずかな者達は軍に残ったり、警備隊に編入する事で不平不満がたまらぬように配慮する事にした。
「さて、ここからが本番です。王都の意向では”このまま南下しラズールを攻略しリンカ峠を押さえよ”という事ですが、皆様どのようにお考えですか?」
アオズを攻略して開かれた軍議の場で、司会役のラライネは出席者に向けて呼びかけた。
「ラズールの状況は?」
リキがラライネに尋ねた。
「兵力はおよそ一万、オウジュンと言う者が大将の様です」
「オウジュン?」
リキが首をかしげる。リキもグレナについては調べていたが、オウジュンと言う名は初めて聞いた。
「齢六十を超える老将で、ここ二代の総統の下では不遇をかこっていた人物の様です。キョウセイによって引き立てられた様ですね」
「かつての同僚という訳か」
「それにしても奴らは何を考えているのだ?こちらは三万二千の大軍だ勝ち目があると思っているのだろうか?」
そう疑問を呈するのはバサット将軍だ。
それに対してバサット軍の参謀サクザが、
「援軍を送れるとしたら東のランダール、南のレノームしかありません。首都ランダールにはおよそ一万二千が、南の聖王国との国境の町レノームにはおよそ八千の兵がいると思われます」
と告げるとさらにバサット将軍は、
「しかし、全軍を集める訳にはいかんだろう?聖王国への備えも必要だろう?」
と重ねた。
するとカルナが、
「グレナが聖王国と手を組む可能性については考慮すべきですわ。追い詰められた人間は相手が盗人であるとわかっていても助けを求めてしまうものですわ」
リキも、
「俺もそれはあり得ると思う。この間ホウショ殿に聞いたのだが、ミアナとホウショ殿の縁談が壊れた時にキョウセイは”ホウショ殿にはもっと良い縁談がある。例えば南の方の国に”と言ったそうだ。ホウショ殿はそれを聞いてキョウセイは聖王国と結ぶつもりだと感じたと言っておられた。聖王国との通商を開いたのもキョウセイだったと聞いている、奴には聖王国との太いパイプがあるのだろう。いざとなったら聖王国を頼むかも知れない、あり得る事だ」
と聖王国との関係を懸念していた。
続いてカルナは、
「とは言え現実的にはグレナが全軍を投入するとは考えにくく、何か策を以て当たってくるというのが順当なところだと思いますわ」
と述べた。
「策か・・・。どんな策が考えられる?」
リキの問いにカルナが答える。
「寡兵を以て大軍を討つ策はいくつかありますが、最も効果的なのは補給を止める事、他には奇襲、挟撃、自然・地形を利用した攻撃、これは聖王国戦でお姉さまがグウデン大河を利用したのを思い浮かべてもらうとわかると思いますわ。そして火計など・・・」
「なるほど・・・、で今回奴らはどの手で来ると思う?」
リキは信頼のまなざしでカルナに問うた。
「状況的にはやはり補給を断つのが一番効果的かと・・・。我々はこのアオズから旧国境を越えてグレナ領内に侵入し、ラズールまで入り込まねばなりませんわ。補給線は長く伸びてしまいます、どこかに補給基地を築かねばならなくなるでしょう。そこを狙われるのが我々にとっては一番嫌な手ですわ。ですが・・・」
「ん?何かあるのか?」
「はい。確かに補給基地を狙われるのが最も痛いのですが、ならばそこの守りを厚くすれば良い。兵力としては我々の方が圧倒的に勝っているのですから」
「心配ないという事か?いや、お前は何かを懸念しているんだな?」
「その通りです。相手はあの”稀代の魔女”メリーシュメリー・タヌルバルド元帥と並び称された”グレナの麒麟児”キョウセイですわ。その考えは私の上を行くはず、私がこう考えるのを承知の上で策を考えているはずなのですわ」
「そうか・・・」
「リキ、王都でお姉さまやアンヌ議長から、あなたの戦場でのひらめきには私達参謀にはない視点があると聞かされていました。今この状況と地図を見て何か思う事はありますか?」
カルナは自分達にはない視点を持つというリキの意見を求めた。
リキはじっと地図を見つめ、グレナの首都ランダールからスーッとアオズを指さした。
「俺がグレナの将なら補給基地ではなくて、直接アオズを落とすだろう。ラズールやランダールにどれだけ兵糧が残っているか知らないが、それは運び出してしまえばいい。ラズールとランダールを奪われても大軍を養うための兵糧、収容能力がなければ軍は維持できないだろう?強制徴収すれば市民の反感を買うし、アオズまで戻る為の行軍に耐えられるほど集まるかもわからない。さらにアオズを奪われて籠城でもされた日には数日で干上がってしまうだろう」
「!!!首都すらも捨て石にするのですか!?でも確かにアオズを奪われれば三万を超える我が軍は立ち行かなくなる!兵を失った上に今回の軍事行動も全て水泡に帰す事に・・・」
「なるほどそれは最悪のシナリオですね。しかしあの男ならばあり得るでしょう、キョウセイと言う男は昔から大胆な手で、大軍を翻弄するのを好む傾向があるようですから。ヤツが戦闘狂と言われる所以です」
ラライネがキョウセイと言う人物の分析を述べる。
「サクザ殿、あなたはどう思われますか?」
カルナが先程から発言していないバサット軍の参謀サクザに意見を求める。
「そうですね、今言われた最悪の事態は避けるべきでしょう。リキ将軍のおっしゃった事が現実となるなら首都ランダールには大して兵を残さぬのでしょう。リキ将軍の兵の内五千をアオズに、五千を補給基地に残し、残りの七千でランダールの確保に向かうのが良いでしょう。もし、目論見が違ってランダールに大軍が残っていれば転進してラズール攻略に加われば良い。バサット軍は一万五千の全軍を率いて南下し、ラズール攻略に向かいます。さらにイケイのクウリュウ准将とホッカクのメニエ将軍にアオズへの援軍を頼んでおけばさらに安心です」
サクザの意見を聞いたリキが、カルナとラライネの方を見ると、二人とも大きく頷いた。
「バサット将軍、この方針で行きたいのですがよろしいでしょうか?」
リキがバサット将軍に尋ねるとバサット将軍は、
「結構です。リキ将軍、あなたはホッカク軍区の司令官だ、私に対してその様な気遣いは無用です」
と言ってリキに笑顔を見せた。
「ありがとう。でも俺は上司として持ち上げられるのがどうも苦手で・・・。できればバサット将軍にも率直なお付き合いをお願いしたい。手始めに私の事は今まで通り、リキでいいですよ」
リキが恥ずかしそうにそういうのをバサット軍は好まし気に眺め、
「わかった。ではこれからもよろしくリキ。ははは、なんだか軍学校時代に戻ったみたいだな」
バサット・ハーメイ将軍は軍学校出身者で元々は庶民の出なのだ。それだけにリキの態度はバサットにとって非常に好ましく思えた。リキの人たらしの面がまたも発揮されたのである。
「よし!ではラズール攻略はバサット将軍に任せる。アオズには兵五千を残してショーン、お前に任せる」
「ええ!また留守番かよ・・・」
昨年のハクケイ・チワン攻略の時にもイケイの留守役を任されたショーンは今回も留守役と聞いて不満を口にした。
「ショーン、確かに留守役だが、恐らく今回最大の激戦地になるのがここアオズだ。他の戦場は皆兵力に余裕のある戦いだが、ここだけは自軍の兵の方が少ない戦いになる。俺が安心して任せられるのはお前しかいないよ」
リキの見立てではランダールの兵一万二千の内、一万ほどでアオズを攻めるだろうと見ている。これを五千の兵で防ぐのだ、籠城出来るとはいえ厳しい戦いになるだろう。
「ちぇっ!そこまで言われちゃあ断れないな。任せろ、退路は絶対に死守してやる」
「ああ、頼んだぜ。シン、ショーンを補佐してくれ。アオズとラズールの間の補給基地にはペリッツが五千の兵で当たってくれ。俺は本隊を率いてグレナの首都ランダールへ向かう」
「「「わかりました!」」」
皆が了解したところでカルナが、
「あのー、ショーン・ワイズの下に残すのは二千にしましょう」
と言い出した。
「おいおい、二千は少なすぎるだろう!?二千では籠城してもあっという間に力押しで攻め潰されてしまう。っていうかフルネームで呼ぶなっての!」
反論するショーンを宥めリキがカルナに問う。
「何か思惑があるのか?」
「はい。今回我々の思惑通りに進ませるためにはランダールの兵をアオズに向けさせなければなりません。最初から五千の兵でアオズの守りを固めていると知れば、キョウセイはアオズ攻略を諦めてしまうかもしれません。故に二千だけを残して出発し、その情報をグレナに掴ませてから三千の兵をアオズに戻すという風にする事を進言します。首尾よくラズールとランダールが得られれば、アオズを攻めているグレナ兵は敵中で孤立し討つのも容易いでしょう。この作戦が成功すればグレナの国土北側三分の二を得る事が出来ます。万全を期すためにも罠を張りましょう」
カルナの意見にラライネ、サクザも賛同し、ショーンも納得した。
「よし!それでは出陣は六日後、みんな!準備に取り掛かれ!」
「「「応!!!」」」
「リキ」
軍議の後声をかけてきたのはシンだった。
「ん?どうした?」
「リキに頼みがあるんだけどさ、シムズの騎兵隊を貸して欲しい」
「騎兵隊をか?まだ実戦投入した事がないぞ?」
「ああ、わかってる。でもここで実戦投入してみたい。僕らは城に残って動けない軍だから、機動力に優れた騎兵隊は貴重な戦力になる。もう運用方法も考えてある」
「どんなふうに使うんだ?」
「ああ、それはね―――」
―――――――――
――――――
―――
「―――という訳さ。敵は大軍での行軍だ、効果的な攻めになると思う」
「なるほど。危険も少なそうだし、初陣にはうってつけかもな。わかった、シムズにはショーンの下に入る様に言っておく。シン、アオズが落とされたらこの作戦は全てがおしまいだ、慎重に事を進めてくれ」
「わかった。リキも随分将軍らしくなったね。初めて会った時は随分生意気な後輩だ、とも思ったんだけどね」
「ああ・・・、俺達はいつもミアナの側に居たからなあ。周りから見るとそうだったのかもしれないな」
「いや、そうじゃなくて。後輩なのに戦慣れしている、自分達よりも随分上にいるって嫉妬していたんだよ。でもさ、あれからたった五年足らずでリキは将軍に出世しただろう?ああ、やっぱりモノが違うんだなあって思うよ。誤解しないで欲しい、リキのことは僕たちの誇りなんだよ。姫様は勿論、カーラやシャクリーンだって元々有名人だ。でもリキは違う、無名の中からのし上がった僕らの代表みたいに思ってるんだ。姫様の軍が解体された時、みんなリキ軍に行きたがったのはそういう事だと思う。リキならもっともっと上に行けると思う。そしていつか姫様を幸せにしてあげて欲しい。僕たちはみんなそう願っているよ」
「・・・ありがとう。期待に応えられる様に精一杯頑張るよ。まずはグレナだ、何としても生き残って勝利を掴もう!」
「ああ!勿論だ!」
六日後、クレストル軍はリキを大将に三万の大軍を率いてアオズの町を出発した。
この動きはすぐにグレナの斥候に探知され、アオズには兵二千が残された事をラズールとランダールに知らされた。
執政官室で報告を聞いたキョウセイは、
「ふん、やはりクレストルはどうしてもリンカ峠が欲しいらしい」
ともらした。
「どうしました?執政官?」
キョウセイの秘書であるセイランは艶めかしい微笑みと共に尋ねた。
「何、奴らの野心が透けて見えているのさ。奴らはグレナを奪い、ドガを滅ぼし、聖王国と対決するつもりなのさ。その為には火山山脈を東西に結ぶリンカ峠がどうしても必要だ」
「あら?ですがリンカ峠は軍を通せるほど広い峠ではありませんでしょう?それほど重要なのですか?」
「おそらく拡張するのだろうよ。今までは我々が反対していたので拡張工事に着手できなかった。クレストルはこれをいい機会としてリンカ峠の拡張工事を行うつもりなのだろう。いまのクレストルならばそれが出来るだけの国力がある」
「勿論黙って見ている訳ではないのでしょう?」
セイランはキョウセイの膝にしなだれかかり、上目遣いに見つめる。
「勿論だとも。リキ・サーガは『幻影』などと呼ばれているが、実際は喧嘩が強いだけの若造だ。カーラ・ボーデンハウスも大した事はなかったな、私の策に嵌り慌てて逃げ出していたよ。”魔女”は恐ろしかったがな、今やあれもただの婆さんだ。小僧どもに大軍を動かすという事がどれほど困難な事かを教えてやるさ」
「うふふ、じゃあ前祝に・・・」
セイランはキョウセイの首に手をまわして抱き着いた。
六日後クレストル軍は出陣した。初めは全軍で南下し、ラズールへ向かうかのように見せかけ、途中でリキ軍が東に折れてランダールへ向かい、バサット軍とペリッツ隊はそのまま南下を続けた。のちにペリッツ隊も分かれて陣を構築し、アオズと前線をつなぐ補給基地を構えた。
バサット軍はさらに南下を続け、ついにラズールを視界にとらえていた。
軍議の場でバサットが参謀サクザに尋ねる。
「やはり初戦は野戦で一当てしてくるだろうな?」
「はい。明確な後詰めが期待できない中で、最初から籠城したのでは士気も上がらず統制も緩んでしまうでしょう。こちらの進撃の勢いを削ぐ為にもまずは遠来の軍対して野戦で当たるのが定石です」
「うむ、ではどうすべきか?」
「兵数はこちらが上回っておりますし、兵の質も我らの方が上です。奇をてらわず当たるのがよろしいかと」
二日後ラズールからグレナ軍が出てきて町のある高台に陣を敷いた、その数およそ八千。両軍はそのままにらみ合いを続け、さらに二日経ち先にバサット軍が動いた。
バサット将軍は部下のロッカリン少将に本軍を預け、自身は西へ回って側面を突く構えを見せた。
正面を任されたロッカリンは思わぬ苦戦を強いられた。ラズールの北側と言うのは実はラズール=ランダール間の運河を掘った泥を盛った湿地で、二、三日前に降った雨の影響でぬかるんでおり、ロッカリン隊の兵士達は足を取られ思う様に動けなかった。そこを高台の上から弓矢で狙い撃ちにされ、偏将一人と多数の兵を失ってしまった。
西に回り込もうとしたバサット軍も伏兵に遭い、撤退せざるを得ず、初戦はグレナ軍の快勝に終わった。
退却し、陣を構築し直したバサット軍では軍議が開かれた。
「オウジュンと言う男、中々に戦上手の様だ。初戦ではしてやられてしまったな、しかしまだ始まったばかりだ気落ちする必要はない。今後どうすべきか皆の意見を聞きたい」
バサットは居並ぶ諸将、参謀に呼びかける。
参謀のサクザがそれに答える。
「正面からの攻めが危険である事は明白です。西か東から回り込むしかありませんが、東には運河があり軍を展開できません。必然的に初戦の時に将軍が行ったように西から回るしかありません。この際全軍でラズールの西に展開し、布陣しましょう。その内五千ほどの兵を分け、ロッカリン少将に率いてもらい、さらに西へ進み、リンカ峠を押さえてしまいましょう」
サクザは尚も地図を指し示しながら、
「リンカ峠を押さえたら、五百ほどの兵を押さえに残し、大きく迂回してラズールの南東から攻めてください。今日にも陣を西へ移し、ロッカリン少将には夜陰に紛れて出発してもらいましょう。陣には旗を多く立ててロッカリン隊の動きを悟られない様に細工します。リンカ峠を押さえたら、王都へ使いを出しますので書状をリンカ峠のクレストル側へ渡してください。バサット将軍、書状は私が用意して構いませんか?」
「うむ。誰か他に意見のある者は?」
一同は沈黙を以て答えた。
「それではサクザの進言を容れ、直ちに陣を西へ移す!準備に取り掛かれ!」
「「「応!!!」」」
『クレストル軍移動』の報はすぐさまグレナ軍のオウジュンの下に届けられた。
「西へ展開したか・・・、まあ定石だな。しかしラズールの西は正門、この町の防衛は西から攻められるのを想定しておる。簡単には落とせんよ。ただ、南に回ろうとする兵には気をつけよ。この町は南から攻められる事を想定しておらん」
「はっ!監視を強化します!」
陣を西へ動かしたバサット軍は築陣し、一息ついていた。
その間もサクザは周りを観察し、斥候が隠れられそうな地点を確認し、兵を向かわせて一か所一か所丁寧に潰していった。そしてその日の夜、
「それではロッカリン少将、打ち合わせ通りにお願いします。これは王都への書状です、あちらの兵士に渡して王都へ送ってもらってください。一斉攻撃は三日後の正午、こちらから花火で合図します」
「了解しました」
ロッカリン隊は明かりもつけずに陣を抜け出し、街道をリンカ峠に向けて出発した。
オウジュンが放った斥候もこの動きは掴んでいたが、サクザによる斥候狩りが厳しく中々陣に近づけなかった為、抜け出した軍の規模までは分からなかった。
翌日明るくなってからクレストル陣を観察すると、大して兵が減っているようには見えない。そこでで、オウジュンには”街道を西へ向かった部隊は千人程度”と報告した。
実際にはロッカリン隊は四千人、サクザは陣内に旗指物を多く掲げ、兵士の休養を一時的に停止し、全員で活動する事で、全体の兵士数がさほど減っていない様に装ったのだ。
報告を聞いたオウジュンは、
「先にリンカ峠を押さえに言ったか・・・。街道の先はリンカ峠だ、千ほどの兵ならリンカ峠の確保で間違いない。引き続きクレストル軍の監視を続けよ!キョウセイ様の策が嵌れば奴らは自ずと退かねばならなくなる。無理をする必要はない、こちらからは手を出すな!」
とほくそ笑んだが、実際にはロッカリンの率いた隊は四千人で、しかも昨夜のうちにロッカリン少将は三千五百人の兵を率いて別れ、リンカ峠をベンゾウ偏将に五百の兵を預けて任せ(リンカ峠の守備兵は百人弱しかいない、かつてリキとミアナが単独で突破出来た様に元々多くの兵を必要としない構造になっている)、自らは大きく迂回してラズールの南に回り込もうとしていた。
そして三日後の朝、バサットから指揮を任されたサクザは兵達を前に檄を飛ばす。
「これよりラズールの軍と決戦に向かう!偃月の陣(わかりやすく言うなら半月、と言うより三日月の形に組む陣形)を敷き、敵軍を軍中深く引き込め!ロッカリン少将がラズールの町を落とせば奴らは帰路を失い霧散するだろう!如何に敵を引き付けるかがこの戦いのカギである!リキ軍にばかり戦功を奪われるな!バサット軍の力を見せつけるぞ!」
サクザはちょっぴり兵士達の嫉妬心を刺激して士気を盛り上げる。
「良いのか?ロッカリンには正午に一斉攻撃と伝えてあるのだろう?」
バサット将軍は短身だががっしりした体を揺らしながら近づきサクザに尋ねる。
「良いのです。今回の作戦は挟撃が目的ではなく、手薄になったラズールを掠め取る事が目的です。ですから、なるべく我々が敵の主力をおびき寄せる必要があり、先に交戦してしまった方が敵も細かい対処が出来なくなります」
「なるほど。それはロッカリンもわかっているのか?」
「勿論です、入念に打ち合わせ済みです」
「よし!それでは全軍、出撃だ!!」
「「「応!!!」」」
バサット軍は高台のラズール軍に突撃をかけた。ラズール軍を引っ張り出すには一度当たってから、崩れた様に見せかけて誘い込まねばならないのだ。
高台に向かって攻めるというのは地形的にも不利、それを承知で力押しを続けるも、上方からの投石、弓矢などに狙われ思うように進めない。先陣が崩れかけるとラズール軍はかさにかかって攻め降ってきた。
バサットとサクザは内心、
(かかった!)
と小躍りしながらも、予定通りじりじり後退しラズール軍を町から引き離しにかかる。
「これ以上町を離れるのは不味い!深入りするな!」
オウジュンが呼びかけた時、既にラズール軍は偃月陣の弧の中に囚われていた。
≪ドーン!!≫
バサット軍の後方で花火が揚がる。ロッカリン少将への進撃の合図だ。
「何だ!あれは!?」
花火を知らぬオウジュンは轟音を放った花火を新兵器か何かと勘違いしていた。
「鉄砲か!?いやもっと腹の底にずしんと来るような音だった!?」
あまりの狼狽ぶりにオウジュンを見るラズール兵の目に嘲りの色が混じる。
オウジュンはここ最近最前線から遠ざけられていたせいで花火の存在を知らなかった。前線の兵は最近クレストルが火薬を使用している事を知っているので、花火に狼狽する大将に情けなくなってしまったのだ。
「退却!退却の銅鑼を鳴らせ!一旦ラズールに戻って体制を立て直す!」
ありもしない未知の兵器に怯えたオウジュンが選択したのは逃げの一手だった。
しかし偃月に囚われた獲物をサクザは勿論易々と逃がすつもりはなかった。
「囲め!バサット将軍、オウジュンは必ず南から逃げます!南東の方角を塞いでください!」
サクザの読み通り、オウジュンは偃月が口を開けた南東方向から脱出を図った。
しかしその前にバサットが立ちふさがる。
「オウジュン!そのしわ首おいて行け!!」
バサットは槍をしごいて討ちかかる。
「黙れ小童!老いたりとはいえ、この槍はまだまだ錆びてはおらぬぞ!!」
オウジュンは槍と言ったが、刃の横に鉤爪が付いており形状としては戟の一種だ。
二人は槍を交わすも、数合で趨勢は明らかになった。
片やオウジュンはかつては名手だったとはいえ既に六十を超えた老将。片やバサットは四十を超えたばかりの猪突猛進で知られる猛将だ。
あっという間にオウジュンは守勢に立たされる。オウジュンを救わんと群がるラズール兵をも薙ぎ払いながら、バサットはオウジュンを追い詰める。しかし、
「槍隊!奴を食い止めろ!!」
オウジュンに命じられた槍隊が槍衾を使ってバサットを食い止める。その隙にオウジュンはまんまと窮地を脱出した、しかし・・・。
ラズールの町の門は固く閉じられている。
「何をしている!私だ!早く門を開けんか!!」
背後からはいつバサットが追いついてくるかわからない、あの血気盛んな将を自分では止められない。クレストルの新兵器についても自分は全く知らない。キョウセイによって再び採り立てられて遭遇した実戦は自分の知る戦とはまるっきり違っていた、武器も戦術も。何よりクレストル兵の練度の高さに驚かされた。オウジュンが活躍していた二十年以上前には、敵はドガ王国だった。ドガ王国の兵は言ってしまえば農民兵の寄せ集めで、数の力で押してくるという感じだった。
しかしクレストル軍は、高度な戦術、複雑な陣形を駆使し、高い練度の兵がそれを実行していた。
これはクレストルでは非常時を除いて徴兵制がなく、兵は皆職業軍人である事に起因する。
グレナも徴兵制だ、と言うよりも、デミルズ地方ではクレストルと、滅亡したハイバル国以外は皆徴兵制を採っている。これはクレストルとハイバル国が経済的に豊かである事から可能な事だった。
オウジュンの悲鳴に近い呼びかけに、門内からは矢での回答が示された。
門上にはクレストルの旗が立てられ、ロッカリン少将が、
「既にラズールの町は我々の手に落ちた!貴様の帰る場所はここではなく、冥府である!皆の者!遠慮はいらん、奴らの頭上に矢と石の雨を降らしてやれ!」
頭上から攻撃を受けてオウジュンの兵は立ち往生、このままではバサットの軍に背後を襲われてしまう。
オウジュンは悲嘆にくれて、
「致し方なし、もはやレノームへ撤退するより他にない。キョウセイ殿すまぬ、私はラズールを守り通せなかった・・・」
と嘆き、全軍に撤退を命じた。
バサット軍はこれを執拗に追撃し、レノームへ逃げ込めたのはわずか六千に満たず、オウジュン自身も撤退戦の最中に討たれてしまった。
ラズールの町を落としたロッカリンは、市民に”ホウショ殿の要請を受けてキョウセイの排除に動いた”事を知らせて、市民の動揺を防ぎ、城に立てこもる二千の兵に降伏勧告を突き付けて城を包囲した。
当初は徹底抗戦の構えを見せていたラズール軍も、バサット軍が追撃から戻り包囲に加わると、抵抗を諦め、城内の兵の助命と引き換えに開城した。
城内に入ったバサットは城兵・住民を宥め、ランダールに向かったリキと、アオズのショーンに対してラズールを得た旨知らせを送った。
一方でランダールに向かったリキは、斥候の報告でランダールから一万近くの兵が北に向けて出陣し、ランダールには二千ほどの兵しか残っていない事
を知った。
「ふむ、俺の考え通りに進んでいるか・・・。キョウセイはまだランダールにいるんだな?」
「はっ!キョウセイがランダールを出たという報告は上がってきておりません!」
「ご苦労さん、下がっていいぞ」
リキはカルナとラライネの方を振り向き、
「どう思う?」
と尋ねた。
「おそらくこちらの思惑通りに進んでいるかと。予定通りランダールを押さえましょう」
ラライネが答える。
しかしカルナは、
「いいえ、思惑通りならキョウセイは必ず逃げるはずです。ランダールはいつでも落とせます、今はキョウセイの首を狙いに行くべきですわ」
と答えた。
リキが続けて尋ねる。
「と言うと?」
「キョウセイは『執政官』を名乗っていますが、実際には『王』と言って良いですわ。その彼が二千の兵でリキを迎え撃つなどと言う危険を冒すはずがありません。奴らの狙いは我々の敵中での孤立、ならばキョウセイは安全地帯へ逃亡を図るでしょう。ランダールから向かえるのは、アオズ、ラズール、レノームのみ。このうち安全地帯と言えるのは南のレノームのみですわ。我々は先回りしてキョウセイを討つべきと進言しますわ」
リキがラライネの方に目をやると、
「カルナの見立てが正しいと思います。キョウセイを討てれば一気にレノームを攻略し、グレナ全土を掌握できるかもしれません。これは千載一遇のチャンスです、すぐに行動に移すべきかと」
カルナの意見を聞いてラライネは自分の意見を引っ込めてカルナの案を採用する様に進言した。
「良し!それではこれより我が軍は南方へと進路を変え、キョウセイを討つ!進路に関してはカルナ、お前に任せる!奴の進路を予測して進軍経路を決めろ!」
その頃キョウセイは既に退却の準備を始めていた。
「さて、リキ・サーガはこのランダールを落としに来るかな?もし来るならリキ・サーガは多少は戦局を読むことが出来るという訳だ」
「どういう事ですの?」
相変わらずキョウセイの周りに侍っているセイランが妖艶な微笑みを浮かべてキョウセイに問うた。
「この状況で愚か者ならば全軍を以てラズールを攻めるだろう。少し頭が切れるならばランダールとの同時攻撃で、ランダール・ラズール間の連携を断とうとするだろう、奴らにはそれだけの兵がいるからな。さらに切れ者がいれば、補給を断たれる事を恐れて補給基地の守りを厚くするだろう。果たしてリキ・サーガはどの手を打ってくるか・・・」
「それ以外の手を打ってくる事はありませんの?」
「あとは直接私を狙ってくるくらいしかないが・・・、あり得るのか?”魔女”メリーシュメリーもアンヌも”天才”カーラ・ボーデンハウスもおらぬのに・・・。危険は冒せぬな、念には念をを入れるべきだ。セイラン、直ちに全軍レノームへと撤退する!すぐに準備にかかれ!今日中にランダールを出るぞ!」
結果的にこの決断はキョウセイにとって吉と出た。
ランダールを発って二日後、斥候からリキ軍が後方から迫っているとの知らせがもたらされた。
「おのれ!まさかこちらの思惑を呼んでいたのか!?」
馬上でキョウセイは歯噛みした。まさかリキの様な若造に自分が追い詰められている事実を認めたくなかった。
キョウセイの読みではラズールのオウジュンは歴戦の勇者、そう簡単にラズールは落ちない。例えランダールを奪われても、ランダールには兵糧を残していない。アオズの兵糧輸送を止めてしまえば、クレストル軍三万はグレナの奥深くで孤立し、補給も受けられず自壊するはずだった。
しかし、予想に反してリキはランダールを取りに行かず、自分の頸を狙ってきた。それが有効な手であることは認めるが、目の前にある敵国首都を捨てて、敵将一人を狙いに行くなどと言うのはキョウセイの感覚からすればあり得ないものだった。
結局キョウセイはリキやカーラといった新世代の作り出した新しい波に乗り遅れてしまったのだ。オウジュンの様なかつての遺産を頼りにし、カレンの様な新世代の支持を受けられなかった。
キョウセイ自身も健康問題で前線を離れていたことから、優れた戦略は立てられても、新しい戦術に対応出来なかった。
「最後尾、クレストル軍と交戦に入りました!」
遂にリキはキョウセイ軍の尻尾を捕えた。
リキは馬に騎乗したまま戦場を駆け回る。その馬の背には長い大太刀が括り付けられている。リキが父バラキから課題として与えられていたあの大太刀だ。銘を『夜叉王』、刃だけで150㎝以上、柄の部分も40㎝以上もあり全長2m近い長さだ。
リキは馬上からこの『夜叉王』を振るった。リキが少年の頃から鍛錬を続け、八年の時をかけて遂に今回実戦に使用したのだ。
その切れ味は凄まじく、『天雲切』にも全く劣る事がない。
シムズの騎兵隊と共に騎馬兵としての鍛錬を続けていたリキは騎馬の機動力も相まって、【錬氣】を使わずに戦場を縦横無尽に駆け抜けた。
それは一陣の風のようにキョウセイめがけて飛んで行く。
いよいよキョウセイの背中が見えようか、と言う時、
≪ダダダダ―ンッ!!!≫
凄まじい轟音と共にリキの乗馬の前足が折れ、リキは前方に放り出された。
(鉄砲!それも一斉射撃!!)
リキの乗馬はその場に倒れ苦し気にあえいでいる。複数の銃弾を浴びてしまったようだ。
リキは馬の背から『夜叉王』の鞘を外すと刀身を納め、【錬氣】を行使して撤退した。
左手に『夜叉王』を提げ、右手で『天雲切』を抜いて一目散に退却した。
幸い、キョウセイ軍はリキ軍の追撃に混乱し、リキを追う者はなかった。
「カルナ!撤退だ!敵には複数の鉄砲隊がいる!追撃はこれまでだ、ランダールの確保に向かう!バーデル!撤退の指揮を執れ!エリアスは俺と一緒に殿軍を務めるぞ!銅鑼を鳴らせ!撤退だ!」
リキの撤退命令にすぐさまカルナは撤退の銅鑼を打たせた。
リキ軍は乱れることなく反転し、整然と撤退した。
ランダールの町に入ると軍も政庁ももぬけの殻で、市民だけが不安げな表情でこちらをうかがっていた。
リキはランダールの町のそこかしこで、”自分たちはホウショ殿の要請を受けてグレナ解放の為に行動している”と触れ回った。
市民の一部はホウショの名を聞いて安心し、クレストルを支持する者も現れたが、キョウセイの支持者も多く、クレストル支持二割、キョウセイ支持三割、様子見五割といったところだ。
リキはとにかくランダール市民を慰撫する様に務め、町は一応の平穏を取り戻した。
数日後、旧総統府に入ったリキはカルナとラライネに問う。
「さて、これから俺達はどうすべきだと考える?常識的に考えればラズールかアオズを救援に行くべきだろうけど、どちらを優先すべきか?」
カルナが答える。
「アオズに向かうべきですわ。ラズールはもし攻略に失敗しても、ここランダールなり、アオズなりに逃げ込めばよいですが、アオズを失ってしまったらリキ軍、バサット軍ともに敵中で孤立し、補給を受けられなくなる恐れがありますわ」
さらにラライネが付け加える。
「先ほどの報告では、国庫に兵糧の蓄えはないそうです。アオズからの補給がペリッツ隊へ供給されなければ三か月は持たないでしょう」
もう一度カルナが述べる。
「先ほど我々が敵中に孤立すると言いましたが、バサット軍がラズールを落とせば逆にアオズを攻めているグレナ軍は我々の中で孤立する事になります。ここはバサット将軍には使いを出し、アオズの救援に向かうべきと進言しますわ」
「なるほど。で、誰が行く?兵はどれくらいつける?あ!それとこの前キョウセイを追い詰めた時に鉄砲隊がいたぞ。それも五、六挺やそこらじゃなく、二、三十挺での一斉射撃だった」
「鉄砲ですか!」
「そんなにも鉄砲が・・・」
「二、三十挺も・・・」
「そりゃ厄介ですね」
将の間でも動揺が走る。
「おかしいですね・・・」
そう口走ったのはラライネだ。
「グレナは決して経済的に恵まれてはいなかった。しかもここ数年は大地震や経済政策の失敗で、財政は苦しかったはず。そのグレナが大量に鉄砲を用意していた、というのは腑に落ちません」
「まさか!」
「可能性としてはあり得るでしょうね。というよりそれしか考えられない」
ラライネとリキのやり取りにエリアス准将が口をはさむ。
「どういう事でしょう?お二人だけで納得しないで説明していただけませんか?」
「聖王国ですわよ」
答えはカルナの口から話された。
「恐らくキョウセイが聖王国軍を引っ張り込んだのですわ。これでレノーム攻略は難しくなりましたわね」
「だな。至急王都に知らせなくては。ラライネ、頼んでいいか?」
「引き受けたわ」
「それにしてもキョウセイは正気か!?ハイバル国の惨状をしらないのか?」
この発言はバーデル准将のものだ。ハイバル国の国民が二級国民扱いされ、搾取されている事を指している。
「いずれにせよこれ以上は俺達の一存では決められない、今はアオズの救援に急ごう。カルナ、誰を向かわせる?」
「リキ自身が行くべきです」
カルナが言い切った。
「聖王国に関しては差し迫った危機ではありませんわ。それほど大きな軍事行動があれば、こちらの情報網に引っ掛かっているはず。報告がないという事は大規模な軍事行動はまだないという事、今はラズール・ランダール間の運河まで支配を確立する事を優先しましょう。リキが行けば、味方の士気は上がり、敵の士気は落ちるでしょう。早めに片を付ける為にもリキがゆくことを進言します。勿論私も参りますわ」
「良し、シアダドを連れて行く。ランダールはバーデル、エリアス、二人に頼む。ラズールの状況を良く見て、適宜援軍を出せ。ラライネ、二人の補佐をしてくれ。兵は二千、その内千をリキ隊が、千をシアダド隊で出す。準備が出来次第出陣する!」
「「「応!!!」」」
時は少し戻って、
アオズに向けてランダールを出発したグレナの将コウウンは運河を超え、北上していた。
キョウセイからの指令は”手薄になったアオズを落とし、クレストル軍の補給を断つ事。落とせなくてもアオズの軍を釘付けにして輸送作業を妨害する事だった。
ランダールからアオズまではおよそ三日かかる、コウウンは一万の兵を連れて行軍し、一日目の夜を迎え、陣を敷いて眠りについた。その夜更け、
≪ジャーン!ジャーン!ジャーン!≫
非常事態を告げるけたたましい鐘の音がグレナ陣に響き渡った。
「敵襲―!!敵襲だ―!!!」
「敵襲!!!実態はつかめません!!規模も不明―!!!」
「敵は騎馬のまま突っ込んできます!!」
あたりに警戒に出ていた者と陣の物見の兵の叫びがほとんど重なって発せられた。
「うおりぁ―っ!!うら―――あぃ!!!」
数百人の人馬がグレナ陣に突入する。先頭で隊を率いるのは騎兵隊隊長のシムズだ。
「野郎ども!引っ掻き回せ!!」
騎兵隊は寝ぼけ眼で右往左往するグレナ兵を、当たるを幸いに薙ぎ払った。
シムズ率いる騎兵隊は疾風の如く駆け抜け、混乱の中に残されたグレナ兵は同士討ちを始め、三百人ほどの兵を失った。
翌日は昼休憩中に襲撃された。しかし、今回は奇襲ではなく、襲撃を事前に察知できたので素早く対処出来た。
コウウンは、
「敵は騎馬の兵だ!慌てず、落ち着いて対処せよ!敵に歩兵はない、騎馬兵のみを狙え!!」
と指示を出し、迎え撃った。
騎馬兵は目立つ、小回りが利かず、囲まれると弱い。騎馬兵の弱点を突き騎兵隊を押しのける。
敵の備えを打ち破れないと判断したシムズは、
「退け―!撤退だ!退け―!!」
と号令し、騎兵隊は何の成果もあげられないまま撤退していった。
「騎馬部隊とは奇抜なものを考えたものだが、危険すぎて将には使えんな。警戒を厳にせよ!特に騎馬に注意を払え!!」
そして夜。
コウウンには油断があった。騎馬兵ならば阻止するのは容易い。歩兵ならば警戒網に引っ掛かるだろうと。
深夜、再び騎兵隊の襲撃を受けた。今回も騎馬兵のみで歩兵は居ない。
「落ち着いて騎馬兵を討ち取れ!歩兵は居ない!騎馬兵のみが敵だ!」
コウウンは兵達を落ち着かせるように叫んだ。襲撃してきた騎兵隊は二、三百騎、グレナ兵達は包囲する様に展開する。すると・・・、
「うがぁ!!」
「ぎゃっ!!」
「うぐっ!」
包囲しようとした兵達が背後から襲われた。
「歩兵だ!」
「敵には歩兵が混じってるぞ!!」
騎馬兵のみと高をくくっていたところ、背後から歩兵に襲われた。このことでグレナ兵は一気にパニックを起こした。
シムズ隊は全員が胸と兜に白鷺の羽を付けて見方を区別していた。今日グレナ陣を襲撃した騎兵隊は三百騎、残りの二百人は騎手の後ろに乗り、陣に乗り込むとともに馬を下りて歩兵として侵入していたのだ。
楽観ムードからの突然のパニック、グレナ兵はまた無様な同士討ちを始めてしまった。
しかし、今日のシムズ達の狙いはそこではない。シムズがシンから命じられていたのは、
「火事だ―!!」
「兵糧に火をつけられた!」
「消せーっ!!!」
「水だ!水を持ってこい!!」
敵の兵糧を焼く事。
一定の成果を上げた事を見届けて、
「おい!撤退するぞ!!お前ら!後ろに乗れ!!」
歩兵として戦っていた者達が続々と集まってくる騎兵隊の騎馬の後ろに飛び乗る。
そのまま騎兵隊は怒涛の様に去っていった。
グレナ陣では消火が済み、明るくなってから被害を検証してみると、兵五百、兵糧の五分の一が失われていた。
一方騎兵隊の方も、歩兵として戦った兵十八人が帰ってこなかった。
シムズは手持ちの兵糧が少なくなった事もあり、そのままアオズに帰還し、成果をショーンとシンに報告した。
「ご苦労さん、十分だよシムズ。帰ってすぐで悪いんだけど、騎兵隊に加えて兵五百をつけるから、グレナ軍が来る前に兵糧をペリッツ准将の所まで運んでもらいたい。グレナ軍が来れば輸送も難しくなる。補給がなければ前線のリキやバサット将軍達は干上がってしまう。今のうちに運んでしまいたい。頼むよ」
シンはすぐに次の手を打つつもりだ。
「わかった。終わったらまたここに戻ってくるのか?」
シムズが先の行動を尋ねる。
「ああ。遊軍として隙を見て背後を脅かしてもらいたい。敵の注意を多方面に散乱させるようにしてくれるとありがたい」
「よし、すぐにでも出発する」
「頼んだぞ、シムズ」
ショーンから声をかけられ、拳を合わせてシムズは準備のために部屋を去った。
「それでシン、俺達はどうするんだ?」
部屋に二人だけ残されて、ショーンが今後の行動をシンに尋ねる。
「敵の襲来を探知し次第、出陣して野戦を挑む」
「籠城じゃないのか?シムズに千与えたからこちらは四千、敵は九千以上、倍以上なんだぞ?」
ショーンの理解では、この作戦での自分たちの役割は、兵站を担いつつ、リキ達がランダールとラズールを落とすまで時間を稼ぎ、アオズを守る事だった。単純だが守るには籠城するのが一番手っ取り早い、ショーンの考えは定石通り、教科書通りの対応だ。
しかしシンは、
「いや、ここは野戦で一当てして敵の出鼻を挫く。ショーン、僕がシムズを借りて奇襲をさせたのはね、物的・人的損害を与える為じゃない。行軍中も緊張・警戒を強いる事で、敵兵に精神的疲労を蓄積させる為だよ。彼らは三日の行軍で三度襲われ、ゆっくり休むことも出来ず疲弊している。ここに着けば一旦ゆっくり休息したいと考えているだろう。だから敢えて野戦を仕掛けて相手の士気を挫いておく。籠城はそのあとだ」
と、まずは野戦で挑む事を主張した。
「わかった、陣立ては任せる。陣頭には俺が立つ」
ショーンは今までリキの副将を務める事が多く、これが一軍の大将としての初陣であった。
翌日クレストル軍の監視網にコウウン率いるグレナ軍が引っ掛かり、すぐさまショーンは兵五百を残して城を守らせ、三千五百の兵を連れてアオズの町を出て南の地に布陣した。
陣形はオーソドックスな中軍に大将を置き、左右の翼軍で脇を固めると言うもの。
午後になって現れたグレナ軍も同じ陣形を敷き、数にものを言わせて押しつぶす作戦できた。
先に動いたのはショーン軍、予定通りグレナ軍の休息を許さぬ様に速攻で開戦の火蓋を切った。
当初グレナ軍は自軍の半分以下しか居ないクレストル軍をなめてかかっていたが、戦が始まるとクレストル軍に一方的に押し込まれた。シンの狙い通りグレナ兵達に疲労が蓄積していて士気が上がらなかったのと、平時の訓練などによる兵の質の差が違ったのだ。
クレストル軍はショーンを先頭にグレナ軍をさんざんに打ち破り、グレナ軍を大きく後退させて初戦に勝利した。
シンはそのまま陣を敷くことなく、町へ戻る様に指示した。
「シン、なぜ戻ったんだ?今日の勢いならこのまま野戦を選択しても良かったんじゃないか?」
ショーンが不服そうに尋ねるとシンは、
「いや、あそこまで退がられてしまっては手が出せない。奴らからは挑んでこないだろう」
と言った。
「ならば尚更休ませない為にも野戦を挑んだ方がいいんじゃないか?」
「ショーン、今日の勝利で多少は敵兵を減らせたかもしれないけど、まだ倍の差がある事を忘れてはいけない。町の近辺で戦うならともかく、あれだけ離れては二千くらいの兵を迂回させてアオズの町と城を狙われたら防ぎようがない。野戦が選べるのは奴らが疲弊していて、尚且つこちらに近づいて来てくれる最初の一回こっきりだ。奴らは離れたところで休息し、万全を期して攻めてくるだろう。今度こそ籠城戦だ、まずは町の門を守り、そこが突破されたら市街戦を行って、それでもだめなら城に立て籠もる」
「市街戦は避けたいな、市民に犠牲を出したくない」
「そうだね・・・、このアオズも近年ドガ、グレナ、クレストルの勢力争いの的になってしまって市民は苦労しているからね」
「なんとか町に入れない様に努力しよう」
「わかった」
幸いなのはこのアオズは元々ドガ王国の都市で、城は堅固で特に国境側の南側は防御力が高いという事だ。
グレナ軍はたっぷり五日休養を取って侵攻してきた。アオズは先に述べた通り川を町に引き込んでいる。その川は町をぐるりと一周して水堀の役目を果たしており、町に入るための経路は北か南の門を通るしかない。この南門をめぐって攻防が激化した。
クレストル軍は二日間よく防いだが、徐々にダメージが蓄積し、いよいよ危なくなってきた。
「ショーン、南門はもう限界だ、そろそろ市街戦を覚悟しなきゃいけない」
シンが悲壮な顔つきでショーンに決断を迫る。
「そうか・・・、ではせめて希望する市民を城の中へ避難させよう」
「それは賛成できない。そんな事をすれば当然間者や工作員が入り込む恐れがある」
「それでも!!戦火を恐れる市民を放置する事は出来ない、それは姫様の望む国のあり方ではない!」
「ショーン・・・」
「シン、俺達は姫様の家臣だ。俺達は姫様の理想を実現する為に戦っている。姫様ならば絶対に市民の犠牲を出さない様に最大限の努力をするはずだ、そうだろう?」
「そうだね・・・。だけどショーン、参謀として言わせてもらうと、市民を城に収容すれば兵糧の消費が加速度的に進んでしまう。もって十日だ」
「十日か・・・厳しいな・・・。それでも俺は市民を見捨てられない。食料をなるたけ持参する様に呼びかけてみよう」
「ショーン、もう一つ提案がある。避難させるのは南門から城門までの住民だけでいい、その他の市民には家を閉ざして隠れている様に呼びかけるに止めよう。グレナ軍も進行路上にない家にまで手を出さないだろう」
「・・・わかった」
「リキ達が間に合ってくれるといいんだけど・・・」
次の日から市街戦が始まった。ある意味クレストル軍としては戦いやすいものだった。開けた場所のない市街戦では大軍による力押しと言うのがやりにくいのだ。
三日間何とか耐え忍んだ日の夜―――
「ショーン、不味い事になっている。避難民の数が想定よりも多くて兵糧が底をつき掛けている。すまない、見通しが甘かった」
「どうする?籠城したとして何日くらい持ちそうだ?」
「三日・・・、一食の量を減らせば十日は持つけど兵の士気は確実にさがる」
そこへわずかな光明となる知らせが二つ舞い込んだ。
一つはシムズの帰還である。シムズはペリッツの元へ兵糧を送り届け、千人の兵と共に帰還した。
もう一つは救援を要請していたイケイのクウリュウ准将から二千の兵を率いて明日合流するとの知らせがあった。
「よし!ショーン、明日は打って出て再び野戦を挑もう。兵力ではまだ劣っているけど、この機会を逃せばじり貧になりかねない」
「わかった。明日決戦という事か?」
「ああ。兵糧が心もとない以上早く決戦に持ち込むべきだ」
そこに新たな協力者が名乗り出た。
「ショーン偏将、市民の一人が面会を希望しています」
取次の兵がショーンに告げると、ショーンはシムズに警護を命じてその市民に会った。
「私は元ドガ王国で歩兵組頭を務めていたシュウケンと申します。我々もアオズ防衛のために戦わせていただきたい。千人程をすぐに集められます、我々の力をお役立てください」
シュウケンは静かに頭を下げた。
元ドガ兵達はクレストルがアオズを陥落させた際に、そのほどんどは一般市民に戻されていた。その元ドガ兵達が故郷を守るためにクレストル軍に志願してきたのだ。彼らはクレストル軍が市民の保護を優先させたのを見て、クレストル王国を信頼できる主と認めたのだ。
ショーンとシンは顔を見合わせて頷き合い、
「よろしく頼む。すぐに兵を集めてくれ、明日には決戦に挑むので、諸君には城と町を守ってもらいたい。敵は我々が引き受けるので、町の防衛の方をお願いしたい」
シュウケンは目を見開いて驚いた。
城を任せるという事は、背後を任せるという事。信頼できない者には決して任せられない役割だ。
シュウケンは跪拝して、
「必ずや信頼にお答えして御覧に入れましょう」
と答えて仲間を募りに部屋を辞した。
「ホッカクからの援軍はまだなのか?ベリサは何をやってるんだ?」
「今ここにないものを当てにしてもしょうがない。メニエ将軍もベリサも最善を尽くしてくれているさ、僕らは明日の決戦に全力を注ごう」
翌日クレストル軍は町を出てグレナ軍の正面に布陣した。
グレナ軍のコウウンは籠城を捨てて出てきたその行動をいぶかしんだが、背後が気になるのはむしろグレナ軍の方だ。キョウセイの策ではアオズさえ落とせれば、ラズールとランダールはくれてやっても良いというもの。それだけに早くアオズを落とさなければならない。当初の情報ではアオズに残った兵は二千足らずという事だったが、どうも四千はくだらないようだ。兵も精強で苦戦したものの、じわじわと攻め込み、今日あたり城攻めになるかと思われたところで突然クレストル軍が打って出た。
コウウンはその理由を正確に見抜いていた。市街戦になった町には住民の姿がなかった、恐らく城内に収容したのだろう。だとすれば兵糧の消耗が激しく、決戦を急いだのだろうと。
これは城攻めをするよりもグレナ軍にとっては都合がいい、苦戦覚悟の城攻めよりも、数の力が活かせる野戦の方が手っ取り早い。速戦を望むのは両軍とも同じなのだ。
クレストル軍四千、グレナ軍八千七百で両軍は激突した。
序盤こそ精強さで上回るクレストル軍が互角の展開に持ち込むものの、徐々に押し込まれ始める。左翼が崩れそうになった時に、その後方からクウリュウ准将率いるイケイの軍が戦場に乱入した。
これによってクレストル軍の左翼は崩壊を免れ、九死に一生を得ることになり、その日は互いに兵を退いた。
ショーンとクウリュウは馬を並べて城へ帰還し、
「クウリュウ准将!援軍ありがとうございます、危機一髪のところを救われました!」
ショーンはクウリュウの手を取って感謝の意を伝えた。
クウリュウも、
「間に合って良かった!しかし、なぜ籠城ではなく野戦を選んだのですか?」
と再会を喜び、ショーンに語り掛けた。
「実は兵糧が心もとなくなってきて・・・」
ショーンがそこまで話したところで奥から、
「ショーン!無事だった?」
と声をかけてくる者がいる。
見ればホッカクにいたはずのベリサが近づいてくる。
「ベリサ!来てたのか!?いつ着いたんだ?」
「昼過ぎには着いてたんだけどね、あんた達が表で戦ってるうちに北門からそ~っとね。仕事があったからそっちへは手伝いに行けなかったのよ」
「仕事って?」
「どうせ必要なんだと思ってね、手配してきた。付いてきて」
ベリサがショーン、シン、クウリュウなどを先導して向かったのは食糧倉庫だった。
そこには山の様に兵糧が積まれており、
「これだけあれば二万の兵が半年は戦えるわ。随分市民をかくまっているようだけど、それでも三か月は持つでしょう。必要ならもっと用意するわよ?」
ベリサは何でもない事の様にそう言った。
「ベリサ、こんなに沢山どうしたんだい?」
尋ねたのはシンだ。
「ん?集めたのよ。商人からもだけど、直接農村へ行って頼むと流通に乗る前の農作物が買えるのよ。人海戦術だけどホッカクには兵がたくさん残ってたからね、姫様の軍の時にもよく使った手よ。姫様の軍ではカーラも手伝ってくれたけど、兵站はほぼ私の仕事だったからね。色んなルートがあるのよ」
「うはあ!これで悩みが解決しちまったなあ!」
「兵も二千ほど連れてきているわよ?運び込む量が多くてそっちの戦闘まで手が回らなかったけど」
ベリサの言葉を聞いてシンは、
「これでクウリュウ准将の兵とベリサが連れてきた兵を合わせれば七千五百くらいになる。兵力は互角と言っていい、もう負ける戦じゃないぞ!」
と力強く叫んだ。
「あとはラズールとランダールよねえ。まあリキが負けるっていうのはあまり考えにくいけど」
「だな!俺もここを任された以上守り切らなきゃな!」
翌日もクレストル軍は打って出た。しかも兵力は昨日の倍近くに増えていて、彼我の戦力差はほとんどなくなっている。こうなれば兵の質がものをいう。昨日とは打って変わってクレストル軍が一方的に攻め立てる。グレナ軍の中軍が崩れかけコウウンが退却を呼びかけた時、南の地に砂塵が上がり新たな軍が現れた。
ショーンは物見の兵に呼びかける。
「どこの兵だ!?」
「・・・クレストル王国紋、味方の軍です!」
「誰だ!?」
「・・・紅蓮の大将旗!リキ将軍です!!!」
リキは戦場を見渡すと、
「中軍が崩れているな・・・、シアダド!俺が後ろから中軍を崩してくる!お前は展開してこぼれてきた中軍の兵を掃討しろ!左右の翼軍は無視していい、シンが上手くやるだろう」
「了解!」
「リキ隊!続けえー!!」
リキは馬に鞭をいれてグレナ軍の中軍に向かって突撃してゆく。
(数が多いな、騎馬では不利か・・・)
リキは手前で馬を下りて返し、腰の『天雲切』を抜いて敵中に飛び込んだ。
【錬氣】で体を輝かせ、ものすごい速度で迫るリキを見てグレナ兵達は、
「『幻影』だ!」
「リキ・サーガが来たぞ!!」
「奴はディオ・バウンスを斬った化け物だ!!」
「勝ち目はない!」
「殺される!!」
「逃げろ!!!」
などと喚き散らし、戦う意欲も失せ、蜘蛛の子を散らす様に逃げ惑った。
リキはそんな事などお構いなしに敵兵を斬りまくり、コウウン目指して一直線に駆け抜けた。リキとコウウンはリキがイケイでドガ軍に拷問されていた時にイケイを占領に来たコウウンと会っている。リキはその顔を忘れていなかった。
「コウウン!これまでだ、降伏しろ!」
遂にコウウンを見つけたリキが突き付ける。
「『幻影』リキ・サーガか・・・。やはりあの時殺しておくべきだった」
「あの時のあれはやはり策略だったのか?」
「勿論だ、私はあの時キョウセイ様にお前を殺す様に進言したが、キョウセイ様は却下された、ミアナを怒らせたくないとな。あの時殺しておけばこんな事にはならなかったのだ」
「殺す!」
リキはあの時犠牲になったリキ隊二千四百人の部下を思い、血が逆流するほど激怒した。
「仮令一瞬たりとも貴様等が生きているのが我慢ならん!!」
リキは断末魔の叫びも許さず、脳天から股まで真っ二つに斬り割った。
「うおおおおおおおおおおおおおお!!!」
リキは激情のままに雄たけびを上げ、そのあまりの迫力に周りのグレナ兵は頭を抱えてうずくまり、武器を捨てて降伏した。
一度失われた士気の喪失は次々と周りに波及し、グレナ軍は指揮官を失った事も相まって算を乱して潰走した。敵右翼をクウリュウが、敵左翼をショーンが追撃し、崩壊した中軍はリキと網を張って待ち受けたシアダドによって撃破された。
五千人に及ぶ降兵を得て、半月に及んだアオズの攻防はショーン率いるクレストル軍が薄氷を踏む思いをしながらも守り切り勝利を収めた。
「ショーン!」
「リキ!」
戦いが終わった戦場で相まみえた二人は固く抱擁を交わした。
「良く粘ってくれた!シムズもご苦労さん、騎兵隊はどうだった?運用は上手くいったのか?」
「応!だが今んところ使い道は限定されそうだな。数をそろえない事にゃあ通常戦闘には使えねえ。奇襲とか遊軍が主になりそうだ」
「そうか、まあその話は後にしよう。とにかく戦は俺達の勝ちだ!アオズへ凱旋するぞ!!」
「「「応!!!」」」
クレストル軍はアオズに凱旋し、住民たちの歓待を受けた。ショーンの取った措置に住民たちも感謝し、クレストルの支配を受け入れたようだ。”善政を敷くクレストル”の評価はさらに高まり、以後の戦略に有利に働く事になる。
アオズで勝利を祝った後クウリュウは兵を連れてイケイへ帰り、リキも王都へ報告を向かわせてからランダールへ戻った。
一月ほどして王都からの指令が届き、臨時にグレナ軍区(仮)を置き、ランダール、ラズール、アオズを管轄させ、バサット将軍を司令官に任命した。バサット将軍がランダールに、ロッカリン少将がラズールに駐屯する事になり、リキ軍はエリアス、バーデル両准将が率いてホッカクへと戻るようにと指示があった。
リキ、ショーン、ラライネ、シンの四人はリンカ峠を越えて王都に来るように指示され、リキ軍とは別行動で王都へ向かった。この時カルナが”なぜ自分ではないのか!?”と憤慨していたが、指令には逆らえず肩を落としてリキ軍と共にホッカクへと旅立って行った。
リキ達はわずかな供を連れ(リキがいるので国内ではほとんど護衛は要らない)てリンカ峠を越え、王都に入った。
ゴダール館でリキとショーンはミアナに謁見し、作戦行動の終了と成功を報告して労いの言葉をかけられた。
この場でショーンに准将への昇進と、騎士爵の綬爵が言い渡された。
ショーンは元々ワイズ子爵家の三男で、いずれは騎士爵を下賜される事は決まっていたのだが、今回の綬爵は家柄ではなく、ショーン自身の働きによって自ら勝ち取ったものである。もっとも貴族の子である事が考慮されたのも事実であるが(リキやシャクリーンに比べると綬爵条件が随分緩い)。
その後リキは御前会議への出席を求められた。その席でカーラが、
「これでグレナに関してはひとまず終わりにしましょう。聖王国が関与してくるとなればこちらもそれ相応の準備をしなければなりません。取り合えずリンカ峠を拡張して軍が通れるようになるまではこちらからは手を出すべきではありませんね。予定通りドガ攻略を進めましょう」
と発言、リキ以外の全員が頷いた。リキだけはまだ何も聞かされていないので、頭の上に『?』が浮かんでいる。
「リキ将軍、既に次の作戦行動は始まっているのじゃよ。今回の目標はドガの北方の都市『バヌ』、メニエ将軍を中心に考えとる。リキ将軍はしばし休養を取られよ、ホッカクにて作戦の後援を頼むわえ」
「はあ」
リキは気のない返事を返す事しか出来なかった。リキは昨年の㋑―㋩―㋠ライン封鎖作戦、そして先日のグレナ解放作戦とを成功させて自分自身でも乗っているところだったので少し拍子抜けした感じだ。
「リキ将軍、あなたばかりに負担をかける訳にはいかないし、他の将軍にも活躍の機会を与えなければならないのです。現在リキ将軍が我が軍の中心戦力である事は事実ですが、だからと言ってリキ将軍だけで全てが片付くという訳ではありませんよ?」
ボーデンハウス宰相に諭されてリキは、
「承知いたしました。ホッカクにて職務を果たします」
と頭を下げた。
「さて、ボーデンハウス卿。わしらはお暇するかねえ、あとは若い者の時間だわえ。お仲間達も待ちくたびれているだろうわえ。ふぇっふぇっふぇっ」
ボーデンハウス宰相は少し苦い顔をしながら(勿論カーラとショーンの事を邪推している)タヌルバルド元帥の後に付いて部屋を出た。
「リキ!!」
ミアナは二人の侯爵が部屋を出ると同時にリキに抱き着いた。さすがにキスまではしないが、随分大胆な行動だ。
今この部屋にいるのは、ミアナ、リキ、カーラ、シャクリーン、セイア、そして・・・アンヌ・タヌルバルドである。
「・・・ミアナ様?」
勿論アンヌもミアナとリキの関係は情報として知っていたのだろうが、まさかミアナが目の前でこんなに大胆にはっちゃけるとは思ってもみなかった。
元ミアナ軍の面々にはもう珍しくもない行動なのだが、アンヌにとってミアナのイメージは温和で淑女、時に毅然とした態度で振る舞う女王だったのでかなり面食らった。
「えっ!?あのっ!アンヌ!?」
どうやらミアナ、素でアンヌの存在を忘れていた様である。
「いえっ!!お二人の事は存じておりましたので、はい!」
アンヌの方もばつが悪そうに答える。
「アンヌ、見なかったことにしてくれ。姫様も一年以上リキに会っていなかったので抑えられなかったのだ」
「え、ええ。でも本当だったのですね」
「えっ!ああ、うん・・・」
ミアナが小さくなってしょんぼりとして言った。
「色々とあるので一応内緒という事で頼む。大丈夫だよミアナ、アンヌは俺達の仲間だ」
リキは慰めるようにミアナの髪をなでた。
とそこにショーン、シン、ラライネ、そしてイスティがやってきた。
イスティは見た目でかなりおなかが大きくなっていた。
「おお!イスティ、随分腹出てきたなあ!」
声をかけたリキに、
「言い方ってもんがあるでしょうが!こういう時はね、”おなかが目立つようになったね”って言うもんよ!」
イスティは相変わらずイスティだ。
「すまんすまん。で?順調か?」
「ええ、おかげさまで。食欲もあるし、シャクリーンとは言わないまでもベリサ並には食べてるかも。もう動くのもわかるわよ」
「そっか。予定はいつ頃なんだ?」
「来月の頭ぐらいかな?順調にいけば、だけど」
「シン、ホッカクに来るのは子供が生まれてからでいいぞ。イスティもその方が安心だろう?」
「そりゃそうだけど・・・。でもいいの?」
「ああ、とりあえずしばらくは俺の出陣はなさそうだし、シャクリーンがベリサをもう少し貸しといてくれれば」
「シャクリーンは構わないのだ!」
「お前は実態をわかってないだろう。だがまあいいだろう、シャクリーン軍は王都常駐だし、私もセイアもいるからな」
シャクリーンを窘めつつカーラが請け負った。
「ありがとうみんな。それじゃあお言葉に甘えさせていただくよ。リキ、ショーン、ラライネ、軍の方は頼む。落ち着いたらホッカクへ戻るから」
「ああ、ゆっくりしてこい。でだ、カーラ。今後の戦略はどうなっているんだ?」
一転してリキが真面目な話題を口にする。
「今メニエ将軍に命じてバヌ攻略作戦が実行されようとしている。まあバヌには大した兵力は居ないだろうから落とす事自体はそう難しくはないだろう。ただバヌの領主シュエンの治める土地は物成が悪いくせにやたらと広い。周辺の小領主たちを降しながらだと少し時間がかかるかもしれんな。それと後々ドガ王国の首都ラクアンを攻める事を考えると、ラクアンに近い土地に前線基地となる町なり駐屯地なりを作らねばならないかもしれん。バヌの次はケイだ、これはリキ、お前にやってもらう事になるだろう。実は今回のバヌ攻略はのちのケイ攻略の前哨戦というか予行演習でもあるのだ」
「どういう事だ?」
「ケイはイヒョウ湖畔の町だ、そこであいつを使ってみようと思ってな」
「あいつ?」
―――――――
―――――
―――
一通り話が終わると、待っていたようにシャクリーンがリキに向かって、
「なあリキ!久しぶりにシャクリーンと手合わせするのだ!ティアもカレンも弱くはないのだが、やっぱりシャクリーンは思いっきりやれるリキと闘いたいのだ!」
カレンとは元グレナの”カマキリ女”カレン将軍の事だろう。
リキの方も一対一でまともにやれる者がおらず、望むところだったので二つ返事で承諾した。
手合わせの場所は王都の基地の野外演習場になった。
クレストル王国軍、武のツートップによる手合わせは各方面の興味と関心を呼び、女王ミアナを始め、タンドナ、ルーリーなどの王族、両侯爵や貴族・高官、ダグ将軍、ホウショなども観戦する中で行われた。
「リキ、まずは【錬氣】なしでやるのだ!」
「まずはってことは後で【錬氣】ありもやるって事か?」
「勿論なのだ!」
「まいっか。よし!まずは【錬氣】なしだ!」
両者が持つ刀と薙刀は勿論模造刀だ。リキは腰に短剣を提げたベルトも締めている。
二人は2mほど離れた位置でにらみ合う。この位置が丁度シャクリーンの間合いの一歩外だ。
リキはシャクリーンの周りを波を描くように移動する。対するシャクリーンはその場を動かず向きだけを変える。現代的に言うなら回転する砲台のように。
≪ギィィィィン!≫
鋭い音と共にリキの体が弾ける。シャクリーンの間合いに入り、打ち込まれた薙刀を刀で捌いて外へと跳んだのだ。
両者の口元に笑みが浮かぶ。シャクリーンは打ち込んだ薙刀を捌かれた事を、リキは薙刀を捌いて踏み込めなかった事を知る事で相手が自分の想定の外にいる、かつてのリキ、シャクリーンよりも数段腕を上げていると知って思わず笑みがこぼれてしまったのだ。
強い仲間の存在がお互いを高め合う、リキとシャクリーンの関係は正に理想的だった。
「実戦を経験してない割には随分腕を上げているな、シャクリーン!」
「鍛錬をする時間はいっぱいあるからな!リキは実戦を経てもっと強くなったな!」
二人は再び2mほどの間合いを取って対峙する。
「ここからは本気で行くぞ!」
「来いなのだ!!」
リキがシャクリーンの間合いに踏み込む。先ほどの様な様子見ではなく、踏み込む速さも先ほどとは段違いだ。
「りゃっ!!」
それでもシャクリーンは反応する。しかしリキは、そんなシャクリーンの薙刀を打ち払って尚も踏み込む。
リキの間合いに入った!と思った瞬間、シャクリーンの方もさらに踏み込んできた。
二人の距離が互いに手の届く位置にまで近づく。
「!!」
この間合いを嫌ったリキが外へ逃れようと後ろへ跳ぶ。
しかしそれより先にシャクリーンの右手がリキの胸倉を掴んでいた。
「ほっ!」
シャクリーンはリキを掴んだ手を引き寄せると同時に足を思い切り払った。
リキの体は掴まれたところを軸に180度回転し、そのまま頭を地面にたたきつけられた。
リキはとっさに地面と頭の間に左手を差し込んで片手で体を支え、右手でシャクリーンの足を切り払った。
シャクリーンはその場で飛び上がってリキの刀を躱し、真上から薙刀を打ち付ける。
リキはそれを躱す為に跳ね起きるように後ろへ跳び、起き上がって再び刀を正眼に構える。
「いきなり組み打ちかよ」
「シャクリーンにも無手の技はあるぞ!」
ここまでの攻防はほんの一瞬、観客の中で何が起きているのかを理解している者はティアやダグ将軍、カレンなどほんの一握りだ。ほとんどの観客は二人の間の無数の攻防・駆け引きなど全く理解できていない。
二人の間合いは3mほどに離れている。リキは腰の短剣を引き抜き、シャクリーンの顔めがけて投擲し、そのすぐ後ろから間合いを詰めた。
≪キ―ン!≫
シャクリーンは短剣を打ち払うのではなく、刃の腹に薙刀の刃を添える事で投擲の軌道をずらしてかわし、踏み込んでくるリキにそのまま薙刀を突き出した。
「くぅっ!!」
リキは何とかすんでの所で踏みとどまり、再び距離を取る。
「これはシャクリーンには初見のはずだが?」
「リキが短剣を投げるのは聞いていたのだ!ならば対処法は考えてあるのだ!」
「ちっ!やはり武に関しては天才だな、シャクリーン!」
「ありがとうなのだ!」
「ならば今度はこいつを試してみよう」
リキは刀を鞘に納め、鯉口を切った状態でシャクリーンの間合いに踏み込んだ。
『居着き』の弊害を克服するための踏み込みながらの抜刀術『雷光』だ。
「ふにゃっ!!」
慌ててシャクリーンは『雷光』に薙刀を合わせる。
≪ギャンッ!!≫
刀と薙刀の衝突は刀に軍配が上がった。シャクリーンの薙刀が上方へ弾かれる。
がら空きになったシャクリーンの胴をリキの刀が薙ぐ。
間一髪それを後ろに跳んで躱すシャクリーン。
いったん間を置こうとリキに薙刀を突き付けたその時、リキはシャクリーンの薙刀の柄に刀の腹を添えて滑らせ、シャクリーンの左の小手を狙ってきた。
目論見の外れたシャクリーンは急いで左手を薙刀から離し、リキの斬撃を躱そうとした。
(ここまでが計算の内だ!)
リキはシャクリーンが左手を離すや否や、刀を返してシャクリーンの胴を突いた。
「がっ!!」
胸を突かれたシャクリーンは仰向けに大の字になってひっくり返った。
「あははははははは!!!シャクリーンの負けなのだ!最後のは凄かったのだ!抜刀術もその後も、全く対処出来なかったのだ!」
シャクリーンは笑いながら跳ね起きる。
「ていうか俺は『雷光』で決まると思ったんだがなあ。『居着き』せずに『雷光』を撃つってのは結構苦労したんだがなあ?」
「あははは、あれは凄かったのだ!!シャクリーンの薙刀が弾かれるとは思わなかったのだ!」
「俺は止められた事の方が衝撃だよ・・・」
少し離れた所で見ていた観客たちは声もなかった。
やっとダグ将軍が、
「私の考えられる世界を超えてしまっていますね。何をしていたのかさえ理解できませんでしたよ」
とこぼした。
「いつも相手をしていたシャクリーンとこんなにも差があった事もショックだけど、それに勝っちゃうリキってどれくらいの化け物なのよ?」
ティアもショックを隠し切れない。
「これがクレストルの『幻影』と『ちっちゃな怪物』・・・。まるで人外の強さだ・・・」
カレンも初めて目にするリキとシャクリーンの本気の戦いに衝撃を受けている。
他の観客たちも目の前で繰り広げられた、あまりにも常識外の戦いに言葉を失っている。
ただ、ミアナだけがニコニコとそれを眺め、カーラは当然といった表情で見つめている。
しかし、これですらまだまだ彼らの限界ではなかった。
「リキ!次は【錬氣】ありで勝負するのだ!」
「本当にやるのか?」
「勿論なのだ!」
「・・・、そういう状況を経験しておくのもいいか・・・、よし!ならばやろう!」
「応なのだ!」
二人の体が『氣』をまとい、激しい輝きを放つ。
先手を取ったのはリキ、あっという間に間合いを潰してシャクリーンに襲い掛かる。
先ほどとは打って変わって一方的な展開だ。怒涛のように切りつけるリキの斬撃にシャクリーンは防戦一方だ。
【錬氣】というのは面白いもので、シャクリーンの【錬氣】能力『武器強化』の『武器』とは刀や薙刀の事ではない。攻撃をする”意志”を乗せた対象物が『武器』なのだ。故に防御に使う刀や薙刀は一切『強化』されない。逆に防御用の盾で殴り掛かれば、それは『強化』されるのだ。
なのでリキの斬撃を”防御”しているシャクリーンの薙刀は『強化』されず、『筋力強化』との合わせ技『武器破壊』は発動しない。
「一方的ね・・・」
椅子を用意してもらって観戦していたイスティがつぶやく。
「そうだね・・・」
そんなイスティを気遣うように隣に立つシンが答える。
しかし、カレンとティアが言うには、
「いいえ、追い込まれているのはリキ殿の方です」
「そうね。リキの長所は速さ、でもその速さで繰り出されている攻撃が全てシャクリーンに防がれている。同じ事を何度やってもシャクリーンには通用しない、ミスもしない、このままではリキに攻め手はないわね」
「そうですね、シャクリーンは隙を見てただ一度、リキ殿の刀を打ち払えばいい。そうすれば『武器破壊』でシャクリーンの勝ちだ。リキ殿は攻め続けるしかない」
「もしくは一旦離れて別の手を考えるか・・・。だけどそう簡単にシャクリーンが離れさせてくれるかどうか・・・」
「離れるためには一度シャクリーンの間合いを通らなければなりません。その隙を見逃すシャクリーンではないでしょう」
リキの見立てもカレンやティアと同じだった。
(不味いな、このままじゃじり貧だ。何とか仕切り直しをしたいのだが、手を止めればこっちの武器が壊されてしまう・・・)
そうチラッと考えただけ、本来なら隙でも何でもない。しかし、戦いにおいてほんの一瞬でも相手から思考を外す、それはシャクリーンに対するには少々軽率だった。
「りゃっ!」
「ぐぅっ!」
シャクリーンはその一瞬を突き、リキの腹を蹴りつけた。わずかに距離が空きシャクリーンの薙刀の間合いに強制的に入れられた。
「うりゃっ!」
リキの頭上にシャクリーンの薙刀の刃が迫る。体勢的に大きな回避は出来ない、小さな回避ではシャクリーンならついてくるだろう。刀で打ち払う事も出来ない、回避できても武器を失えば結果は同じだ。
万事休すと思われたが、リキは敢えて薙刀を打ち払う事を選択した、腰に差した短剣で。
≪ギャリーンッ!≫
リキは短剣を犠牲にすることによって、辛うじて虎口を脱した。
「おお!そんな方法で避けるとはさすがリキなのだ!」
(冗談じゃない!これ以外に方法がなかったからだ!成功する確証もなかった!しかしこれで一旦仕切り直しが出来た。奥の手を使ってみるか・・・)
リキは先ほどの立ち合いの時と全く同じように腰の短剣を抜き、シャクリーンの顔目掛けて投擲した。
リキが放ったのは『影』という奥の手。一本目に投げた短剣のすぐ後ろに、全く同じ軌道で投げた二本目を隠すという技だ。一本目を弾いても、目の前に二本目が現れるというものだ。
(ディオ・バウンスでも体勢を崩して懐に飛び込めた。これならどうだ!)
リキは二本の短剣に続いて踏み込んだ。しかし、
≪キンッ!≫
シャクリーンは打ち払うことなく、短剣の先端と薙刀の刃を合わせて止めたのである。つまり、点と線を合わせて押さえてしまったのだ。
そのまま繰り出されたシャクリーンの突き込みをリキは刀で防がざるを得なかった。
≪ギャリーン!≫
先ほどと同じ音が響き、リキの模造刀は砕け散った。
それでもリキは諦めずに後ろ回し蹴りを放とうとするが、軸足を薙刀で掬われ、首を打たれた。
「参った」
「今度はシャクリーンの勝ちなのだ!」
「ああ、【錬氣】ありじゃあシャクリーンに勝つのは難しいな。さすがは【錬氣】複数使用者だ」
「シャクリーンとしては【錬氣】なしだと勝てないのが悔しいのだ」
「はは!まあ一勝一敗だ」
「のだ!」
シャクリーンが手を伸ばし、リキがその手を掴んで立ち上がる。
するとカレンとティアが各々自分の得物を持って近寄ってきて、
「リキ殿、お見事でした。聞きしに勝る実力、是非私も味わってみたい。今からお手合わせ願えませんか?」
「私も、私も~。リキとは『双剣』フェニムの時以来手合わせしていないから、久しぶりに相手してくれないかな?」
この中で恐らくリキとシャクリーンに次ぐ実力者の二人はリキとシャクリーンの戦いを見て、心に火がついてしまったようだ。
「やってみるといいのだ!カレンとティアにとってはいい経験になるのだ!リキ、カレンとティアは結構強いぞ!今ならバルカよりも強いのだ!」
「ほう。そりゃ面白い」
「えっ!?私そんなに強くなってる?あのバルカよりも?」
ティアはその長い手足をいっぱいに使って大げさに驚いた。
「間違いないのだ!バルカは元々強かったけど、軍学校をやめてからは多分鍛錬をさぼっていたのだ。鍛錬を続け、実戦を経験し続けたシャクリーンやリキとはすぐに実力差は開いていたのだ。カレンやティアも元々強かったけど、ここ最近の鍛錬の賜物でずっと強くなった。今ならバルカなんか目じゃないのだ!」
シャクリーンの説明を聞いてカーラがリキに問いただす。
「リキ、そうなのか?」
「ああ、確かにバルカの実力は大したものだったけど、シャクリーンが言ったように士官学校へ行ってからはあまり脅威を感じなくなった。策謀の毎日に浸かって鍛錬をしなくなったのだろう。あいつが恐ろしかったのはその剣・槍に殺気がこもっていたから。人を殺した事のなかった俺にはそれが脅威だったんだ」
「そうか、聞いてみないとわからないものだな。私はバルカの強さとはもっと絶対的なものだと思っていた」
「あの当時ではそうだったよ。人を殺せるというのはやはり違うよ。殺し合いなら当時俺が三人の中で一番弱かった。俺は人を殺した事がなかったからね」
「バルカは当時既に人を殺した事があったのか?」
「恐らくね。当時は分からなかったけど、今ならわかる。あの殺気は血の匂いのする殺気だった、そうだろう?シャクリーン」
「間違いないのだ。それも一人や二人じゃない、シャクリーンと同じくらいかそれ以上の人を斬っていたはずなのだ!」
「お前なあ、何で当時それを私に言わなかったのだ?」
「ん?聞かれなかったからなのだ」
「はぁぁ。まあいい、終わった事だ。で、リキ。やるのか?やるなら私達ももう少し見学してゆくが?」
シャクリーンはともかく、リキの立ち合いというのは王都に居ない事もあって普段なかなか見られない。興味のある者も多いだろう。例えばミアナとかタンドナとかルーリーとかミアナとかミアナとか。
「そうだな、せっかくだし誘いに乗るかな?二人の実力にも興味があるし」
そう言ってリキはカレンとティアとの立ち合いを引き受け、その日は暮れていった。
夜―――
リキはミアナの部屋にいた。
今やその事を咎める者もいない、ゴダール館では公然の秘密だ。
ただカーラだけが、
「お子が出来るような事だけは避けろ」
とくぎを刺しているくらいだ。
「やっぱり凄いのねぇ、あなたもシャクリーンも。あのダグ将軍でさえ”別の世界の様だ”って言ってたわよ?」
「【錬氣】を使ったシャクリーンは凄まじかったな、殺し合いなら絶対に勝てないよ。もしかしたら本当にシャクリーンが今、世界最強かもしれない」
「そんなに!?」
「ディオ・バウンスと比べると、まだディオの方が上だけど、それでも今のシャクリーンに勝てるヤツがいるとは思えないな。勿論一対一でだけど」
「そうなんだ」
「まあでも世界は広いからね、どこかにまだとんでもない奴がいるのかもしれないけど。ミアナの方はどう?女王様の生活には慣れた?」
「そうねぇ・・・、正直あんまり仕事がないのよねぇ。宰相や元帥やカーラがなんでもやってくれちゃうから。巡行はタンドナやルーリーが積極的に行ってくれてるし」
「それに甘えずに少し仕事を覚えた方がいいぜ?せっかく理想の国を実現出来る立場にいるのに、見ているだけなんて勿体ないだろ?」
ミアナはしばし俯いていたが、ハッと顔を上げ、
「そうよね!私がなりたいのはお飾りの女王じゃない、この国に住むすべての人達が幸せに暮らせる国にする!それが私の望み!リキ、ありがとう!いつもあなたは私に行くべき道を示してくれる」
この後ミアナは各軍区に軍学校を作る事、御耕地(王家所有の耕作地)での農作業に失業者を雇う事、街道と駅馬車の整備をし、都市間の流通を改善し、都市間格差の是正に努める事などを相次いで提案し、そのいくつかは実際に予算が付き実現されてゆく事になる。
「リキ・・・さみしかった・・・」
「俺もだよ、会いたかった・・・」
二人は抱き合ってお互いの愛情を確かめ合い、夜は更けていった。
次は短い話になります(なるといいなあ)。