side:黒澤紫 『記憶の奥に』
繰り返し、同じ夢を見る。
真っ赤に染まる地を見つめる、僕によく似た少年の夢を、繰り返し、繰り返し。
彼の手には、二丁の拳銃。
愉しそうに笑っているのに、どこか悲しげで。
そして彼は愛おしそうに、ある人物の名を呼ぶのだ。
『早く来て、―――』
◆
目を開けると、目の前には見慣れた天井。
また、あの夢を見ていたようだ。
「……思い出せない」
彼が呼んでいた名前を、僕はいつも覚えていない。
まるでそれは、「忘れろ」と言われているようで。
「忘れてはならない、そう思うのに」
どうしてだろう。
忘れていた方が、いい気がする。
「おはよう、紫」
玄関の扉を開けると、いつもと同じく彼が居た。
「おはよう、霧夜」
薄い水色の短髪が、とても似合う整った顔立ちの少年。
僕の大切な、幼馴染。
そのまま僕は彼と並んで、ゆっくりと学校へ向かう。
途中で同じく幼馴染であり、同学年の友達でもある銀來と紗羅と合流した。
「今日、紫たちは?」
紗羅の問い掛けは、仕事のことだとすぐに分かる。
「今日は休み」
「そっか。じゃあ私達は仕事あるから、先帰ってて」
「分かった」
僕達は、《死神》だ。
霊感がある僕達にしか出来ない、特別な仕事。
銀來と紗羅は前世から《死神》だったと聞いた。
霧夜はそれ以前から、ずっとこの仕事をやっている。
現世から《死神》になった僕は、何も知らない。
僕と霧夜は、小さい頃からずっと一緒だった。
家も近いし、霧夜は気がついたら僕の隣に居るのが当たり前になっていた。
霧夜は小さい頃から大人びていたけれど、その理由を知ったのは、僕等が小学校に上がったときだ。
『しに、がみ……?』
『そう、《死神》。紫、俺と一緒に《死神》にならないか?』
僕は霊感があったから人には見えないものが見えていたし、ずっと傍に居たから霧夜もそうだと知っていたけれど、《死神》にならないかと突然問われ、僕は困惑した。
『きりやは、しにがみなの?』
『前世は、《死神》だった』
“前世”
言われて初めて意識した。
自分が“自分”である前の、自分。
『ぼくのぜんせは、しにがみ?』
『紫は、違うよ』
あぁなんだ、僕は違うのか。
そう思って少しだけ落ち込んだ。
『きりやは、ぜんせをおぼえているの?』
『あぁ、覚えてる』
『そっか』
だから霧夜は僕よりずっと大人なんだな。
そう納得した。
『うん、きりやがしにがみなら、ぼくもしにがみになるよ』
『良い、のか……? 本当に……?』
霧夜は不安そうに尋ねる。
でも僕は、決めているから。
『ぼくは、きりやのそばにいるよ』
それはまるで愛の告白のような言葉。
甘い甘い、束縛の言葉。
『紫……っ』
急に抱きしめられて、また困惑する。
霧夜は僕を力強く抱きしめて、僕に聞こえないくらい小さな声で呟く。
『紫、今度こそお前を守るから……』
『きりや?』
『大好きだ、紫』
『ぼくも、きりやがすきだよ』
愛の言葉を交わし、抱きしめる。
いつからだろうか。
こんなにも、愛おしく思ったのは。
それはまるで魂に刻まれているかのように、ごく自然に生まれた感情だった。
◆
「ごめん霧夜、遅れ―――……霧夜?」
僕は先生に呼ばれていて、霧夜には教室で待っていてもらった。
教室に戻ってきたら、霧夜は机で頬杖をついて眠っているのが見えたので、思わず言いかけた言葉を飲み込む。
起こさないようにそっと近づいて、霧夜の前の席に座った。
霧夜の綺麗な顔を見つめるのは、好きだ。
水のように透き通った髪がさらさらと揺れて、霧夜の頬に触れて離れる。
――そう、僕は霧夜が好きなんだ。
「紫稀」
聞こえるか聞こえないかくらいの小さな呟き。
けれどそれは、確実に僕の耳に届いて。
“紫稀”
懐かしい響きがするのに、僕の記憶には刻まれていない。
知らない。
知らないはずなのに。
“思い出せ”
そう、誰かが言っている。
霧夜を見つめれば、彼は穏やかに笑っていた。
その顔を見て、僕の胸が酷く痛む。
あぁ、嫉妬しているのか……僕は。
しばらくすると、霧夜が目を覚ます。
目の前に居る僕を見て、不思議そうにしていた。
「どうした、紫」
「別に……」
「……あぁ、すまない。俺はいつの間にか寝ていたのか」
「……別に、それは良いよ。待たせたのは僕の方だし」
「紫稀」と呼んだ誰かを想って、霧夜が幸せそうな表情をしていたから――だなんて言えるわけがない。
僕は霧夜の、幼馴染でしかないのだから。
「紫……」
「さぁ! 仕事行こうか」
気分を変えよう。
笑顔を見せれば、霧夜は何故か悲しそうな表情を返した。
◆
「お疲れ様、霧夜、紫」
「有難うございます」
仕事を終えて拠点へ戻れば、隊長が迎えてくれた。
「さすがだね、二人とも」
「僕はまだまだ霧夜に追いつけていません」
「そんなことはないさ。霧夜にここまでついていけるのは、君だからだよ、紫」
隊長はそういって穏やかに笑った。
そんな隊長の言葉を聞いた霧夜は、何故か今度は幸せそうに笑っていた。
仕事を終えて帰り道。
霧夜の少し前を歩く僕。
“ねぇ、―――”
突然過ぎる、あの夢。
夢にしては妙に引っ掛かる。
『僕が死んだら、君の鎌で引き裂いてくれないか、僕と世界を』
今度ははっきりと、まるで記憶の一部であるかのように映し出された。
『好きだ、』
「……子瑠斗」
――思い出した。
あの夢に出てくる青年の名を。
子瑠斗。子瑠斗。
ひどく懐かしく感じる名だ。
すると、僕に続いていた足音が消えた。
どうしたのかと振り返れば、何とも言えない顔をした霧夜がそこにいた。
よく見れば、少し雰囲気が彼に似ているかもしれないな、とか考える。
「むら、さき……今……なんて……」
「夢に出てくる人の名前、子瑠斗って言うんだ。今思い出した」
ずっと思い出せなかった、名前を。
霧夜は泣きそうになって、少し離れた距離を走った。
そして重なる。
「紫……紫……!」
「い、いきなり何!!? びっくりするじゃないか!」
「好きだ。俺はお前が、好きだ」
好きだと繰り返す霧夜に驚きつつも、僕は彼の背中に手を回した。
「僕も……霧夜が好き」
僕の好きは“幼馴染として”の好きではないけれど。
霧夜の好きと僕の好きは、きっと違う。
「……ねぇ、霧夜」
霧夜に問い掛ければ、「なんだ」と震えた声が返ってきた。
泣いているのか……?
「さっき、お前寝言を言っていたんだ」
「寝言?」
「ねぇ、紫稀って誰?」
“紫稀”という名が紫の口から出るとは思わなかったのか、霧夜はひどく動揺を見せた。
僕はそれに、苛立ちを覚える。
「霧夜」
見つめて名を呼べば、ばつが悪そうに視線を逸らす。
答える気はなさそうだ。
霧夜が僕に知られたくないこと。
悪い考えばかりが浮かんでくる。
「……霧夜の、好きな、人?」
口にしてしまうと、今にも泣きそうだ。
霧夜は僕の方を見る。
そして驚いたような顔をしていた。
あぁ、きっとそれは僕がひどい顔をしているからだろう。
「……紫稀は、」
言いかけてやめる。
どうして、そんな顔をするんだ。
僕は耐えられなくて、逃げ出そうとした。
それに霧夜は気づいたのか、向きを変えて走り出そうとした僕の腕を引いて、自分の腕の中へ納めた。
「待ってくれ、紫」
「嫌だ! 離して霧夜!」
「紫稀はっ…………お前の前の名だ、紫」
躊躇いがちに言われたその言葉は、僕が想像してものとはまったく違っていて。
上を向けば、霧夜も下を向いて僕を見ていた。
距離が、とても近い。
「僕の、名前……?」
「お前には、前世も来世も気にせずに今を生きてほしかった。だから、言うのを躊躇ったんだが……」
そういう霧夜の顔は、複雑な感情をあらわにしていたけれど、僕は霧夜が僕を想ってくれていたことが嬉しくて、笑った。
「僕の、前世……初めて、知れた……」
「前世を知りたかったのか……?」
「あぁ。だって僕だけ知らない。銀來も紗羅も知っているのに、僕だけが。だからずっと、知りたかった」
「俺は、紫に今を生きてほしいから、知ってほしくなかった。知れば、紫はきっと過去に囚われてしまうから」
そういう霧夜は、ひどく辛そうで。
そんな風に僕を大切に想ってくれる霧夜を、愛おしいと思った。
「紫」
名を呼ばれたと思えば、霧夜の唇が僕の額に触れた。
顔が朱くなるのが分かる。
「きり……っ……」
「愛してる、お前を、今も昔も、愛している」
霧夜が僕の身体を離す。
僕は霧夜の方へ向き直る。
「あ、愛してるって、その、お前のは」
「幼馴染としてじゃない。お前を、ずっと俺は好きだった」
霧夜はふわりと笑った。
その笑顔がまた僕の心臓を跳ねさせる。
記憶の奥に眠るあの人は霧夜なのだと、確信した。
僕もずっと、前世からずっと、お前が好きだったんだ。
僕は言葉をうまく紡ぐことができなくて、唇を重ねることで、気持ちを彼に伝えた。