書き続ける男
私がその人物に会ったのは、地元のイベントでだった。そこには多くの人が、ほとんどは自費で作った漫画や小説、絵画や彫刻といった作品を展示、販売する場所であった。私はなんとなくその会場を見て回り、ある1つの机に目がいった。それは、他の人の展示場所とは異なり、かなり殺風景な区画だった。他の人や団体は手作りの看板やポップ、更には目立つような衣装を着て多くの人を呼び止めようとしている。そして、それは功をなして人集りの出来ている机が多い。だが、その人物は目立たないような服を着て、紙が積み重ねられただけの机の前に座っていた。机には画用紙が貼られ、「色々の景色」と書いてある。机のある場所からして、小説か詩の類である事は分かった。だが、その内容までもは分からない。薄さと「色々の景色」からして、旅行か風景に纏わる詩なのだろうか。その、他とは異なる地味で異質な雰囲気が私の興味をそそり、そこに重ねてあった紙を1枚手に取った。コピー用紙に、縦書きで印刷されていた。紙の近くには付箋が貼り付けられ、「ご自由にどうぞ」と書いてある。
それは、短編の小説だった。2人の少女が、花畑で、互いの別れを惜しむ場面だ。文章力としては、並以上はあるのだろう。
「あの……どうでしたか?」
私が紙を戻すと、机を挟んで座っていた男が口を開いた。彼は暗い印象の中年男性で、声の調子が少し変だった。
「えっと……よかったです。風景が浮かんできて……」
私は率直な、そして当たり障りのない感想を言った。彼の作品には興味があったが、彼自身、つまり作者は一目見た時に、少し距離を置きたいと思ったからだ。なんというか、不気味な感じだった。
「それは良かった……これはね、絵なんですよ」
そう言うと男は口角を上げた。
「絵?これがですか?」
これはどう見ても文章だ。挿絵も無く、他の紙も同様に文だけだった。
「あなた、これを呼んで何を想像しましたか?」
男は聞いて来た。それも、どこが嬉しそうに。
「春の花畑で、引っ越しする友達とお別れする女の子2人……」
「そう、そうでしょう!」
男は途端に声を上げた。
「私は綺麗な花畑で、思い出の花畑でお別れをする女の子が描きたかったんですよ。でもね、私は絵が下手なんです。ええ、そりゃあもう物凄く。だから私は、その絵を文章にしたんですよ」
彼は興奮した様子で話していた。途中何度か、言葉に詰まっているようだった。
「つまり……」
「あなたはこの文を読んで、花畑でお別れする女の子2人の様子を想像した。多少の違いはあっても、私の想像したものと同じ景色を思い浮かべた。つまり、ここに絵が完成した訳なんですよ」
興奮した彼は更に紙を進めて来た。私は今更断る訳にもいかず、そこに書かれた文章を読んだ。
今度の舞台は、どこかの戦場だった。塹壕で兵士が機関銃を撃っていていた。口汚く喋る彼らのセリフから、作中の敵が普通の人間でない事が分かった。
「どうです?今度のは?何が見えました?」
「マシンガンを撃つ、兵隊……あと、敵はなんなんですか?薬とか、バラバラにしないと死なないとか……」
「そう!その話は改造人間の軍団と戦う兵士の様子なんですよ!火力と火力のぶつかり合い、それを描いたシーンなんですよ!」
この作品は彼のお気に入りなのだろうか。先程とは勢いが段違いだった。
「随分と沢山ありますね。全部違う話なんですか?」
私は話題を逸らしつつも、彼にどこが興味を持っていた。小説のことを絵という、彼をもっと知りたいと思っていた。
「大体はそうです。あ、でも、これとこれはぶつ切りのシーンなんですよ。同じキャラクターも登場しますよ」
彼は何枚もある紙を並べたり重ねたりして私に見せて来た。
「どのくらい書いてるんですか?いつぐらいから?」
「私が15の時からだから……もう30年近くですね」
「随分と長いですね。それじゃ、書くのがお好きなんですね」
そう言うと、彼は難しそうな顔をしていた。
「実はね、そんなに好きじゃ無いんですよ。書くとこが苦痛に感じる時もあります。でもね、やめられないんですよ」
「それはやはり、好きだからなのでは?」
男は「いやいや」と頭を横に振った。
「勿体ないから、書くしかないんですよ」
「勿体ない?」
正直、好きでもなく、辛いことをする事の方が勿体ないだろう。だが、この男にはそれよりも遥かに「勿体ない」事があるのだろう。
「例えば、あなたの庭から綺麗な水が湧いたとしましょう。それも、結構な量で。それがずっと出ていて、どうにも塞げないとしたら、「勿体ないなぁ」って思うでしょ?」
「そりゃあ……まぁ……」
「それと同じですよ。私の場合は、アイデア……いいえ、妄想が止めどなく溢れるんですよ。四六時中溢れる妄想を脳内で完結させるのは勿体ない。だからこうして、書いているんです。私の妄想はアニメーションか絵で現れるんです。でも、私は絵が描けない。だから私は書くしかないんですよ」
男はどこか悲しそうだった。
「私はね、ぶつ切りのシーンしか思いつかなくて、大した文才もない。でも、溢れ出る妄想をどうにかして留めて置きたい。その一心で、書き続けていきます。正直、書くのは辛いです。才能が無いのは分かっているし、誰も見向きもしてくれない。今日はここに半日いるけど、あなたが最初のお客さんなんです。お代は要りません。どうか、私とキャラクター達の供養だと思って、どれか一つ、持って行ってくれませんか…………」
彼は泣きそうな声だった。それはもう、宣伝ではなく懇願だった。私は彼の机に置いてあった、1番部数の多いシリーズを手の取り、その区画を後にした。男は何度も頭を下げ、礼を言っていた。だが、その声も会場の喧騒と雑踏に、すぐに掻き消されてしまった。
気持ちの向くまま、一気に書き上げたものです。このまま埋もれされるのは勿体無いと思い投稿しました。作中に登場した、あの男は私自身がモデルです。