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緑の風は、私の行きたい場所を知っていた。


身体を包む優しい風は、テラスの柵を乗り越えて礼拝堂の陽の光の中へと私を踊らせた。


温かな煌めきの中をゆっくりと降りていくと、その先に手を広げて微笑む愛しい人の姿があった。


あれだけ迷って逃げようとしていたのに、この瞬間に全てが消え失せてしまった。


「ルナ」


この腕が、この胸が、いつも安心を与えてくれていた事を思い出す。

私を抱き止めてくれたその腕に全てを預ける。


最初は覚えてもくれなかった自分の名を、大事そうに呼んでくれるこの人から、どうして離れる事が出来るだろう?


私はジークさんの首にしがみ付いて号泣した。


ジークさん!

ジークさん!


私の心の声に応えるように強く抱き止めてくれるジークさんは、私の額や頬に口付けの雨を降らせた。


「ルナ、愛している」


耳元で囁くジークさんの言葉に泣きながら何度も頷いた。

ああ、やっぱり、腹黒で、イケメンで、直ぐ怒鳴って怒って、それでいて甘くて優しいこの皇子さまから離れられない。


ジークさんは私の涙を唇で拭うと、目尻を下げながら

小さな声で告げて私を壇上に下ろした。


「誓わせてくれ」


ひとり立たされて不安げな私の左手を握ったまま、ジークさんはあの時のように跪いて私を見上げた。


「ルシュカン族の長にして帝国皇帝ジークバルトは、ルナ・ヴェルツを生涯ひとりの伴侶として愛し抜く事を誓う」


眼を見開く私に、金の瞳が優しく訴える。


「ルナ以外は要らない。欲しいのはルナだけだ。ずっと俺の側にいてくれ」


ああ、ずっと欲しかった言葉だ。

嬉しくて馬鹿みたいに何度も頷いた。

涙で顔はグシャグシャだ。

私は跪くジークさんの頭を掻き抱いた。


「ジークさん、大好き。愛してるわ」


涙で声が掠れて伝わったか分からない。

胸に抱きしめたジークさんが微かに笑った。

ジークさんを閉じ込めていた私の左手を優しく解くと、彼はピンクと黄金色の石が波打つように交差した二連の指輪を取り出して、私の左薬指に嵌めてくれた。


「俺とルナの瞳の色だ」


そう言ってジークさんは薬指に口付けし、ゆっくりと立ち上がった。

指輪を見つめて思わず笑みが溢れる。

私とジークさんが抱き合っているみたい。


「これで殴っても壊れたりしませんよね?」


涙を払いながらジークさんに冗談めいて問いかけると、指輪を嵌めた私の左手を持ち上げてもう一度口付けた。


「俺の魔力が込められている。遠慮なく殴るといい」


金眼が面白そうに笑っている。


ジークさんは私の左掌に、贈ってくれたものより少し大きな指輪を載せた。


「ルナの手で俺に嵌めて欲しい」


同じ形の美しい指輪。

私は指輪に口付けると、私の持つ闇と光の魔力を贈った。

ジークさんとふたり、いつまでもこの愛が強くありますように。


ジークさんの左薬指に嵌めてもう一度指輪に口付けを贈る。

見上げると、嬉しそうに細められた黄金の瞳が甘く私を見つめていた。

ジークさんの顔がゆっくり近付いてくる。

互いの唇が触れそうになったその時、祭壇上で私たちの前に立つバラーさまが大きく咳払いをした。


「これより婚姻式を執り行う」

「もう婚姻は成立した」

「その堪え性のない性格を何とかしろ」

「柔軟に対応出来ぬのは老化のためか?」


こんな所で掛け合いをするジークさんとバラーさまについ笑ってしまう。


「本日、皇帝ジークバルト・フェイツ・ルシュカンとルナ・ヴェルツの婚姻はこの場を持って成立した。以上で婚姻式を結ぶ」


バラーさまが少々投げ槍な顔で声を張り上げる。


「まだだ。まだ誓いの口付けを交わしていない」


真顔でバラーさまに抗議するジークさんが、駄々を捏ねる子供のようで可笑しい。

人ごとのように笑っていると、ジークさんの指が顎に添えられイタズラを楽しんでいるような腹黒顔が近付いてきた。


「他人事ではないぞ?」


そう言って私を強く引き寄せると、口角を上げた魅力的な意地悪顔でジークさんは私の唇を奪った。

あの嵐のような雄々しい魔力が身体に流れ込んで来る。

濡れた熱い舌で絡め取られ、眩暈を覚えて身体を自身で支えていられない。

心許無い身体を預けると、ジークさんは笑いを漏らしながら口付けを深めた。


『これが時始めの魔力だったのか。実に美味だ』


ジークさんの中の竜毒さん1号が、私がジークさんに返した生命力を満足そうに触れているのが分かる。

あまりにも貪られ気が遠くなりかけていると咳払いが何度も聞こえ、ジークさんの唇が名残惜しそうに離れていった。


眉を顰めもう一度咳払いをするバラーさまに、ジークさんは不満そうな顔を向けた。


「衆目の前だ。いい加減に堪えろ」

「生涯一度の経験だ。堪能して何が悪い」


ジークさんとの濃厚な触れ合いと流れ込んで来た竜の力でフラフラの私は、脚が震えて真っ直ぐ立っていられなかった。

ジークさんに酔った様子の私を抱き上げて、口角を上げた腹黒皇子、いや、腹黒皇帝はどうだとばかりに私の眼を覗き込んで来た。


「この程度で腰を抜かしていては、これから先保たないぞ?」


訳あり顔で口角を上げると、私の額に口付けた。

皇帝となったジークさんは益々スキンシップという名の攻撃が多くなってきた。


「何処か他所で研鑽を積んできます」


反撃しなければ直ぐに討ち取られてしまいそう、汗。


「他は駄目だ。俺が毎日鍛えてやる」


困ったな。

ジークさんに酔っている今の私では、有効な攻撃が繰り出せない、涙。


「だが、休息も必要だ。夜に備えて休むといい」

「なっ・・・?!」


ジークさんの明け透けな物言いに、もう完全にノックアウトだ、泣。

真っ赤になる私にしたり顔のジークさんはご機嫌だ。


「おい、お前たち、いつまでここに居るつもりだ?さっさと臣民に姿を見せてやれ」


用は済んだとばかりにバラーさまに追い払われた。


「俺たちの熱にあてられて、老体が悲鳴をあげているようだ。無理せず養生してくれ、バラー」

「誰がこんな皮肉屋に育てたのだ?」

「他ならぬ大神官長さまだ」

「口の減らぬ奴だ」


こんな時も砕けた物言いのふたりは、まるで本当の親子のようだ。


「ジークよ、これまで得られなかった分、幸せになるのだ」


バラーさまの目尻が下がり、緑色の瞳が優しく潤んだ。


「俺は今までも幸せだった。そしてこれからも、そうあり続ける、ルナと共に」


バラーさまと出会えた幸せに感謝したジークさん。

その言葉に、バラーさまは相好を崩して頷いた。


私を抱き上げたまま、ジークさんが扉を目指して絨毯の上を歩き出す。


「ジークさん、降ります、歩けます!」

「フラフラではないか。倒れては困る。大人しくしていろ。それに」

「それに?」


聞き返す私に、またしても口の端を上げてニヤリと笑う腹黒皇帝。


「抱かれるのが好きなのだろう?」


この人、分かって言ってるのか、汗?


「歩かなくていいという意味ですよ?」

「ああ、妻を歩かせるような面倒はさせない。何なら四六時中ベッドの上に居てくれて構わない」

「ちょっ、ジークさん!!」


さっきから凄い口勢にあっている、涙。

皇帝になって益々余裕のジークさんは舌好調だ。


『ご主人さま、おめでとう!良かったねルナ!』

『全く、いつもルナには肝を冷やされるな』


私を抱き上げながら歩き出したジークさんの両脇に、黒豹のクロと銀狼の毒ちゃんが本来の姿で現れ、周囲から悲鳴のようなざわめきが巻き起こった。


「クロ、毒ちゃんありがとう」

『ちゃんと約束は守ったでしょ?アンタの行きたい所へ飛ばすって』


澄んだ風がジークさんと私を包み、ニクスさんがフワフワと私たちの周りを漂った。


「ニクスさん、ありがとうございます!」

『ホント、ジークもアンタも手がかかるわねー。ちゃんと幸せになんなさいよー』


ニクスさんは祝福の言葉と共に、緑の煌めきをこれでもかと言うほど私たちに振り撒いてくれた。


風の大精霊さんの神秘的な祝福に、参列者さん達から溜息と共に歓声が上がる。

最前列に、薄いピンクのドレスを纏ったあの美人公爵令嬢さんが見えた。

アンリエッタさまは美しい青い瞳を潤ませて拍手を贈ってくれている。

落ち着いたら是非とも女子会をしなければ。

私が美人令嬢さんに小さく手を振ると、アンリエッタさまは嬉しそうに振り返してくれた。

後ろの方には皇室図書室の司書マーシャルさんの姿もある。

大好きなドラゴンが目の前に現れたのだ。

きっと大興奮で記録を綴ったに違いない。

後世に真実を伝えていく為に齟齬が無いか、近いうちに内容をチェックしに行こう。


祝福してくれる参列者さん達に思いを馳せていると、隣を歩く毒ちゃんが大きなお口を開けて欠伸をした。


「毒ちゃん眠いの?昨夜は遅かったの?」


毒ちゃんは私をジロリと睨むと呆れた調子で言った。


『ああ。だが、これでやっとゆっくり眠れる』 

『毎日代わりばんこで寝ずの番してたからね』


何の事?

2匹の言っている事がよく分からない。


『全くよー。そんなにルナが心配なら、ジークが見張っていれば良かったのにー』


え?!

皆んなで見張ってたの?

私を??


「な、何でっ?!」

『ルナはご主人さまから離れようとしてたでしょう?』

『ルナが逃げないようジークに監視を頼まれたのだ』


魔獣という名の監視カメラか?!

ジークさん、そんなストーカーみたいな事してたの、汗?

驚愕の事実に青くなってジークさんを見上げる。


「理由も分からず、答えても貰えなかったのだ。そうするしかあるまい?」


ジークさんは悪びれもせず平然としている。


うっ。

そりゃあ、理由を教えなかった私が悪いのだけれど・・・。


「俺がルナを逃すわけ無かろう?」


当然の事だと言わんばかりに口角を上げて不敵に笑うジークさん。


「今夜からは同じ寝室だ。ルナが逃げないよう俺が寝ずの番をする」


また腹黒ジークさんの口撃が始まった、泣。


「ちゃんと寝て下さい」

「ルナは寝る気なのか?」

「寝室は眠る所です!」

「他にも使い道があるが?」

「ジークさんっっ!!」


ニヤつく腹黒皇帝はこれ以上に無いくらい愉快そうだ。

私のHPはゴリゴリ削られていく・・・泣。


「俺を独占したかったのだろう?これからが楽しみだ」

「?!!」


皆んな、ジークさんに喋ったわねっ!!


恥ずかしいやら頭にくるやらで、涙目になりながら一人と2匹を睨みつける。

私の視線に皆、我関せずの澄まし顔で礼拝堂の出口目指して進んでいく。


「俺もルナを独占したい」


ジークさんの甘い囁きが上から降ってくる。

見上げると、少し切なそうな金の瞳がそこにあった。

眼を見開いていると、ジークさんの顔が私の頭のてっぺんに押し付けられた。


「ルナ、何も言わずに俺から逃げないでくれ。至らぬ事があれば言って欲しい」


泣きそうな囁き声に胸が苦しくなる。

慌ててジークさんの頬に手を添えた。


「違います!ジークさんが至らないのではなくて、私が至らないんです!」


添えた手でジークさんの顔を上げて潤んだ黄金の瞳を覗き込む。


「・・・ごめんなさい」


ジークさんを苦しめた自分が情けなくて、また両眼に涙が盛り上がって来てしまう。

泣きそうな私に、両手の塞がったジークさんは黄金色の視線で訴えて来た。

彼の意図が分かった私は、ジークさんの顔を両手で包み込むと、ゆっくりジークさんの唇に自分の唇を重ねた。


それが合図だったかの様にラッパの音が響き渡り、礼拝堂の扉が左右に大きく開かれた。

階段下の広場から長く続く大聖堂の外門の更に外まで、見渡す限りの人々で埋め尽くされている光景に圧倒される。

私たちの姿を見て地を震わすような大歓声が湧き起こった。


「凄い人の数ですね」

「ルナのお陰だ」

「?私?」


ジークさんは目元を緩めてフッと笑った。


「救護院で怪我人を助けるルナの姿を多くの民が見ている。皇室に反発する者達も、その事実に鳴りを潜めた。噂が広まり、癒しの力を持つ美しい皇妃の姿を一目見ようと、今日これだけの民衆が押しかけているのだ」


うへ、本当か?

まあ、私、チートでヒロインですから。

でも、良かった。

私でも少しは役に立てたのか。

皆んな、皇帝のジークさんを受け入れてくれている。

遠くて見えないけれど、この中にはルカや救護院で出会った人達も来てくれていると良いな。

この光景を始祖竜のドンちゃんにも見て貰いたい。

竜と人が交わるこの国には、こんなに素敵な人々が沢山住んでいるんだって。


『ルナよ、我を呼んだか?』


ドンちゃんの声が聞こえたと同時に、周りの空気が虹色の泡のように煌めいて収束し大きな光る球体を造った。

光の球は眩しく弾け、中心から虹色のドラゴンの顔が浮かび上がった。

その様子に詰めかけてくれた人々から興奮した歓声が上がる。


「ドンちゃん、来てくれてありがとうございます!」

『無事解決したようだな?』

「心配かけてごめんなさい」


虹色の双眸が優しく細められる。


『旅に出たくなったらいつでも呼ぶがいい』

「俺の妻を拐かすなと言っただろう?」


ジークさんが唸るような低い声でドンちゃんを威嚇する。


「その時はジークさんも一緒にお願いしますね」


笑いながらドンちゃんに手を伸ばす。

すると、ジークさんが片手で私を抱きながらもう片方の手で私の手を握り込んできた。


「用が済んだらとっとと戻れ」

『祝福に来たと言うに相変わらず余裕の無い奴だ。ルナよ、其奴に飽きたらいつでも我を呼べ』

「ジークさんに飽きる事はありません。でも、ドンちゃんの事はまたお呼びします」

「俺の居ぬ間にルナと会う事は許さん」

『その様に狭量では民を導けぬぞ』

「ルナを娶る約束で皇帝になっただけだ。他にやりたい奴がいれば直ぐにでもくれてやる」


え?

そんな約束で皇帝になったの、汗?


『やれやれ。下心で国を動かす主君を戴く不憫な民に、我から加護を与えてやろう』


笑うように言うと、ドンちゃんは巨大な虹の竜の姿となり天に向かって咆哮を轟かせた。

人々は驚き皆固まった。

静寂の晴天の中、空から虹色に輝く小さな花びらがフワフワと降って来た。

掌に乗せると踊るように光を放ち溶けていく。

幻想的な光景に、再び興奮した人々の歓喜が巻き起こる。


『ルナ、ジークよ、永遠に幸あれ』


ドンちゃんは煌めく風で虹の花吹雪を起こすと、光の泡となって消えた。


「次に不穏な発言があれば退治してくれる」


その発言こそが不穏だと思うのに、ジークさんの金眼はドンちゃんが消えた空間を睨んでいる。

これが独占欲というかヤツなのか?

ジークさんに独占されるのはとても嬉しい。


「ジークさんをひとりにはしません。ずっと側に居ます」


私の言葉にイケメン顔がキョトンとしたと思ったら、次第に赤味を帯びて来た。

照れるジークさんは初めてだ。

そんな表情も何だか可愛い。


ずっと孤独で、人からも竜からも戦い、生き抜いて来た人。

これからは一緒に分かち合いたい。

辛い事も、楽しい事も、愛しいものも、全て。


「ルナ」


困ったような、嬉しそうな、そんな声音で私の名を呼んだジークさん。

私を抱き上げている両手に力が入り更に密着すると、私から隠れるようにジークさんは私の首元に顔を埋めた。

甘えるように額を首に擦り付けてくる。

その仕草が可愛らしくて、首元も心もくすぐったい。


ここは乙女ゲーの世界。

私はヒロイン、攻略対象は腹黒イケメン皇子さま。

ミッションは死亡フラグを回避して皇子さまとゴールイン。


勝手にそう思っていたけれど、ゲームのように簡単で楽しい事ばかりでは無かった。

散々ヒロインをこき下ろしてヤダヤダ言って来たのに、気が付けばありがちなヒロインの行動を取っていた。

でも、いつの世も自分一人がヒロインで、最愛の人の為に取る行動なんて、やっぱりどの世界も同じでしょう?

それが分かったから、もうヒロインを降りるなんて言わない。


「この先ずっと、俺を独占していてくれ」


首元で嬉しい我がままを囁く私だけのジークさん。

この先もずっと、ジークさんのヒロインであり続けたい。


「もちろんです。浮気は許しませんよ?」

「いいな。俺を監禁してくれるのか?」

「政務が滞ります」

「早々に隠居だ。バラーやジェスリード殿あたりにやらせておけばいい」

「困った皇帝陛下ですね」

「愛しい皇妃のご機嫌伺いが最優先事項だ。でなければ国が滅びる」

「大袈裟ですよ」

「ルナが側に居なければ何もする気にならない」

「では、仕方ありませんね。我がままな皇帝陛下の側に居て差し上げます」


互いの額を擦り寄せ笑い合う。

虹色の花びらが舞う大歓声の中、私たちはもう一度互いの唇を重ねた。


本話で完結です。

お読みいただき本当にありがとうございました!

今後は不定期ですが、ルナとジークさんのその後も投稿したいなと思っています。

またお読みいただけたら嬉しいです!

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