謎の腹黒美人ジークさん
その後、また一週間はジークさんと会うことがなかった。
約束の仮釈放ならぬ外出を今か今かと待っているのだが、ジークさんは中々現れない。
まさか忘れた訳ではあるまいな?
来週になっても街へ連れて行ってくれないのなら、勝手に出かけるもんね、ふん。
家庭教師の先生の講義もあるし、空いた時間はクロと遊んだりもしていたから、街に出れなくてもそれなりに充実していた。
就寝前のルーティンである腕立て伏せとスクワットを行い、クロと一緒にベッドに入る。
直ぐに穏やかな睡魔に襲われ、身体は心地良い眠りに落ちていく・・・と思ったら、何やらクロが私の頬をぺろぺろ舐め始めた。
?
何をしているのかな、クロちゃん。
ご飯の時間にはまだ早いですよ。
朝まで良い子で寝てちょうだい。
無視して寝入ろうとすると、益々クロの舐め回しが強くなる。
分かった、負けたよクロちゃん。
「どうしたの、クロ?」
「にゃー!」
クロは私の声を聞くと、頭を私の左眼にゴンっと勢い良くぶつけた。
構えを取らなかったせいか、左瞼に星がチカチカ浮かぶ。
暗闇の中、一瞬、方向感覚を失った。
クロちゃん、ちょっと勢いつけ過ぎよ。
左瞼を暫し摩った後、両眼を開くと薄暗い室内でベッドの上にいた。
そう、左瞼を摩る前と同じベッドの上に居るはずなのだが、何かおかしい。
今いるベッドは綺麗にシーツの皺が伸ばされていて、自分が使った形跡が無いのだ。
暗闇に目が慣れて室内を見渡すと、室内はあの豪華な監獄よりも広く、室内の調度品やその配置も全く違っていた。
え?
ここ別の部屋なの?
すると、膝の上にいたクロがベッドを降りて走っていく。
続き部屋があるようで、扉が少し開いて光が漏れていた。
水の流れる音も聞こえる?
クロの後をついて行き、扉の開いた隙間から覗いてみる。
?!
そこには湯を張りながらバスタブの縁に、シャツをはだけさせ顔を伏せているジークさんがいた。
クロはジークさんの周りでオロオロしながら鳴いている。
「ジークさん!大丈夫ですか?しっかりして下さい!」
慌てて顔を上向かせて、呼吸を確認する。
荒くて早いが、ちゃんと息はしているようだ。
ただ顔色は真っ白で、眉間の皺は深く歯を食いしばっている。
痛みでもあるのか?
ジークさんの上半身を支えて人を呼ぼうとした。
「・・・ルナ?」
「ジークさん、気が付きましたか?何処か悪いんですか?」
ジークさんは自分で身体を起こそうと、膝に手を置いた。
「無理しないで下さい。今人を呼んできます」
「いい、必要ない。いつもの事だ」
「良いわけありません!いつもの事だなんて・・・」
何かの病気を患っているのかな?
とにかく、こんな所にいたら身体が休まらない。
「立てますか?私につかまって下さい」
ジークさんの腕を肩に回してゆっくり彼を立たせた。
思ったより重い。
身長差もあるから、支えながら歩くのが辛い。
ベッドまでは距離がある。
バスルームから出たあと、直ぐ近くのソファーに彼を横たえた。
額には汗が滲み、黒い前髪がベッタリ張り付いている。
私はバスルームに戻ると、バスタブの蛇口を締めて近くにあったタオルを濡らしジークさんの元に戻った。
汗だくの顔を拭くと、閉じていた瞼が薄く開いて金眼が覗いた。
「・・・何故、ここにいるんだ?」
「私にも分かりません。寝てたらクロに起こされて、ここに連れて来られた?感じです」
クロはジークさんの首元で頭を擦り付けている。
ジークさんの調子が悪かったのを、いち早く察知したんだね。
ジークさん想いの優しい子だ。
「・・・そうか」
ジークさんは息をそっと吐いて、首元のクロを撫でた。
暗がりで良く見えないが、ジークさんの憔悴した顔は分かる。
また痛みを感じるのか、ジークさんの右手は胸の真ん中で上着を皺くちゃに握り込んでいた。
?
何だろう?
ジークさんの胸の真ん中、その奥に何か赤黒い澱のような澱んだものが広がっていて、何かと鬩ぎ合っているようだった。
私は特に考えもせずに、ジークさんの右手に手を乗せた。
お?
自分の手に何か冷たいものが吸い付いてきて、少し身震いしてしまう。
感覚的にはあまり良いものではなさそうだ。
何かの病気の塊?
取り敢えず、吸い取れるだけ取ってしまおう。
翳していた左掌に闇魔法を発動しジークさんの胸にある澱みを吸い上げる。
すると、何か意思があるように澱みが私の左腕を這い上がって来た。
うへっ!
ギョッとしたが、手を引っ込めてしまったら、またジークさんの身体に戻ってしまいそうなので我慢する。
傍らのクロがシャーっと威嚇している。
私の左顔まで這ってきた時、突然頭に声が響いた。
『お前、ヴァルテンか?』
「は?」
次の瞬間、身体の中心でバシッと強い衝撃が起こり、冷たい澱みは消えて身体が軽くなった。
暫し呆然としたが、自分の身体は何処も悪くなさそうだった。
ハッとしてジークさんを見ると、顔色は少し良さそうで息遣いは規則的で穏やかになっていた。
眉間の皺も和らいでいる。
私は安堵して顰めていた息を吐いた。
この人は本当によく分からない人だ。
何か形の無いものと闘っているのかな?
自分の事は何も話してはくれないし、でも、それは聞かせたくない事なんだろう。
ずっとこんなふうにひとりで闘ってきたのかな?
誰か助けてくれる家族や友達はいないのかな?
ひとりは・・・寂しいよね。
そんな事を考えていたら急に眠くなってきた。
この部屋の絨毯の毛並みは柔らかくて、ちょっとうたた寝するには丁度良さそうだ。
身体を絨毯の上に横たえると、私はそのまま眠りに落ちていった。




