第81章 酒になる壺
「ごめんっ!ほんま、ごめんなぁ」
リプリスは神様らしからぬ低姿勢で、懸命に謝罪してきた。うちの神様とは大違いだな。
「まあ、俺も川も何とかなったみたいですし。クロノ様、マソフィト川への影響ってどうなんすかね?」
「水は絶えず流れていたようだし、7日間程度ならほぼ大丈夫じゃろ。近隣にいた人間の、初期対応が迅速であった」
「そうなんやね!あー、良かったぁ……」リプリスは風船から空気が抜けるように、大きく一息ついた。
「あの。そもそもリプリス様は何故、こんなとこで川を塞き止めながら寝ていらしたんでしょうか?」
「んー、せやねん。わしも考えてみてるんやけど、なんでやろ?ほんま全然覚えてへん」
……この神様、クロノよりダメかも知れない。
「覚えてない、なんてことが、しょっちゅうおありなんですかね?うちのクロノ様なんか酔っ払ってても一応、記憶はありますよ」
「酔っ払う?……あーっ!!せやった!!」
鼓膜にダメージを受けるレベルで叫ぶ、ドワーフの神様。
クロノは俺の横、くらっと倒れかけたので、支えてやった。大きなエルフ耳のイリスも、がっくりとマッドに寄りかかっている。
「酒や!わし、水を入れたら全部、酒になる壺を創ってんやった!」
……何やってんだ、この神様。
「リプリス様。もっと小さな声でも、我々は十分聞こえております。それで、その壺は?」
「聞いて聞いて!それな、ほんま何入れても酒になんねん!せやけど、やっぱあれやん。おいしいお酒が飲みたいやんか!
そんでわし、わざわざ川の上流まで、綺麗な水を汲みに来たんやけど……
あれ?もっと上流に行ってたんと違うかったかなぁ?」
「リプリス殿、その壺で、一杯やっていらっしゃったのじゃな?」
「うん!めちゃめちゃおいしかってんでー!ほんで、気分良うなってきて……
たぶんやけど、そのまま寝てしもた、ような気がしてきたなぁ。いや、ほんまごめん!あははのは」
やっぱ、クロノよりひどい神様だ。この丸っこいやつ。
「あの、一応お尋ねしときますけど、その壺って今お持ちですよね?」
「へ?壺……あぁーっ!!」
またうるさい。今度はマッドまでが膝をついてしまう。
「な、ない!え!?ほんまにない!
ど、どうしよ!ひょっとして、流れていってしもた……かも」
「その壺、入ってきた水を全部アルコールに変えるんでしたよね?
マソフィト川って、その水を人間だけでも何千人が使ってるんですよね?大丈夫なんすか?」
「あかん!何処かで割れたりしたら、この世の全てが酒になってまう。
えらいこっちゃ。大変なことになった!」
リプリスがあまりに慌てるせいで、周辺に軽い地震が起きてしまっていた。俺達まで動揺している。物理的に。
「クロノ様。どうしましょう」
「探すしかあるまい。リプリス、そなたの勘違いで、実は現在も所持していたり、何処かに置いていたり、というような可能性は?」
「……うーん、やっぱ持ってへん。
置いたかも知れん場所やけど、飲み始めた時は、もっと上流にいたような気もする、かなぁ」
流された説が有力か。しかし酔っていて記憶がないんだから、実はここにありました、みたいな可能性も排除はできない。
「分かれて探しましょう。下流を追う者、上流を探す者、近隣のインゼリーに行って報告と聞き取りを行う者。
リプリス様は上流を、ご自身の記憶を頼りに探してみてください。マッドとイリスは村へ。俺とクロノ様で、下流を追いかけます」
「そうだね!それが良さそうだ。イリス、行こう」
「了解!見つかったら、空に光の玉を投げて合図しようじゃあないか!」
「承知した。リプリス殿、ご安心なされよ。もし下流にあれば、我とマットで何とかする」
「ごめん!ほんまにお願いします!わし、ほな上流行ってくるわ!」
「クロノ様、どうします?がむしゃらに探していきますか?」
「いや、まずは下流にある村の様子をみてからじゃ。
もし住民が、川の水質の変化に気付いていたとすれば、やはり壺は川を流れていったことになるじゃろうからな。
よってマッド達を追い抜き、一足先にインゼリーへと向かう」
「この世の全てが酒、っていう事態が起きていたら?」
「最悪じゃ。まず水生生物が絶滅する。続いて地上じゃな。もしくはアルコールに適応する生き物だけが繁殖してゆき、世界を支配するか……」
「そんな大惨事、本当に有り得るんですかね」
「リプリスもドワーフの、神じゃからな。あの慌てぶりを見るに、創った壺には無限の魔力を込めてあると思う。
もし壺を破壊されるようなことがあれば、破片が川や海に散っていき、それぞれがアルコールを流し続け、大変なことになるのは間違いない」
なんて物を創りやがるんだ、あのアホ神様は。
「既に粉々になっていたら……」
「いや、それはおそらく大丈夫じゃろう。
願望も込めての推論じゃが、な。ドワーフの習性で、奴らは何でもかんでも頑健に創りおる。自分達の体と同様にな。
それを破壊せん、とする明確な意志を持ってでなければ、そうそう壊れるものではない……はず」
「とにかく、急ぎましょう。ひとまず川沿いに、インゼリーまで行ってみますか」
「うん。瞬間移動で行くぞ、掴まれ」
クロノが差し出した手を、俺が下から受け取る。
こんな緊急事態でも照れくさかったのか、無表情を装いきれず、クロノの顔は紅潮した。
「……離すでないぞ」
「そのつもりですよ。最初から」
刹那、景色が変わる。また変わる。