第79章 ドワーフの神様
氾濫を防ぐため尽力してくれていた人達に礼を言い、今日は帰って休んでもらうことにした。
ここから最寄り、インゼリーという村の大まかな位置を聞いておいた。少し下って行けば、すぐ見つかるとのことだ。
側面から、大岩の前に立つ。
マソフィト川の上流にすっぽり嵌まり込んだ、あまりに巨大なそれの表面は、金属のような鈍い光と匂いを放っていた。
「手始めに、ちょっと殴ってみていいすか?」
「いいけど、気をつけるんじゃぞ。岩というより、おぬしが蹴った地盤が砕ける」
あ、そうか。なるほどな。確かに周辺は水捌けが不完全で、地面が弛くなっている感じもあった。
「じゃあ軽めに。ライウェイッ」
ゴォォン。
……予想の通り、割れることも凹むこともなかった。
「硬い。そして、何だ?中のほうは弾力があるというか、変な感触が返ってきました」
「むう……きっと、そうか」
クロノは右の頬に手をやりつつ、何か考えているようだ。
「そんな文学的なポーズいいですから。良い案とかあるんですよね?」
川の水は大岩を飛び越え、滝のように下流へと流れ続けている。その一定に地を打つ音が、間延びしたようなこの空間を、支配するかのようだった。
その時、俺は気付いた。
「クロノ様?」
「何じゃ。妙案か」
「いや、あの……その胸の」
「な!?ど、どこ見てるの、変態!」
「あはははっ!クロノちゃん、違うから。光ってるんだよ!それ」
「そのペンダントの宝石だよ、クロノ!岩の魔力に反応してるんじゃないかい!?」
クロノは自身の胸元に視線を落とす。
「きゃっ!?」
「めっちゃキラキラしてましたよ、さっきから」
クロノはそれを細い指先でそっとつまみ上げ、顔に近づけた。
紅い光が、クロノの驚いた表情を照らす。
「ほんとだ。すごい……綺麗」
「それ、たしか露店商の人が『神の石』って言ってましたよね?」
クロノは大きな瞳を真ん丸に見開き、しばらくして、ひとつ頷いた。
「……そうか。これのおかげで、見えるのか」
「見える?」
「うん。その大岩の正体は、神じゃ。ドワーフの」
「神だって!?」イリスの大きな声。
「我も人族の神じゃからな。しかし、種族を分かつ神とは出会ったことがなかった」
「じゃあドワーフの神様が、この岩の中で眠ってるってことですか?昔のクロノ様みたいに」
「もう、300年前のことは言わなくてもいいじゃん!
……そうだよ。中は空間になってて、そこで寝てるみたい」
ドワーフの神、か。
……仮に、それを起こすことが可能だとして、その後は大丈夫なんだろうか?
「やっぱり寝起きは不機嫌だったりしますかね?どこかの神様みたいに」
「むううう、ばかにしてるよね!?」
俺達がいつものやりとりをしている横で、マッドはぺたぺたと岩の表面に触れていた。
「これ、防音みたいな構造になってるのかなー?僕達がガンガンやったやつも、全然届いてなかったの?」
「おそらくな。さっきマットが殴った時も、中には響いてなさそうじゃった」
「叩き起こしちゃっていいなら、やりますけど。それとも元の場所に移動させますか?
いや、元々が何処にあったのか謎ですね」
「どういう経緯でこの川に嵌まったのかは知らんが、動かすのは無理そうじゃ。
この座標から動かぬように、凄まじい魔力が働いておる」
「ここって、人間の領域なんじゃないんですか?」
「地上に関しては、厳密な取り決めがなされておらぬ。エルフ族と違って、ドワーフやホビットなどとは友好関係にあるからな」
「そんならつまり、あれかい?クロノと同じように、そのドワーフの神様とやらも無限の魔力を持ってる、ってことなのかね?」
「そうなる」
ドワーフか。書物の中でしか知らない種族。その神に、この岩を壊せば会えるのか。
「クロノ様、やりますか!」
「もうわかっておるようじゃな。ふふ、それでは我も、この無限の魔力を大岩にぶつける。
それと同時に、殴れ」
「了解っす」俺は肩関節の内外旋を繰り返した。つまり腕をぶらぶらさせた。
「これが金属の性質を持つなら、一気に絶対零度まで冷やしてやろう。即座に弾力を失うはずじゃ。
……よし、やるか」
言い終えたクロノは、手をかざす。
周囲が一気に寒くなり、煙のようなものが大岩から立ち昇っていく。
俺達はその様子を、しばらく見守っていた。マジで寒い。岩の上方を通る川の水まで、凍りつつある。
「マット!」
「時は来た!それだけだ。イェァバデェィッッ」
俺は少し重心を落とした。
「地面は、あたしが固めといてやるさ!思いっきりやりな!」
イリスが魔法で足場を強化してくれたようだ。弛んでいた感覚が、完全に消えた。
「ライウェイッベイベエエエッッ」
パキャッ。
……あれ、思ったよりあっさり割れたな。というより、拳の軌道に沿って、大岩の表面は抉れた。
「あ、なんか元に戻っていく」
「マット、手を止めるでない!ぶっ壊すんじゃ!」
そうか。相手も神の力だもんな。修復くらいはするか。
「ワンモオオォォァ」
カシュッカシュガシュッ。
バクァ。
殴って生じた裂け目に両手をこじ入れ、全力で開いた。筋トレで言うとリアデルトの動作だ。
「このくらい内旋を意識したほうが、三角筋後部に刺激が入るかも知れないな」
俺が無意識に独り言を呟きながら周囲を見ると、全員の視線が、大岩の中身に釘付けだった。
なんだか知らないけど、とりあえず先に挨拶しとこう。
「あ、ドワーフの神様っすね。初めまして、俺はマット・クリスティという人族です」