第74章 旅立ち
「マット!昨日はありがとうな。いい試合だった。オプティマ闘技場史上、最高に盛り上がったぜぇ!はっはっはっは」
クライス・カルミエ、通算399勝1敗。その土をつけた俺にも、歴戦の勇士はいつも通りの態度だった。
その鷹揚さに、俺も自然と笑顔になる。
「いや。試合の途中、もう寝てしまおう、と何度思ったか。今となっては、闘い続けられたのが不思議ですね」
「不思議か?そりゃ、愛する彼女の前でカッコつけたかったんだろ?
そのひとつの理由で、十分だ。おまえさんが、漢ならな」
また俺は恥ずかしくなり、曖昧な笑顔をつくった。よし、さっさと話題を変えよう。
「あの試合、プランは考えてたんですか?」
「当たり前じゃねえか!おまえさんを舐めてかかったら、初手の一撃で終わっても何らおかしくねえよ。
しかしまあ、失敗だったのは、びびっちまったことかなぁ!」
「……え?クライスさんが、ですか?」
「そうだよ。だからこそ、過去のおまえさんと相対した相手が試してみて、一定の成功を収めた戦術しか使えなかった。
おまえさんから見て新しかったのは、弱体化の鎖くらいだったろ?それもネイザーの二番煎じみたいなもんだよ。
……本当は、もっと色々あったんだ。それを使う余裕が、俺になかった」
「余裕なんて、俺もなかったですよ。怖かったし、痛かったし」
「それも一緒なんだよ。おまえさんも、俺もなぁ!
人間なら誰でも、恐怖を覚える。しかし人は、その感情と友達にもなれるんだ。恐怖心は火みたいなもんだよ。管理する方法を学べば、うまく利用できる。
だけどな、おまえさんの力は、俺が予めやっておいた『最悪』の想定を、はるかに上回ってた」
こんな強者に言われると、嬉しいけどむず痒いような、妙な気分だな。
でもクロノは単純に嬉しかったようで、隣でドヤ顔全開になりつつ、俺の背中をぺちぺち叩いてきた。いちいち可愛いな、こいつ。
「そうか、ウェイダールに行くのかぁ!マッド達も一緒とは、そのパーティもまたハイレベルだな。
だったら道中、越える山の東側に、ドワーフの集落があるぜ。そこは珍しく、人族に友好的な奴らが多い」
「珍しいことなんですね。友好的、っていうのが」
「まあな。俺がオプティマに来る前、そこでひと暴れしてやったのを、今でも覚えてるみたいだぜ!
おかげで旅人が襲われることもなくなったとさ。はっははは」
……それ、単に恐れられてるだけじゃないのか?こんなバケモノに暴れられたら、どんな奴でもおとなしくなりそうだな。
闘技場の前でマッド、イリスと合流。
「やあマット!もう出発していいのかな?みんなに挨拶も済ませたかい?」
「今生の別れってわけでもないんで、このくらいでいいんじゃないっすかね」
「明日どうなるかなんて、誰にもわからんよ。この神にもな。
だから、挨拶は簡単なものにしておいてよい」
「お、今の言葉も神様っぽいですね。流石クロノ様」
「じゃろ?そうじゃろ!神じゃからな。えっへん」
「バカップルってのは、こういうのを言うんだねえ!ひゃっひゃひゃ」
俺達は旅立つ。
マッドとイリスにとっては、旅なんて何も特別なものじゃないのかも知れない。
でも俺には、おそらく何もかもが新しい。本を山ほど読んだって、本当の意味では「知る」ことのできない世界が、広がってるんだ。
「クリスティさーん!」
叫び声がしたほうに振り向くと、職安のローラが走ってきていた。髪と胸を激しく振り乱しながら、鬼気迫る表情で。
「ローラさん?」
「はーっ、はーっ、ふはぁー……うぶっ」
急いで来すぎたせいで、膝に手をついて腰を屈め、えずきかけている。いつも全力な感じではあるけど、大丈夫なんだろうか。
「ちょ、ローラさん、ゆっくりでいいですから。そんなには急いでないんで」
「……はあぁ、間に合いましたね!
皆さんのうち、どなたか代表者として、この書状をお持ちください!」
ローラは、いちばん近くで立っていた俺に、筒を手渡した。
「オプティマ公共職業安定所からの、正式な依頼書として、発行いたしました。
それを提示すれば、ウェイダールのあらゆる所で、話は早く進むはずです!」
「ローラちゃん、わざわざ自分の足で持って来てくれたんだ!ありがとう。今日も可愛いね!」
「マッドさん、最近は職安のほうに全然来てくれなかったじゃないですかぁ!
お願いしたい仕事、色々あったんですよ!?」
「ごめん、愛してる。だから許して!てへぺろ」
「もー。そういうところが、ずるいんですっ」
「ぐぁっ!?イリス!許して」
「許してもらえる要素が、どこにあると思うかい!?言ってみなチャラ坊が!」
またイリスに首絞められてる。この二人も大概バカップルだな。
俺とクロノは顔を見合わせ、笑った。ローラも口に手を当てて、朗らかに笑っていた。
「じゃ、改めて。行ってきます」
「ローラちゃん、バイバイ!あははは」
「行ってらっしゃい、皆さん!いつか戻ってきてくださる日を、心待ちにしております!」
ローラは見えなくなるまで、笑顔のまま手を振り続けてくれていた。
……いつか、戻ってくるのかな。未来どころか、一瞬先のことすら、俺達にはわからない。神様にも。
俺は隣のクロノを見た。目が合う。どちらからともなく、拳を合わせる。
それは、「ずっと一緒にいよう」の、声なき合図だった。