第71章 愛する神様の御前
パパドッドドムパキュドッ。
「おらぁッ、どうした!?来いよ!」クライスの連打は止まらない。
視界が、変な灰色の砂嵐。これ、あかんやつや。本当に死ぬ。
ゴッ。
……また光だ。
さっきのでわかった。顎を飛ばされて、俺は空を見上げてるんだ。
パキャッ。
脳内に響く快音。
俺は横倒しになったらしく、右半身に硬い床の感触がある。
……もう、いいかな。よくやっただろ、俺。
何の才能も持たず生まれてきた、農家の息子。親きょうだいも、とっくの昔にいなくなった。
いなくなった?あれ、俺って孤独の身だったっけ?
それにしては、何かこう、満たされていたような。
「マットぉ!!」
どこか遠くで、叫びが聞こえた。泣き声だった。
俺の耳が、脳が、その音だけを拾い上げた。
「クロノ様?」
反射的に俺が返事をしたのは、夢の中だったろうか。いや、違うな。
ここは現実だ。
ゴッ。
寝たまま腕を振り回し、俺に乗り掛かって追撃していた歴戦の勇士を殴った。
「ぶしゅ」クライスの顔が変形、鮮血迸る。
「ライウェイッッ」俺はいつだったか、クロノと交わしたやりとりを鮮明に思い出していた。
「……おぬし一度、お腹空いても我慢してみたら?少しくらい大丈夫じゃろ」
「嫌です!」
「言うと思ったよ。そこを譲るような人間なら、そんな体になっておらぬもの」
そうだな。正直なところ、俺が少し我慢すればいいだけの話だった。
……ワガママだとばかり思っていたクロノは、俺のワガママをちゃんと受け止めてくれていた。これからも、そうなんだろう。
あー、カッコつけてたいな。愛する神様の御前くらい。
「ナンバダピーナッッ」俺は叫び、立ち上がる。クロノの声が脳裏をよぎる。
「……マット、前から思ってたんだけど、その呪文みたいなのは何なの?」
「昔読んだ本に、叫ぶと強い力が出るとか書いてあったんすよ」
「イェァァッ」俺はよろめき後退する歴戦の勇士へと、踏み込む。
ボゴォッ。
左拳が、クライスの腹にめり込む。体は浮きながら後方へ。
「ぐぶぁ」クライスは嘔吐した。しかし、まだその眼は生きている。
「ポォーゥ!」
「ぺっ、そうこなくっちゃなぁ!!」
パバギュドドッドゴッゴゴパパッドッ。
打ち合う。無敗の男と、どちらかが死ぬまで打ち合う。
ゴジュ。
クライスの頭部が吹っ飛んだように見えたのは、敢えてそうすることでダメージを逃がしている。現に、思ったほど手応えがない。
ゴパパッガンッ。
クライスは蹴りや崩しを織り交ぜ、俺の意識を上下に散らしてくる。一方、闘技は素人同然の俺。全てを食らい続けている。
パキィッ。
技術のある相手が、俺の頬を綺麗に打ち抜いた打撃の、甲高い音。
痛みと衝撃で、覚醒したのか混濁したのか。
しかし俺の意識は確かに今、ここに留まっていた。
「「まさに死闘ッ!長い試合になりました!!
大勝負、新たな時代を感じさせる大勝負ッッ!!」」
「「もう、どちらが倒れても、まったく不思議じゃありませんね」」
バギュ。
二人の拳が、同時に互いの頭に直撃。
「がぁッ」たたらを踏んで耐えるクライス。
「イェバデェィ」食らった痛みによって、まどろみから覚める俺。
パゴゴッドドムッドンッパパパドッゴッ。
幾層にも、幾層にも積み重なりゆく損傷、疲労。
感覚が麻痺してしまったんだろうか、二人とも?クライスは倒れない。俺も倒れない。
ドボォッ。
クライスの前蹴り。俺は壁へ吹っ飛ぶ。
「しゃあッ」追い脚が、速い。反応できない。いや、最初から全然反応できてないけど。
壁際。ヤバい。
ガキュッ。
俺はクライスと壁に挟み撃ちにされ、腹直筋上部、つまりみぞおちに膝をぶち込まれた。
「がぼぇ」
涙が出た。鼻と口からは、ありったけの内容物を吐き散らかす。
その苦しさが、また俺を覚醒させてしまう。もう寝たいんだけど。
「おらぁッッ」クライスが吼える。攻撃が、来る。
ゾブ。
「くあっ」
眼を突かれたらしい。思わず声が出た。
視界がぐちゃぐちゃになって、ほぼ真っ白な世界に落雷が続いている。潰れた眼球から、そのように無意味な電気信号が走り、脳まで届いた。
「終わりだッ」
ガドパパパパキュゴッゴッゴ。
あー、そうか。「武器の使用以外、一切を認める」ってルールだったっけ。
じゃあ、これも「卑怯」というやつではないんだな。
ガキュッ。
こめかみに衝撃。重い。そして後頭部が壁に打ちつけられる。痛え。
今のは肘か?膝か?
パキュ。
顔が飛んだ。今のは上段蹴りかな。何も見えない。
あるのか?こんな状況からの「勝ち筋」が。
……あ。そうだ、あったわ。
パパパァン。
連打を受けながら、ぼんやり考えていた。クライスの打撃が、俺に届くってことは……
バギィッ。
蹴りを食らった瞬間、俺は両手を広げ、前に出た。
ガチッ。
「……俺の手も届く、ってことなんすよね」俺はクライスの胴に組み付き、両手をクラッチする。
……そうだ。今思えば、何故クライスは最初から、打撃一辺倒の闘いを挑んできたのか?
打撃では、俺の筋力が発揮しきれないことを、知っていたからだ。
「ライウェイッベイベエェェ」
「くそがぁッッ」歴戦の勇士は、肘で俺の後頭部を殴り続けていた。
さあ、終わらせよう。この闘いを。
「アアアァァォォッッッ」
グム。
俺は全力で、絡めた腕を絞め上げる。バキバキと何か折れる音が続いた。クライスの肋骨か?
もういいや。どうせ見えないから、俺は知らん。クライスが暴れるので、俺も一緒に倒れこんだ。ちょうどいい。このほうが、さらに力を込められる。
ギチィィッ。
眼球が破裂しているのか、さっきから視覚が壊れてしまって、雷が走り続けている。なのに景色を見ようとするから、余計に疲れる気がしていた。
もう諦めて、眼を瞑ろう。
カァンカンカンカァン。
……何か、音が聞こえてる?どのあたりから?
あれ?
そもそも、ここは何処だっけ?