第70章 殴り合い、続編
さっき二度目の魔法を受けてから、ずっと体は硬直している。全身の筋肉が「過緊張」の状態。
それを懸命に動かそうとして、少しでも力を抜こう、と頭で考えていた。
結果は芳しくない。おそらくは外から強制的に、筋肉を収縮させるような命令を下す魔法なんだろう。
パキィ。
頭の中に破裂音が響き、ざっと視界に砂嵐が生じ、歪む。
……光が見える。何だ?
「「マットの顎が、体が、跳ね上がるッ!これで決まるのか!?」」
「「今のは効きましたよ!確実にッ」」
遠くで声がした。ああ、実況か。
……実況?何の?
不意に、びくっと全身が強張り、その後で弛緩した。
……今の反応は?
ゴシャ。
鼻先から殴られ、俺は床に叩きつけられる。硬い石床を、背中で破砕した感触があった。再び全身が痙攣。そして弛緩。
あ、そうか。この反応、正体がわかった。
漸進的筋弛緩法。
ゴドッゴッゴッゴッ。
「「倒れたマットにも、クライス容赦なし!瓦割り演武の如く、頭部を殴り続けるッッ!!」」
「「あー危ないですよ、これは。もうね、怖い」」
筋収縮を抑えるのに必要なのは、「脱力の意識」ではなかった。
正解は「筋収縮」そのもの。
俺は殴られ続けながら、クライスの足首を掴んだ。
「ノォペイィン」全力で、握る。
バチュ。
歴戦の勇士を長年支えていたはずの足の片側は、一瞬にして千切れた。手が液体の感触で満たされる。
「ぐぁッ!?」クライスが声を漏らす。
ついさっきまで、自分の体じゃないみたいだった。しかし、それは解決できたようだ。
俺の体。こいつ、動くぞッ。
「うぅッッ」残る片足で飛び退いたクライス。
俺は這いつくばったままで、その顔を見た。初めて見る、無敗の男が狼狽える表情だった。
俺は拳を握り締め、全身に力を込める。
「は、超回復」
今しかない!
バオッ。
俺は可能な限りのスピードで立ち上がり、クライスに殴りかかった。
魔法はイメージの力。
同時に幾つもの魔法を使うってことは、頭の中がごちゃごちゃになる、ってことだったな。
だから。いま、殴りにゆきます。
「ちぃっ」クライスは腕のガードを固めた。
……知ったことか。
ガォンッ。
今の俺に出せる全力の右拳が、クライスの腕を貫通、そのまま胸のあたりに直撃。
ッドォッ。
吹っ飛んだ男の体が向こう側の壁を破壊、突き破りかけ、最も外の層に引っ掛かった。
網のように柔軟な素材が、魔力の壁に織り込まれているらしい。ついさっき貫通された事実の、反省材料ということだろう。
「がぼォッ」
クライスが血を吐いた。その全身は、原型を留めてはいるが、おそらく骨折どころではないダメージを受けている。
俺はクライスへと歩いた。
「筋肉は、全力で収縮させると、その中にあるゴルジ腱器官というやつが『危険だ。弛緩させろ』って命令を出すんです。
さっきから、俺の体は不規則な収縮を繰り返していた。
だから一度、思いっきり力んでやったんすよ。そのおかげで今、なんとか動けてる」
クライスへ、ゆっくりと近づく。
俺の動きが緩慢なのは、もうエネルギーが切れてしまっているから。マジしんどい。今すぐ寝たい気分だ。
「がッ、風切りの刃」口から鮮血を撒き散らし、クライスが唱える。
ジャドドドドッジャドドッ。
俺の体に、冷たい風の弾丸が突き刺さる。体に数十発の衝撃。
しかし俺は歩みを止めない。
……なあ俺の脚、止まるんじゃねえぞ。
眼前に近づく、壊れかけた歴戦の勇士。
「ライウェイッ」俺は右拳を振りかぶった。
ガジュッ。
殴られたクライスは網にめり込み、そのゴムのような反発力のせいで俺の後方へ吹っ飛んでいった。
「「瀕死のクライスに、右ぃーッッ!!」」
「「これは入りましたね。ただ」」
立っているのすら厳しくなってきた。完全に燃料切れだな。終わったら、すぐクロノにメシ作ってもらおう。
そんなことを考えながら、ゆっくりとクライスが飛んでいった方を見た。
クライスは立っていた。
……おそらくは、万全な状態で。
「これは『自動蘇生』だよ。
ある程度の魔法使いなら、不慮の事故に備えて、予め死ぬ瞬間に発動する魔法をかけておくってことだ」
「……じゃあ、完全復活ですかね?それ」
「いや、魔力はかなり消耗しちまってるなぁ!それに、自動蘇生も切れちまったよ。はっはっは」
うん。魔法、マジでズルい。
「……なるほどね」俺は、言葉を返すのが精一杯だった。
「色んな試合プランは考えてたが、こうなったら本当の意味で俺も『突き抜ける』しか選択肢がねえぜ!」
……俺、もう動けそうにないんだけど。
「鋼の筋肉膨張」
クライスの筋肉が、異常に盛り上がっていく。
「自動蘇生に回してた魔力も全部、肉体強化に割り振ったッ!
……さあ、改めまして。『殴り合い』続編、開幕だな」
ギャッ。
速い。さっきよりも。
ドッガパパパドドッボドムッドッ。
……重い。さっきよりも。
一発返せるか?俺の体よ。クライスは防御すら考えていないのか、一点の曇りもない純粋な暴力を浴びせてきている。
シィィッ。
俺の振り回した左。クライスの右肩に直撃。
クライスは体ひとつ分だけ飛ばされ、すぐに体勢を整えた。
ダメだ。全然力が乗ってねえ。そして、もう打つ力は尽きた。
「へへっ、効いてなくはねえよ。右肩、今の一発で脱臼した」
グッッ。
クライスは不敵な笑みと共に、右肩を左手で抑え、捩じ込んだ。
「ほい、直った直った」
……どうする?どうすれば、こいつに勝てる?
そもそも、勝てるのか?