第69章 やるか、やるか
カァァン。
鐘の音が鋭く響き、試合開始。
……そうだ。最初から、俺には選択肢なんてなかったんだな。
やるか、やるか。
「イェァッッ!」俺は身を低くし、床を蹴る。
ドギュッ。
「行くぜぇ。倍加速」
刹那、跳んだ先に居たはずのクライスが、視界から消えた。俺は勢い余って魔法の壁に激突、跳ね返され、倒れこむ。
「そして、弱体化の鎖」
ギャリリリギィッ。
俺の全身に、何かの魔法が巻き付いたようだ。
途端に体が重くなる。立っているだけで、しんどい。まるで水の中に沈められたような感覚があった。
「さあ、マット!こっから殴り合いだぜぇッッ」
うん。速いな、クライス。
そして今の重い体では、それに反応できない。
ゴッボッドッボッドムッボッ。
殴られ、弾き飛ばされた体を激しく壁に打ちつけ、跳ね戻りをまた殴られる。
……テニスの練習かな、これ?毎度のことだけど、やっぱ痛えや闘技って。
ガガガガドドドドッガガ。
次第にクライスから壁までの距離が詰まっていき、俺はほとんどその場に留まった状態で殴られ続けていた。体を丸めつつ耐える。
この試合の俺、まだ何もしてないな。皆、どんな顔で観てるんだろう?マッドは?クロノは?
「勝ってきて!」
……クロノの言葉を、表情を今、思い出した。
そうだったな。勝ってくるよ、俺。
ゴゥッ。
「ぬうッ」クライスは飛び退き、俺が振り回す左拳を避けた。その風で、傷跡だらけの大男はさらに遠くへ圧される。
「ナンバダピーナッ」俺はクライスのいるほうへ再び跳ぶ。
とりあえず一発、殴っておきたい。
ゴチュッ。
右オーバーハンドの拳が、ガードの体勢をとっているクライスの腕を掠めた。当たった勢いでクライスは半回転、一方の俺は体が流れずに踏み留まることができた。
「超回復」
「させるかよッ」俺はクライスに組みつき、壁に投げつける。
跳ね返ってきた無敗の男に向けて、大雑把な右アッパーを振り回してやった。
ガボッ、パァァン。
直撃。
前方やや上に吹っ飛んだクライスはそのまま、ドーム状の壁を突き破った。
「「すっ、凄まじい攻防ッ!ここで攻守が交代か、と思われた瞬間、いきなり魔力の壁が破られてしまいましたッッ!!」」
「「今はウォーラー3人体制ですからね。ちょっと、考えられないことです」」
壁より上方、空中で一瞬静止したクライス。
「超回復」
ぶらりと血塗れで垂れ下がっていたクライスの腕は、魔法の糸に巻かれ直ちに修復。
壁がいったん消え、クライスは軽やかに舞台へ着地。
「ウォーラー!再展開だッ!早くしろッッ」クライスがまた叫ぶ。
「「皆様、ご安心ください!ただ今、壁は修復されますのでッ!」」
実況の声とほぼ同時に、再び壁が張られた。さっきのより色が濃い。透明度より耐久性、ってことかも。
「マット!中断しちまって、すまねえな。やっぱ、おまえさんの力にゃ耐えられなかったみたいだ」
「いや。もし割れたら観客に死人が出るぞ、と思ってたんで、アッパーにして打ち上げてみたんすよ」
「あっはっはっは!おまえさん、流石だなぁ!ありがてえよ。本当に」
試合中にも関わらず、クライスは豪快に笑っていた。
「「お待たせいたしましたッ!試合、再開ですッッ!!」」
続いていたどよめきが、大歓声に変わる。
「マット。おまえさんはな、本当に突き抜けてんだ。『筋力』という、たったひとつの要素が」
「まー、俺にはそれしかないんで」
「だよなぁ。マッド・エリスビィに倣って、速さにも魔力を割り振ったのが、さっきの俺の失策だ。結局、突き抜けてる奴が一番強え。そういうこった!
……だから、俺もそうするよ。弱体化の鎖、全力」
瞬時に、俺の体が重さを増し、異常な圧力で締めつけられる。
いや、違う。ネイザー・エル・サンディの「束縛と圧壊の鎖」とは全く質が違っていた。
外からの圧力じゃない。
全身の筋肉が、俺の意志と無関係に収縮してしまっているんだ。
「ぐ、ぎ」俺は無理に動こうとして、痙攣したように震え、片膝をついた。
「魔法は、イメージの力。同時に幾つもの魔法を使うってことは、頭ん中がごっちゃごちゃになる、ってことなんだよなぁ!
俺ぁ今、おまえさんの筋力を抑えることだけに、全ての魔力を使っちまってる。
つまり、ここからは単純。ただの『殴り合い』だ。
もしおまえさんが動けるなら、なッッ!」
クライスが構え、ステップを踏む。
うん、ヤバいな。動ける気がしねえ。
パキュ。
こめかみに、クライスの蹴り。俺の意識が飛びかける。
……何がダメって、首周りの筋肉も硬直してるから衝撃が逃げない。もろに脳が揺れた感覚だ。
ドッドパパパパドムッ。
体が勝手に力んでるから、ボディ打ちのダメージはマシだ。
しかし頭部は、もはや控え室に設置してあったパンチングボールみたいにボッコボコ撥ね飛ばされている。
意識が朦朧としてくる。
……歓声が、痛みが、遠くなる。
「「クライス猛攻ッ!これで決まってしまうのか!?ウルさん、マットのダメージはどうでしょう!?」」
「「効いてるはずです。クライスのパンチは、ほぼ全てが完璧な角度で入ってますからね」」
何か、この体を動かす方法はないのか?
筋力がいくらあっても、不随意に収縮して消耗を続けるようなら、そんなのは自壊するのと同義だ。
ゴパッ。
顎を吹っ飛ばされた。意識が、途切れそうだ。