第55章 灰になるまで
勇者キーヴァインが、攻撃してくる。
俺の鼓動は一気に高まった。真っ先に襲ってきた感情は、恐怖だった。
「じゃあ、聞き出せることは何もないかな」
「ええ。そういった前例はないですね。
人工の魂を入れた肉体が、どれもこれも暴れる理由については、推測の域を出ませんが……
単純に、『生前の最後の記憶が、死ぬ瞬間のものだから』ではないでしょうか!?」
「なるほど。死が目前に迫った状態のままで、もう一度起こされるってのは、確かに恐怖だろうね。僕だって、暴れてみたくなるかも知れない」
……マッドは、それを経験したことがあるような口振りだった。俺にはそう感じられた。
「まーいいんじゃない?とりあえず、生きてるって言えないこともないなら、出してみようよ」
「マジっすか」
「チャラ坊!そんな大雑把で大丈夫なのかい?」
澄みわたるような美しい声が響いた。俺達は全員一斉に、その声の主であるイリスのほうを見た。
マッドに抱かれているエルフの少女は、にやりと笑った。
「何だい?この体にも慣れてきたからね、あたしゃもう普通に喋れるよ。
どうだね、そんなに注目するほど綺麗な顔かい?ひゃひゃひゃ」
「うーん、見た目の可愛さと喋り方のギャップ。めちゃくちゃ不自然だね!あははは」
「俺はクロノ様で慣れてますけどね」
「むうう、愚か者めが。我は起きておるぞ」
「あ、おはようございます。もう回復しました?」
「イリスさん!新しい肉体に、素晴らしい適応を見せてくれますねえ!
私の研究においても、このような成功例が見られるのは貴重な体験です!」
「あたしゃ昔から、要領は良かったからね!
でも、ちょっとわかったよ。エルフ族ってのは本当に体力がないんだねぇ。
それを補うために、エルフは人間よりも魔法の力が発達してきたんだろうか?」
「確かに、人族の皆さんは私達よりずっと動きが素早いですもん!
私は研究のために魔力を温存しておきたいのと、元々エルフの中では魔力が低いという理由で、日常動作にはあまり魔法を使わないようにしています」
だから、あんなに歩くのが遅いのか。
女性で高身長だし、骨格に対する筋力が足りていないのかも知れないな。そういえばエリーゼは常に猫背気味だ。
これは俺の得意分野だな。
「エリーゼさん、それなら筋トレで全て解決しますよ」
「えー、筋トレですか!?私、どうも運動は苦手でして」
「運動が苦手だからこそ、筋トレなんですよ!」
「あはは、マットは何でも筋トレにもっていくよね。ところでイリス、今でも魔法は使える?」
「当たり前さ。この体のおかげで、大魔法使いの『大』が3つくらいに増えたよ!ひゃひゃっ」
「そうか。なら良かった」
マッドの乾いた微笑みと、腰の短剣を抜く仕種が、部屋全体を凍らせるような緊張で包んだ。
「さあ、エリーゼ。僕は旧友と再会だ」
「わ、わかりました!いいですか!?勇者キーヴァイン、出しますよ!」
「みんな、ちょっと離れててくれるかな?感動の一瞬だからね。あっはははは」
マッドの笑顔から、狂気が滲み出る。
「マットさん!私は戦闘はダメダメですので、マットさんの逞しいお体の後ろに隠れててよろしいでしょうか!?」
「あ、了解っす」
「マット。おぬし、何かあったらキーヴァインを止めてくれるか?」
「当たり前でしょ。俺が誰を背負ってると思ってるんすか?」
「……ふふ、ありがとう」
「さあイリスも、僕の後ろに」
「あいよ!あたしらだって、そっちのバカップルに負けやしないさ」イリスは意地の悪い顔でこちらを一瞥してきた。
「むううう、マット。またバカップルって言われた」
「賢いかどうかは難しい問題っすね、俺達」
エリーゼが魔法で何かを発すると、水槽から水が流れ出した。どんどん排出され、床へと消えていく。
腰あたりまで空気に触れたキーヴァインは、突然目覚めたかと思うと、背中の大剣を肩越しに引き抜いた。
ゾッ。
水槽はバラバラになった。ほとんど太刀筋が見えないまま、硝子が細切れにされ、床に落ちては割れていく。
「お、おおお……人族の勇者とは、これほどに速く、強いんですね!
こんなバケモノを葬るなんて、さすが私の考案した罠!」
やはりエリーゼの感性は色々と違うな。ここまでくると怖い。
「お、お、お」奇声を発しながら大剣を構えるキーヴァインは、俺達を認識しているらしい。
その立ち姿に隙はなく、優美すら感じさせた。
「やあキーヴァイン!罠に嵌まって死んだ気分はどうかな?僕だよ、マッド・エリスビィだ!」
マッドは満面の笑みで、勇者だったものに話しかけた。
「マッ、ド」
「そう!わかるかな?あははっ」
ギィィンッ。
凄まじい速さの大剣を、マッドは短剣で受け流していた。
ドッ。
ほとんど同時に前蹴りを入れ、キーヴァインを遠くに飛ばす。勇者は広場のほうへ転がり、立ち直った。
「イリス!」マッドが叫んだ。
ギャリィッッ。
マッドの片眼から顎、左腕が斬られた。血が吹き出る。
その左が握っていたのは、光迸る、大太刀。
手持ちの大剣に、装飾を施した鎧といった、「勇者」を象徴するものごと、キーヴァインは両断されていた。
「……『おまえは、俺の剣に魔法をかけろ』か。よく言ったもんだ」
ブレンダンの言葉を諳じたマッドが、瞬時にただの短剣と化したそれを、ゆったりと鞘に戻した。
「マッド!傷は」
「もう治したよ。ひゃひゃひゃ」
イリスの高く澄んだ声が、俺の心配をかき消した。マッドの出血は、もう止まっている。
……二つに分かれたキーヴァインの肉体は、その断面から炎を放っていた。
それはずっと、燃え続ける。灰になるまで。