第54章 決定的な何か
水槽のひとつに浮かぶ、キーヴァイン・リローネの肉体。
俺達は歩き、その前まで戻ってきた。まだ動いているらしいが、間に硝子と水の壁があるせいか、他の死体と区別はつかない。
「クロノ様。人工の魂を入れられたキーヴァインは、生きていると言えるんでしょうか?」
「おぬしの、マット・クリスティの考え方に合わせるならば。おそらくは、否」
……このキーヴァインは、動いている。
しかし、生きてはいない。
「エリーゼ、君の見解は?」エルフの美少女を抱えたマッドが尋ねた。
……その腕のなかのイリスは、赤ん坊のような表情でマッドを見つめている。
「動きます。ええ、ここから出したとすれば、確かに動くんですよ!元の肉体に残った記憶で、ある程度は本人らしい振る舞いだって、できるはずなんです!
それでも、やはりクロノさんの仰る通りなんですよね。『生きている』と呼ぶには、決定的な何かが足りていない」
「エリーゼさん。勇者キーヴァインの、死因は?」
「低酸素によるものです」
「なるほどね。やはり、か」マッドは抱いたイリスをあやすように揺らしながら、硬い表情で言った。
「あの時、パーティが僕の意見を聞かず進んで行った場所は、地底深くに誘い込むような構造になっていた。
その奥に、光るものが見えたらしい。宝だ!口々に、僕を除いた全員が声をあげた。
どうにも不自然だったからね。あからさまな罠、そのはずだ。僕自身はそう考えたよ。
……でもパーティは、慎重になるよう叫んだ僕を残して前進し、潜り、ほとんど同時に倒れていった」
「……キーヴァイン達は、判断を誤った?」
「いえ、正解に言うとですね」エリーゼが、俺の話を遮った。
「そう『判断させること』こそが、罠の本質だったのですよ。
何故って、あの罠を考案したのは、この私ですからね!」
「エリーゼが!?」
「そうですとも!
遺跡や私の研究を荒らす者に対しては、罠が有効なのです。
これまでは、単純な仕掛けであっても、十分に撃退できていました。
しかし最近になって、人族の侵入が目に余るようになり、エルフの研究団体からも、対策を練るよう通達が出ました。
そこで私は、人族が何故だか深く深くへ潜ろうとする性質、そのほとんど全員が魔法を使えること、それらを踏まえて『対魔法使いに特化した罠』を設置した次第なのであります!」
「その罠というのは?」
「むむむ、それを訊いちゃいますかぁ!?
まー、あなた方は侵入者ではありますが、私の研究に一石を投じてくださった恩人でもありますからね。特別に、お教えしちゃいますよ!
まず、魔法は脳でのイメージが重要であるため、複数の魔法を同時に継続使用することは、誰にとってもかなり困難ですよね。
よって、
『探知魔法を使わせるため、視認しづらい暗闇に財宝を設置』
『設置側が意図した真の狙いから意識を逸らすため、周囲に複数の罠を設置』
『高低差を利用した、急激な酸素濃度の低下』
以上の3点を、1箇所の罠に用いることにより!相当な深さまで侵入可能なレベルの連中であっても、駆除することに成功したのですっ!」
……酸素濃度。
俺は昔、村の大人達が井戸掘りの作業中に突然倒れていき、それまで元気だった3人全員が死んだことを思い出した。
あの後、俺はその理由を探して、本を何冊も読んだ。
「エリーゼさん。人間が低酸素の空気を吸った場合、その濃度によっては一度の吸気で意識を失います。
遺跡の深部へと侵入してきた人間に、他の探知し易い罠を見せておくことで、狙いだった『酸素濃度の罠』に対する対策を怠らせた。
そういうことですね?」
「素晴らしい、ご理解いただけたようですね!
ただあの罠は、まず『魔法によって』財宝を探知させ、その方向へおびき寄せることが必要になります。
そこのマッド・エリスビィさんは、そもそも魔法を使う能力を有していません。
よって、宝そのものの『魔力』に惹かれることはなかったようですね」
名指しを受けたマッドは、軽く首を振り、皮肉な笑みを浮かべていた。
「……だから、ただの勘に頼った僕だけが生き残り、一人で引き返すことになったわけだね」
「そういうことです。あなたも、マットさんも、魔法なしでこれほど能力の高い人族がいるとは、本当に驚きましたよ!」
……エリーゼは、自分がマッドの仲間を殺した、という事実を、何とも思っていないのだろうか?
どちらにしても、マッドはそれに納得しているらしい。
エルフ族ではない人間であり、侵入者であり、盗賊である自分達が、どのような扱いを受けようと、マッドは笑っているつもりなのか。
エルフになったばかりのイリスの表情はまだ読めそうにないし、クロノは俺の背中でまた寝入っていた。
俺も、何も言わなかった。マッドがそうするなら、従う他にはないと思ったから。
「では、エリーゼちゃん。僕はこのキーヴァイン君をこの水槽から出して、話をしてみたいんだけど、その提案について君はどう思うかな?」
「でゅふっ、やはり、ちゃん付けは破壊力ありますねえ!
あ、ご提案のほうについては、もちろん構いませんが、先に過去の例を挙げておいてもよろしいでしょうか?」
「出すと、どうなりそう?」
「ええ。はっきり言っておく必要のあることですが……」
エリーゼはキーヴァインの水槽を見上げ、かけている大きな眼鏡を指で上げ直した。
「ほぼ確実に、会話らしい会話は不可能です。
それと、見境なく攻撃してくるでしょうね!」