第53章 神の好き嫌い
「前例って、これは成功という認識でいいんすか?」
「大成功ですよっ!イリスさんは元々、レベルの高い魔法使いですからね。これは、魔法で自身の体を動かしているんです!
生き物というのは、基本的にどんな種類であっても、脳から電気信号を全身の筋肉に伝えることによって、自分の体を思い通り動かしています。
イリスさんは新しい体、しかも人族がエルフという新しい生き物に『引っ越し』てきたわけですので、最初のうちは、以前の体で長年培った信号による指令が、そのままの形ではうまく通用しません。
そこで、焦れったくなった魔法使いは大抵、『魔法で体を操る』という案を試してみるんですよ!
だから、このように不自然な動きに見えるわけです!」
「どうも、解説ありがとう。そういうことだよ。
ってなわけで、ただいま!ひゃひゃひゃっ」
脳に直接、イリスの声が響いてきた。
以前のままの、お婆ちゃんの声色だった。これは魔法だから、エルフの声帯を通す必要がないんだろう。
「どうも、まだ慣れないもんでねぇ。まだ焦点は合わないけど視覚は働いてるし、みんなの声は聞こえるし、触れられてる感覚もあるんだよ。
でも、やっぱりどこか違うね。こりゃ時間がかかりそうだったから、とりあえず魔法で挨拶だけでも、と思ったんだ」
エルフの美少女は眼を開き、ゆっくりと俺達の顔を見回している。
相変わらず、動きはガクガクしていて人形のようだ。姿形が美しいだけに、何か得体の知れない恐ろしさを伴っている。
「おーおー、ようやくあんたらの顔もくっきり見え、んん!?」
マッドが素早くイリスの背後に回り込み、両手で美少女の眼を覆っていた。それに驚いたのか、尖った耳がぴくりと動いている。
「ありゃ、どうしたかねぇ?急に何も見えなくなったんだけど」
「何だって!?それは大変だ!エルフの肉体が拒絶反応を起こしているのかも!」
マッドはイリスの後ろから、俺達に向けて笑みを浮かべながら、声だけ真剣な調子で叫んだ。
「マッド?……マッド!どこにいるんだい?あたしゃ大丈夫なのか!?た、助けておくれ」
「もちろん。イリス、おまえを絶対離さない」
「その声、ブレンダン?ブレンダンなの!?」
「ああ。これは、おまえが死ぬ前に見る夢なんだ」
「はーいはいマッドさん!そろそろ許してあげてください!そういうの、モテない女の前で実践しないことです!」
エリーゼが、大声と両手を叩く音で会話を遮った。割と本気で怒ってる感じがある。
「ばあ。はい、ここでネタばらし」マッドがイリスの両眼から手を離す。するりと正面に回って、二人の顔が近づいた。
「はっ、あ、あんた!」それを見たらしいイリスは、表情をうまく変えることもできないまま、その全身の肌を真っ赤にした。
「おかえり」
マッドが顔をくしゃくしゃにして、イリスを抱きしめた。
「……改めまして、ただいま。
ありがとうね、マッド・エリスビィ」
「クロノ様、そろそろ起きてほしいんですけど。クロノ様!」
「んー、むうう……あと5年」
「長すぎます。5秒にしてください」
両の頬っぺたを外から挟み、変な顔にしてやった。めっちゃ柔らかいな、こいつ。
「んみゃ!?おにゅし、なにを」
「おはようございます」
「お、お、愚か者め。寝ている神の顔で遊ぶとは……」
「後でまた300年、閉じ込めてくださっていいんで。
今はイリスのことです。さっき目覚めて、新しい体も何とか動かせてます。問題は、イリスがこれからどうなるのか、ってことなんですが」
「ああ、心配しておるのか。大丈夫じゃよ。このまま、エルフの肉体の寿命いっぱいまで生きるじゃろ」
「クロノさん、その根拠は何なのですか!?
私の研究では、あなた方の言う『引っ越し』が一時的には成功したとしても、その状態は数日しか保たない、という結果しか残せていません!」
「我はさっき『神のみが持つ力』と言ったであろう?
エリーゼ。おぬしが過去に重ねた経験は全て、魂と肉体の拒絶反応によって終わっているはずじゃ。
だから、我も最初はそれを抑えるための魔法を用いた。しかしそれでは、長期にわたって安定した状態は期待できそうにない。
結局、イリスの魂に合わせて、体を創り直したのじゃよ。
見た目はほぼ同じかも知れぬが、中身は全て変わっておる」
「そ、そんなことが可能なのでありますか!?」
「神じゃからな。えっへん」
まだ相当の疲労はありそうだったが、それを包み隠すかのように、クロノは会心のドヤ顔を決めた。
「クロノ様、そんなレベルで命をどうこうしていいんすか?
結果は『最低限のコントロール』しかしない、って言ってませんでしたっけ」
「こうも言ったはずじゃぞ。『要は好き嫌い』じゃ、とな」
「クロノちゃんの力、ここまでくるとチートっていうか反則だね!」
「だって神だもん」
……この世界の神々は、人間より親しみやすい存在なのかも知れない。
「さて、みんな。ちょっと聞いてほしい」
浮かれた雰囲気のなか、マッドがそれを戒めるような、強い口調で言った。
「まず、イリスは無事に目的を達成した。みんな、本当にありがとう。感謝しているよ。
そして、ここを去る前に、僕にはもうひとつ。終わらせなければいけない問題が残っている」
終わらせなければいけない?
……そうだ。この部屋に、まだ確かめる必要のあるものが存在した。