第49章 魔法使いの走馬灯
「今になって、わかったんだよ。
『自分じゃない誰かの体に入る』ってのは、『自分じゃない誰かになる』ってことなんだね」
「クロノ様、イリスの言っていることは……」
「今、おぬしに理解できる話かはわからぬが、こういうことじゃ。
『心』と『体』、『魂』と『容れ物』。それらは『二元論』として語られることが多い。
それぞれを別のものとするからこそ、魂の『引っ越し』というような考え方も生じてくる。
しかしな、それら対立するはずの概念は、その接点と考えられるところで、重なってしまっておるのじゃよ」
「『イリスの魂』と、『エルフ族の肉体』の場合は?」
「まず、魂はそれだけで存在することができない。
つまり、議論のこんな初歩の段階で、既に『魂』は『肉体の一部』とも言える、という有様なのじゃ。
そのような魂を、一方で切り離し、他方に繋げるとなれば、魂はその肉体に合わせて、形を変えてしまう。
例えば、マットが『肉体の一部』である片脚を失って、その代わりを誰かの体から融通したとしよう。
それでも、マットはマット自身のままじゃろう?脚の持ち主だった者に、おぬしの人格が奪われたりはしない」
「うーん……確かに、そんな気がしますね」
「融通してきたのが魂だとしても、それが入る『容れ物』は、元のエルフのものじゃ」
「……エルフの体に、引っ越せたとしたら、イリスは?」
「エルフの頭で考え、エルフの足で歩き、エルフの手で魔法を使う。
その意味では、『引っ越し』が成功したとしても、イリスは死ぬ。そう言えるかもな」
「でも、その精神は継続する……
します、よね?」
「そう。だから結局は、生きるも死ぬも、その『解釈』次第じゃよ」
「ああ、この気分、どう言えばいいかねぇ?あたしは終わるんだろうか、続くんだろうか。
もし終わるとして、あたしは十分に生きてきたんだよ。自分が納得いってなくてもね。
あたしの人生はねぇ、たくさんの輝きに満ちて、いろんな出会いがあって……」
頭の中に響くように鳴っていたイリスの声が、一際大きくなった。
そう感じた瞬間、突如として俺の意識のどこかに、今までの俺が見てきたものとは別の視界が現れた。
「何じゃ、こりゃあ!?」
「マット、うるさい。急に叫ぶな。
これはイリスの意識が混濁してきたせいで、その記憶が魔力に乗って、声と一緒に流れてきておるのじゃよ。
魔法使いの『走馬灯』ってやつじゃ」
……そういうことか。
全く未体験のはずの景色は、過去に見てきたものが思い出されるかの如く、どんどん俺の頭に浮かんできては消えていった。
「イリス!これ、イリス!魔法の練習はどうしたのです!?」
「んー……だって、眠いんだもん。仕方ないでしょ」
「まったく、キーレ家の恥になりますよ!あなたは。
……素質は誰よりあるんですから。精進なさいな」
「べー。練習なんてしなくても、あたしは誰よりできるんだもんっ」
「あっ!?ど、どこに消えたんです!?イリス!……はぁ、あの子は」
幼い声のイリスは、魔法で目を眩ませた瞬間、寝ていたベッドの下に潜り込んだらしい。
急に暗くなった視界には、さっき叱っていた年嵩の女性らしき人の、足元だけが映っていた。
……鏡の前、正面の美しい少女が、後ろに立つ母らしき女性に、櫛で髪をといてもらっている。
おとなしく姿勢を正して座る少女は、リヴァによく似ていた。リヴァがあと数年したら、こんな感じに育つのかも知れない。
これが、幼い頃のイリスか。
「イリス。あなたが飛び級で、もう卒業なんてね。お父さんも私も、本当に鼻が高いよ」
「あたしが本気出したら、こんなもんだわ!」
「こら、はしたない。ふふ、ブレンダンのせいね。イリスがそういう話し方をするようになったのは。
……でも、これからの時代は、あれくらい行動力のある男の子が、切り拓いていくのかもね」
「ママ。あたしが魔法学校で首席だったのは、ブレンダンがサボってくれたから!
もし、あいつが本気でやってたら、あたしでも敵わなかったよ」
「チャラチャラしてるのに、すごい子なのね」
「うん!ブレンダンはすごいんだよ!」
「うふふ、大魔法使いが二人。将来は苦労しそうねぇ」
鏡に映る少女のイリスは、誇らしいような、照れているような、微妙な表情で笑っていた。
……暗い。洞窟の中のようだ。人の声が反響している。
「あははは、イリス。どうした、こんなとこで魔力切れなんて?」
その掌に点けた魔法の灯で、周囲を控えめに照らしている、長身の若い男。その長い前髪は、顔の半分を隠していた。
そんな優男が、イリスの肩に片腕を回している。
「ブレンダン、ごめん。あんたが魔法より剣術の練習してる理由が、やっとわかったよ。っていうか、思い知らされた」
「相手に物量があって、多少の知能と統制もある。そうなったら、こういう状況が起こり得るんだよ。
イリスが魔法をガンガン使い続けて消耗しきるのを、奴らはずっと待ってたんだ」
「ブレンダンは、まだ戦えるの?」
「余裕だね。この剣に、少しだけ魔法の力を付加してやる。それで十分斬れる。
生きて帰ったら、この『魔法剣』、イリスも覚えろよ」
「でもあたし、剣なんて」
「ばーか。剣は俺が振るんだよ!
『おまえは、俺の剣に魔法をかけろ』って言ってんだ。
ずっと二人でやっていくんだろ?」
「……う、うん」
「さあ、そろそろ一斉に攻めてきやがるぜ!俺様をしっかり見てろよ」
ブレンダンと呼ばれた男がイリスに手をかざすと、イリスの視界は薄い虹色の壁に覆われた。
「これで平気だろ。じゃ、行ってくらあ」
「うん、行ってらっしゃい。気をつけてね」
「おう!
あっはははは、おーい貴様ら!大魔法使いブレンダン様は、ここにいるぞ!」