第41章 長いトンネルを抜けて
これだけ歩いていると、体が、というよりは精神的に疲労してくる。あまりにも同じ景色が続いているせいだ。
イリスはネコらしく、さっきからずっと袋の中で寝てるけど、背中に乗ったクロノもそろそろ寝息を立て始めた。そのせいで、周囲を照らす明かりの魔法が弱くなっている。
「マッド、疲れません?」
少し先を行くマッドに話しかけた。ああ、久し振りに声を出したな、という感覚があった。
「いや平気。マットは大丈夫?ずっと大きな荷物持ちになっちゃってるけど」
「俺は、体のほうは余裕です」
「なるほどね。この風景に飽きてきた、ってことかな」
「うーん、簡単に言えば、そうっすね」
「……僕達が最初に潜ったときは、パーティの皆で協力して、このトンネルを掘りながら進んできたからね。何度も途中で引き返して、報告に戻ったよ。まーそれだけで報酬が出たもんね!
魔法と、魔法の力を付与した人力をフルに活用してたから、トンネル作りもそこまで重労働じゃなかったけど。
あの時は、探知の魔法を使える奴が『こっちに掘っていけば間違いない』って、ずっと言っててくれたから、なんとかやって来れたんだよなぁ」
「探知の魔法、ですか」
「イリスとクロノも、危険予測のために常時、魔法で何らかの対策はしてるんじゃないかな。その索敵範囲をさらに拡げると、探知になるそうだよ。その分、魔力の消耗は大きいみたいだけど。
……辿り着ける!って信じさせてくれる奴がいれば、少しくらいの面倒はこなせる、と僕は思ってるんだよね。そう!大丈夫、もうすぐ遺跡だ」
……信じさせてくれる奴、か。
俺は15歳の時、初めて手に取ったアラン・シュヴァルツの著書『筋肉は鋼となる』を思い出していた。
本を開いた瞬間、目に飛び込んできた筋肉の衝撃。そして、筋トレの技術的な要素だけではなく、その本には、生き方そのものの指針が記されていたんだった。
生きるとは、「活動」であり、「変化」であり、「準備」でもある。アランは筋トレを通して、俺の生きていく全てを「有意義なもの」へと導いてくれた。
平凡な農家に生まれ、神から何の才能も与えられなかった俺の、人生における閉塞感。
あの頃の俺は、例えるなら、今まさに進んでいるこのトンネルの中。ここに、明かりも持たされず投げ入れられたようなものだった。
そんな俺の生きる道を照らしてくれたのが、アランの言葉であり、知識だった。
この方向に進んでいけば、強くなれる。美しくなれる。アランの力強い言葉は、俺の実践へと、その実践は効果へと繋がっていった。
あれから302年と半年。俺は確かに強くなれた。そして、この鍛練に終わりなどない。
……しかし、あの閉ざされた300年から脱出して以来、ただひたすらに筋トレばかりしているような生活はできなくなった。
普通の世で生きるためには、食べる物と寝る場所が必要だ。それらを得るためには、お金が必要になる。
ボディビルダーとしての暮らしを確保したいなら、ボディビルディング以外のこともしなければならないのだ。
300年前と違って、仕事は選べる時代になった。そして300年前と同じように、クロノはそばにいてくれる。
……そんな神様に言わせれば、「正しい生き方」なんて存在しないらしい。
外界に出てから感じるようになったのは、筋トレが「目的」ではなく「手段」だということ。
筋トレがしたい、というよりは、筋トレによって得られるもので何を成したいか。そういった目標こそが必要だ。
俺は、死ぬまでに何がしたいんだろう?
「ついに遺跡の入口だよ、みんな!」
行き止まりにしか見えない土壁の前で、マッドが朗らかに声を張りあげた。
「ふにゃ……」
「むう……?」
「うん。まだ寝てますね」
「ここからは起きてよね!二人とも。じゃなきゃヤバいよ!?即死しちゃうよ!おーい」
マッドの声と共に、俺も体を揺らし、起きてほしいという意思を一匹と一神に伝えた。
「にゃ?地震にゃ!」
「じ、地震!?こわいよぉ!マット、助けてぇ……あ、あれ?」
「俺が揺れてるだけですよ」
「……むうう、騙したな!?」
「寝ぼけて恥ずかしいのはわかりましたんで、遺跡ですよ。着きました。ここが入口みたいです」
イリスは既に壁を見つめていたが、クロノもふくれっ面のまま壁のほうを向いた。
「こりゃあ、危険な匂いだねぇ……」
「うん、罠が多すぎるな。ちゃんと探知せねばならぬ」
「クロノ、あんたもう中まで把握したのかい!?」
「したけど、もう割と疲れたみたいじゃ」
こちらに来てからというもの、クロノの体力がなさすぎる。まあ、さっきまでは無限に供給されてたんだから仕方ないか。
……あれ?地上では無限の力があるのに、なんでクロノは毎日寝てるんだろう?
「クロノ様は、できるだけ回復を優先してください。あと、地上に帰ったら筋トレして体力つけましょうか」
「えー、帰ったらまた無敵だもん」
「おんぶされながら『無敵だもん』とか言われても困るんすけど。俺が教えますよ、筋トレなら」
「むう。あの……マット。もし疲れたら、食べていい?」
「何を食べるんです?」
「魔石」
「あの魔物の死骸から採れるやつ、食べれるんですか?カッッチカチっすよ!?」
「我ならな。大きいの食べれば、きっと元気になるはずじゃ」
そんなことできたんだ。大量に貯めておいてよかった。
「わかりました。預かってくださってるやつ、好きなだけ食べていいですよ」
「ほんと!?やったぁ!ありがとー!
……こほん、まあ、あれじゃ。そこの遺跡の中でも、いっぱい大きいのが採れるからな。少しくらい食べても減らんじゃろ」
「いっぱい、大きいのが、採れるって?」イリスが怪訝な顔で尋ねた。
「その通り!ここからは、ヤバい魔物がうじゃうじゃ出てくるからね!覚悟しといてよ。あははっ」
マッドの明るい笑い声が、トンネルにこだました。