第36章 紅い宝石のペンダント
早朝5時。俺とクロノで山へ向かった。俺が走り、まだ眠そうなクロノは空を飛んでついてきた。
速く走るほどエネルギー消費は大きいが、移動時間は短縮できる。踏み出した足で、道が抉れてしまわない程度に急いだ。
宿を出てから10分も経たぬうちに、人々の寄り付かぬ山の木々を分け入っていた。拾った小石を投げ、最初に見つけたシカの魔物を破砕。肉をクロノが魔法で回収する。
マッドが提示した闘技場への集合時刻まで、まだ6時間弱ある。旅に備えて、食糧を蓄えておかなければ。
「今度は大きいのが獲れましたね。これで何頭くらいでしたっけ?」
「小さいのを含めると19頭じゃ。しかし石というのは、投げる者によって兵器になるんじゃな。これも、ピンポイントで脳を貫通しておる」
「弓矢の代わりですよ。俺、あれ使えないんで」
「……必要ないよ、おぬしのようなバケモノには」
「1週間分くらいは確保したいっすね。食糧」
「なんでこの量が1週間すら保たないんだろうね!?」
大きな水袋を三つ買ってきておいたので、川の上流で綺麗な水を汲んだ。近くに群生していた、体の機能を高めるとされるハーブも摘んでおいた。
「やっぱ、山でメシ食うのが一番ですね」
「まあ悪くないな。空気も澄んでるし、街のように人がごった返すようなこともないし」
「二人っきりで、のんびりできますもんね」
「そうだね……あっ、ち違う。我は、その」
「あ、これもう焼けてますね。ほら、どうぞ」
「むうう……なんか子供扱いしてない!?」
「ちゃんと神様扱いしてますから」
ふと気配に気づいて、俺はゆっくりと手元にあった石を指先で掴み、振り返った。
巨大なクマがいた。
キュゥン。
刹那、俺の投げた小さな石がクマの頭蓋を砕いた。ゆっくりと、倒れ伏せる。
「やっぱ、いい匂いには生き物が寄ってくるんですね」
「……わたし、ちゃんとお風呂入ってるもん」
「まだ街の店が開くまで時間はあります。もう少し、肉焼きながら粘ってみましょう。
そうだ。俺、その間にアイソメトリックトレーニングとポージングの練習しときますね」
「アイソ……あれか?その場で動かずに力んでるやつ?」
「そうですよ」
「意味あるのか、あれ?」
「特定の関節可動域に対してなら筋力向上も期待できますし、何より場所や設備を選びませんからね。意外と優秀なんです」
「まー、おぬしが本気で動いたら周囲ごと破壊されてしまうからな。適当な重りもないし」
ネイザー・エル・サンディのようなバルク(筋肉量)もカッコいいとは思うんだけど、俺の筋トレの初期衝動はやはりアラン・シュヴァルツの芸術性を備えた肉体と、そのポージングだった。
「外に出てから石投げとか加圧トレーニングとか、新しい刺激もけっこうあるんで、ちょっとは発達してないかな?どうですかね?」
「んー……もともと凄いからよくわかんない」
「大胸筋は最近特に重視してるんですけど、ストリエーション(筋束が形づくるライン)は改善されたんじゃないっすかね。ほら」
「ちょっと、近いから。ピクピクしないでよ……は、恥ずかしいじゃん」
……肉の焼ける匂いは効果があったようで、さらにクマや魔物など計11頭の肉がクロノの保管庫に収納された。
肉食動物はエサにありつける機会を待つ必要があるため、その体に多くの脂肪を蓄えている。エネルギー源としては草食動物より優秀だと言っていい。
シカの肉などは脂肪が少なすぎて、食べて消化した瞬間もう腹が減ってくる。質の良いたんぱく質は摂取できるし、美味しいからいいけど。
街に戻ると、商店街はもう活気に満ちていた。俺達は岩塩を5ポンドと、胡椒を買った。
屋台でつまみ食いしながら、まだ約束までの時間はあるので、俺は何処かで昼寝でもしようかと考えていた。
ふと隣を見ると、クロノが露店のほうをじっと見つめている。
「クロノ様?何かありました?」
「え?あ、いや。別に」
「そういう時って絶対何かありますよね。……お、宝石だ」
「ちょっと見てただけだから。欲しいとかじゃないし」
「どれ見てたんですか。あ、この紅い宝石のペンダント、すごい綺麗だな」
「だよね!?それ、なんかすごい気になってて……あ」
好みが当たっていて俺も嬉しかった。クロノはそっぽを向いて何とかごまかそうとしているが、神様だって欲しい物くらいあっていいと思うけどな。神も人間みたいなものだ、って昨日、自分で言ってたし。
「別に、ちょっと目についただけだから。ほんとに」
「そうですか。すんませーん、この硝子棚に入ってる紅いやつ、いくらですか?」
「ちょっ!?」
「おー、いらっしゃい。お客さん、お目が高いねぇ。
そりゃ『神の石』と呼ばれる宝石だよ。売り手のほうが言うのも何だけど、こんな道端で取り扱ってるのが可笑しいくらいの代物さ」
「高そうだよ、マット?もういいよ」
クロノが背中をつついてくる。あんな欲しそうな表情しておいて遠慮されると、余計に何とかしてあげたくなる。ずるい神様だな。
「いいんですよ。お金で何とかなるものはね。で、いくらで売っていただけるんで?」
「どうも、そっちの可愛いお嬢ちゃんにプレゼントってんだね!?応援したくなっちゃうじゃないか!
仕方ないねえ、30万ロニーぽっきりでいいよ」
「いや、めっちゃ高いやん」
「なんだい、『最強の凡人』マット・クリスティ様なら、そのくらい安いもんだろ?」
「あ、俺のこと知ってんすか」
「もうオプティマじゃあ有名人だからね。へへ。もし知らない誰かだったら、60万で売るつもりだったさ」
「じゃ仕方ないか。クロノ様、30万でいいみたいなんで」
「そんな、高いよ。わたしなんかに」
「俺の金です。俺の意志です。俺が、そうしたいと思いました。さ、貯金出してください」
「……いいの?」
「当たり前だろ」
敬意を失ったわけじゃなく、ただ正直な気持ちを伝えようと思ったら、ぶっきらぼうな言葉になってしまった。
「あ……ありがと」
クロノは噛み殺そうとした嬉しさが溢れだしたように、上気した表情をしていた。
首に手を回し、俺がペンダントを付けてあげると、涙ぐむほど喜んでくれた。体がふわふわと宙に浮いてしまっている。
「すっごいきれい!かわいい!」
「良かったですね」
「うん!えへへへ」
……この感情が昂ると子供っぽくなるやつ、卑怯だな。
クロノ自身が元々、宝石よりも綺麗なのに。