第34章 空になったテーブル
「そういうわけだから、あたしゃエルフの体を自分のものにするまでは帰らないよ。リヴァには悪いけどね、黙って死んでいくなんて嫌なの」
「んー、じゃあこの依頼、どうやって解決にもっていこうか?ねえマット君」
「え?あ、ああ。そうですね……」
「マット?おぬし、どうかしたのか?」
「いや、少し考え事を。それで、依頼をどうするかって話でしたね」
現実に、イリスの言うようなことが有り得るんだろうか?肉体を借りて生き続けるなんて。俺には信じられなかった。
「よし、じゃあ決めた!僕はイリスお婆ちゃんを手伝うよ。それでさ、マットも協力してくれるんだよね?」
「え?」
「マットのほうが言ってたんじゃん、一緒に探したほうが見つかり易そうだ、って!
こうなったら、エルフになったイリスお婆ちゃんを、リヴァのとこに連れて帰るまでが『請負人』の仕事だろ?」
マッドは乗り気だ。カリーナさんとの約束もあるしな。しかし、俺は受けるべきではないと思っていた。
まず、俺には遺跡を探す当てがない。そして、仮にエルフの体を見つけたとして、イリスの魂がそれに乗り移れるかもわからない。
……もうひとつの理由は、そこまでして人間が生き永らえようとするのが、正しいことなのか否か、俺には判断できないから。
「イリスさん、ひとつ訊いても?」
「何だい?言ってごらんなさいな」
「……イリスさんにとって、『死』とはどういうものですか?」
「いきなり哲学者みたいなことを言うねえ、この子は。
死ぬっていうのは……?まあ、あたしだって死んだことないからよくわかんないさ。でも言えることはある。
『死』とは、生きた『結果』だよ」
「結果、ですか」
「そう。だからねぇ、我々にとっちゃどうでもいいことなのさ。
あんたも……例えばさ、とびきりのご馳走を食べたことが一度くらいあるでしょ?
その経験のなかで、いちばん大事で、必要なものは、ご馳走の『匂い』や『味』なんじゃないかしら。
食べ終わった後の、空になったテーブルに、いったい何の意味があるっていうんだい?そうなることが、あんたの食べる目的だったのかい?」
ああ、そうか。
人はこの世に生まれ、結局死ぬ。その「結果」だけ見れば、歴史上のどんな人間も同じだ。
イリスさんも、マッドと似ている。今を生きている、この瞬間こそ、最も大事にしているものなんだ。
「……イリスさんの考え方、少しわかったような気がします。
あの、俺、筋トレが好きで。筋トレって、例えば重たいものを挙げるんですけど、また下ろすんです。何回も何十回も。
どんなにレベルが上がっても、それは変わらなくて。筋トレが終わると結局、その重りはどこにも移動していない。
それだけを見たら、何の意味もないことになってしまう。
俺たち、生きて死すべき者に必要なのは、筋肉が収縮している今。この瞬間そのものなんですね」
「うーん……まあ、あたしゃ運動は苦手だったから、筋トレは三日くらいしか続いた試しがないんだけど。
マット君っていったか。あんたが納得できたなら、あたしはそれでいいんだよ。ひゃひゃひゃ」
愛くるしい見た目の黒いネコは、似つかわしくないしゃがれ声で笑った。
「で、マット君。あんたも、あたしの復活劇の手伝いをしてくれるのかい?」
「はい。力になれるかはわかりませんけど。
マッドと、イリスさんに出会って、色々考えさせていただきました。
今の瞬間、目の前にある問題に立ち向かうのが、自分の生き方だっていう気がしてるんで」
「マット!君はやっぱり、そういう奴だと思ってたよ。そうだ、失敗するとか死ぬとかは、実際そうなってから考えりゃいいのさ!あはははっ」
「それで、マッド。たしかマッドは『遺跡発掘』の依頼書を持ってましたよね?」
「流石、覚えてたか!なら話は早い、そうだよ!僕には既に当てがあるんだなー」
「ほんとかい!?チャラ坊、その場所を教えな!」
「もちろん、教えるよ!ただ、ここからは大っぴらにできない内容もたくさん出てくる、かも知れないでしょ?
だから、明日11時!闘技場の正面出入口に集合、ってことでどうかな?今日は僕、かなり飲んじゃってるもんね」
そうだった。しかしあれだけ飲んでおいて、よくまともに話ができるな。俺の横に座る神様は、ひと口飲むとぐでんぐでんになってるのに。
「じゃあ、今日は解散ってことで。イリスさんは、どうします?」
「あたしゃ、いつもの寝床があるんだよ。この姿だと、みんな可愛がってくれるもんだからねぇ。ひゃひゃ」
「えー、イリスお婆ちゃん!僕と一緒に寝ようよ!なでなでしてあげるよ、マットがクロノちゃんにしてあげてるみたいにさ」
「なっ、ちょ、何を言う!?この愚かな人間めが!」
「クロノ様。まあ、ついさっきあった事実なんで」
「あいつ、ばかにしてるもん!絶対!むうううっ」
「あんたらと一緒にいると、退屈しなさそうだねぇ。若いのに囲まれて、あたしもちょっとは若返りそうだよ」
挨拶を交わし、それぞれに別れ、俺とクロノは宿のほうへ歩いた。
「マット?おぬし……何か、悩んでおるのか」
「クロノ様。あの……」
隣り合って歩いているのに、俺がほとんど何も話していなかったからだろう。クロノに心配をかけてしまっていたらしい。
「神様の立場からみて、人間がイリスさんの考えてるような方法で生き永らえることは、正しいことですか?」
「ふーん。そういうことね」
クロノは俺の袖を掴み、すっと体を寄せた。