第32章 しっぽが三本の黒いネコ
料理屋の前に着いた。
看板の「ラブレイダ」という文字が、暗い夜でもチカチカとした光の装飾で目立っている。これも回路の力だな。けっこう良い店みたいだ。
……どうも、自分が魔法を使えないと、それが言葉通り魔法のように感じられる。なぜ魔力でそんなことができるのか、感覚的にはさっぱりわからない。
「いらっしゃーい。おー、皆さん!さあさあ、奥の席にどうぞ。
今日は熱い闘いを見せてもらったんで、こちらからは美味い食事でお返しさせてくれや」
「ありがとうございます。そう言っていただいたら、余計に腹減りました」
「マスター、とりあえず麦酒!僕はね!どう、二人は飲めるの?あ、アルコールはダメなんだったっけ」
「まあ、その分いっぱい食べますんで。とりあえず、水で」
「マッド・エリスビィ。マットの食べる量を見たら、驚くと思うぞ。あ、わたしオレンジジュースがいい」
「驚かないことのほうが珍しいよ、マットには。あはは」
「ネコなんだけどな、今日はハンターが裏口で見張っててくれてるよ。毎日来るわけじゃないらしいから、どうなるかは知らんけどな」
「ありがとうございます!」
「ネコがいたら、すぐ合図するように言ってある」
「じゃ僕達は安心して、金をじゃんじゃん使おう!」
「いぇーい!さいこう!」
「クロノ様?めっちゃご機嫌みたいですけど、何かあったんすか?」
「……あ、すまねえ。お嬢ちゃんが注文くれてたの、酒じゃなかったっけ?」
「マジか。クロノ様……それ、お酒?」
「申し訳ねぇ。そいつのお代はタダでいいから」
「えへへ、楽しいよぉ。ねーマット、なでなでして。なでなで。大好きだよ、ふにゅ」
「えー!?クロノちゃんって酔うとそんな素直になっちゃうんだ!あははっ、おじさんファインプレー!」
困った。この状況、俺が一方的に恥ずかしいやつだ。甘えてくれるの自体は嫌じゃないんだけど。
「おい、兄ちゃん達。来たみたいだぜ、黒いネコ」
カウンター越しに、店主が声をかけてきた。俺はそちらを見る。親父さんは口に人差し指を当て、静かに俺達を呼び寄せた。
……問題は現在、まともに動けそうなのが俺だけだという点。
クロノもマッドもへべれけになっており、クロノは俺を枕にしながら寝てしまっている。マッドのほうは何杯飲んでるんだ?
「ネコ!?よっしゃあ今すぐ行くよ!待っててねカリーナ!」
「マッド、もう少し静かに行きましょう」
「そうだった。相手はネコだもんね!てへぺろりーぬ」
「クロノ様は、ここで寝ててくださいね」
「んー……マット、ぎゅってして。ひとりにしないで……さみしいよぉ」
「いやいや、そうじゃなくて……あ。そうだ。マスター、すんません、水を一杯」
やはりクロノは、水をひと口飲んだら元に戻った。
「あの……おぬし、さっきまでのこと……その、覚えておるか?」
「もう忘れましたよ。それよりネコです。ネコ。早く」
「むうう、だってお酒だと思ってなかったんだもん」
そんなやりとりをしている間に、カウンター奥に回っていたマッドは、もう裏口ドアを静かに開けていた。真剣な表情で外の様子を窺っている。
どっちも、復活するの早いな。
マッドが手招きした。俺達もそろりと移動し、ドアから外を覗いてみる。店の息子、ハンターがゴミ捨て場のそばにしゃがみ込んでいた。
その足元で、黒いネコがエサを貰って食べている。しっぽは、三本。
「とりあえず、捕まえますか……ん?」
「僕が行くよ。マット、どうした?」
「マット、おぬしも気づいたか」
「……はい。あいつ、どうも眼が違う。ネコじゃない。魔物、ですかね?」
「もう少しばかり複雑そうじゃな。何にしても、あれには気をつけんといかんぞ。二人とも」
「なるほどね。魔物か」言い終わらないうち、マッドは凄まじい速さでネコを捕まえ、抱き上げていた。
「わー!ネコ可愛い!僕、ネコ大好きなんだよ!」
「きゃ!?な、何するの!いきなり、あんた誰よ!?」
高齢の女性っぽい悲鳴が響いた。え、どこから?
マッドのほう、胸のあたりから。
……ネコが喋った。
「ネコが、喋ってる!?」
マッドも、すぐそばにいるハンターも驚きの表情を浮かべた。
「ちょっと、離しなさいな!変態!」
「えー?ネコ好きは変態じゃないよ!君。ネコだからって、言っていいことと悪いことがあるんだぜ」
「いいから離して!もう、燃やすわよ。あんた」
ネコの黒い毛並みが瞬時に赤く光り、燃え始めた。
「あちっ!え、ネコが燃えてる!?」
反射的にネコを手放したマッドは慌てて、自身の服に点いた火をはたき消していた。
「喋るし燃えるし、すごいねー!君は。あははは」
「あたしにゃあね。あんたらみたいな若造に、捕まえられてあげる義理はないんだよ!ふんっ」
ネコは後ろ足で、自身の耳のあたりを掻いている。
「……イリスさん、ですか?あなたは。リヴァのお婆ちゃんの」
俺は尋ねてみた。
確証はないが、確信に近いものはあった。
「へ?あんた、あたしを……それにリヴァを、知ってるのかい?」
きょとんとした表情のネコ。
「俺達、リヴァに依頼されて、あなたを探しに来たんです。
もう一週間は帰ってないんですよね?リヴァ、心配してるんですよ」
「……ああ、そうかい。そういうことだったのかい」ネコは、いや、イリスは大きく伸びをした。
「ネコがいなくなると同時に、お婆ちゃんが目を覚まさなくなった。リヴァは依頼書に、そう書いてたんです。
……あなたが、どういう事情でそうなったのかは、俺にはさっぱりですけど」
「かわいい孫の依頼なら仕方ないねぇ。わかった、理由を話すよ」