第3章 閉じ込められた永遠のなかで
俺は思考を必死に整理しようとしていた。
「えーと、あなたはもしや……」
「我は時の神じゃ。知っておるだろう」
俺は常に正直に生きることにしている。真っ直ぐな行動は、筋肉と同じように幸福も育ててくれるはずだ。
大切なことは筋トレから教わってきた。
「すんません、俺が時の神様の石を落としました」
「どういう経緯で、落とすようなことになったのか?言え」
「村の祭りで……あの、毎年みんなで石を持ち上げるコンテストやってるんですけど、その予行をしてて。
挙がりはしたんですけど、そこからするっと」
「するっと、で済まされると思っておるのか!?」
黒髪美少女はけっこう本気で機嫌が悪いらしい。そうしなければ感情を抑えられないのか、そっぽを向いてしまっている。
文字盤を象ったらしい髪飾りを弄りつつ、艶やかな髪をくるくる指先に絡めて、俺の言い訳を待っているようだった。
面倒くせえな、こいつ。すごい可愛いけど。
「えー神様は……あれですか?ノンレム睡眠の時間帯に起こされちゃうとしんどいタイプですかね?」
「レムとかノンレムとか関係ないもん!わたし怒ってるんだよ!?」
「でもせっかく目覚めたんなら、もうそれでいいんじゃないっすかね。俺、そろそろ帰ってプロテイン(たんぱく質)とカーボ(炭水化物)補給したいんで」
美少女が透き通るような肌を紅潮させて、唇を噛んだ。あ、怒らせたな。
「怒りや悲しみは、筋発達を阻害しますよ。まあ落ち着いてください」
「うーるーさーいっ!!」
女の子特有のキンキン響く叫び声を聞いた途端、俺の体のすべてが止まってしまった。
金縛りなんかとは違う無感覚。
時の神だけに、時の流れを止めたのか。
「むううううっ、もう許さないから!……あっ、じゃなくて!
お、おぬしのような愚か者は、時を司りし我が力によって永遠に悔やみ続けるがよいっ」
……こうして俺は、毎日を繰り返す永遠に閉じ込められた。
初日。
真っ白な空間である。筋トレには十分すぎるほど広いが、マジで本当に何もない。
石や丸太もないので、自身の体重を用いるトレーニング種目しか出来ないな。
上等じゃねえか。俺の成長を決めるのは、俺の意志のみ。環境がどうだろうと、俺は決して筋トレをやめない。
そう言えば思い出した。携帯食を持って来てたんだった。何故か今は感じないが、さっき腹も減ってたからな。
俺は腰の道具袋を開いた。ウサギの干し肉、シカの干し肉、蒸した芋、水袋。
しかし、ここに居ると感覚がおかしくなる。当然ながら太陽は見えないが、本当に時間という概念がない空間なんだろうか?
それだと、筋トレの分割構成とトレーニング頻度が難しいな。四食分くらいあるうちの一食を口にしつつ考える。
よし。腹も膨れたし、ちょっとやってみるか。
俺は白い床に掌を着け、逆立ちになった。そのまま歩いた。24歩で限界がきて、姿勢が崩れ、俺は転がった。
24歩か。まあTUT(タイムアンダーテンション=筋活動持続時間)はそれなりに稼げるし、効果はあるはず。筋トレ三分割の柱に、逆立ち歩行を取り入れるか。
生物学の本を読んでいた時に学んだが、四つ足の生き物もヒトと同じような肩甲骨周辺の構造を持っている。
そして、そいつらを山で獲って解体することでわかってきたのは、「手」ではなく「前足」として用いる奴らのほうが、肩関節を安定させるための筋群がはるかに大きいということ。あと首の筋肉もそうだ。
反対に、ヒトは二足で歩くため、骨盤周辺の筋肉がとても発達している。
サルや、そいつらに近い魔物などは、手としても前足としても使うため、筋肉のバランスが上も下も中途半端だ。だから二足で歩くと左右にふらついて見える。
つまり、逆立ちで当たり前のように歩けるくらい筋肉が発達すれば、俺はヒトという枠組みを超えられるかも知れない。
俺は、時の神の石を一人で持ち上げた史上初の人間。それはそれで誇らしいが、ひとつの通過点でしかない。こんなもんで終わる気はさらさらないぜ。
さあ、逆立ち2セット目だ。17歩。ちょっとインターバル(休息時間)が長かったかな。周囲に何もないので、自分の感覚だけが頼りだ。
逆立ちは全3セットに留め、あとは限界まで腕立て伏せ。既に疲労しているため、なかなかきつい。
手幅をワイド(肩幅の1.5倍程度)で2セット、ナロー(両手が軽く触れる)で2セット。これで胸も腕も鍛えられる。
水を飲み、呼吸が落ち着いてきてから再び食事。しかし、今はトレーニング直後だから空腹感と無関係に食べてしまったが、あと二食分しかなくなった。
意外とやばいな。と言うか、永遠に閉じ込められたのなら、そもそも飢え死に確定だ。
……まあいい。生けるものは全て死ぬ。俺にとって大事なのは、生きる長さではなく、如何に生きるかだ。
明日、世界が終わるとしても、俺は正しい筋トレと食事を行う。
とりあえず、寝るか。広い空間の真ん中で寝るのは何となく変な気分なので、四隅の端っこに俺は移動した。
白い壁。叩いてみたが、力というより叩いた事実そのものが打ち消されるような、妙な感覚があった。
よし、明日は脚のトレーニングだな。俺は横になって、眼を閉じた。