第22章 シャオン・ライの酒場
ローラに「闘技者」の登録用紙を貰って、俺達は職安を出た。これは闘技場の運営側に提出する用らしい。
記入できるところは予め書いておこうと思ったんだが、初めに本名を書いた時点で筆が止まってしまった。さすがに317年前の生年月日は書けそうにないし、住所も現在は不定だ。
……まあ何とかなるだろう。そもそも、人違いで素人をバケモノみたいなのと対戦させるような所だしな。テキトーだろ絶対。
今日は試合が開催されないので、観客出入口のほうから入ったのだけど、全体が閑散としていた。広大な会場には掃除人と、体格のよいスタッフらしき人が点在しているだけだ。
せっかく来たことだし、観客席も見学しておこう。前回は、そちらに目をやる余裕もなかった。
「うわー。俺、こんな凄い会場で、満員の観衆のなか闘ってたんだな」
「ふふ。試合が始まる直前の、あれほど真っ青な顔、かつて見たこともなかったぞ」
「びびってましたね、俺。あの時は完全に」
「マットも人間なんだなー、と思ったよ」
「人間っていうか……クロノ様も先輩方の前では明らかにびびってるでしょ?神様も同じようなもんじゃないっすか」
「むう……だって怖いんだもん」
「そこは素直なんですね」
「あーっ、おまえさん、マッド……じゃなかった、マット!マット・クリスティだな!」
舞台に向かって段々と下がっている観客席の、かなり低いところに声の主がいた。歴戦の勇士っぽい人だ。
この距離で人を判別できるのか。ヤバい視力だな、あの人。いや、俺の顔じゃなくて体のほうを見たのか。小走りにこちらへ向かってきている。速い。
「あ、先日はどうも、お騒がせしました」
「ほんとにな、あれから更なる大騒ぎになってんだぜ。もう何処かで聞いたか!?」
「さっき職安で、受付の方から色々と」
「マッド・エリスビィの野郎、掛け持ちでやってる『請負人』の仕事が忙しいせいで、自分の試合の日を間違えてたらしいんだ。
そんで今のおまえさんみたいに、翌日の闘技が休みの日に、のこのこ来やがったんだよ。参ったぜ」
「じゃ、賞金ってどうなりそうですかね?」
「んー……そこなんだよなぁ」勇士は頭を掻いた。
「マッド・エリスビィの言い分はこうだ。自分の名前を勝手に使って出場した奴がいたんなら、自分にも賞金を幾らか貰う権利があるんじゃねえか、とな」
「試合自体は、有効なんですか」
「まあ過去にも、意図的な替え玉は何度かあったしなぁ。その場合、基本的にはそこで勝った者が勝ちだ。
全試合とも賭けの対象になってるから、払い戻しとかは現実的に無理なんだよ。試合中とか、観客の面前で違反が見つかった、とかなら話は別だけどな。
その前例から、おまえさんにも俺の裁量で賞金を渡したんだ。しかし、後になって、それも勝ったほうが異議を唱えてくる、なんてのは前例のないことでなぁ」
「あ……今ちょっと考えてみたんですけど、たぶん大丈夫です。それで、そのマッド・エリスビィって人はどこで何してるんですかね?」
「大丈夫ってのは?」
「俺が直接、マッドさんと話してみます」
「んん、じゃあマッド側の言い分に大人しく従って、賞金は山分けってことかい!?
おまえさんが四天王の一人に勝って、もぎ取ったファイトマネーなんだぞ?」
「俺、これからも『魔闘技』出ようと考えてるんで。まあ次からは、本名でお願いしたいんですけど」
俺は書きかけの登録用紙を取り出して、見せた。
「……おー、そうかい。はっはっは、マジかぁ!じゃあ、これからまたおまえさんの闘い振りが見れるんだな!?
オプティマ市の全体が熱狂するぜ!そりゃ俺が保証するよ」
「はい、まあぼちぼちやります。だから、マッドさんに半分取られてもこの先メシ食っていけるように、次の試合を組んでいただけますか?」
「わかった!試合日程は来週の日曜、部門は『魔闘技』のほうでいいかい?」
「それでお願いします!」
「よっしゃ任せろ!急ぎで相手を見つけてくるからな。くれぐれも日時は間違えんじゃねーぞぉ!?あっはっはっ」
この歴戦の勇士、見た目は厳ついけどいい人だ。
……闘技場に来てからというもの、俺の体は別に大きくないような気がしてきた。この人も含め、とにかくデカい奴が多すぎる。
「と、そうだった。マッド・エリスビィのことだったら、『請負人』の仲介をしてる酒場で訊けば、たぶん居場所もわかるんじゃねえか?
もしマッドが今ヤバい仕事に足突っ込んでやがったら、教えてくれんかも知れねえけどな」
「すんません、その酒場っていうのは?」
「シャオン・ライって店だ。主人の名前が、そのまま店名にもなってる」
……え、その店って。俺は隣にいる、酒に弱い神様を見た。
クロノは顔を真っ赤にして動揺しつつ、滑らかな黒髪を指に絡め、玩んでごまかしながら、ゆっくりと俺から視線を逸らした。
「クロノ様、覚えてます?」
「えっ?あ、ああ。昨夜、立ち寄った店じゃな」
「あ、一応覚えてるんだ。じゃあ、その店でクロノ様がどういう言動してたか、それはご記憶でしたっけ?」
「むう……」
「俺があれほど止めたのに、酔った勢いでめちゃくちゃやってましたけど?どんなこと言ってたかなー」
「ちょっと、もう許して……」
マット大好き、とかずっと連呼してたからな。俺のほうが恥ずかしかったんだぞ昨日は。
「じゃ許すんで、今からもう一回行きますね。ついて来てください」
「むうう」