第20章 遊撃特別警邏の神
「お待ちください。私の推測、と言うか、ほぼ確信でありますが、先ほどまでマット・クリスティも、クロノと同様の心境だったようです」
冷たく強い声が一閃、場の混乱を鎮圧した。
その灰色の長い前髪に遮られて、表情がよく見えない女性の、はっきりとした意思表示だった。
「皆、冷静になるべきです。おそらくは……何か、お互いの誤解が重なって、擦れ違いが起きているのではないかと」
誤解?
「ひゃあー、修羅場だよ修羅場だよっ」
「まー何だかんだ愛されてるからねっ、クロノも」
双子のようにそっくりな二人の巻き髪が、少し退いたところから俺たちを見ている。意外と冷静だ。
「わかった。マット君、ゆっくりでいいさ。説明してくれ」
緑髪の女性が、ショートの青髪の頭を整えるように優しく撫で続けていると、青髪のお姉様も落ち着いたのか、眼鏡を外して涙を拭った。
「ごめんなさい。取り乱しました」
「……すんません。あの、俺も今、状況が飲み込めていなくて。
昨日、俺は成り行きで、闘技場でいきなり闘わされる羽目になったんです。マッド・エリスビィっていう別人と間違えられて。
それで、何とか勝って、賞金を320万ロニーと少し、貰ったんです。俺のほうは、当面これで生活していけるって喜びました。
それを聞いた時、クロノが……クロノ様が言ったんです。
『もう大丈夫、わたしがいなくなっても』って」
「……ああー、そういうことかぁ」
「なぁんだ、クロノがね。うふふっ」
「なーるほどな」
「これで話が繋がりましたね」
「もうクロノったら、かわいーっ!」
「ほんと愛されキャラだよねーっ!」
みんな、一気に力が抜けたような声を出した。もう誰も怖い顔をしていない。
「……そんじゃ、連れてくるわね。もう、あのばか」溜め息と共に、お姉様が眼鏡に手をやると、その姿は消えた。
「はーい、ただいま」うわ、めっちゃ一瞬で戻ってきた。クロノを脇に抱えて。
「クロノ。この男の名前は?」
「あ……ま、マット・クリスティ、さんです」
「そうね。では、その男がマッド・エリスビィを名乗って闘技大会に出場した。まず『経歴詐称』ね」
「しかも、それで大金を獲得しちまったんだろ?完全に『詐欺』だな」
「あらぁ、その前にマット君、ベンファト家所有の魔動車も壊してるわねぇ?それって『器物損壊』よ」
「そーいえば、マット君って大会に出る前に闘技場と契約を交わしてないよ!」
「そーだね、じゃ互いに合意のない状況でネイザー君をボッコボコにしちゃってるんだし、『傷害』か『殺人未遂』なんじゃない!?」
「そもそも石になったクロノを落として割ったという事実は『神々への冒涜』である、という解釈と適用が可能です」
え。じゃあ俺って、「クロノを泣かせた」どころの話じゃない、もう重罪人じゃん。6神から一斉に指摘されたことで、俺の血の気が引いた。
クロノのほうは、まだ涙も止まっていないまま、次々に俺の罪状を聞かされ、蒼白い顔になってしまっている。
「……あ、あのっ」
「クロノはいいの。ねえクロノ、あなたはこんな罪人に、きっちり300年の懲役を課してたんだから。ちゃんと仕事してるわ」
「え……え?」
「そういった主旨の内容で、上に報告済みです」
「しっかし、この人間さ。神の力を破っちまうくらい強くなっちまったんだぜ?どう処理する?」
「しかもさー、もう刑執行は終わっちゃったみたいだよ!?」
「だよねー。シャバに出ちゃってるけど、監視は絶対必要だよ!?」
「うーん……そうね。じゃあ、こうするしかないわ。
クロノ、貴女は『時の神』から異動。管轄もオプティマから外します。
たった今から、クロノはマット・クリスティの『人権保護』それに加えて『犯罪抑止』を目的として動く『遊撃特別警邏』に転属よ。
全て、私の責任において発令します」
「ゆうげき、とくべつ……けいら?」
クロノは泣き腫らした眼を見開いていた。この場に連れられるまでもずっと泣いていたようで、長い黒髪が目元や頬に貼り付くように引っ掛かっている。
「つまりだな。クロノ、おまえは今後、このマット君とかいう危険人物の更正。それだけじゃあなく、その馬鹿力の制御や抑止も担当するんだ」
「こんな筋肉と凄ぉい力を持ってる子、いろいろ知ってるクロノちゃんじゃなきゃ、コントロールできそうにないもんねぇ」
「では、クロノの任期は如何に設定しますか?
私の意見ですが、情操教育や筋力の弱体化も含め『すべての問題が解決するまで』担当を継続させるべきだと考えます。
さらに、本大陸だけでなく世界全域においても、クロノは『遊撃特別警邏』としての権限を持つよう、予め申請しておくべきです」
「そうだよねー!でも、マット君の力って弱体化どころか、さらに強くなってきてない!?」
「たしかにー!じゃあクロノの任期って、いつまでになるのかな!?」
6神の表情は、もうほとんど笑顔になってしまっている。
それでもクロノは状況を飲み込めていないのか、先輩方の顔を見ながらおろおろしていた。
「クロノ、わかったわね?報告は全て私達で済ませておくから。
それと、これは命令。『絶対に、マット・クリスティのそばを離れるな』」
クロノは声も出せないまま、ゆっくりと頷いた。
「マット君、あなたも同じよ。人間に対して、命令は出さないけれど……
だから、これはお願い。『クロノがどんなに早とちりで、ワガママで、素直じゃなくっても、ずっと好きでいてあげて』」
「はい。誓います」
「ふっ、いい返事ね。クロノ、あなたも見習いなさいな。じゃあ、私達は報告に向かいます。
クロノ。これからは、もっともっとしっかりね」
6神の輝きは消え、橋の上の俺とクロノを暗闇が包んだ。
危険人物と、警邏の神、か。
「……はははっ」
俺はクロノの隣、一人で笑ってしまった。あれ?さっき、なんで泣いてたんだっけ?