第16章 持たざる者の拳
「「さあさあ、皆様、大っ変長らくお待たせいたしました!両選手の入場ですッッ!」」
これも「回路」ってやつなのか、同じ声が重なるように大きく会場全体に響き渡っている。女性らしき声の主は、さっきのローラさんにも増してテンションが高い。
俺と同時、向かいの花道から大男が出てきた。俺よりはるかにデカい体格、筋肉の持ち主。しかしその顔は理知的な印象だった。
俺は歩いて中央の舞台へ向かう。
全方位から、地鳴りのような大歓声、野次。観衆の視線。
「てめえに賭けてんだからな!大儲けさせてくれよぉ」
「若いの、30秒くらいは立ってろよなぁ!?」
「きゃー、あの子!かっこいーし、かわいー」
怖い。
味わったこともない異様な状況に、俺の全身はがたがた震え始めた。息が、苦しい。
俺は農家の息子で、凡人なんだよ。
……なんとか舞台中央まで進み、大男と向かい合う。
「「当試合の『ウォーラー』、お馴染みマイク!そしてレイ!」」
「ウォーラー」と呼ばれた男二人が手を挙げ、合図した瞬間、俺と大男だけが立つ円形の舞台に、半球状の壁が現れた。俺達にカゴを被せるように。
俺はその壁の内側から、舞台全体がすっぽり覆われているのを確認した。壁は少し虹色がかっているが、硝子のように透けている。大観衆が、実況者が見える。
逃げ場はない。
そうか。ウォーラー、壁を張る者。選手が逃げられないように、または魔法の力が観客席まで及ばないように、魔力の壁を展開しているってことか。
しかし、この壁を張る二人とも凄腕の魔法使いに違いない。
昔、隣村から来た魔法使いが教えてくれたのは、魔法がイメージの力であること。つまり、ほぼ透明の「見えない壁」をイメージで造るなど、極めて難しいことのはずだから。
「おい、小さなボウズ。マッドとか言ったな。よく逃げなかった!偉いぞ」
大男が話しかけてきた。おそらく演技ではない余裕がある。
「……なるほどね。こりゃ、そのマッド君も逃げるはずだな」
精一杯の声を出したつもりだったが、震える俺の会話は歓声にかき消された。
「ふははっ、まあ良い試合をしようぜ。『持たざる者』よ」
「「ジャッジ、オーケイ!?さあ試合開始です!
それでは皆様ご一緒に、ファイダーウッ!」」
カァン。
鐘の音が高らかに響いた。試合開始。
何が何だかわからないまま、始まってしまった。心臓が口から上がってきて吐いてしまいそうだ。
大男が壁にもたれかかり、感触を確かめるように弾んでいる。あ、この壁って弾力あるんだな。そんなことをぼんやり考える。
と思ったら、全てが停止した。
大観衆も、実況の声も、何も聞こえない。大男は動かない。俺も動けない。
ふと、ほっぺたをつついてくる爪の感触。
「ふふ……マットって案外、緊張するタイプなんじゃな。なんじゃ、我と出会った時はそうでもなかったくせに」
固定されたままの俺の視界に、クロノの姿が映った。くすくす笑っている。
「よいか?確かに相手は名のある魔闘家じゃが、当のおぬしは神の力すら破った人間なのだぞ。
だから、大丈夫。頑張れ、マット。
……じゃ、また後でね」
クロノが視界から、横へと外れていく。
ほっぺたに再び、しかし今度は柔らかい感触があった。
……今のって?
突如、世界が戻ってきた。大歓声。弾む大男。全てが動きだしたんだ。
「「さーて始まりました!解説のマルクス・ウルさん!試合の見所は!?」」
「「そうですね、やはりギフトを持たざるマッド選手が、どこまで勝負できるのかというところでしょう」」
俺達がいる壁の中にも、はっきりと二人の音声は響いている。大男は笑みを浮かべた。
「だってよ!どうだい?一発や二発くらいは耐えてくれるよなあ!?」
「「しかし当のマッド、オッズは圧倒的に不利予想ですが!今回は見事な仕上がりですっ!ご覧ください、この肉体!」」
「「まるで別人のようですね。魔闘技への挑戦という、無茶とも言える決意が、全身の筋肉に表れてますよ」」
「どうしたボウズ!?俺から行っていいんだな!?」
俺は右足を半歩引き、両腕を顔の前に構えた。格闘技も魔闘技も知らんけど。
ドムッ。
胸のド真ん中に衝撃。
その勢いで、俺は壁まで飛んでぶち当たり、弾んでまた大男の前に転がってきた。
痛え。
こんなの遠い昔、山のイノシシに撥ねられた時にしか経験してないぞ。
「おーい、生きてるかい?まだ今のは魔力も込めてねえ生身の拳だぜ!?」
「ごほっ……へいへい、なんとか生きてますよ」俺は立ち上がる。
「いいねぇ。そう来なくちゃなッ」言い終わらないうちに、大男は一気攻勢に出てきた。
ドドドッドドンドドド。
俺は体を丸めたまま、壁際で滅多打ちにされていた。一発貰うたびに吹っ飛ばされて体勢が崩れ、壁に跳ね返って、また殴られる。
くそ、マジで痛えぞ。俺にも一発くらい殴らせろ。
俺は固めた右拳を、大男に向けて振った。
ガォン。
「ぐっ!?」男が跳び退いた。
避けられた、らしい。
しかし男の左肩から右腰にかけて袈裟斬りに傷が生じ、ぱっくりと割れて出血が生じている。
「はあ!?何だ、今の!?」観衆がざわめく。
「「ウルさん?今のは、まさかマッド側の魔法でしょうかっ!?」」
「てめえ、ギフトを隠してたのか!?
風切の刃か……まさか、空間切断!?」大男が叫ぶ。
「「どうですか!?ウルさん」」
「「いや……今のは……」」
「すんません、ただの空振りです。期待させて申し訳ない」
俺の拳は音より速い。
……「持たざる者」か、なるほど。確かに、俺のほうには種も仕掛けもないな。
試合開始の「ファイダーウッ!」は、fight it outです。「タクティクスオウガ」で有名なあれです。