第12章 生きる糧を得て
おそらく荷車には人が乗っている。どうしようか。さっきのように投石だと、周囲まで危険にさらすかも知れない。
よし、ここは直接行くか。
「おーい、そこのイノシシ坊や」俺は少し声を張り上げた。
魔物が反応し、こちらを向いた。デカいな、こいつ。1000ポンド以上あるぞ。
「よーしいい仔だ、って、あ、あれ?」
魔物は走って逃げた。馬より速いくらいのスピードで。
「マット、まずい。街のほうに向かってる」
「追いかけます」
俺はスタートを切った。
いや、それとほぼ同時にイノシシの進行方向へ回り込み、立ち塞がるまでの動作を完了していた。
周囲の木々が葉や実を落とし、肝心の魔物は横倒しになり、もがいている。
うん。どうも俺が走った時に生じた風の影響らしいな。まあ結果として成功だろう。
「ノォペイン」俺は掛け声と同時、手刀を縦に振った。
イノシシの体は二つに両断した。
「ライウェイ、ベイベー」
「……マット、前から思ってたんだけど、その呪文みたいなのは何なの?」
「昔読んだ本に、叫ぶと強い力が出るとか書いてあったんすよ」
「ふーん、でも今終わってから言ってなかったっけ?
……まあよいか。片付けるぞ」
クロノが手をかざすと、ついさっきまでイノシシの魔物だった肉塊は何処かの時空へ吸い込まれた。
「肉、腐ったりしませんか?その中に保存してて」
「大丈夫、時は動かぬよ」
「おー、流石は神様ですね。凄いなー」
「……あんな簡単に魔物を真っ二つにする者に、凄いなどと言われてもな。我より速いではないか。
それより、あの中の人間は無事だろうか」
「そうでしたね」俺は荷車のほうを振り返った。冷静になって見てみると、荷車という呼称が適切かはわからないが。
よく見ると、四輪で車体を支えているうちの一つが壊れており、傾いでしまっている。
「すんませーん、ご無事ですか」
硝子窓の中から、手を振る姿が見えた。老夫婦のようだ。ゆっくりと扉が開く。その音で俺は気付いた。この車体、木じゃなくて金属製なのか。
「おお、おお、助かりました。お二人とも、名のある魔法使いの方々とお見受けいたしましたが、鮮やかなもので。
あれほど大きなヴィルボーアを、一瞬で仕留めてしまうとは」
あいつ、ヴィルボーアって名前なのか。
長いこと山にいながら、俺はそういう学術的な事柄をまったく知らない。山の生き物や植物など、俺にとっては自身が生きるための糧でしかなかったんだ。
……今から、ちょっとずつでも勉強していこう。筋肉のことばかり考えていた300と17年を、俺は反省した。一から出直しますッッ。
「まあ……俺の力はただの物理、っていうか筋力なんですけどね」
「ほう?いやいや、それはご謙遜でしたかな。
お、そうだ。妻からもお礼をさせて頂こう。おい、ラケル」
「あなた、ごめんなさい。私、腰が抜けてしまって……」
「おお、おお、そうだったか。申し訳ない、中にいるのが妻のラケルです」
「いえいえ、俺のほうはそんな大層な者ではありません。ただ、黒髪の女の子のほうは……まあ別にいいか。どうぞ、奥様を安心させてあげてください。
しかし、車輪が一つ故障してるみたいですね。あの魔物にやられたんですか?」
「いやいや……先ほど、どうも落石に遭ったようでして。ほら、そこに転がっている岩です」
あ。この断面。
俺がさっき肉を焼く際、手刀で切り飛ばした岩っぽいな、これ。こんな遠くまで飛んでたとは。
……よし、たぶん俺の勘違いだ。俺は何も知らない。
「落石とは災難でしたね」
「まだ街まで、距離がありますからな。困ったものです」
「そんじゃ、俺が押しますよ。ちょうど方向も一緒ですし」
「おお、それは有難い……のですがな、魔動車は相当な重さでして」
まどうしゃ、というのか。魔石で動くと言ってたあれか。目覚ましい技術革新だな。
爺さんの話を聞き流しつつ、ちょっと持ち上げて押してみたところ、壊れた右の後輪があっさり浮いたおかげで、軽やかに前進してくれた。
爺さんは眼を見開き、驚いていた。俺のほうは現代人の筋力の平均がわからないので、これが本当に重いのか判断しかねる。
「俺達も街まで行きますので、ついでにお運びしますね。お二人とも、この、まどうしゃ?に乗っていただいて構いません」
「おお……何たる幸運であろうか。今の世にこのような逞しい、立派な青年がいたとは」
「クロノ様、こいつを押して歩いてやりたいんですが、かまいませんね!」
「うん、善き心がけじゃ。しかしマット、いやに勢いのある物言いじゃな?」
恩を売っているようで心が痛むような気もするが、これで貸し借りなしだ。ライウェイ。
「えっと……あ、あーんするがよい。食べさせてあげるから。ほら」
「すんません、では。あーん」俺は口を大きく開けた。
魔動車を後ろから持ち上げ、前輪だけを接地させて転がしているので、両手が塞がってしまっているのだ。
しかしその間にも腹は減るし、いちいち休憩していたら夜になってしまう。もっとスピードを出してもいいんだが、中のベンファト夫妻が心配だ。どうやら高価な荷物も積載しているようだし。
結論として、俺が車を押しつつ、クロノが魔法でさっきの肉を焼いて、俺の口に運び続けるというスタイルになったのだった。
「ど、どうじゃ?ちゃんと焼けておるか?……あ、熱かった?大丈夫?」
ゴクン。
「美味いです。あのヴィルボーアがデカいやつだったからかな?それでけっこう癖が強いんですけど、美味い。焼き加減も、このくらいが丁度いいや」
「そ、そうなんだ!よかったぁ……あっ、そうじゃなくて。
か、神にこんなことをさせるなど、恥知らずな人間じゃ。まったく」
「お願いします、次はもうちょい大きめのやつで。あーん」
「むうう……はい、あーん」
楽しいな。隣にクロノがいてくれるから。と思ったのに、それを口には出さなかった。
素直じゃない態度が、うつったのかも知れない。