引っ張られるもの
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
お、こーちゃん、見て見て。あれって「ひっつきむし」だよねえ。
いやあ、懐かしいな。小学生くらいの時に、あれらをぶつけたりして遊んだっけ。ひっつきむしって、種類がいくつかあるの、こーちゃんは知っている? 僕の周りじゃ二種類のひっつきむしの姿が、よく見られた。
ひとつ目が、手で投げて相手にくっつける「オナモミ」。楕円に近い形で、提灯にとげをたくさん生やしたような形のやつだね。
ふたつ目が、通りがかった人の服に知らぬ間にくっつく、トラップ型の「コセンダングサ」。イガでいっぱいの栗が、一気にスケールダウンしたかのような容姿で道端に生え、通行人を待ち受けている。それなりに注意を払っていないとくっついたのに気づかず、家に戻ってから発覚するってケースも多い。
僕たちは外を出歩くだけでも、たいそうな「おみやげ」を引っ提げて自宅や外出先へ赴いている。招く側もそれに注意していないと、思わぬ事態に出くわす恐れがあるかもしれないんだ。
ひとつ、僕の父親が体験した話、聞いてみないかい?
父親が子供の頃も、ひっつきむしを使った投げ合いっこが流行っていたらしいんだ。
実施の仕方は様々で、「たたいてかぶってじゃんけんぽん」と同じようにじゃんけんをし、勝った方が攻撃、負けた方が防御で、ひっつき虫をつけていく決闘じみたもの。かと思いきや、鬼ごっこのように鬼が逃げる人を追いかけながら、ひっつき虫を投げてくっつけていくものもあるらしい。
学校の周りにひっつきむしがたくさん生えていたことと、当時の飛び道具人気も相まって、父親たちは連日、無数の「爆弾」を抱えながらくっつけたり、くっつけられたりの戦いに臨んでいたらしい。
そんなある日のこと。夕方まで校庭でひっつきむしをぶつけ合い、解散の流れとなる。ひっつきむしを衣服からはがし、帰路につく父親だけど、すぐに妙なことに気づいた。
どうやら、同じ場所をぐるぐると回っているらしい。家へと向かう角を曲がったはずが、そこは校庭手前のT字路だったんだ。別の角を曲がっても、やはり方向に応じた校庭が見える位置に顔を出してしまう。
――ははあ、狐に化かされているな、こりゃ。
父親は親戚のおじさんから似たような話を聞いているから、さほど驚きはしない。親から対策のための道具も受け取っている。
父親は近くの縁石に腰を下ろすと、鞄の中からお守り袋を取り出す。その中にはライターとたばこが数本入っていた。
もちろん吸うためじゃない。人を騙す狐狸は、紫煙を嫌うという言い伝えに基づいたものだ。おじさんも同じようにして、正しい家路に復帰することができたらしい。火を点けた先から崩れ落ちていく、たばこの葉と包み紙。親戚には喫煙者が多く、副流煙には慣れていたつもりの父親だけど、それでもつい鼻をひくひくさせてしまう、
どれくらい煙に巻かれればいいか分からなかったけど、ひとまず一本まるまるが灰の山になるのを待ってから立ち上がる。何度も学校前へ戻された角を曲がると、今度はちゃんと帰り道の続きが見えた。
何事にも先達はあらまほしきことなり。徒然草の一文を思い出しつつ、父親はずんずんと歩を進めていく。
だけど、家まであと二つほど角を曲がれば到着というところで、父親はまた狐にたばかられることになる。再び曲がった先に、校庭の見える風景が広がったんだ。
この地点はブロック塀に囲まれて、右折することしかできない。車もかろうじて一台通れるかという狭い場所で、カーブミラーもついている。ここから戻るとなると、数十メートルのストレートが待っており、かなり億劫だったとか。
仕方なく、二本目のたばこに出番を与える父親。今回は腰かけられる場所がなく、そのまま路上の端にあぐらをかいた。火を点けたたばこは自分の真ん前に置き、先ほどと同じように身を粉にして、一筋の煙を吐き続ける。
そのたばこの残りがおよそ半分になり、父親の鼻もほとんど馬鹿になりかけていた時だ。
真っすぐ伸びる道の方から、足音が聞こえてくる。先の一本を燃やした際には、すべてが灰になるまで、不思議と人も車も付近を通らなかった。それこそたばこのご利益だと思っていた父親にとって、余計に不安を煽るものだったとか。
足音の主は、ワイシャツにねずみ色のスラックスといった、仕事帰りを思わせる初老の男性だった。にも関わらず、足に履いているのは足袋と草履というアンバランスさ。それが余計に道路の砂利を飛ばし、音を響かせている。
「変な人だなあ」と思いつつ、父親はじっとたばこの火をにらんで、男性にはもう目を向けなかった。
気のせいか、火がたばこに回るのが早い。この十数秒くらいで、半ばからフィルター部分にかかるところまで灰と化してしまっている。火を点けた紙巻きたばこが、フィルター部分まですべて燃えてしまうことは先ほど確かめていたけど、それでも10分以上は時間がかかっていたはず。この広がり方は、異常だ。
「今から近づいてくる男の人、やばい奴なんじゃ」と思い出す父親の真ん前で、ピタリと足音が止まり、人の影がたばこと自分の身体にかかったまま動かない。
恐る恐る顔を上げると、そこにはやはりかの男性だ。くしゃみする時のように、右腕の袖で口と鼻をおさえながら父親を見下ろし、尋ねてくる。路上でたばこを燃やしている意図を。
とっさに嘘をつこうかとも思った父親だけど、自分にかかっている影は確かに人間のかたち。
狐狸が化けたものを見抜く方法のひとつに、影を観察するものがある。狐や狸ならば、容姿は人間でも影の部分が獣になっている、というわけだ。目の前の男はそうじゃない。
父親がいきさつを話すと、男性は「ふーん」と鼻を鳴らしながら、件の角から顔だけを覗かせる。しばしにらんだ後、父親を手招きして尋ねてきた。「お前さんが目にした景色っていうのは、右手に高いフェンスを持つ校庭がある景色で間違いないか?」と。
そこまで詳しいことは話していなかった父親。ぱっと男性の影から見ると、そこにはたばこを焼く前と同じ景色が広がっている。紫煙が効いていない。
男性はなおも校庭以外に見えるものを挙げていき、その都度、父親に合っているか尋ねてくる。そのことごとくが正解で、父親はこの男にも、自分と同じ景色が見えていると確信したそうだよ。
その旨を伝えると、男はこう答えたらしい。
「狐たちは、何もいたずらで化かすばかりではないんだ。これ以上、進ませてはやばい奴を、進ませないようにする……そんな守り手のような働きがな。お前さん、たばこ以外にあいつらが危険視しそうな奴、持っているかい? もしくは身に着けているとか?」
父親には皆目、見当がつかない。素直に告げると、おじさんはこの先へ進むことを奨めてくれる。
「行きゃあ、理由が分かるはずだ。怖けりゃ俺が先陣を切ってやる。ついてきな」
男性は草履を響かせながら、怖じた気配を見せずにずんずんと歩いていく。父親も慌ててその後を追った。
何度も通った学校前の道。そのフェンス越しに見えるものは、父親をどきりとさせる。
それはこんもりと小山になった、ひっつきむしたちだったんだ。父親たちがいつも使っているオナモミ。それらがフェンスの沿うように等間隔を開けながら、うず高く積まれていたんだ。
つい足を止めかける父親だったけど、前を行く男性はそれを許してくれない。彼は開け放たれた校門の中へ戸惑うことなく入っていき、父親もそれに続いた。
足を踏み入れた途端、手近にあった左右二つの山が、同時にぼろりと崩れる。それを見て男性は「やはり」とつぶやいた。
「お前さん、こいつらの仲間を抱えているな。そいつを早く手放せ。最悪、服ごとでも構わない。早く!」
父親がその言葉に戸惑った一瞬で、彼らは行動を起こしてきた。
磁石のS極とN極が引き合うように、崩れた山たち、それを形成するオナモミたちが、父親に飛びかかってきたんだ。友達の投擲をはるかに上回る剛速球たちは、父親のシャツといわずズボンといわず、次々にぶつかり、くっついてはもぞもぞと這いずり始める。
見ると、遠くの山たちからも次々にこちらへ向かってオナモミが飛んできた。いくつかは手や顔などもろに肌が見えている場所に当たり、意外な痛さに悲鳴をあげてしまう。
「とっとと脱げ! そのままだと危ないぞ!」
男性の声は聞こえても、実践できる余裕が父親にはない。オナモミたちの一部は服の内側まで入り込んできて、皮膚の上をまさぐるように這い回ってくるのだから。外からは痛み、内からはくすぐったさに襲われて、必死に手ではたき落としながら、暴れるよりない。
やがてオナモミたちは、父親の胸元あたりに集中し始める。「失礼するぞ」と男性がオナモミたちごと服の胸部をわしづかむと、大きい音を立てつつ引き裂き、放り投げたんだ。
ちぎれた布地を追いかけるように、わっと飛び立つオナモミたち。それらにたかられる刹那、父親はそのシャツの布にひっついていた、ひときわ大きく茶色いオナモミがひとつ、くっついているのが見えたらしい。
次々、自分の身体を離れ、ズボンすら内側から破って、飛んでいくオナモミたち。そのこそばゆさと戦うのに必死な父親へ、男性が告げる。
「仲間を探していたんだ。あのままお前さんが持ち帰っていたら、あいつらはきっと家まで追ってきた。大変なことになっていただろう。
それを防ごうと、狐たちは身体を張ったんだな。たとえ一度、追い払われてもだ」
父親の身体から、ふいにかゆみがすっと引く。気づくと辺りはすっかり陽が暮れていて、父親は校庭にたたずんでいたらしい。あの男性もオナモミたちの山も、すっかりなくなっていた。
ちぎられたシャツ、穴の開いたズボンはそのまま。帰り道に迷うことはもうなかったけれど、その途中にはひっつきむしが点々と落ちていたんだ。それは、あの時の曲がり角まで続いていたらしいんだよ。