表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

先輩と少女マンガ

 休憩室の扉を開くと、いつものように先輩がテーブルの角に陣取って缶コーヒーをすすっていた。


「お疲れさまです、先輩」

「おう、お疲れ」


 挨拶をすると、手元の本に目を落としていた先輩は、一度だけ目線をこっちに向けて、短く返してくれる。


 いつも通りの短いやり取り。

 最近では私も慣れたもので、さっさと自分の分のお茶を煎れると、いつもの通り先輩の斜め向かいに腰掛けた。


「……」

「……」


 二人分の沈黙が休憩室に落ちる。耳に触れるのは、どこか遠くに感じるホールからの喧噪と、時折先輩がページをめくる音だけ。


 むずり、と居心地の悪さが顔を出す。


 特に話題がなければ、私と先輩はこんなものだ。

 それは理解しているし、実感もしているけれど、それはそれ。やっぱり二人きりの休憩中に無言だと、ちっとも休憩した気にならないのです!


 なにか話題はないかな、と考えを巡らせて、私の視線は自然と先輩の手元へ。

 先輩がなに読んでいるのか。無難だけど、会話の導入としては悪くないんじゃないかな。


「あの、先輩」

「あ? なに」

「先輩のそれ。いったいなにを読んで……って、ああーっ!?」

「うおっ!?」


 私の声に驚いた先輩が、ビクリと肩を揺らす。

 けれど驚いたのはこっちも同じ。

 ずいっと、先輩の手元をのぞき込んで、そして確信する。


「先輩、これ!」

「なんだよ、急に。ビックリするだろうが」

「これ、これアレですよね! 『しろくろ同盟』ですよね!?」


 カバーを外して読んでいたから気づくのが遅れてしまったけど、先輩が読んでいたのは所謂少女マンガというやつで。

 中でも『しろくろ同盟』は同年代の人気が高くって、ついでに私も大好きな作品だ。


「わーっ、先輩って少女マンガとか読むんですね! すごく意外です」

「まあ、意外なのは否定しねえけど」

「あっ、これ最新刊じゃないですか!?」

「ああ、らしいな」

「先輩は雑誌派ですか!? それともコミックス派ですか!? 私は雑誌を購読してるんですけど」

「たぶんコミックス派ってことにな────」

「っていうか、誰推しですか!? 私は黒田くん推しで……、あっ! もしかして灰咲ちゃんですか!? カワイイですもんね!?」

「いや、おい」

「二巻のラストとか超良くなかったですか!? あれは近年稀に見る乙女力っていうか!」

「二巻ラストって、どの」

「それだけに三巻の冒頭が辛くなるんですけど。白石くんの気持ち考えちゃうと、ああーっ!! って」

「聞けよ」

「似たようなエピソードだと五巻もそうなんですけど、二巻はまだお互いのことよくわかってない時でしたから余計にキュンキュンするっていうかですね!」

「おい、こら」

「白石くんに、もうちょっと積極性があればなあーって思いますよね! ねっ!?」

「ね? じゃなくてよ」

「あのあの! 海回でのおんぶとか、最高だったのに! その後が、こう進展ないってゆーか!」

「ちょ、お前……!」

「灰咲ちゃんも二人の気持ちに気付いて! ああでも、気付いたらお話が終わっちゃうような気がするジレンマ!」



「桐原っ!!」

「は、はいっ!?」



 唐突に名前を呼ばれて、反射的に背筋が延びる。

 気付くと斜め向かいの先輩は渋い顔。っていうか、出会ってから初めて見るくらいに怖い顔。完全に暴走してしまった、と気付いても後の祭りで。


「桐原」

「……は、はい」


 再度の呼びかけ。いつもよりワントーン低い声に、身が竦む。

 いつもは『おい』だの『お前』だのと呼んでくる先輩が、珍しく名前を呼んでくれたのに、状況が状況だけに素直に喜べない。というか、珍しく名前を呼ばせてしまうほどに怒らせたのだ、と思うと喜びなんかより恐怖が先立つ。


「あのな」


 ふう、とため息を吐きながら、先輩が指を立てて言った。


「一つ、これは知り合いから借りたもんで、俺のじゃない」


 次いで、もう一つ指を立てる。


「二つ、だから俺は、お前ほどこのマンガに思い入れはない」


 最後に、と前置きしてから、もう一本。


「三つ、落ち着け」

「はい。……あの、すみません」


 落ち着きとはほど遠いところにいた、という自覚があるだけに私はうなだれることしかできなかった。


「別にいいけどな。人の話くらいは聞け」

「……はい」

「こんなことで暴走してたら、そのうち困るのはお前の方だからな?」

「……はい」


 先輩はだいたいいつも正論を言うのだけれど、今日の正論は正直胸に痛いです。全面的に私が悪いから、この痛みは受け入れざるを得ないんだけど。


「まあでも。お前がこのマンガ好きなのは十分すぎるくらい伝わったから、その点では良かったか」

「え?」


 思いも寄らない言葉に顔を上げると、先輩は件のマンガを片付けるところだった。

 脇にどかしてあったカバーを付け直して、鞄の中へ。……って、あれ!?


「あっ」

「今度はなんだ」

「あ、いえ。その……、なんでもないです」


 思わず声を上げてしまってから、さっきの失敗を思い返して小さくなる。さすがの私だって、注意されてすぐに暴走するほど頭悪くないし、恥知らずでもない。


 一方で先輩は、そんな私の態度に何かを思ったのか。はああ、と盛大なため息をついて鞄を置いた。


「言いたいことがあるなら言えばいいだろ」

「でも」

「落ち着けって言っただけで喋るなとは言ってない。はしゃぎ過ぎなきゃちゃんと聞いてやるから、変に気ぃ遣うな」


 ほら、と先輩が私を促す。

 その態度があまりにもいつも通りすぎて、なんとなく気遣われたのかもしれないな、と思った。


「じゃああの、先輩が持ってるそのマンガなんですけど」


 先輩の言葉に甘えるように口を開く。

 先輩は鞄をちらりと見ると、「ああ」と短く返事をしてくれた。


「初回限定特装版なんだなって」

「限定版? なんだ、なんか普通のと違ったのか」

「えっと、カバーが通常版と違くて。あとドラマCDが付いてるんです」

「へえ」


 どうでもいい、というよりは、感心したといったような先輩の相づちに、私は少しだけ安心した。

 先輩の中では間違いなくどうでもいい情報にカテゴライズされるだろうに、彼は先の言葉通りにちゃんと聞いてくれている。


「そういえば押しつけられた時に、CDもいるか? って訊かれたな」

「借りたんですか?」

「いや、そこまではいいっつって断った」

「そうですか、残念です」

「なにが?」

「感想とか訊いてみたかったので」

「感想ねえ……」


 うーん、と唸りながら先輩が缶コーヒーをすする。


「多分、共感できるような感想は出てこねえと思うぞ」

「それは、そうかもしれませんけど」


 その辺りは別に期待していなかったり。

 というかドラマCD以前に『しろくろ同盟』について、先輩と私とで意見が一致する状況が想像できない。

 なんなら同じマンガを読んでいること自体が意外でしかなかったのだし。そもそも少女マンガを読んで一喜一憂するような先輩というのが私の想像の外だったので、そういう先輩からどんな感想が出てくるのかが気になっている訳で。


「お前は?」

「なんです?」

「ドラマCDだよ。暴走するくらい好きなら、限定版買ったんだろ? お前の感想は?」

「えっと」


 まさかの質問に、私は言葉を詰まらせた。

 先輩の言うとおり、私は『しろくろ同盟』がものスゴく好きで、当然初回限定特装版を買おうと思っていたのだけど。


「実は、持ってないんです」

「は?」

「ドラマCD付いてくるのは知ってたし、当然買うつもりだったんですけど」

「けど?」

「予約をしてなかったんです! いつもなら予約分以外も店に並ぶから油断しちゃってて……。まさか学校終わって買いに行ったら、全部売り切れてるなんて思わなくって!」


 つい三日ほど前の、コミックス発売日の悔しさが蘇ってくる。

 あの時ほど後悔に駆られたのは、随分久し振りだった。


「先輩にそれ貸した人、きっと私に負けず劣らず『しろくろ同盟』が好きなんですね」

「いや、それはどうだろうな……?」


 発売早々に売り切れてしまった限定版を持っているだけで私はそう思うのだけど、先輩は微妙な顔。


「なんつうか、アイツは好きで読んでるって感じしないんだよな」

「そうなんですか? でも、限定版って通常版の三倍以上するんですけど」

「さん……? いや、まあCDついてくるならそんなもんか」


 一瞬驚いたような顔をした先輩は、それでも値段を計算して妥当だと判断したらしい。

 私なんかはちょっと安いなと思うんだけど、それはそれ。好きでもない作品を普通の三倍の値段を出して買うとは思えないし、そもそも好きでもないのにコミックス集めるっていうのもわからない。

 先輩にコミックスを貸した人って、もしかしてよっぽどお金持ちなんだろうか。


「金持ちかは知らんが。まあ、普通の感性じゃあねえんだなって思うことはあるな」

「えーっと、おもしろい人ってことですか」

「別に気を遣わなくても、変人って言っていいんだぞ?」


 さすがに会ってもいない人のことを、そんな風には呼べない。

 それに、多分ないとは思うけど、先輩の方の感性がズレている可能性だってあるし。いや、多分そんなことはないんだろうけど。


「そういえばさっき、押しつけられたって言ってましたけど。つまり先輩的にはそれ、読む気なかったってことですよね」

「最初はな。けど、周りの連中が読んでるし、そいつは勧めてくるし」

「流されて、ヤっちゃった、と」

「言い方に悪意があるぞ。どこで覚えたその言い回し」

「?」

「……素かよ」


 天然め。と先輩が呟く。

 時々、先輩の言ってることがわからないことがある。そんなに天然な発言したっけ?


「……と、もう行くわ」

「あ、はい」


 休憩室の壁掛け時計を確認した先輩が立ち上がる。

 持っていた缶コーヒーを一息に飲み干してクズカゴに放ると、彼はそのままあっさりと休憩室を出て行った。

 私なんかは、一回休憩で気が緩んじゃうと引き締め直すのに気合いが必要だから、先輩のこういうところは素直にスゴいと思う。

 それともまさか、先輩は休憩中も気を緩めていないんだろうか。


「さすがにそれはないよねー」


 一人になった休憩室でぽつねんと呟く。

 せまい部屋だけど、一人きりだとやっぱりちょっと寂しい。


 それにしても、先輩が『しろくろ同盟』読んでたなんて意外だったなー。私ほど思い入れがないって話だったけど、ちゃんと最新刊まで読んでるんだし、いろいろお話してみたいな……。

 今日は私が暴走しちゃって会話にならなかったけど、落ち着いて話したら、ちゃんと『しろくろ同盟』談義できるかな。やってみたいな。先輩に『しろくろ同盟』貸した人グッジョブ。


「……って、アレ?」


 とりとめのない思考に、ふと混ざった疑問。


 『しろくろ同盟』は紛うことなき少女マンガな訳で。()()とついてる以上、読者層は私みたいな女の子中心で。つまりそのマンガを購入して違和感がないのって、当然女の子ってことになって。


 それを、

 先輩が、

 知り合いから、

 借りた?


「もしかして、彼女さん……とか?」


 唐突に浮かんだ私の疑問に、答えられる人は誰もいないのでした。

※もちろんここで出てくるマンガのタイトルはフィクションです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ