1億2千万517歳の女子高生
「あるひゃらり・ろいおひゃらり・みるひゃらろりひゃ(この期に及んで寝坊とか。全く君はどういう精神性をしているんだね? 女子高生)」
「るりひゃらり!! あまひゃらりろり……あがひゃらり!(しょうがないでしょ! ……緊張して寝れなかったの!)」
「そるかれひゃらり・あたふらひゃらり(緊張する年齢でもないだろう。1億2千万517歳のくせに)」
「うるひゃらり!!(うるさい!!)」
虹色の霧が漂う空間に、全裸で佇む女子高生(1億2千万517歳)、桜子の鼻先10cmには、毒々しい青の巨大たこやきが海月のように浮遊していた。
ちょうど鰹節にあたる部分を無数の赤い触手に変化させたそれは、ぶるんっと震えつつ、先端で、桜子の白い額、微かに紅潮した頬、ひかえめなおとがい、くっきりとした鎖骨、膨らみかけた乳房、桃色だが陥没した乳突起、腹部に浮き出た肋骨、陰毛に覆われた大陰唇、すらりと長い大腿部、その全てのらいんをゆっくりとなぞる。
「はさひゃらり・どるひゃらりひゃり・ろりひゃ(どうかね? 久しぶりの人体は。女子高生)」
「くすひゃらり・りんひゃらりさるわるり・えりひゃ(くすぐったい。あんた、触り方がエロい)」
巨大たこ焼きは彼の言葉で心外だなこれはただの調整だぞ女子高生と言いたくなったが堪えて、代わりに体内時間を確認。
「ろりひゃ(女子高生)」
「なひゃ(何よ)」
「じるひゃらり・るげひゃらりおるひゃ(時間だ。ゲートが開く)」
桜子は軟体動物の表皮のように不確かに揺れる床を一歩一歩踏みしめながら、虹色の靄の空間を、アーモンド型に黒く切り取る裂け目に向かった。
裂け目が近づくごとに、巨大たこ焼きたちと過ごした日々が脳裏に甦る。
それは1億2千万500年分。
……彼らとの記念すべき第1日目を、桜子は白く濁った粘液のプールで迎えた。彼女は目を開き足や手を動かそうとしたが、残念ながら脳以外の全ては喪われていた。
その事実に発狂をしかけた時、強制的に意識をシャットアウトされ、次に目覚めた時には500年がたっていた。目も手も足も無かったが、かわりに巨大たこ焼きのボディと、鰹節に酷似をした万能感覚器を与えられていた。
517歳の桜子は、またもや発狂をしかけたが、意外とたこ焼きボディは快適であったため、彼女はようやく、巨大タコ焼きたちと意志を疎通する気になった。が、すぐに半狂乱に陥る。
原因は彼らの説明だった。
桜子が五体満足に過ごした最後の日。宇宙の法則が乱れて、太陽系が吹き飛んだ。
その宇宙的災害の中心地、人間の感覚で言えば爆心地から回収をしたのが、桜子の脳であった。
彼女の脳は巨大たこ焼きたちの懸命な救命措置によって機能を取り戻した。
この話を聞いた時、桜子は巨大たこ焼きたちを疑い、逃走を図ったが、すぐに諦める。
というのも、桜子の脳を回収した巨大たこ焼きたちの宇宙船は、500年の時を経て、ワープを無数に繰り返し、アンドロメダ星雲の母星に帰還をしていたからである。
逃げ出そうとして迷路のような船内をさまよった末に到達した船の甲板。
そこから鰹節的な触覚を通じて彼女が認知したのは……原色の赤の巨大建築物が、無限に広がる世界。 空と大地の境は弧ではなく、完全な円を描いている。
ここは別の世界だ、と桜子は思い知らされ、途方にくれた。
が、そんな彼女を慰めたのが、宇宙船船員の巨大たこ焼きであった。彼は彼女に言った。僕達のボディは経年劣化をしない。だから大丈夫。君が地球に戻れる日がくるかもしれない。
触手を優しく伸ばす彼に、桜子は不安げにボディを揺らした。
地球、吹き飛んでしまったんでしょ? と彼女が訊くと、彼は誇らしげに桜子の周囲をくるくると浮遊した。
時間を戻る方法を現在研究している。吹き飛んだ惑星の人、君が何故宇宙の法則の乱れの爆心地にいたのかという謎も、いつかは解明されるだろう。
それまでゆっくりとここで過ごせば良いのさ。ちなみに君は母星では何をしていたんだい? と訊かれたので、桜子は女子高生と答えた。
以来、1億2千万年間、桜子は巨大たこ焼きたちから、女子高生と呼ばれてきた。
先日やっと、タイムトンネルが発見された。厳密には異なった世界線につながる虚数空間であり、ランダムに出現しては消えるというほとんど神秘ともいえるトンネルである。
その入り口が巨大たこ焼きの母星上空に出現、出口が太陽系消滅の日の朝の桜子の自室につながることが、わかった。
……アーモンド型のゲートの前で、桜子が肩越しに後方を振り返ると、1億2千万年のほとんどを共に過ごした巨大たこ焼きの鮪の赤身肉色の触手がゆらゆらと揺れているのが目に入った。
小さく手を振り返し、黒色の空間に向き直り、飛び込む。
次の刹那、渦を巻く暗黒と吹き荒れる暴風に、身体をもみくちゃにされ、意識が飛びそうになるが、彼女は巨大たこ焼きの言葉を必死に思い返すことで、堪えた。
「うるひゃらり・でとひゃらり……りひゃらりら・ろりひゃ(君があの日、本来ちゃんと登校するはずが遅刻した。そのせいで因果の糸がドミノ連鎖式に崩れ、宇宙の法則が乱れて太陽系が吹き飛んだんだ。つまり、君が遅刻さえしなければ、太陽系は吹き飛ばない。そういう世界線を、君なら実現できるんだ。女子高生)」
「うるひゃらり・せひゃらり・ひゃらりひゃろり(その世界線にいたわたしはどうなるの?)」
「どうるひゃらり・ひゃらりろり・……ろりひゃ(同一の世界線として上書きされる。つまり、君はもとからその世界にいたことになる。1億2千500年前の続きを、君は実現するんだよ。そのために僕たちはささやかながら贈り物を用意した。だから安心してくれ。女子高生」
桜子が贈り物の内容について訊くと、巨大たこ焼きは愉快そうにボディを揺らし、秘密だと言った。
もう、あの揺らし方を見ることはないんだな、と今更ながら彼女が思った時、暗黒の視界が急に開けた。
気がつけば桜子は全裸で、自室のベッドに伏せていた。
シーツのピンクと白のアーガイルチェックのシーツ。ポリエチレン素材の肌触りに、1億2千万500年分の懐かしさを覚える桜子。
このままその地球素材的な感触を堪能したいと思うが、時間がない。太陽系の存亡がかかっているのだ。
おもむろに上体を起こし、青のストライプのパンティーをはこうとした桜子は、不意に眩暈を覚えた。
昨夜(1億2千万499年364日後)の寝不足が、ここでたたった。
脳が新しいボディ、桜子のために彼女の遺伝子をベースとして培養された人体の感覚についていけないのである。
しかし桜子は頑張った。なんとか制服に袖を通し、台所に行って冷蔵庫を開き、1億2千万500年ぶりの食パンをかじりつつ上手く嚥下できず悶絶し、目を白黒させて飲み込み、心配する母親の姿に感無量になって堪えきれずに抱きつき、号泣。
「ママああああ」
と泣きじゃくったまま、涙と鼻水も拭かずに靴をはいてよたよたとよろけた足取りで表に出て、時計を確認。ギリギリ間に合うかである。
桜子にとって、1億2千万500年ぶりに履いた靴はさっそく靴ずれを起こしていた。条件は限り無く厳しい。
が、太陽系の存亡がかかっているのだ。
彼女は一度深呼吸をして、まず、高校につながる通りに出るために、路地を駆け出した。
次の瞬間。
桜子の目の前では、つぶらな瞳の白熊が四足歩行をしていた。
「え?」
全身に冷気を感じる桜子。
彼女の発した声は白く凍てつき、遮る物のない陽の光を反射して煌いた。
桜子の視線に気がついたのか、のっそりと彼女を向き、立ち上がる白熊。
思わず後ずさりをした桜子は、次の刹那……。
自宅の玄関先にいた。
― 幻覚? ―
思わず自分の頬を触れる桜子。凍っている産毛の固い感触に、今先ほどの経験が事実であったと実感する。が、彼女は時間がないのだ。
気を取り直して、再び走り出す。
次の瞬間。
火星を思わせる赤色の峡谷が、彼女の眼前に広がっていた。
砂を帯びる風が、桜子の額を撫でる。
「え?」
グランド・キャニオンという単語を脳裏に浮かべつつ、後ずさりをした桜子は、次の刹那……。
やはり自宅の玄関先に戻っていた。
― これは……どういうこと? ―
と戸惑った桜子は、次の瞬間、奥歯を噛んだ。
はたと思い出したからである。
それは巨大たこ焼きの言葉。
『(そのために僕たちはささやかながら贈り物を用意した)』
1億2千500年を彼らと共に過ごした桜子は、悟った。巨大たこ焼きたちは、彼女の身体にワープ装置を埋め込んだのだ。
そしてそれは彼女が走りだした瞬間、発動する。
― ……えっと。じゃあ、歩けば。―
「て、歩いたら間に合わないじゃないっ!!」
桜子は遥かなるオゾン層に向かって叫んだ。
……この25分後。グレートバリアリーフ、アステカのマチュピチュ遺跡、昭和新山の麓、阿蘇山の火口前、エアーズロックの天辺、渋谷の交差点、香港旧クーロン城、クレタ島の巨大神像、南米のエンジェルフォール……と、ひたすらワープを繰り返した末に。
桜子は1億2千万517歳の知識をもってワープ装置の制御法について仮説をたてた。
そして、今度こそ、高校につながる通りに向かって走りだし、門前にワープ。
滑り込みセーフを成し遂げたのであった。
こうして、太陽系は救われた。
以下はその直後の、赤ジャージの体育教師と、桜子の会話である。
「お前。ギリギリだぞ」
「先生。1億2千万500年ぶりの登校です。せん、せ……うぅああうううう」
体育教師の胸倉を両手で掴み、号泣する桜子。
慌てる体育教師。
「ちょ、お前。何を」
「1億2千万500年ぶりの登校なんですうううああああううううう」
繰り返すが、こうして太陽系は救われたのであった。