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“鉄錆”の闘技場

作者: 聖なる写真

6年ぶりに復帰してみました。 多分みんな忘れてるだろうけどよろしくお願いします。



 ―――さて、 厄介なことになった。

 鶴見(つるみ) 大地(だいち)は目の前の光景を見ながらそのような事ばかり考えていた。

 周囲には五メートルを越える金網が張り巡らされており、 鶴見ともう一人の男が逃げ出さないようになっている。

 そして、 鶴見とともにボクシングのリング程度の空間に閉じ込められている黒人の男は百七十前後の鶴見よりも十五センチほど高い。 更にその表情は嗜虐的だ。 間違っても仲良くゲームをしにきたような雰囲気ではない。

 鶴見から見て金網の外側にいるのはいずれも高級ブランドと思わしき服に身を包んだ人々。 中には鶴見の一月分の収入を超えるような値段の酒を上手そうに飲んでいる者もいる。


 ―――どうしてこうなった。

 そう考えるが、 同時にその理由を思いだす。

 全てはあのアホな友人。 長堀(ながほり)のせいだった。






 †






 鶴見 大地は清山県桐宮市に存在する小さなバーを経営している。 固定客はいるものの、 最近の景気の影響もあって、 経営は上手くいっているわけではない。 それでも、 なんやかんやと十年近く続けていけたのはそれなりに幸運だったからとしか言えない。 事実、 彼より優秀だった旧友たちの中にはあっさりと経営に失敗して連絡が取れなくなった者もいるほどだった。

 今の時刻は開店十五分前。 開店準備を全て終えて、 細かいところをチェックした後は店を開くだけだった。 普段ならば。


「……で? そんなふざけた話に俺が乗るとでも思っていたのか」


 本来ならば鶴見しかいないはずの空間にもう一人男が席に座っていた。 三十路も半ばになった鶴見と同い年であり、 彼の高校時代からの友人、 長堀 健吾だった。 全国紙を発行していた新聞社に勤めていたという彼は、 その新聞社を辞めた後、 フリーのルポライターをしていた。 擦り切れたコートを着ている姿とやつれた表情からは鶴見以上に生活が苦しいのだろうと見て取れる。 それでもヘラヘラと余裕そうな表情を崩さないのはやせ我慢か、 それとも自分の現状を理解できていないただのアホなのか。


「はは、 だからお前は何もしなくていいんだよ。 御堂さんを紹介してくれりゃいいだけだよ」

「ふざけてんのか、 お前」


 御堂(みどう) 一真(かずま)。 黒龍会三次団体、 御堂組の組長である。 鶴見はちょっとした事件から、 彼と知り合いになったが、 今までもこれからもその縁を使おうとする気はなかった。 彼はヤクザで、 鶴見自身は多少荒事慣れしているとはいえ一般人にすぎない。 下手をすれば骨の髄まで搾り取られるに決まっている。 それなのに紹介しろと目の前の友人はのたまう。 お調子者だったとはいえ、 その危険性を理解できていないわけがないはずだ。


「最近、 繁華街を中心に麻薬関連の犯罪が上がってきててな。 その中心にいるのが御堂 一真だって言われてるんだ」

「で、 本人に直接聞きに行こうと。 アホだろお前」


 心の中で友人を「お調子者」から「ただのアホ」に評価を下げつつ、 鶴見は友人をどう説得するべきか考える。 自分が御堂と知り合いだということは長堀も知っていた。 というか、 長堀が起こした事件のせいで自分と御堂が知り合ったのだから知ってて当然と考えるべきか。

 急に難しい顔をして押し黙った友人を見て、 無理だと悟ったのだろう。 「もういいよ、 他の伝手を頼ってみるよ」と諦めたように首を振りながら、 席を立つ。


「変なことはするなよ」

「思い切らなきゃいいネタは取れねえのさ」


 そのまま、 扉を出ようとする友人に不安を感じ声をかけたが、 いつもと変わらないようなヘラヘラとした口調を残して友人は出ていった。


 数日後、 後を追いかけて殴ってでも強く止めるべきだったと後悔するのは、 閉店時に御堂の使者を名乗るヤクザ者に声をかけられてだった。






 †






 どうやら、 あの後もアホな長堀は御堂の周囲を探り続けたらしい。 当然ながらその動きは御堂側も感知し、 長堀はあっさりと確保された。 その時に長堀は鶴見の名前を出したそうだ。 それを聞いた御堂は嬉々として鶴見を呼び出したという話を、 鶴見は御堂本人から聞いた。 救うための条件と共に。

 御堂組の基本的なシノギは不動産による賃料である。 それ以外にも株の売買や違法賭博場の運営などがある。 その中でも特に目を引くのが闘技場の運営だ。


 一見するとただの古いビルにしか見えないその建物の地下には、 社会的に成功した人や裕福な資産家を観客に、 問題を起こした元プロの格闘家や暴力沙汰に慣れているチンピラを選手にして運営されている闘技場がある。

 戦後の高度経済成長期と共に、 人口が急増した桐宮市。 その頃から存在していたという闘技場は別名“鉄錆”と呼ばれていた。 十年程前に御堂組によって改装されるまで、 中心にある金網に錆が浮かんでいたことから自然とそう呼ばれるようになった。


 鶴見 大地はバーの経営に手を出す前はそれなりに有名な喧嘩師だった。 いわゆる、 闘技場やストリートファイトで賞金を稼ぐことで食い扶持を得ていた。 この“鉄錆”にも何度か顔を出していたし、 彼が喧嘩師を辞めるきっかけになったのもこの“鉄錆”での事件が原因だった。 その際に御堂と知り合ってもいる。 彼から「組に入らないか」という誘いを断ったのもその事件が関係していた。

 鶴見がそういった業界から足を引いてから、 そういった話は避けてはいたが、 どうやら鶴見の事はあの事件と共に伝説になっているらしい。 十年前はなかったスピーカーからかつての事件と鶴見の行いが大げさに語られている。


『あの鶴見の戦いをもう一度』


 それが、 御堂から出された条件だった。

 生きて帰れたならば、 絶対にあのアホの顔面に右ストレートを叩き込んでやると心に誓いながら鶴見は準備運動を行いつつ、 目の前の黒人を見る。 現在、 この闘技場でチャンピョンをしているという男だ。 名前は興味がなかったので聞いていないが、 その両手にはボクシンググローブをつけていることからボクサー上がりだと推測できる。

 男は勝利を確信しているらしい。 嗜虐的な笑みを崩さないまま、 鶴見に話しかける。


「よう“ヒーロー”すげえ人気だな」

「意外と日本語上手だな、 助かったよ。 俺、 英語の成績は悪くてね」

「フン、 今に日本語も不自由になるさ」


 鶴見が何かを言い返そうとしたとき、 戦いのコングは十年前と変わらない音を響かせた。






 †






 コングが鳴ると同時に男は勢いよくコーナーを飛び出し、 真っすぐに鶴見に向かって駆け出した。 速い。 鶴見よりも大柄なのに、 そのスピードはかつての彼に匹敵、 いや、 かつての彼を超えかねない速さだ。

 慌てて、 コーナーから逃げ出す鶴見を罠にかけるように、 男はフックを繰り出す。 後ろにスウェーすることでとっさに避けるが、 背後の金網に頭をぶつける。 ガシャン! とやかましい音が鳴り、 金網の外の観客達が歓声を上げる。

 そのままストレートを顔目掛けて放たれたが、 今度は身体ごと横に動かすことで回避する。 そのままリングの中央にまで逃げ出すことで、 次の猛攻を避ける。


 男は小さく舌打ちをすると、 鶴見に向き直り、 鋭いワンツーを放つ。 ボクシングの教科書があったならば、 お手本として掲載されそうなほど正確な拳だ。 顔面目掛けて繰り出されたそれを、 上から払い落とす。 ボクシングで言う“パリング”と呼ばれるテクニックだ。 鶴見が最も得意とする技で、 男が何度もワンツーを放つが、 全て払い落とす。

 次第に男の拳が大振りになってくる。 焦ってきているのだ。 元プロならばともかく、 暴力慣れした程度のチンピラは防御のことなどあまり考えない。 鶴見もチンピラと同格だと考えていたのだろう。 もはや、 その拳は素人同然になっている。

 素人同然のフックをしゃがむように回避すると、 右足を深く踏み込み、 伸びあがると同時に腹部に左の拳を一撃。 鶴見よりも大きな男の表情が苦悶にゆがみ、 身体が「く」の字に曲がる。

 沈んだ頭に右のアッパーを撃ち込む。 さらに追撃を仕掛けようとしたが、 その前に男が左の拳を打ち下ろすように繰り出したので、 飛び退くように回避する。


 一連の流れを見て興奮した観客たちが先程よりもさらに大きな歓声を上げる。 目の前の男が何かを言っていたが、 その歓声の大きさで鶴見には聞こえなかった。 おそらくは「殺してやる」とでも言っているのだろう。 しかし、 その表情は冷静そのものだ。 殴られて焦りと油断が消えたらしい。

 そのまま焦ったままでいてくれたら楽だったのだが。 そう内心でぼやきながら、 追撃をかけるべく一歩踏み込む。

 男も一歩踏み出し、 拳を構える。 そして、 先程と同じようにワンツーを繰り出す。 ただ、 先程よりも精彩がわずかだが欠けている。 ダメージが抜けきったいないのだ。

 先程と同じようにジャブを打ち落とし、 続くストレートも打ち落とそうとしたところで、 鶴見のバランスが後ろに崩れる。

 何故、 と思う間もなく、 男のストレートが鶴見の顎を捕らえた。 一瞬の虚を突かれたこともあって、 何の抵抗もできずにもんどりうって倒れる。

 観客の歓声が遠くに聞こえる中、 目を白黒させていると、 男がマウントを取ろうと駆け寄ってきたので、 慌てて転がり、 離れたところで起き上がる。 そして、 再び構えなおす。 黒人の男は小さく舌打ちをして見せると、 彼も構えなおす。 そこからは先程のダメージは感じられない。 表面上は回復したらしい。


 立ち上がったところで、 鶴見は右足首にほんのわずかだが違和感を感じた。 そして、 同時に理解した。 鶴見が踏み出した右足を黒人の男は自分の左足で引っ掛けたのだ。


「やってくれる」


 思わず口から言葉が漏れる。 この“鉄錆”で禁止されているのは金的と目潰しだけで、 あとは文字通りの「なんでもあり」だ。 足を引っかけて転ばすのは戦術としてあり得る。

 しかし、 鶴見は男のボクシングスタイルとその戦い方が見事だったったので、 そちらに意識が向いてしまった。 足を使わないものだと錯覚してしまったのだ。 当然チャンピョンをしている男はこの“鉄錆”で何度も戦っていた。 才能だけでやっていけるほどこの闘技場は甘くはない。

 かつてはそういった相手とも戦った経験があったはずだが、 十年近いブランクは思っていた以上に鶴見を衰えさせたらしい。 今度はこちらが舌打ちすると、 男が突っ込んできた。 勝負を決める気らしい。


 ワンツーにフック、 アッパーを組み込んだラッシュを鶴見は先程と同じようにさばいていく。 しかし、 先程よりも男のスピードが上がっていた。 ダメージが残っていたこともあって、 さばききれない拳が何発か出てくる。 ギリギリで回避で来ているが、 かすめるたびに、 身体の一部が持っていかれるような錯覚を覚える。

 男の猛攻を凌いでいると、 鶴見の背中に硬いものがぶつかる。 それは金網だった。 鶴見が男の猛攻を凌いでいるうちに追い込まれていたのだ。

 男は勝ちを確信したように嗜虐的な笑みを浮かべると、 大振りのフックを繰り出す。


 だが、 この“鉄錆”は「なんでもあり(バーリ・トゥード)」。 それは鶴見だって十二分に承知していることだ。

 鶴見は男の一撃を肩から男にぶつかるように突っ込むことで回避する。 その際に、 男の足の甲を自身のかかとに体重を込めて踏みつけておくのも忘れない。

 男がひるんだすきに身体ををひねり、 渾身の一撃を鳩尾に打ち込む。


 鳩尾は人体急所の一つ。 そこを打たれれば、 横隔膜の動きは一瞬だけだが止まり、 人は呼吸困難に陥る。 当然、 黒人の男は人間を辞めてはいないので、 呼吸困難に陥り、 酸素を少しでも取り込もうと、 口をパクつかせる。

 そのまま、 男の肩を掴むと、 位置を入れ替えるように動き、 金網に叩きつける。 わずかに跳ね返って来たところに、 右ストレートを叩き込む。 男の鼻から血が噴き出し、 後頭部は再び金網にぶつかる。 右の拳で男の頭を押さえたまま、 今度は全力の左のフックをこめかみに打ち込む。

 こめかみもまた人体急所の一つ。 強打されると平衡感覚が失われ、 意識不明になるという。

 こめかみに強力な一撃を受けた男は地面に倒れ、 そのまま意識を失った。






 †






「いやー、 助かったよ相棒」


 そう言いながら駆け寄ってくる長堀のヘラヘラとした顔に右ストレートを問答無用で叩き込む。

 「ぶへぇ」と情けない声を挙げながら、 もんどりうって倒れる友人。 それを見て鶴見は、 胸がすっとする思いを感じていた。


「よう、 久々だったがよかったぜ」


 その声と拍手の音に振り向けば、 御堂組組長、 御堂 一真が拍手をしながら嬉しそうにこちらへと歩いてきた。

 御堂に片手をあげて答えると、 向こうも嬉しそうに片手をあげる。


「相変わらず、 腕は落ちてねえみてえだな」

「いやまさか、 十年のブランクは地味にきつかったさ」

「アイツも一応はこの“鉄錆”の王者だったんだがな」

「それで天狗になってたんじゃないか」

「こいつは厳しいな」


 そう言いながらも御堂の表情は嬉しそうだ。 今回の“興行”は大成功で終わったらしい。


「最近はマンネリが来ていてな。 アンタが参加してくれたおかげで、 しばらくは盛り上がれそうだ」


 「ぐおお」と叫びながらもだえる長堀を御堂組の若手が運んでいく。 もしも同じようなことがあったら次は見捨ててやろうと考えながら鶴見は友人を見送った。


「じゃあな、 ファイトマネーはないんだろう? ならさっさと帰らせてもらうぜ」


 そう言って、 背中を向けて先程友人が運ばれていった方向へと歩き始める鶴見。 その背中に御堂は声をかける。


「カムバックしてえならいつでも答えるぜ」


 喜びを隠せない声でそう誘う御堂に肩をすくめながら、 鶴見は答えた。


「いや、 もうこういうのはこりごりだよ」


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