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二、少女と悪魔

幼女が出てきます。記憶喪失の幼女です。


二話は約5千文字程です。

――アリス。そこに行ってはいけないよ。森の奥に、恐ろしい悪魔がいるから。


――嗚呼アリス、あそこへ行けば悪魔がお前を食ってしまうだろう!頭から、ぺろりと、丸呑みにして!


――だから、アリス。


――森には、行ってはいけないよ。



 代わる代わる、大人たちがアリスエルダの頭を撫でて、恐ろしい顔をして言い含める。森には恐ろしい悪魔が出るから行ってはいけない、と。


 アリスエルダはいつも通りぼんやりとした顔で、こくりとちいさな頭を動かしたけれど、次の日には、森へ足を踏み入れていた。理由は一つ。今日のご飯のためだ。


 アリスエルダは、親なしの幼子だ。

 まだ10を数えたばかりの幼子が、しかも親なしが、毎日お腹いっぱい食べるなんてことはありはしない。

 村の人々は優しいけれど、自己犠牲はしなかった。働きに対する正当な対価を支払うだけだった。


 けれど、アリスエルダはもう何日もものを口にしていなかった。

 最近食料が少ないからだ。


 来るはずの遠い街の騎士団が、物資を運んでくる彼らが、パタリと来なくなってしまった。

 原因はわからない。こんな辺境の雪に閉ざされた村に訪れる人はいなかった。


 元々食料が少ない村だ。余所者に与えられるほど余裕はなかった。


 だからアリスエルダは、食べ物を求めている。森ならば、きっと木の実や獣がいるだろう。

 おさなくちいさなアリスエルダに獣が捕らえられる筈もないけれど、逆に食べられてしまう可能性すらあるけれど、木の実なら採れるだろうと思っていた。


 しかし森は厳しい場所である。

 簡単には木の実は見つからないし、あっても高い位置につけられていたり、獣が食っていたりとアリスエルダには採れないものばかりだった。


 アリスエルダは困り果てていた。

 このままでは、今日も何も食べれない、と。


 真っ赤に悴んだ剥き出しの手足が、枝や石ころに傷をつけられてズキズキと痛む。

 アリスエルダは痛みも寒さもそれほど気にしてはいなかったけれど、空腹は気にしていた。


 嗚呼、どうすればいいのだろう?


 アリスエルダはとぼとぼ真白い雪の上を歩く。

 アリスエルダの足はもう感覚さえなかった。


 はあ、と吐いた溜息が白い煙のようにふらふらと上へ昇っていく。

 もういっそのこと、お空の上の『我らが父なるお方』の元へ旅立とうか、なんてことを思う。


 全てを忘れてしまったアリスエルダははたから見ても、とても不幸で、けれどありふれた環境の中にいた。


――嗚呼、可愛そうなアリスエルダ。此方へおいで。


 アリスエルダは顔を上げた。

 何か、恐ろしくて優しい声が聞こえたような気がして。


 なんとなく、アリスエルダは歩み出す。声が手招いている場所は、恐らくこちらだという確信めいた何かがアリスエルダにはあった。


「だ、れ……?」


 アリスエルダは久しぶりに喉を震わせた。

 いつも村の人々との会話は頷くだけで終わってしまうから、アリスエルダは声の出し方さえも今の今まで忘れてしまっていた。


 か細く、アリスエルダ自身にさえ聞こえるかどうか、といったその声は聞こえる筈もないのに、その声は答えた。


――知りたいのなら、此方へおいで。あと、一歩。此方へ踏み出しておいで、アリスエルダ。


 そのままアリスエルダは一歩、踏み出した。


 すると、周りにあった背の高い木々がぽっかり消えたちいさな場所に出た。

 そして、そこには一匹のおおきな狼が尻尾をゆらり揺らしてアリスエルダを迎えていた。


「初めまして、アリスエルダ。」


 狼は喋らず言う。口を開けず、喉を震わせず、空気を揺らすことなくアリスエルダに言葉を届けた。

 アリスエルダは先ほどの声はこの狼の声なのだと納得して、自らの口を開く。


「はじめまして、おおかみさん。」


 狼は目を細めて、一つ、尻尾を打った。銀色に光って見えるうつくしい毛並みは、アリスエルダの目を引く。

 アリスエルダは、うつくしい銀色の毛並みと黄金きんの瞳にじっと見惚れた。


「僕は、狼ではないんだよ、アリスエルダ。何故って、だってこんな不可思議ないろをした狼がいる筈がないからね。ねえアリスエルダ、君はこんないろの狼を、知っているかい?」


「しらない。」


「だろう、だから僕はね、狼ではないんだよ。解るかい、アリスエルダ。」


「わかる。」


 狼はにっこりと笑った。狼の表情を読み取れるわけはないが、雰囲気がそうと感じさせた。


 アリスエルダは、何故この狼ではない狼が自分の名前を知っているのかと、少し不思議に思った。


「ねえ、おおかみじゃないおおかみさん。あなたはなぜわたしのなまえをしっているの。」


「嫌だなあ、アリスエルダ。そんな長くてまどろっこしい呼び方じゃなくて、ミルファーレンと呼んで欲しいな。」


「ミルファーレン、こたえて。」


「アリスエルダ、君は警戒心が強いんだね、いいことだ。ではアリスエルダ、考えてみてくれ。何故僕が君の質問に答えなくてはいけないと思うんだい?僕は君になんら対価も貰っていないのに。」


 狼じゃない狼――ミルファーレンは、側まで近寄ってきたアリスエルダをパクリと飲込めそうなほどにおおきい。

 そんなミルファーレンに警戒心を抱くなというのは無理な話だった。

 少しミルファーレンから距離をとったアリスエルダだったが、なかなか答えようとしないミルファーレンに焦れたのか、近くに寄ってくる。


「たいかがあればいいの、ミルファーレン。」


「まあまあ、そんな焦るようなことではないよ、アリスエルダ。君はきっと対価の意味さえ知らないだろう。それに君にまた会えて僕は嬉しいから、今回は特別に教えてあげよう。」


 ミルファーレンは朗らかに言う。


「君の願いが聞こえたからだよ、アリスエルダ。」


「ねがい?」


 アリスエルダは灰色の瞳を瞬かせる。願い。願望。望み。欲望。


「アリスエルダ、君の願いはこうさ、『食べたい』。なんともわかりやすくて抽象的な願いだね。」


「わたし、おなかがすいたの。」


 ミルファーレンは愉しげに笑って、アリスエルダに一つ、提案をする。


「君の願いを僕が叶えられるといったらどうする?」


「ねがいを、かなえる?」


「そう、君にお腹いっぱい食べさせてあげるよ。」


 アリスエルダはその提案にとても心惹かれたが、何かに気づいたように顔を引き締める。

 さて、先ほど彼はなんと言っていたか。


「ミルファーレン、そのねがいのたいかは?」


 ミルファーレンはそこで初めて口を開いて笑った。唸るような笑い声にアリスエルダは本能的に後ずさりする。


「いやあ、君は賢いね、アリスエルダ。ちゃんとさっき言ったことを覚えていたんだね。」


「バカにしないで。」


「いいや、バカになんてしてないよ。むしろ褒めているんだよ、アリスエルダ。君は相変わらずとても賢い。」


 アリスエルダは顔を顰めた。

 ミルファーレンがアリスエルダをバカにしているようにしか聞こえない、ということもあるが、それよりミルファーレンの言葉には気になる部分があった。


 ミルファーレンはこう言った。

『また会えて嬉しい』


 また、こうも言った。

『君は相変わらずとても賢い』


 まるでアリスエルダと会ったことがあるかのような言い草。しかし、アリスエルダにその記憶はない。

 まず名前以外のことを覚えていないのだから無理はないけれど。


 アリスエルダの失くした記憶の中でミルファーレンと会ったことがあったのだろうか。


 アリスエルダは記憶を思い出したい、とはあまり思っていない。ご飯を食べるための役に立たなそうだからだ。

 常人ならば記憶を思い出せば、親の在り処などが分かるし、何より何もわからない状態から解放される、と考えるだろうが、アリスエルダは全くそういうことを考えなかった。


 自然と、親のことなど頭から抜け落ちていた。何もわからなくても支障はなかったのだ、アリスエルダには。


 現在のこの状況は、アリスエルダが何もできないおさないこどもだからこそ招いたものであるとアリスエルダは考えている。

 記憶が戻っても身体が成長するなどという不可思議なことは起こらないだろう。


 だからアリスエルダは、とりあえず記憶を失う前のことは気にしないことにした。


 けれど、ミルファーレンの言うことはなんだかとても気になった。思い出さなくてはならない、と何かが声高に言った気がした。


 そんなアリスエルダの思考をミルファーレンの声が遮る。


「対価が知りたいんだったね、アリスエルダ。」


 ミルファーレンはすでに口を閉じていた。アリスエルダをじっと見つめている。ぱたん、と尻尾が振られた。


 アリスエルダはなんだかミルファーレンの眼を見るのに心地が悪くなって、そっとミルファーレンから眼を逸らした。地面を見ながら、ミルファーレンに応える。


「うん。」


「そうだね、それではこんなのはどうだろう。アリスエルダ、君は毎日陽が起きる頃にここに来てくれ。そして陽が眠る少し前に村に戻るといい。あぁ、わかるかな、アリスエルダ。」


 ミルファーレンは億劫そうに言う。ミルファーレンはとても丁寧に言葉を選ぶ。彼はどう表せばいいのか迷っているようだった。


「僕はね、君と話してみたいんだよ。」


「わたしと?」


「そう。」


 アリスエルダはそんなこと考えもしなかった、と言いたげな意外そうな顔でミルファーレンを見る。

 実際、彼女は対価といえば生きる力のような何か(生気や魂と呼べそうなそれら)を渡せばいいのかと思案していた。


 それが、ただ話すだけ?こんなちいさな薄汚い子供と?


 アリスエルダは眉を顰めた。


「わたし、きょうようもなにもないのに?」


「教養なんていらないよ。僕は君と政や学術的な話をしたいわけではないんだ、アリスエルダ。だってそんなもの、つまらないだろう?」


 ミルファーレンは笑っているのだろう。唸り声もなにもしないけれど、眼が顔や動きよりも雄弁にミルファーレンの感情を語っていた。


 けれど、ミルファーレンの心を覗き込もうと眼をじっと見つめるとこちらが見透かされているような気がしてきて、アリスエルダは既にミルファーレンと眼を合わせることが苦手になっていた。


 アリスエルダは暫し考えるように首を捻るが、二、三度瞬きをするとこくんと頷く。


「いいよ、ミルファーレン。あなたのはなしあいてになる。だからそのかわり、」


 ミルファーレンは尻尾をぱたぱたと嬉しそうに振った。

 アリスエルダの切った言葉をわかっているよ、とばかりに頷いて続ける。


「君にお腹いっぱい食べさせてあげる。それでいいんだね、アリスエルダ。」


「ちゃんとやくそくまもってね、ミルファーレン。」


「もちろん。」


 ミルファーレンは余程嬉しいのか、尻尾をまた幾度も振っている。狼のナリをしているくせに、犬のようでアリスエルダは少し可笑しかった。


 ミルファーレンの身体の背面にアリスエルダが回り込むと、ミルファーレンは不思議そうに首だけ振り返る。アリスエルダはそれにかまわず尻尾に飛びついた。


 ちいさなアリスエルダと同じくらいか、それより少しおおきいだろうそれは思った通りとても柔らかく毛並みが心地よい。


 アリスエルダはミルファーレンの元へ来て初めて笑みを見せた。

 口の端を少し上げる程度の笑みだったが、ミルファーレンはとても不思議なものを見た、という風に眼を何度も瞬かせる。


「アリスエルダ?」


「すごいね、ミルファーレン。あなたのしっぽはとてもきもちいい。」


「そうかい、それはよかった。」


 ミルファーレンは尻尾と戯れるアリスエルダを暫く好きにさせていた。

 その様はアリスエルダの大人びた思考や行動とは違い、年相応の無邪気さを感じさせる。ミルファーレンはそれが嬉しくて、日が暮れかけるまで遊ばせていた。



 それから、アリスエルダは陽が起きる頃に森へ行き、ミルファーレンと話をした。

 ミルファーレンは果物や山菜や肉などを調達してきて、どうやってか調理してアリスエルダに食べさせた。


 アリスエルダは毎回それが不思議だったけれど、それらの料理はとても美味しかったから気にせず食べた。

閲覧ありがとうございました。

三話の投稿は翌日の0時になります。


誤字・脱字がもしもありましたら感想の方へどうぞ。

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